『日本国記』の「古代史」及び「現代史」を検証する(2)

2019年8月29日 (木)

『日本国記』の「現代史」に対する私の疑問

 次に『日本国記』の「現代史」に関して私見を申し述べたい。私が、特に違和感を感じたのは、百田氏の外交官幣原喜重郎に対する評価である。

百田氏は、中村粲氏の『大東亜戦争への道』と同様、日英同盟の破棄や、第一次南京事件等に対する幣原の宥和的・国際協調外交を繰り返し批判している。

 確かに、日英同盟の廃棄は、もう少し慎重であるべきだったと私も思う。これは、集団的自衛権いわゆる同盟と集団安全保障の違いを十分見極められなかったこともあるが、この時期、いわゆる「21箇条要求」で傷ついた日中関係の修復と同時に、アメリカとの外交関係を再構築する必要があったことも事実である。

 それを不可能にしたのが、第一次南京事件を幣原外交批判に結びつけ、第一次若槻内閣を倒して田中義一内閣に代え、済南事件さらには張作霖爆殺事件を引き起こして、日中の外交的基盤を破壊した、当時の軍や一部の政治家の責任を不問に付すわけにはいかない。幣原外交を破綻させたのは彼らの責任は大きい。

 百田氏は、張学良支配下の満州における排日運動に対する幣原の宥和的態度も批判している。しかし、田中内閣の大陸政策の惨憺たる失敗を受けた後の、浜口雄幸内閣下における佐分利公使を介した外交による日中関係の修復は、軍の露骨な政治介入のため、ほとんど不可能な状態に陥った。

 外相幣原に代わり日中の外交関係修復にあたった佐分利公使怪死事件、ロンドン海軍軍縮条約の批准をめぐって発生した「統帥権干犯事件」、浜口雄幸首相狙撃事件、3月事件というクーデター未遂事件、そして、張作霖爆殺事件の「やり直し」としての柳条湖列車爆破事件を口実とする満州事変等々。

 百田氏は、こうした軍の政治介入の責任を幣原に求めることに急なあまり、張作霖爆殺事件にソビエトの関与が疑われることをもって河本大作を不問の伏すなど、いささかバランスを欠く論述が多いように思った。欺されたのは「欲張った」からであって、強欲に対する批判を免れるものではない。

 また、満州事変をもって、その後の日中戦争を不可避なものとしているが、これも満州に踏みとどまり満州経営に専念すべしとの当初の基本方針を堅持すれば、日中全面戦争は避けられたのである。これも華北の資源欲しさに華北分離工作などやったからで、蒋介石が掃共作戦から国共合作に転じたのはそのためである。

 さらに、戦後の日本国憲法制定過程における幣原の役割について、その戦力放棄条項の発案が幣原であるとの説を否定し、これをあくまでマッカーサーの日本弱体化策としていること。そうすることで、現憲法がそうした策略下に生まれたことを強調することで、自主憲法制定の必要を説こうとしている。

 しかし、「平野文書」にある通り、現憲法の武力放棄条項が幣原の発案であることは明白である。それは、天皇制を日本軍国主義と結びつける国際世論に対して、憲法に武力放棄を書き込むことで天皇制と軍国主義の結びつきを絶ち天皇制を守ろうとした、これが幣原の第一の狙いだった。

 では、裸同然の日本は誰が守るか、当時はアメリカが核を独占し国際秩序はアメリカによって守られていた。当然、日本の安全はアメリカが守る。さらに、そこに平和国家日本を守るという理念を挿入することで、アメリカに主体性を持たせる。それによって予想される戦後の東西イデオロギー対立の中で、日本の安全を確保しようとしたのである。

 そうした外交的狡知が幣原にあったことは事実であると私は思う。マッカーサーは、軍人であると同時に、千年王国的な素朴なキリスト教信者であった。それを見抜いた幣原はマッカーサーを「負けて勝つ」外交戦略の操り人形とした。軍人であるマッカーサーが「永久平和」を夢見た原因は、その他には考えられない。

 もちろん、幣原の目には、戦後の東西イデオロギー対立の中で、日本軍がアメリカ軍の先兵とされることを避ける狙いもあったと思う。同時に、その流れの中で日本軍国主義が復活する危険を未然に防止する狙いもあったと思う。ただし、それはアメリカの核独占による国際秩序維持が可能な限りにおいてだが。

 「平野文書」には、核時代を迎えて戦争を回避する唯一の手段として、軍事力を国際機関に一元化し、各国は警察力のみを持つことで世界平和を維持するとの理想が語られている。ただ、そうした軍縮は各国の疑心暗鬼の中では不可能であり、狂人にしかできないが、たまたま日本がその狂人を演じる立場にあるので、思い切って憲法に戦力放棄をマッカーサーに書き込ませたと幣原は言っている。

 それは、当時の状況の中で、幣原が独断的に行った外交奇策だが、当時の内閣もそれを追認したのであって、結果的には、核のアメリカ独占が壊れ東西冷戦が深刻化する中で、日本は、この憲法条項を盾に、朝鮮戦争やベトナム戦争への参戦を免れ、経済発展に国力を集中することに成功したのである。

 ただ、こうしたことが、いわば密教的になし崩しで行われたために、それが一国平和主義的な空想を国民に蔓延させることになった。それが、戦後のGHQによる言論統制の影響もあり、日本の歴史や国民性を自虐的に捉え、日本が何もしなければ世界の平和が守られるという倒錯した心理に日本人を陥らせることになった。

 百田氏は、そうした風潮に反発しているわけだが、その原因を、日本を「欺した」中国やソ連あるいはマッカーサーだけに求めることはできない。欺された戦前の日本にも「欺されるだけの原因」があり、戦後については、「欺したことにも気づかない」日本人の偽善も、同時に指摘すべきである。

おわりに

以上、『日本国記』の「古代史」と「現代史」を検証した。「古代史」については、私が宮崎照雄説を支持していることもあり、また、八幡和郎氏の日本史から世界史にわたる通史や、日中及び日韓・日朝関係についての著作に多くのことを学んでいる関係で、これらの視点を併せて『日本国記』を検証することになった。問題は、卑弥呼、神武、欠史八代、崇神の関係及び応神までの時代設定をどう考えるかが、今後の研究課題だと思った。

 『日本国記』の「現代史」については、私はその弱点は幣原評にあると思った。私は、昭和史において軍が政治外交の主導権を握ることがなければ、昭和の悲劇は避けられたと思っている。その意味で、幣原外交に象徴される外交がなぜ挫折したのか、その罪を幣原だけに負わせるのではなく、当時の政治家や軍及びマスコミの責任を、バランスよく問う必要があると思う。

 日本は、当時の国際政治の情報戦に負けて、思いがけず「するはずのなかった」日中全面戦争に巻き込まれた。これは事実である。また、同じく、「してはならない」日米戦争に突入することになった。そこに謀略があったことも事実である、というより当然であって、「欺された」と言って免罪されるものではない。

 以上、『日本国記』の「はじめ」と「おわり」を見てきた。もちろん、この本に教えられたこともたくさんあるし、特に戦後の日本国民が、WGIPと称される情報戦に翻弄され続けているとの指摘は正しい。WGIPなどなかったと強弁するのは、戦前の日本を破滅に追いやった国際情報戦の敗北を認めないに等しく、うらんかなのマスコミや衒学趣味に陥る学者の通弊であると思う。 おわり