教育委員会制度と学校事務

「教育委員会制もう一つの攻防」補説 -小川正人氏の疑問に答えて- 

その他の疑問点に答える

 次に、小川氏の提出されたその他の疑問点についてお答えしておく。

教育事務職という試験区分で採用している県が1県しかないが、これは先進県、実験県のいずれと思うかという質問であるが、おそらく、これは富山県のことであろうが(昨年、鹿児島県も実施したと聞く)、一つの「実験県」として、十分調査した上で評価すべきことと考えている。評価が高ければ当然「先進県」と見なされうるであろうが、どういう訳かこうした調査が話題に上ったということを寡聞にして聞かない。私には、このことの方が不思議である。

 また、注1において小川氏は、旧教育委員会法の「事務局の職員」について規定する条項に「学校の事務職員」の任命に関する規程が含まれていることについて、それが教育委員会事務局職員の規定から消滅したのは1956年「地教行法」としているが、私の知る限りでは、これは「地教行法」ではなく、すでに昭和25年の「教育委員会法一部改正」において当該条項から削除されている。

 この理由についてだが、私は、それは、小川氏がいわれるような、学校事務職員の「学校固有職」としての規定の変更があったためではなく、逆に、「事務職員」に、とりたてて「学校の」という限定詞を冠することが不自然であったためではないかと思う。「事務職員」とは、あくまでも「事務職員」という一つの職種を表す概念に過ぎず、その意味では、事務局の事務職員も「学校の」事務職員も同一職種であり、従って、その間に交流があるかないかは、あくまで当局の人事施策上の問題に過ぎないのではないかと思うのである。

 ちなみに、こうした「事務職員」の考え方については、戦前(待遇官吏)も戦後(地方事務官→事務職員)も基本的には変わりはなく、つまり、私がここでいいたかったことは、今日の公立小・中学校の事務職員が閉鎖職的に扱われているという現実について、それが法制的に裏付けられているというような解釈がなされていることについて、旧教育委員会法の当該規定を紹介し、そうした考えに異を唱えたまでのことである。

 私自身、採用当時、県教育委員会に採用された事務職員でありながら、なぜ、市町村立学校の閉鎖職扱いを受けるのかが判らず、疑問に思っていた折り、当該条文見つけて、なるほど、我々学校事務職員は、教育委員会法制定当時は教育委員会事務局の事務職員と同様の取り扱いをうけていたのかと疑問氷解し納得したのである。

 

 なお、本稿は小川氏の疑問に答える形で「私論」の補説を行うために書いたもので、時期的には3月半ばに脱稿したものであるが、本誌の掲載が7月号からになったため、あわせて、その後の「制度研」による「私論」に対する批判(『育委員会事務局一体化論』を斬る『学校事務』1996.6)について、必要と思われる反論を付け加えさせていただく。柳原氏や竹山氏の批判については、白井氏がまとめられたものであり、本人による直接の文章ではないので反論を控えさせていただく。ただし、まとめを見る限りにおいても、いささか一方的なきめつけと独断が多いような気がするが・・・。 

 また、境野健児(福島大学)氏の発言(これも伝聞に属するが)のうち、私が埼玉のシンポで「国庫負担をはずす」といったというのは事実に反する。私は、国の逼迫した財政状況や、地方への権限移譲がとりざたされる昨今の状況の中で、学校事務職員の国庫負担はずしの可能性が高いことを指摘し、それに対処すためにも学校事務を地方教育行政の中にしっかり位置づけておくことが必要であると主張したのである。国庫負担問題についての私の意見については、拙論「国庫負担問題は定数問題である」(『国庫負担問題の10年』1993.9学事出版所収)を参照されたい。

 なお、白井吉宗氏自身の意見については、理論的には、ほぼ小川氏の主張にそったものであるので、特に付け加えて論じることはしないが、私論への批判の根拠として用いられた資料等に明らかな間違いあるいは曲解があるので、訂正させていただく。

1 竹山トシエ氏の「一体化論」への疑問としてまとめられた7項目のうち、そ の5番目に「東京、大阪、高校現場など、任用一本化政策が進んでいる所の現 実をどう認識しているのかが見えない(例えば、宮崎の人事交流の実態をめぐ って『学校には6給職を固定化し、7、8級の高校事務長職を知事部局に明け 渡した』との評価もある」と紹介し、根拠資料として宮教組事務職員部情報誌 『曳航』(95.6.26)をあげているが、それに関連する記事は当該資料にはどこ にも見あたらない。また、この引用文は過去形で書いているがその事実もない。

 これは一種のプロパガンダであり、もし私が反論しなければそれが事実として 定着するおそれがあるのである。論者としてモラルに反すると思うがいかがか。 

  ただし、類似の考え方が、本県知事部局にあるらしいことは判っており、ま た、学校事務を行政職に一本化する考えが、本県の行政改革の一環として検討 されていることが、副知事談話のような形で新聞発表(宮崎日々新聞1995.6.1 0)されたこともあり、私としては、こうした知事部局の考え方に転換を迫る上 からも、教育委員会の任命権者としての意義と、学校と教育委員会との一体性 の確保並びに両者間の人事交流の必要性について自説を展開しているのである。

 おそらく、このような知事部局の学校事務に対する”さめた”見方は、一般的 に通用しているもののように思われ、こうした状況を放置したままで「国庫負 担後」を迎えることはなんとしても避けたいというのが、私が、非力を省みず 本稿を起こした主たる動機であったのである。

 

2 同論NOTES(注記)2で、私が『学校事務』(96年6月号)において、 柳瀬氏の「学校から事務職員を全部吸い上げて教委を活性化した方がよい」と いう論に対し支持を表明していると批判しているが、私は、柳瀬氏の「学校経 営センター構想」が、教育委員会の学校経営機関としての専門的能力の如何を 問うものであり、必然的に「現行教育委員会制度の改革にもつながりかねない もの」(『学校事務』19 95.6P82右欄21行)であることを指摘したまでである。 (この時、私は、この構想を、先に論じたような大規模教育委員会の分割(学 校経営機関としての組織主体の再設置)の問題として受けとめた。)

  確かに、私がこの時引用した柳瀬氏の文章には、「学校経営センター」に関 わって「学校現場に事務職員が常駐しなければならないとは思えない」という 文章も含まれているが、当然、そういう考え方もあるわけで、ただし、私自身 の考えとして直接それに支持を表明してはいない。

  私は、本論の冒頭にも述べたとおり、学校に(その効果的な管理運営上必要 な)できるだけ多くの権限が教育委員会より委譲されることには賛成である。 従って、学校管理運営の基幹的スタッフであるべき事務職員の学校における存 在意義は重要かつ不可欠であろうと思っている。だが、学校と教育委員会とは 経営組織体としては一体のものであるべきと考えるから、事務職員が学校に勤 務することと教育委員会に勤務することには、白井氏がいうような”本質的差 違”があるとは思っていない。(おわり)