「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができない日本的思考について

2011年9月 7日 (水)

池田信夫氏が「朝日新聞の主張する『東條英機の論理』で次のような興味深い指摘を行っています。

 「きょうは8月15日である。この日に、いつも日本人が自問するのは『日本はなぜあんな勝てない戦争に突っ込んだのだろうか』という問いだろう。これにはいろいろな答があるが、一つは東條英機を初めとする陸軍が日本の戦力を過大評価したことである。陸海軍の総力戦研究所が『補給能力は2年程度しかもたない』と報告したのに対して、東條陸相は『日露戦争は勝てると思わなかったが勝った。机上の空論では戦争はわからん』とこれを一蹴した。

こういう客観情勢を無視して「大和魂」さえあれば何とかなると考える主観主義は、日本の伝統らしい。朝日新聞の大野博人氏(オピニオン編集長)は8月7日の記事でこう書いている

 脱原発を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。

 (1)原発をやめるべきかどうか。
(2)原発をやめることができるかどうか。

 多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。原発をやめる場合、再生可能エネルギーには取って代わる力があるか。コストは抑えられるか。 [・・・]これらの問いへの答えが「否」であれば、「やめることはできないから、やめるべきではない」と論を運ぶ。

 できるかどうかをまず考えるのは確かに現実的に見える。しかし、3月11日以後もそれは現実的だろうか。 脱原発について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで3月11日の事故が起きなかったかのようではないか。冒頭の二つの問いに戻るなら、まず(1)について覚悟を決め、(2)が突きつける課題に挑む。福島の事故は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。

 私はこの記事を読んだとき、東條を思い出した。ここで「脱原発」を「日米開戦」に置き換えれば、こうなる。

 日米開戦を考えるとき、私たちは同時に二つの問いに向き合っている。

 (1)戦争をやるべきかどうか。
(2)戦争に勝つことができるかどうか。

 多くの場合、議論はまず(2)に答えることから始まる。戦争をする場合、米国に勝てる戦力・補給力があるか・・・これらの問いへの答えが「否」であれば、「勝つことはできないから、戦争はやるべきではない」と論を運ぶ。

 できるかどうかをまず考えるのは確かに現実的に見える。しかし戦争について、できるかどうかから検討するというのでは、まるで鬼畜米英を放置すべきだということではないか。まず(1)について覚悟を決め、(2)が突きつける課題に挑む。大東亜戦争は、考え方もそんな風に「一変」させるよう迫っている。

 朝日新聞は、おそらくこれと似たような社説を70年前の12月8日の前にも書いたのだろう。それがどういう結果になったかは、いうまでもない。河野太郎氏も、私の「再生可能エネルギー100%というのは技術的に無理ですよ」という質問に対して「できるかどうかだけ考えていたら何もできない。まず目標を掲げれば、不可能も可能になるんです」と語っていた。

 この「東條の論理」には、二つの欠陥がある。まず、技術的・経済的に不可能な目標を掲げることは、最初から失敗するつもりで始めるということだ。これは当然、どこかで「やっぱりだめだ」という判断と撤退を必要とする。その判断ができないと、かつての戦争のような取り返しのつかないことになるが、撤退は誰が判断するのか。また失敗による損害に朝日新聞は責任を負うのか。

 もう一つの欠陥は、実現可能なオプションを考えないということだ。最初からできるかどうか考えないで「悪い」原発を征伐するという発想だから、その代案は「正しい」再生可能エネルギーという二者択一しかなく、天然ガスのほうが現実的ではないかといった選択肢は眼中にない。

 朝日新聞は、かつて対米開戦の「空気」を作り出した「A級戦犯」ともいうべきメディアである。「軍部の検閲で自由な言論が抑圧された」などというのは嘘で、勇ましいことを書かないと新聞が売れないから戦争をあおったのだ。今回も世論に迎合し、脱原発ができるかどうか考えないで勇ましい旗を振るその姿は、日本のジャーナリズムが70年たっても何も進歩していないことを物語っている。」

 これは、「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができないという日本的思考の弱点を、朝日新聞は未だに克服していないことを、みごとに証明した文章だと思います。もっとも、この記者は、「多くの場合、議論はまず(2)原発をやめることができるかどうか、に答えることから始まる」と言っていますから、他の多くの人は、この思考法を克服していることになりますが。

 ということは、この記者は、他の多くの人が克服しているこの日本的思考を、あえて逆戻りさせようとしているわけで、その罪は一層重いという事になります。といっても、この記者は”自分だけ分かっている”と言いたいだけで、実際は、最近の原発に関する一般的論調としては、この「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができなない論のほうがはるかに多いのです。

