10 ─ ベンダサンVS本多勝一論争の帰結─

2007年8月 2日 (木)

   本多氏は、「中国の旅」のルポの目的を、日中戦争時における日本軍の中国人に対する残虐行為を、被害者である中国人自身に語ってもらうことによって、日本人にその「素材としての事実」を知らせることにあった、といっています。このことは、それまで、こうした報道が日本人自身の手でなされることがほとんどなかったことを考慮すると、「危険」を冒してでも、こうした「事実」に迫ろうとした本多氏のジャーナリストとしての勇気は評価されるべきだと思います。

 一方、ベンダサンは、「日本人の謝罪の不思議」──「ゴメンナサイ」ということによって「責任が解除」され、それによって相手と「二人称の関係」に入りうる、という日本人独特の謝罪観──を指摘する中で、本多氏の『中国の旅』における、特に「競う二人の少尉」について、この両少尉の名を匿名にした(または書かされている)ことは、これは「日本人全部の責任です。ゴメンナサイ」という態度ではないかと指摘したのです。

 これに対して本多氏は、両少尉を匿名にしたのは朝日新聞の編集部であって、自分の原稿は実名になっているとして、ベンダサンに前言撤回を迫りました。ベンダサンは、この記事が無署名であればその通りだが、署名した以上「たとえ実情は本多氏の語る通りであっても、署名者がいわゆる内部的実情を口実に第三者に対抗することはできない(もしそれが出来たらあらゆる契約が破棄できます。)」といい、本多氏にはこうした署名という考え方は皆無だ、と反論しました。(『日本教について』P291)

 ただ、本多氏自身は朝日新聞の「中国の旅」の原稿も氏の著作『中国の旅』も、両少尉の名を実名で書いていましたから、氏に対してはベンダサンの「ゴメンナサイ」の指摘は当たらないと思います。(といっても、ベンダサンは「私が取り上げましたのは『中国の旅』であって本多様ではありません。従ってここに取り上げましたのも、上記の記事(『競う二人の少尉』)と(本多勝一氏の)『公開状』のみであって、本多様個人には私には何の関係もありません」といっていますが。上掲書P206)

 また、ベンダサンは、日本人がすぐ「私の責任だ」というのは、本多氏のいう「お人好し」とは無関係で、元来は「いさぎよい・いさぎよくない」という、日本教の価値判断から出ていることで、「漱石の卓見はこれを『私の責任・イコール・責任解除』と捕らえたことでした。(誤解なきよう『責任回避ではありません』)」と述べています。そして氏は、これを日本教=人間教における「相互懺悔・相互告解」と解しており、それ故に和解が成立する(従って責任解除となる)わけで、こうした日本の鎖国期(=徳川期)に発達した考え方は、今や「地球に鎖国された」状態に近づきつつある人類にとっても貴重な経験といえる、と述べています。(つまり、こうした考え方を否定しているわけではないのです)(上掲書p209)

 また、ベンダサンが本多氏に対して「個人名を出せ」といっているのは、「それは、その個人を『身代り羊』にして、みなで徹底的に叩いて、それを免罪符のかわりにしろ」といっているわけでもありません。「すべての人間には、釈明の権利がある、ということです。欠席裁判では結局何も明らかにされません。私が特にこの問題を感じましたのは、前記引用の文章(「競う二人の少尉」)に強い疑問を感じざるを得ないためです。」といい、続けて次のように述べています。

 「本多様は「とにかく事実そのものを示してみせるのを目的とするルポってものを、彼は知らないんだなあ」と安直に書いておられますが、本多様はこのルポで『中国人はかく語った語った』という事実を示しているのか、また『中国人が語ったことは事実だ』といておられるのか、私には本多様の態度が最後まで不明です。結局その時の都合で、どちらにも逃げられる書き方です。と申しますのは、この物語はおそらく『伝説』だと私は思うからです。事実、恐るべき虐殺に遭遇した人々の中から様々の伝説が生まれたとて、これは少しも不思議なことではありません。むしろ、一つの伝説も生まれなかったらそれこそ不思議でしょう。伝説の中心には『事実の核』があります。しかし伝説自体は事実ではありません。がしかし、それは中国の民衆がいい加減な嘘を言っているという意味ではありません。しかしルポとは元来、この伝説の中から『核』と取り出す仕事であっても、伝説を事実だと強弁する仕事ではありますまい。

