小室直樹と山本七平
小室直樹氏が9月4日、心不全のため東京都文京区の病院で死去(77歳)という報が流れました。私も、氏にはその著書を通じて多くのことを教えていただきました。心から感謝申し上げますとともに、ご冥福をお祈りいたします。 小室直樹氏の伝説的な秀才ぶり、日本だけでなく世界の碩学び続けたその輝かしい研究歴、学問的業績等については、wiki「小室直樹」にも詳しく紹介されていますので、ここでは、氏と山本七平氏の関係について、紹介させていただきます。 平成3年12月10日に山本七平氏が亡くなり、12月26日に告別式が千日谷会堂で行われました。私も、その告別式に参列していたのですが、その時小室直樹氏が――氏はその頃海外にいて、テープに弔辞を吹き込んで送ってこられ、それが会場で流されました――次のような弔辞を述べられました。 ● 山本七平は,神に選ばれた人間である。私は,その確信を終始,持っておりました。この確信を体で感じたことに関して,私は感謝いたします。 ● 日本資本主義の精神を解明したのも,山本七平さんです。資本主義の精神がなければ,資本主義はできない。いまのロシアなんて,それがないからどうしようもないんです。資本主義になるというのは,資本と技術があるからではありません。もっとも大事なのは資本主義の精神です。そう言ったのはマックス・ウエーバー,解説したのはタルコット・パーソンズと大塚久雄。とは言うものの,日本において資本主義の精神がどうなっているかということを解明されたのは,山本七平です。 ● 近代日本の天皇システムの基礎を築いたのは浅見絅斎です。その基礎に崎門の学,即ち山崎闇斎の学問があります。このことは丸山真男先生が強調なさることですけども,丸山先生の弟子共は無能怠慢で研究しておりません。これほど難しいことをおやりになったのは,山本七平先生です。 実はこの文章は割とスッキリしていますが、実際の音声は録音状態も悪く、おそらく酒を飲んで録音されたのではないかと思われたほどでしたが、極めて昂奮した調子で、氏独特の甲高い声で叫ぶように以上の弔辞を述べられました。 その最初の言葉が”山本七平は,神に選ばれた人間である。”でしたから、私もその言葉を感激を持って聞いたわけですが――というのは私も山本七平氏を「日本教の預言者」と思っていた――、氏はその後も、山本七平氏をいつも「山本先生」と「先生」をつけて呼んでおられました。 その山本七平氏は、小室直樹氏のことを、確か「永遠の学生」?と評しておられたと記憶します。その生活態度は破天荒で、あのソ連の崩壊を預言したとされる『ソビエト帝国の崩壊』も、そのきっかけは、病気で入院した際の費用の捻出に困ったためと言われていて、友人の渡部喬一弁護士や山本七平などがサポートしたとされています。 私は今も、時折氏の著作を参照させていただいておりますが、最近、とても勉強になったのは、次の日蓮の教説に関する氏の解説でした。 「彼の説は決して革命的ではなく復古的である。・・彼の説を一言で要約すると、大日教重視によって密教化した天台宗の傾向を是正して、伝教大師にかえり、天台智顗にかえれ、というわけである。・・・彼の独創的な点は、実践において仏教の宗教社会学的意味を180度転回し、すぐれてこれを政治的なものにした点にある。ここにこそ日蓮の革命的意味がある。そして彼は、この革命的意味転換において、そのための媒介項として、仏教にファンダメンタリスティックな性格を付与することになった。」(「創価学会スキャンダルと日本の宗教的特性」) 昭和の戦争期における二人の預言者的人物は北一輝と石原莞爾ですが、この二人とも熱烈な日蓮信奉者であったことはよく知られています。その彼等の超国家主義思想が昭和の悲劇を生んだわけですが、その信仰の中心は、実は天皇ではなくて――それは全体主義的統制のためのシンボルに過ぎなかった――日蓮その人だったのです。 なぜ、日蓮が昭和の超国家主義思想の宗教的バックボーンとなり得たのか、小室氏の解説は、その”なぞ”を見事に解き明かしているように私には思われました。 (追記) それにしても、これら超国家主義者たちは、国民には祭政一致=天皇に対する絶対的忠誠を説き、その思想を体制内に閉じこめておきながら、自分たちは、その体制の外にある日蓮の思想に生きていた。つまり、彼等はその思想によって自らの行動を正当化していたわけで、つまり、その思想のもとに天皇を「機関説」扱いしていたわけです。ここに、かれらの思想の最大の欺瞞性があったのではないかと思います。 小室氏の言を借りれば、昭和の超国家主義とは、「一切皆苦」の現世からの解脱を説いた仏教思想を、180度転回し、それにファンダメンタリスティックな性格を付与して現世の革命思想とした、日蓮の思想の国家主義的表現だった、ということになります。その意味では皇国史観は、彼等にとっては道具に過ぎなかった。あるいは、宗教思想は日蓮で、そのもとでの政治イデオロギーが皇国史観だったと見ることもできます。 いずれにしろ、日本の思想に「政教分離・信教の自由」の考え方をいかに確立するかが今後の課題だと思います。以前のエントリーで紹介した北条泰時の思想(参照)においては、こうした考え方が当然とされていたようですし、それが「貞永式目」にも反映していました。山本七平氏は、”歴史は直線的に進むものではない”と言われていましたが、同じ失敗を繰り返さないためにも、こうした思想的課題をしっかり認識しておくことが必要だと思いました。 |