山本七平の不思議memo

2007年3月 9日 (金)

 山本七平さんは平成3年12月10日に膵臓ガンのために亡くなられました。その名前が世間に知られるようになったのは、昭和45年の5月に『日本人とユダヤ人』を出版して以降のことです。この本の著者名はイザヤ・ベンダサンとなっており、山本書店がその版元で初版はわずか2500部だったといいます。別に広告もしなかったそうです。

 それが、霞ヶ関の官庁街、最初は外務省の地下の本屋、それから通産省へそして大手町のビジネス街(読者は主に商社関係の人たちだったらしい)へと口コミで広がって行き、次は大阪で商社関係の人たちに、そしてうわさは全国へと広がっていき「遂には、問屋と大手書店と現物争奪戦に発展する」までになりました。

 私がこの本を知ったのは、確か昭和45年11月頃の『諸君』紙上の対談記事ではなかったかと記憶していましたが、先日、国会図書館で調べたところ、それは同書の11月号「ハダカにされた日本人」という佐伯彰一(文芸評論家)、増田義郎(東大助教授)、小堀桂一郎(東大助教授)の対談であることが分かりました。私がこの本を読んだのはその年の10月25日で、その本の奥付をみると9月30日4版発行となっています。

 その後、この本は売れに売れて、75万部ほどに達した頃、社長兼社員の山本七平はその事務上の煩雑さのために出版活動どころではなくなり、それに堪えかねて、文庫本にしたいという角川書店の求めに応じてその版権を譲り渡したといいます。山本七平はこのころ奥様に「売れすぎて嫌んなっちゃうよ。」とこぼしていました。(以上『怒りを抑えし者』稲垣武P402)

 もともとこの本は、初版が2500部であったように、本人はそれほど売れるとは思っていなくて、ただ、その当時、山本書店で出版することになっていた、岩隅直さんが27年かかって独力でまとめた『新約ギリシャ語辞典』の出版費用の足しにする、その程度にしか考えていなかったそうです。

 というのは、この岩隅さんの原稿は、どの出版社に持ち込んでも採算が合わないという理由で断られていたものを、聖書学の権威の関根正雄氏の紹介で山本書店に持ち込まれ、山本七平は赤字覚悟で引き受けたもののどこまでそれに堪えられるか分からす迷っていたおり、たまたま、あるユダヤ人との間でこの本(『日本人とユダヤ人』)の出版の話が持ち上がったものだといいます。

 この間の事情は昭和46年4月2日付の毎日新聞に「苦学の『辞典』世におし出す 山本書店、資金できて」という見出し、副題「イザヤ・ベンダサンの予期せぬ貢献」として次のように紹介されています。
「研究に着手してから実に27年という、大変な労作の辞典が、ようやく日の目を見て5月末に出版される。岩隅直さん(61)がまとめた『新約ギリシャ語辞典』。長い闘病生活と貧乏暮らしに堪え、妻にささえられ、打ち込んできた辛苦の結晶である。これを出版するのは『日本人とユダヤ人』を出版した山本書店。山本七平さん(48)が一人きりで社長も社員もかねると言うミニミニ出版社だが、同書が17万部を売るというベストセラーになったため『この利益を、採算を度外視して出版するつもりだった、辞典の出版に投じる』とはりきっており”幻の著者”ベンダサンブームが、思わぬ功徳を生むことになる。」

 そしてこの『ユダヤ人と日本人』は、その刊行の翌年、昭和46年の第2回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞することになりました。選考委員の一人である開高健は次のように評しています。

 「近頃これくらい知的スリルを覚えた作品はない。一気通貫に読めた。観察眼の鋭利、指摘の微妙、文体の一貫した明晰、文脈の背後にある心憎い気迫のリズム、恐るべき学殖、どこをとっても、いうことはない。ことに平坦俗語から淡々と解き起こして筆を進め、いつのまにやら大変な高地へつれこんでいくあたりの呼吸は、気がついてみると、舌を巻きたくなる。これくらい堂々とした正統の異才を発見できないでいたとはわがマスコミも大穴だらけとさとられる。全編集者は頭をそらねばなりますまい。」

 小林秀雄も昭和46年11月の川上徹太郎、今日出海との鼎談で次のように評しています。
「ベンダサンという人が『日本人とユダヤ人』という本を書いた。・・・あれの中に言葉の問題をちょっと書いてあるが、あれは面白いと、僕は思いましたね。・・・あの人は『語呂盤』という言葉を使っているんだよ。そろばんに日本人は非常に堪能だ。計算を意識しなくても、いや、むしろしない方が答えがうまく出て来る。・・・それと同じように、日本語の扱いには語呂盤と言っていいものがあるんだ。その語呂盤で,言葉の珠を何も考えずにパチパチやっていれば,ペラペラしゃべることができる。これは日本語というものの構造から来ていることで、西洋人にはとても考えられないところがあると言うのだ。・・・以前パリにいた時、森有正君がしきりに言っていた。テーム(作文)の問題は数学の定理まであるということを彼は言っていた。面白く思ったから覚えているのだが、それが、今度ベンダサンの本を読んで、はっきりわかった気がした。言葉は、ロゴスだが、ロゴスには計算という意味があるのだそうだ。だから、西洋人には文章とは或る意味で言葉の数式だとベンダサンは言っている。なるほどと思った。・・・もっと微妙なことを言っているが、まあ読んでみたまえ。面白い。」(『旧友交歓』P106~107)