 以上のように感じましたのは、『約十キロの間に、百人の中国人を先に殺した方に賞を出そう・・・結果はAが八十九人』という記述です。この記述ですと軍隊は行軍しているはずで、一時間四キロとすれば、約十キロは百五十分ということになります。百五十分に八十九人を殺したとすれば、一分三十秒に一人ずつ殺したことになります。これは個人ゲームだと記されておりますから、武器は、軍刀か拳銃か三八式歩兵銃だということになります。軍刀と拳銃は問題外ですから、果たして三八式歩兵銃で、しかも行軍しつつ、一分三十秒に一名ずつ射殺することが物理的に可能かどうかです。この小銃にはスパイナーはなく、従って非常に精度が悪く、弾倉に五発入れられるとはいえ単発式で、一発ごとに槓杆を引いてもどし、その上で銃をかまえて照準して発射するはずです。従って私には、行軍しつつ、動き回る敵に対して、約九十秒に一発のわりで、命中弾を発射しうるとは思えません。・・・

 そして私の見るところで、本多様も、これが伝説であることを見抜いておられるはずです。もし見抜けないなら、新聞記者もルポライターもつとまりますまい。本多様はそれを見抜きながら、何かの理由で見て見ぬふりをされているのだと思います。とすると本多様が実名を出さないのは、もし出せばその人が前記のように反論するかも知れぬことをおそれてでしょうか。・・・

 本多様は『ベンダサン氏は、ちょっと調子にのりすぎて、ルポそのものが『ゴメンナサイ』だと書いちまったわけだ』と書いておられますが、以上のルポそのものが『日本人全部の責任です、ゴメンナサイ』という態度でないと主張されるなら、今からでも遅くありません。『中国の旅』全部にわたって本多様の知っている加害者の名前を明らかにし、かつ本多様が内心これは『伝説』だと思われていることをはっきり『これは伝説に過ぎないことはほぼ明らかだが・・・』とお書き出し下さい。それが出来ないなら、私は、自分の書いたことを撤回いたす必要を感じません。私が書いたのは、まさに、そのことなのですから。」(上掲書P200~203)

 これに対して本多氏は、ベンダサンが「中国の旅」の「殺人ゲーム」を伝説だといったことに対して、『東京日日新聞』の昭和12年11月30日の記事と12月13日の記事(第一記事と第四記事)、雑誌『丸』の昭和41年11月号に載った鈴木二郎氏の「私はあの”南京の悲劇”を目撃した」からの引用、雑誌『中国』昭和46年12月号に掲載された志々目氏の「日中戦争の追憶─”百人斬り競争”」(「hyakunin.htm」をダウンロード )からの引用の四つの資料を提示し、「ベンダサンサン、以上四つの資料をごらんになって、なおも、ダンコとして「伝説」だと主張いたしますか、と反論しました。

 これに対してベンダサンは、次のようにいっています。
「『中国の旅』の記者に前回記しました「殺人ゲーム」はフィクションであると思うと書いた書簡を送りましたところ、反論と共に「事実である」という多くの「証拠」が『諸君』に掲載されました。この中には事件の同時代資料である1937年の新聞記事がありました・・・『中国の旅』の記述とこの「1937年の記事」を、一応前者を「殺人ゲーム」後者を「百人斬り」(見出しが「百人斬り競争」となっていますから)としておきます。この場合、『中国の旅』の記者が①「殺人ゲーム」という「語られた事実」を「事実」と断定して、その「事実」を証明するために「百人斬り」を提出したのか、それとも②「殺人ゲーム」も「百人斬り」も、ともに「語られた事実」にすぎず、この記述にはそれぞれ内部に矛盾があり、また相互に大きな矛盾があるから、これは実に喜ぶべきことであり、そこでこの二つの「語られた事実」を同一平面上に置いて、この矛盾を道標として「事実」に肉薄し、広津氏のいう「ぎりぎりの決着の『推認』までもって行って、もうこれ以上『推認』のしようがないところに到達して、『これで満足しなければならない』というところ」に行こうと言っているのか、それとも③これらの証拠で「ぎりぎり決着の『推断』に行き着いたといっているのか、それを判別しようと何度も読んだのですが結局不明なので、私は「ぎりぎり決着の」ところ①と「推断」せざるを得ませんでした。これは、結局この記者に、以上のように①②③と分けて考える、というような考え方が皆無なためでしょう。つまりファクタとファクタ=ディクタの峻別という考え方が全くないということです。

 しかし、①と考えるとさらに不思議になります。というのは「殺人ゲーム」と「百人斬り」は、場所も違い、時刻も違い、総時間数も違い、周囲の情景描写も違い、登場人物も同じでない(前者は三人、後者は二人)ので、もし「百人斬り」が事実なら「殺人ゲーム」はフィクションだということになります。すると、どうして①でありうるのか、どう読めば「百人斬り」が「殺人ゲーム」の証拠となりうるのか、──といえば『中国の旅』の記者はなんと反論して来るか。実は一番聞きたかったのはこの反論で、①を主張する以上これが含まれているはずなのですが、それがないのです。