この問題は、日本人にとっては実に深刻な問題で、山本七平氏は、「日本は、なぜあんな勝てない戦争に突入したんだろう」という疑問を解くそのカギは、実に、この「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができない日本的思考にあったということを、自らの体験に基づいて次のように指摘しています。

 「・・・比島、いわゆる「太平洋戦争の旅順」で生き残った者―長い間、多くの国民に、餓死直前同様の耐えうる限度ギリギリの負担をかけて、陸海それぞれ七割・七百万という軍備をととのえ、それを用いて、人間の能力を極限まで使いつくすような死闘をして、そして「無条件降伏」という判決を得た現実、しかもあまりに惨憺たる現実を否応なしに見せつけられた者には、二つの感慨があった。

 これだけやってダメなことは、おそらくもうだれがやっても、どのようにやっても、ダメであって、あらゆる面での全力はほぼ出し切っているから、「もし、あそこでああしていたら・・・」とか「ここで、こうしていたら・・・」とかいう仮定論が入りこむ余地がないということ。

 そしてあの農民のことを思い出せば、あの人たちは本当に誠心誠意であり、一心同体的に当然のことのように犠牲に耐えていたこと。そしてもう一つは、どこでどう方向を誤ってここへ来たのであろうか、ということ。

 そしてその誤りは、絶対に一時的な戦術的な誤り、いわば「もしもあの時ああしなければ……」とか「あそこで、ああすれば……」とかいったような問題ではなく、もっと根本的な問題であろうということであった。

 確かに歴史は戦勝者によって捏造される。おそらく戦勝者にはその権利があるのだろう。従ってマッカーサーも毛沢東も、それぞれ自己正当化のため歴史を捏造しているであろうし、それは彼らの権利だから、彼らがそれをしても私は一向にかまわない。

 しかし私には別に、彼らの指示する通りに考え、彼らに命じられた通りに発言する義務はない。もちろん収容所時代には、マック制樹立の基とするための「太平洋戦争史」などは全然耳に入って来ず、私の目の前にあるのは、過ぎて来た時日と、それを思い返す約一年半の時間だけであった。

 そしてこの期間は、ジュネーブ条約とやらのおかげで、われわれは労働を強制されず、またいわゆる生活問題もなく、といって娯楽は皆無に近く、ただ「時間」だけは全く持て余すほどあったという、生涯二度とありそうもない奇妙な期間であった。これは非常に珍しい戦後体験かもしれない。

 そして、私だけでなく多くの人が、事ここに至った根本的な原因は、「日本人の思考の型」にあるのではないかと考えたのである。

 面白いもので、人間、日常生活の煩雑さから解放され、同時に、あらゆる組織がなくなって、組織の一員という重圧感はもちろんのこと、集団内の自己という感覚まで喪失し、さらにあるいは処刑されるかもしれないとなると、本当に一個人になってしまい、そうなると、すべては、「思考」が基本だというごく当然のことを、改めてはっきりと思いなおさざるを得なくなるのである。

 そしてほとんどすべての人が指摘したことだが、日本的思考は常に「可能か・不可能か」の探究と「是か・非か」という議論とが、区別できなくなるということであった。金大中事件や中村大尉事件を例にとれば、相手に「非」があるかないか、という問題と、「非」があっても、その「非」を追及することが可能か不可能かという問題、すなわちここに二つの問題があり、そしてそれは別問題だということがわからなくなっている。

 また再軍備という問題なら、「是か・非か」の前に「可能か・不可能か」が現実の問題としてまず検討されねばならず、不可能ならば、不可能なことの是非など論ずるのは、時間の空費だという考え方が全くない、ということである。

 そしてそんなことを一言でも指摘すれば、常に、目くじら立ててドヤされ、いつしか「是か・非か」論にざれてしまって、何か不当なことを言ったかのようにされてしまう、ということであった。」(『山本七平ライブラリー ある異常体験者の偏見』p173~174)

 池田氏は、同様に質問を河野太郎氏にも投げかけ、この朝日の記者と同様の返答を受けた、と言っています。河野氏の主張は、この原発問題以外は大変チャレンジングで魅力的なのですが、この点に関してはいまいちはっきりしません。要は、エネルギー源としての核技術を放棄できるかどうかなのですが・・・。願わくば、この問題を「可能・不可能」論の観点からしっかり見極めていただきたいと思います。