山本七平をめぐる論争

2009年7月 2日 (木)

 本ブログは、山本七平の思想の紹介とその検証を主な目的としています。しかし、山本七平については風評的な誤解があって、食わず嫌いの人も多いようです。私としてはそうした誤解をできるだけ解きたいと思っています。以下の文章は「一知半解」さんのブログで出会ったmugiさんとのやりとりです。この問題を考える上で参考になるのでは、と思いましたので、ここに紹介させていただきます。双方のやりとりはコメント欄で行っています。

 mugiさん、横レスごめんなさい。一つ気になったものですから、私見を申し述べさせていただきます。かって山本七平は本多勝一氏との論争を契機に、「クリスチャンなのに、天皇制擁護に汲々とする右翼文化人、自衛隊擁護・憲法改正論者、原発推進論者、元号擁護論者、あげくの果ては朝鮮人を差別し、民族差別するレイシスト」などと、さんざん攻撃されてきました。一つの言を立てるということはこれほど過酷なものかと、むしろ氏の言葉に感銘を受けてきたものとしては、その怨念ともいうべき対立感情の激しさに、改めて人間の限界について考えさせられたものでした。

 ところが、最近では、こうした方面からの批判に加えて、さらにmugiさんのような保守系の方から、「日本社会には手厳しい非難をする山本は、欧米人キリスト教徒の悪行には所詮何もいえなかった人物」と評されるようになったのですから、いささかビックリしました。おそらく、山本七平の論が右とか左とか色分けできるものではなかったことから、こうした現象が起こったのでしょうが、ぜひ、mugiさんにはサヨクと称される人たちが陥ったような「自己絶対化」の罠には陥らないようにしていただきたいと思います。

 山本七平は日本民族に対してどういう役割を引き受けたか、それは、本エントリーとも関わるのですが、「日本人が無意識の前提としている人間信仰の観念を自覚させる」ことによって、「言葉による」日本文化の新たな発展の糸口を見つけようとしたのです。そのための手がかりとして、氏の軍隊経験(21歳で応召し、フィリピンのジャングルで骨と皮の終戦を迎え、その後捕虜収容所で戦犯の取り調べを受け、戦後は38歳になるまで熱帯潰瘍外の戦争後遺症に悩まされた)を語ったのでした。

 日中戦争や大東亜戦争を語るとき、最近は世論の空気が、かっての革新一色のものから保守一色へと変わりつつあり、いわゆる「自虐史観」(山本はこれを「中国人天孫vs日本人犬猿」論と説明)の裏返しとしての「自尊史観」が主流となりつつあります。だがこうした見方はいずれも、中心文化(中国あるいは西欧)への迎合と反発を繰り返しているだけであって、大切なことは、いずれの民族文化にも長所と短所があり、時代の変化に対応して生き残るためには、その長所を生かし短所を克服する以外に方法はない、と知ることなのです。

 その意味では先の戦争は、日本がその完全な失敗(日本人の死者は約310万、アメリカは約9万、中国人の死者は、日本の日中戦争における死者が約40万程度ですから、その10倍と見て400万程度と見て良いのではないかと思います)から自らの弱点を学ぶための貴重な民族的経験と見るべきなのです。その時―これはイザヤ・ベンダサンと本多勝一氏の論争でベンダサンが指摘したことですが―そうした民族の失敗の責任を問うことは、民族の遺産の内、負債部分も引き請けるものだけに許される、債権だけ受け取り負債は拒否する、そんな態度は許されない、ということです。

 保守系の人たちが日本の伝統文化の遺産を大切にしそれを育てていこうとするならば、なおのこと、その負債部分もしっかり受け取り、必要な総括をして自らの国に信を立てる必要があります。山本七平は、そのための第一歩として、日本人が無意識に生きている「日本教」というべき信仰観念を客体化するという方法で、先の戦争の原因を解明し、その新たな思想発展の糸口を探ろうとしたのでした。でなければ、平家物語、太平記、神皇正統記、貞永式目から、さらに江戸時代の思想家群の著作・黄表紙に至までの文献を読み続けるはずがないではありませんか。

 戦後、こうした文献に目をやる人は皆無(戦前の日本の歴史は暗黒と見たため)で、神田の古本屋街ではこれらはほとんど紙くず同然だったといいます。山本七平はそれを49歳に至るまで一人で読み続け、かって自分が体験した「戦争の謎」を解こうとしたのです。その時、彼が共にジャングル戦を戦い死んでいった戦友たちにどのようなまなざしを向けたか、それは彼の「軍隊4部作」を見て下さい。そしてこれらの著作の最初の動機は、百人切り競争という無実の罪で死んでいった向井・野田両少尉の汚名を晴らすことだったのです。『私の中の日本軍』の最後で山本が両少尉の魂に呼びかけた言葉を聞いて下さい。

 彼が朝鮮人差別をした?そんなことをいう人は『洪思翊中将の処刑』を読んで下さい。山本は出版記念会などはやらなかったが、この本の出版だけは、中将の遺族とともに行いました。また、この本には構想から出版まで12年もの歳月をかけました。おそらく山本が本当に書きたかった本二冊の内の一つだろう、とも言われています。レイシズム?ご冗談を!山本は、話が聞きたいという人がいれば、どこにでも出かけていきました。創価学会にも統一協会にも・・・誤解されるからやめた方がという人もいたのですが、氏は「言葉の力」を信じたのです。

 氏は、「思想というものは、自分がそれで生きられれば十分のものであって、他人に強制するものではない」と常々いっていました。思想に対してそういう態度をとる人が、民族に対して差別的な態度をとるはずがないではありませんか。大切なことは、自分の言葉と自分の思想即ち行動を一致させることです。それが誠実というものです。mugiさんの言葉には、他をレイシストと批判しつつ、自ら特定の民族に対するレイシズム的断定があるように思われました。人間は自己正当化する動物ですが、それを自覚できる動物でもあります。このことを日本の伝統文化に対して行ったのが、山本七平だった、私はそう理解しています。