 何と想像すべきか理解に苦しみますが、もし今から反論があるとすれば、おそらくそれは「松川事件」を担当した田中最高裁判所長官の「雲の下」論に似た議論を展開してくるはずです。この「雲の下」論というのは、「雲表上に現れた峰にすぎない」ものの信憑性が「かりに」「自白の任意性または信憑性の欠如から否定されても」「雲の下が立証されている限り・・・・立証方法としては十分である」、従って、時日・場所・人数・総時間数等細かい点の矛盾を故意にクローズアップして、それによって「事実」がなかったかのような錯覚を起こさせる方がむしろ正しくない、という議論です。・・・

 (これを)「殺人ゲーム」にあてはめれば、百人斬りの「実行行為という事実」が否定されない限り、「殺人ゲーム」と「百人斬り」の間の場所・時刻・時間・登場人物数、周囲の状況等の矛盾した点を、非常にクローズアップし、それが否定されると、犯罪事実の存在自体が架空に帰すかのように主張し、そしてこれに引き込まれてさような錯覚に陥ることは正しくないし、同時に、そういう議論の進め方をする人間は正しくない人間であるということになります。

 そこで共に「雑音」に耳を貸すな、となるわけですが、この場合も同じで、百人斬りという犯罪「事実」は誰も知らない、知っているのは百人斬りという犯罪の「語られた事実」だけである。その「語られた事実」(複数)によってこれから「ぎりぎり決着の『推認』に到達しようというのに、その前に「犯罪事実の存在自体」と断言してしまえば、もう何の証拠もいらなくなります。・・・従って①であるとすれば、この記者も「雲の下」論者であるというより「雲の下」論を自明の前提にしていることになりましょう。」(上掲書p271)

 つまり、「殺人ゲーム」も「百人斬り」も百人斬りという犯罪についての「語られた事実」にすぎず、従って、百人斬りの「実行行為という事実」に肉薄するためには、こうした相互に矛盾する「語られた事実」(複数)を分析することによって「ぎりぎり決着の『推断』に到達するほかない。にもかかわらず、本多氏は、ベンダサンの問いかけに対し『これは伝説にすぎないことは、ほぼ明らかだが・・・』などと書き足すような次元の問題ではないとして、その「犯罪事実の存在自体」を、「今更問題にする必要もない歴然たる事実」と結論づけているのです。

 ベンダサンは、なぜそうなるかということについて、それは、本多氏には中国への迎合があるからだ。そのため本多氏にとっては「殺人ゲーム」は一種の「踏絵」になってしまう。従って、少々意地の悪い言い方で「あなたは中国に迎合して、フィクションを事実と強弁しているのだろう」といえば、「冗談いうな。事実だから事実だと言っているのだ」といわざるを得なくなる。迎合していなければ、「君は迎合しているではないか」といわれても平然として、「現地の惨状を目前にすれば、意識しなくても多少は迎合する結果になった点もあるだろう」ということが出来、かつ、こう言った瞬間、その人は完全に迎合していなくなる、といっています。

 また、ベンダサンは、このように本多氏が証言したからといって、それは「殺人ゲームは事実だ」と彼が証言したわけでもない。また、そう証言しなければ氏が不利な立場に立つとも考えられない。これをフィクションだと証言してならない理由は、氏には全くない。にもかかわらずこうした結果になるのは、日本人は言葉を、相手の政治的立場を判別するための踏絵として差し出すからで、そのために「語られた事実」と「事実」との区別がつかなくなり、結果的に、二少尉の犯行のデッチ上げに加担することになった、ともいっています。

 このように、ベンダサンvs本多勝一論争における、ベンダサンの主張の基本的性格は、あくまで『日本人とユダヤ人』の中で取り上げた「日本教」を、「あるユダヤ人(=アメリカの高官)」のために解説・敷衍しようとしたものです。その中で、「日本教」における「言葉の踏絵」、その操作法としての「天秤の論理」、「二人称の世界」における「迎合」という問題を指摘し、その論理を松川事件で検証するとともに、さらに、本多氏との論争を、その「松川事件」の「鸚鵡的供述」を再現するために使った、といっています。

 ベンダサンの、このような「殺人ゲーム」や「百人斬り」を共にフィクションと断定する主張と平行して、それを新資料の発掘によって裏付けようとしたのが鈴木明であり、また体験的に裏付けようとしたのが山本七平であったといえます。しかし、本多氏はこうした論証を全く受け入れることなく、その後、百人斬り競争の「実行行為としての事実」を、それを戦闘行為としては否定しつつ、その核となる「事実」について、それを捕虜や非戦闘員を対象とした「据えもの斬り競争」であった、と主張するに至るのです。

 そこで次に、「百人斬り競争」における「実行行為としての事実」とは一体いかなるものであったかを、鈴木明や山本七平の論証外その後の研究成果等も合わせて考えてみたいと思います。