教育委員会制度と学校事務

「教育委員会制もう一つの攻防」補説 -小川正人氏の疑問に答えて- 

『学校選択』の可能性について

 ところで、ここで、「学校を基礎とした経営」ということについて私見を申し述べさせていただく。これは、黒崎氏の「学校選択と学校参加」の論にも関係するわけだが、学校経営機能の活性化のモメントを教育委員会など管理機関に求めるのではなく、学校単位の経営機能の拡大に求めるべきとする論のことである。私は、先に述べた通り、学校に地域、父母の教育要求に柔軟に対応するための学校経営上必要なできるだけ多くの裁量権を学校に委譲をすることには賛成である。しかし、このことは「教育行政」に対する学校の「経営権」の独立などを意味するのではなく、「学校経営」はあくまで学校と教育委員会とを一体のものとしてとらえるべきであると考える。

 なぜならば、「学校を基礎とした経営」は、当然、学校の経営上の権限の拡大を意味するのであるから、その権限拡大に見合った経営責任が地域や父母から問われるようになるのは必至だからである。ましてや、こうした学校の経営上の権限拡大は、あくまで地域や父母の多様な教育要求に対応すると共にそれに対するプロフェッショナルリーダーシップを確立するためのものであるから、いわゆる「教育サービスを受ける側」と「教育サービスを提供する側」の軋轢は、特に、「教育サービスを受ける側」の権利が「学校選択」や「学校参加」において制度化されることにより一挙に高まることが予想されるのである。こうした両者の「権利の葛藤」の調整がはたして学校だけで可能であろうか。

 私は、学校に権限移譲するといっても、自ずと適正な範囲や限度があり、小川氏のいわれるような教職員人事や教育課程編成、学校予算編成などの権限の最終的な調整のポイントは、市町村教育委員会や都道府県教育委員会による総合的調整をどうしても必要とせざるを得ないと考える。結局のところこうした学校と教育委員会等との権限配分の問題については、それを抽象的に述べても意味はなく、その一つひとつについて各級機関の組織的特性を総合的に勘案しながら具体的に論じていくほかはないと思う。要は、学校と教育委員会とは学校経営機能あるいは教育行政機能をそれぞれの組織特性に応じて分担しているわけであって、「教育サービスを提供する側」としては一体のものと捉えるほかないのである。

 最後に、黒崎氏が紹介しておられるイーストハーレムにおける学校選択制度について、氏自身がまとめておられるように、それが、「教育の民衆統制と専門的指導性という教育行政研究の基本課題に対する一つの有力な解答」となりうるものであるという点について賛意を表しておきたい。私も、日本においても校区外通学の制限の解除をはじめとして「学校選択」の問題が本格的に論じられるべき時がきていると思う。小川氏のいわれる「学校―教職員の実践に対する地域・親のアカウンタビリティ(教育責任)の確立」ということも、これを契機に地域や父母の学校参加のための所要の制度改正へと発展していくだろう。

 その時、教育行政は、こうしたシステムのもとにおける教職員人事、教育財政、教育課程管理などの新たな行政課題についてそれを総合調整するという仕事を、「教育の思想とビジョン」=見識をもって主体的に処理する手腕を求められることになるのである。私は、そうした現場教職員に対する「見識ある指導性」を発揮する魅力ある教育行政を実現するためにも、それに従事する教育行政職員の育成ということについて、とりわけ学校事務職員を学校から教育委員会事務局を含めた幅広い職域の中でそのキャリヤ形成をはかることに大きな意義を認めるのである。

 なお、教育行政という言葉と学校経営という言葉の使い分けについててであるが、前者は公的な基準に基づく規制あるいは助成という公教育に関する狭義の行政作用に着目した言葉であり、後者は地域住民や父母に教育サービスを提供するという教育事業推進における経営管理機能に着目した言葉ということができる。私は、「教育委員会制もう一つの攻防」においてもこのことに言及したが、この教育行政と学校経営との機能的分離は概念的には可能であり、仮に、これを比喩として料理に例えれば、教育内容を素材として前者が「器」、後者が「調理法」の関係にあると理解することができると思う。

 だが、本稿においては、少なくとも、現行制度下において教育委員会の学校経営機能を論ずる限りにおいては、この両者の概念をことさら区別して論ずるよりは、むしろ同義的に扱った方が混乱が少ないように思われたので、この二つの言葉の厳密な使い分けには意を払わなかった。とはいうものの、もし、教育行政と学校経営との機能的分離を、あえて現行制度下において行うとすれば、私は、それは学校と市町村教育委員会の間でなく、市町村教育委員会と都道府県教育委員会の間で行うことの方が制度の趣旨にあっていると思う。

 だが、こうした「教育行政機関」としての都道府県教育委員会は、一方では県立学校に対しては経営機関としての立場にあり、他方、市町村教育委員会に対しては、「地教行法」第48条によって学校管理運営上必要な指導助言権が付与されているが、市町村教育委員会はあくまで当該市町村自治体に属する行政委員会であって指導の困難な場合もあり、かつ、その多くは、規模の問題などがあって経営体としての十分な機能を備えていないなど、つまり、こうした現行制度における組織的現状が、両者間の、教育行政機関と学校経営機関としての機能的分離を困難にしているところの一大要因と見ることができるのである。

 そこで、小川氏の、「学校経営をあくまで学校を単位として捉えよう」とする考え方についてであるが、私には、こうした考え方は、案外、東京など都市部の大規模教育委員会を念頭に置いて構想したものではないかと推測されるのである。というのは、これらの教育委員会の規模は、ほとんど、地方における県教育委員会の規模に匹敵するものであり、その組織機能は、必然的に前述したような狭義の教育行政機能にとどまらざるを得ないと思われるからである。従って、この場合には、地域の教育経営上のアカウンタビリティ要求に機動的に対応しうる、より小規模の学校経営機関を構想する必要があるのではないだろうか。

 いずれにしろ、私は、地域の教育経営における「教育行政」と「学校経営」の機能的分離は、以上のような現行制度の問題点が改善されてはじめてその意義が明らかになると考えており、おそらく、この時こそ「学校経営」を担うべき新しい組織のあり方について、地方行政による不効率な制度的制約を離れて自由にその「経営体としての組織のあり方」を構想できるのではないかと思う。市川昭午氏はこの経営体を関係地方団体が共同で設立した「公企業的組織」とすることを提唱しているが、私は、こうした発想を、現在の県費負担教職員制度をうまく活用することでその具体化の道をさぐることが可能なのではないかと考えているのである。