山本七平とイザヤ・ベンダサン1
前回のエントリーで、私は、「山本七平は、『日本人とユダヤ人』は彼(山本七平)と二人のユダヤ人(ジョン・ジョセフ・ローラーと彼の友人ミンシャ・ホーレンスキー)の会話からなったものだといい、その後のベンダサン名の著作(『日本教について』ほか)はホーレンスキーとの合作だといっていますので、私はそのまま受け取るべきだと思います。」と書きました。 では、これらのイザヤ・ベンダサン名の著作において、山本七平はエディターとしてあるいはコンポーザーとしてどのような役割を果たしたのでしょうか。 おそらく、先のエントリー「山本七平の不思議4・5」で紹介したようなエピソードの出所は、戦時中は対日諜報関係の仕事を、当時は駐留米軍兵士に大学教育を授ける「オーバーシーズ・ユニバーシティー」の教授を委託されていたというメリーランド大学教授のジョン・ジョセフ・ローラーや、彼の友人で、「ユダヤ人のくせにユダヤ人嫌いであり、ユダヤ人のものの考え方や生きざまについて、辛辣な批評をするのが常だった」(『怒りを抑えし者』P399)ミンシャ・ホーレンスキーによるものと思われます。(なお、このローラー教授の属するメリーランド大学のカレッジパーク校マッケルデン図書館東亜図書部には、「プランゲ文庫」というのがあって、これは日本における敗戦後の言論・思想の自由を拘束した、占領軍の検閲の実態を示す膨大な日本雑誌のマル秘検閲資料(1946-49年にかけて出版された約13,000点に及ぶ検閲雑誌及びその検閲の実態が記録された文書)が保管されています。) そこで問題は、「日本教」の発見からその理論化、構造化において、山本七平はどのような役割を果たしたのかということですが、小室直樹氏は「山本さんの偉大な業績は、実に『日本教』の発見にある。このことの重要さは強調されすぎることはありません。」(『日本教の社会学』p124)といっています。この『日本教の社会学』は、小室直樹氏と山本七平の共著であり、山本七平自身もそうした見方を否定せず、小室氏の「日本教」の構造神学的体系化に力を貸しています。 だが、山本七平は、この「日本教」という発想について、次のようにも言っています。 つまり、「日本教」という発想そのものは、ユダヤ人にとっては特別ユニークな発想ではない、ということで、このことは『日本人とユダヤ人』における『日暮硯』についてのエピソードからも窺うことができます。問題はここから、さらに日本人の意識構造に踏み込んで、実体語と空対語のバランス=「天秤の論理」(『日本教について』s47)や、恩の相互債務論にもとづく「施恩・受恩の倫理」(『日本教徒』s51)を発見し理論化したのは誰か、ということです。 この「日本教」は、イザヤ・ベンダサン名の著書の中心テーマであり、山本七平単独の著書では扱われていませんが、先に紹介した『日本教の社会学』では、山本七平名の著書で論じられた「空気」(『空気の研究』)や、「純粋人間」(『ベンダサン氏の日本歴史』後『山本七平の日本の歴史』として刊行)、さらに「日本資本主義の精神」の基盤としての崎門の学、そして浅見絅斎の革命思想(『現人神の創作者たち』)などが、「日本教」を解明する概念装置として包括的に論じられています。 しかし、不思議なことに、この本は、その後再販されず(私の持ってるものは第2版)、最近の古本市場では、プレミアムがつく程の希少本となっています。一体、その真の理由はなんでしょうか。私が今まで論じてきたこととの関連で言えば、それは「日本教」の発見に関与したもう一人のイザヤ・ベンダサンの分身が絡んでいるような気がしないでもありません。というのは、この本ではその影が全く消されていますから。 それはともかく、ではその関与がどの程度であったかということになると、正直言って判りません。①山本七平単独のものか(となると、「作り話」を含むことになる)、②某ユダヤ人が中心で、山本七平が自分の持つ資料を加えて編集・コンポーズしたものか。③山本七平が中心で、ユダヤ人の持つ資料をくわえて編集・コンポーズしたものか。私の推測としては、②から③に推移したのではないかと思います。少なくとも①ではあり得ません。 (一パラグラフ削除)ここで、参考とすべき、もう一つの視点を紹介しておきます。これは、『家畜人ヤプー』の「書評」として、イザヤ・ベンダサンが「ヤプーに寄せる一つの印象‐著書と著者」として述べているものです。 「創作したものが何であれ、作者とは、その作品のみを通して外部から名づけられかつ規定された存在なのである。従って自己規定ではない、ということは、もし小説を書いて読まれれば、それを書いた人は読者にとって小説家なのであり、従って『私は小説家ではない』と自己規定することは許されない。これは、一編の作品もないのに『私は小説家だ』と自称するのと同じように、無意味なことだからである。ということは、あらゆる『作者』とは、いかに規定されまいとしても、結局その作品によって、外部から、一方的に規定されてしまうものだということである。しかし、外部から一方的に規定されるということは、本人の意志が全く無視されて束縛されてしまうことなのである。作品は着実に自分を縛り上げて行き、身動きできなくしてしまう。・・・ さて、もし、山本七平に、こうした見解に与するものがあったのだとしたら、おそらくそれは「天皇制を論じることにおける『自由』」だったのではないか、と私は思いました。 |