教育委員会制度と学校事務

「教育委員会制もう一つの攻防」補説 -小川正人氏の疑問に答えて- 

『地教委制度』の活性化のためには

 話を先に進める。私は先に木田宏氏のわが国の地教委制度の特質を説明する

文章を紹介したが、氏自身、昭和31年当時、文部省初等中等局地方課長の職にあって「地教行法」の立案、とりまとめにあたり、当時廃止論の高かった地教委を維持することに積極的な役割を果たしたとされる。そうした立場から、氏はその後の「地教行法」体制の中で、地教委制度の形骸化を防ぎそれを維持・発展させていくためは、市町村に対する都道府県の適切な指導・助言が不可欠であるとして次のような所説を展開している。

 「戦後、地方自治法が制定されたときは、都道府県と市町村とは共に基本的な地方公共団体として対等のものであるといった考え方が伺えたが、都道府県は「市町村を包含する地方公共団体」であるから、自ずから両者の役割に差違があるのは当然のことであり、昭和27年の改正で、「都道府県知事若しくは都道府県の委員会若しくは委員は、普通地方公共団体に対し、その担任する事務の運営その他の事項について適切と認める技術的な助言若しくは勧告をし、・・・必要な資料の提出を求めることができる」(第245条4項)と規定された。

 さらに昭和31年にいたって、同法に都道府県の事務として、①広域にわたる事務 ②統一的な処理を必要とするもの ③市町村に関する連絡調整に関するもの ④一般の市町村が処理することが不適当であると認められる程度の規模のもの(第2条6項)が書き加えられ、都道府県の市町村に対する指導的役割のあることが明示されたのである。

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律も当然ながら、この一般的原則を前提として、都道府県教育委員会が市町村に対し、「市町村の教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言または援助を行うものとする」(同法第48条)と定め、その指導、助言、援助の例示として、11項目を掲げている。この項目が市町村教育委員会の職責の全般にわたっていることは言うまでもない。いな、市町村教育委員会のみならず、市町村長に対しても必要な指導、助言が行えるようになっているのである。しかし、果たして、都道府県の教育委員会は市町村に対してどのような指導と助言を行っているであろうか。」(「教育委員会の職責とその遂行への課題」『教育委員会月報』s61年6月号p10)

 木田氏は、こう述べた後、都道府県の教育委員会が市町村を指導することがほとんどないのは、一つは、戦前においては市町村は学校を設置してもそこで行われる教育については権限がなく、都道府県は学校の校長や教員に対して直接必要な指導助言を行い、市町村の役場職員をとおす発想をもちあわせていなかった点を指摘し、こうした体制が、都道府県の教育委員会が市町村の教育事務について指導するような体制に改まっても、現実の対応がそのように改まることとはならなかったと指摘している。

 その上で、「今日求められている教育改革は、国の課題を末端に及ぼしていけばよいというものではなく、家庭環境、社会環境など、児童生徒の生活環境全体における大きな変化の中で生じている諸問題に対応していかなければならない体のもの」であるとし、つまり、この地域教育の再建という自治の課題に取り組み、今日憂慮されている教育問題への解決の道を切り開いていくためには、市町村教育委員会の活性化が不可欠であるとしている。そして、そのためにこそ都道府県教育委員会は市町村の教育行政能力を高めていくよう適切な指導助言援助を心がけていく必要があるとしているのである。

 しかし、こうした要請に対して、「都道府県側から予想される反論は、市町村の教育委員会に、都道府県の指導を容れるだけの能力と力量が備わっているのか」

ということであろうが、「市町村と言えども、管内の学校、公民館の教職員あるいは区域内の有識者を動員すれば、かなりの人材を揃えて活動することができる、という地域の知恵」も働きうるのであり、もし、「専任者が極く僅かでもいて、多くの協力者の輪を拡げることができれば、さらにその活動の輪は充実したものになっていくのである」と提言しているのである。

 私も、学校事務職員として、市町村教育委員会との20年に及ぶ交渉を経験してきたが、私の先の論文「教育委員会制もう一つの攻防」において論じたように、現在の市町村の行政区割に変更がない限り、市町村教育委員会の教育行政機能を補完するためには、学校事務職員等による組織的・計画的な市町村教委に対するバックアップ体制がとられる必要があると思う。同時に都道府県教育委員会の市町村教育委員会に対する指導助言体制、さらにはそこに事務職員を交流、派遣することも検討されてよいわけである。(上掲書p12)

 本来的に言えば、日本の地教委制度は、先に木田氏の言葉として紹介した通り、

アメリカであれば州のにあたる機関による統一的な職員制度のもとで運営されるべきところ、市町村の行政区割りで「分断」されているのであるから、「理想型」としては、都道府県の機関としての地教委の再設置(旧郡単位程度を学区とする)が望まれるのである。しかし、当面その実現の可能性はないと考えられるから、この地教委の事務局体制を補完しその教育行政機能を賦活するため、教職員ほか地域の人材を活用することが検討の対象となってくるのである。

 あるいは、このような日本の地教委制度のあり方は、アメリカにおいて、その州によって統一された教育行政管理システムが、官僚化の弊をもたらすものとして批判の対象となっているらしい点を考慮すれば、あるいはそうした官僚化を未然に防止するという意味において意義を持っているといえるのかもしれない。しかし、私の経験からいえば、それが、とりわけ学校事務職員を含めた教育行政職員の組織的分断を結果している点については、教育委員会の学校経営機関としての機能の低下をもたらすものでありどうしても是正する必要があると考える。

 また、ここで私が重ねて理解を求めたいのは、私が教育行政の専門性にこだわり、それを担保する、学校から教育委員会事務局までの統一的な事務職員制度の導入を主張するのは、教育委員会に学校経営に関する権限を集中することを直接的に求めるためではなく、そのことが、学校への適正な権限移譲のための前提条件として不可欠であるからである。一体、教育委員会の専門的自律性の承認なくして、教職員に対する任命権の行使や中野区に見るような独自の教育予算編成システムの導入が可能であろうか。