福沢諭吉の儒教批判と武士道

福沢諭吉の儒教批判その3

2007年1月 1日 (月)

3 学問のすすめ

 諭吉の徳川幕藩体制下の門閥制度批判を支えた思想は、1872年に刊行された『学問のすすめ』の冒頭の言葉に明快に言い表されています。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心の働きをもって天地の間にあるよろずのものを資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめたもうの趣意なり。」

 ここから、人と人との同等なる関係について、これは、人の「有様(貧富強弱あること)の等しきをいうにあらず、権利通義の等しきをいうなり」として、一種の「法の下の平等」を主張します。

 さらに、続けて「すなわち、その権利通義とは、人々その命を重んじ、その身代所持の物を守り、その面目名誉を大切にする大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々をしてこの通義を遂げしむるの仕掛を設けたるものなれば、なんらのことあるも人力を持ってこれを害すべからず。」これは一種の「天賦人権論」ですね。

 そして、ここから政府と人民の関係について次のようにいっています。「そもそも政府と人民の間柄は、前にいえるごとくただ強弱の有様を異にするのみにて権利の異同あるの理なし、百姓は米を作りて人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これすなわち百姓町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し善人を保護す。これすなわち、政府の商売なり。」これは政府の「当然の職分」にして「御恩というべからず。」

 つまり「政府は人民の名代となりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべしと、かたく約束したるものなり。」「ゆえにひとたび国法と定まりたることは、たといあるいは人民一個のために不便利あるも、その改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々謹んで守らざるべからず。これすなわち人民の職分なり。」これは「代議制」及び「法治主義」の主張ですね。

 「しかるに無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに欲は深く、目の前に人を欺きて巧みに政府の法を遁れ、・・・子をおばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、・・・かかる馬鹿者を取り扱うには、とても道理をもってすべからず、不本意ながら力を持って威し、一事の大害を鎮むるよりよりほか方便あることなし。」と云々。

 とてもいまの言論人には口に出せぬ思い切った表現ですが、いわんとするところは、「ゆえにいわく、人民もし暴政を避けんとせば、すみやかに学問に志しみずから才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからす。これ余輩の勧むる学問の趣意なり。」ということなのです。この場合、才(知識や技術)だけでなく徳を高くすることも考慮されている点に注意しておきましょう。(以上『学問のすすめ』)

4 独立のすすめ

 「学問のすすめ」で、諭吉は、「富めるも貧しきも強きも弱きも人民も政府も、その権義(権利通義のこと)において異なる事なし」といいました。このことをさらに国と国との関係について述べるとどうなるか。

 「日本人も英国人も等しく天地の間の人なれば、互いにその権義を妨ぐるの理なし。一人が一人に向いて害を加うるの理なくば、二人が二人に向かいて害を加うるの理もなかるべし。百万人も千万人も同様の訳にて、物事の道理は人数の多少により変ずべからず。・・・しかるに今自国の富強なる勢いをもって貧弱なる国へ無理を加えんとするは、いわゆる力士が腕の力を持って病人の腕を握り折るに異ならず、国の権義において許すべからざることなり。」

 従って、もしも「道理にもとりて曲を蒙るの日にいたりては、世界中を敵にするも恐るるに足らず、・・・日本国中の人民一人も残らず命を捨てて国の威光を落とさずとはこのことなり。」しかしながら、「国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶる事」はできない。というのも「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。」であり、「内に居て独立の地位を得ざる者は、外にありて外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶることあたわず」であり、「独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。」だからである。

 こうしたことは「皆人民に独立の心なきより生ずる災害」であって、「いまの世に生まれいやしくも愛国の意あらん者は、官私を問わずまず自己の独立を謀り、余力あらんば他人の独立を助けなすべし。父兄は子弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商ともに独立して国を守らざるべからず。概してこれをいえば、人を束縛して一人心配を求むるより、人を放ちてともに苦楽をともにするにしかざるなり。」(同『学問のすすめ』」)

 ここに述べられていること、「愛国をいう者はまず自己の独立を謀るべし」という言葉、これは重要ですね。また、親や教師が子供にまず教えるべきことは「独立のすすめ」であって、それが国の独立つまり愛国につながるという指摘も重要です。また、ここは、戦後、「諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意し」た(つまり受身の)私たちの「立国の精神」に対する批判にもなっていると思います。