野田毅「日本国民に告ぐ」

(昭和二十二年十二月二十八日)
一、日本国民に告ぐ
私は曾て新聞紙上に、向井敏明と百人斬り競争をやったと言われる野田毅であります。自らの恥を申し上げて面目ありませんが、冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせ申し上げたことにつき衷心よりお詫び致します。

「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。
日本は見事に敗戦致しました。もはや虚飾欺瞞するの秋ではありません。赤裸々に本心をぶち開け、誠心を披瀝して、平和日本再建に邁進すべきの時です。この意味に於て私も過古の恥を申上げて、お詫び申し上げた次第です。

只、今般中国の裁判に於て捕虜住民を虐殺し、南京屠殺に関係ありと、判定せられましたことに就いては、私は断固無実を叫ぶものであります。
再言します。私は南京に於いて百人斬りの屠殺をやったことはありません。此の点、日本国民はどうか私を信じて頂きます。
たとえ私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位は日本にとっては問題ではありません。ただし問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。
私の死を以て今後中日間の怨みや讐や仇を絶対に止めて頂きたいのです。

東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様なばかげたことのいけないことは常識を以てしても解ります。
今後は恩讐を越えて誠心を以て中国と手を取り東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいです。中国人も人間であり東洋人です。吾々日本人が至誠を以てするなら、中国人にも解らない筈はありません。至誠神に通ずると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。

西郷さんは「敬天愛人」と申しました。何卒中国を愛して頂きます。愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり、東洋平和の人柱となり、何ら中国に対して怨みを抱かないと云う大愛の心境に達し得たことを以て、日本国民もこれを諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
「キリスト」が十字架上で叫んだ愛の言葉が実感を以て解りました。大愛こそ国交の要諦であり、至誠こそ平和の真諦であることを私は確信を以て断言致します。
 猜疑のあるところ必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以て神が教示されたのです。
 日本は世界平和の大道を進まんとするなら、武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。この二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈り致しまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
 櫻の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば、日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

一、日本青少年諸君に与う
一、国の攻防は青少年を見れば足る。最も惨憺たる悲運の境遇にある諸君は最も幸運と云うべし。此れ以上の敗戦の惨苦と不幸はあらざるが故なり。前途は只洋々たる再建希望の日本あればなり。
かかって諸君の双肩にあり。身を以て予は大愛と至誠を感得せり。日本青少年よ、異常なる大勇を以てせざれば「大愛」と「至誠」の実行は不可能なり。乞う、大死一番、右の二句を以て世界平和に邁進せよ。

一月二十八日(日記)
南京戦犯所の皆様、日本の皆様。さようなら。
雨花台に散るとも、天を恨まず、人を恨まず。日本の再建を祈ります。
萬歳、(三度繰り返し)