5 ──南京軍事法廷判決と上訴申辨書──

2007年6月30日 (土)

 向井少尉が復員したのは昭和21年4月です。秦郁彦氏の「いわゆる『百人斬り』事件の虚と実」によると、「中国政府は1946年6月頃、百人斬りの容疑者として向井、野田の捜索と逮捕を東京裁判の事務局であるGHQ法務局(カーペンター局長)に依頼したらしく、復員局と地元警察を通じて6月末に三重県に居住していた向井を召喚」し、7月1日から5日まで数回尋問を行いましたが、5日には向井を不起訴処分とし釈放しています。
 同じ頃、東京日日の浅海、鈴木二記者も法廷事務局に呼び出され取り調べを受けましたが「書類不備」(要するに伝聞証言だけだということ)ということで却下となり「もう二人ともこなくてよい」といわれたと証言しています。

 しかし、中国側がこれで納得したわけではなく、引き続きBC級戦犯の中国法廷への召喚を求めたものと思われます。この間の事情を秦氏は、GHQ法務局は、「二人の引き渡しについては「一事不再理」の原則もあり引き渡しを渋ったもの思われる。しかし、昭和21年8月頃から東京裁判法廷で検事側証人が次々に登場して生々しく南京の惨状を語りはじめ内外の世論を衝動するに及び、向井たちの引き渡し要求を拒みにくくなった」のではないかと推測しています。

 そんなわけで、野田は昭和22年8月15日鹿児島の実家において、向井も同じ頃(9月1日)、妻の実家のある三重県に居住していたところを逮捕され、市ヶ谷の軍事法廷に送られ取り調べを受けました。その後、巣鴨拘置所を経て10月12日に南京に送られ、11月4日に起訴され、11月6日から審理開始、そのわずか一ヶ月半後の12月18日、半年近く前に南京に送られていた田中軍吉とともに「捕虜及び非戦闘員を屠殺した罪」により死刑判決を受けたのです。判決文は次の通りです。

〈判決文〉
「向井敏明及び野田厳(「野田穀」が正しい─筆者)は,紫金山麓に於て殺人の多寡を以て娯楽として競争し各々刺刀を以て老幼を問わず人を見れば之を斬殺し,その結果,野田厳は105名,向井敏明は106名を斬殺し勝を制せり」
その理由は,以下のとおり記載されている。
「按ずるに被告向井敏明及び野田厳は南京の役に参加し紫金山麓に於て俘虜及非戦闘員の屠殺を以て娯楽として競争し其の結果野田厳は合計105名向井敏明は106名を斬殺して勝利を得たる事実は當時南京に在留しありたる外籍記者田伯烈(H.y.Timperley)が其の著「日軍暴行紀実」に詳細に記載しあるのみならず(谷壽夫戦犯案件参照)即遠東國際軍事法庭中國検察官辯事處が捜獲せる當時の「東京日日新聞」が被告等が如何に紫金山麓に於て百人斬競争をなし如何に其の超越的記録を完成し各其の血刀を挙げて微笑相向い勝負を談論して「悦」につけりある状況を記載しあるを照合しても明らかなる事実なり。尚被告等が兇刃を振ってその武功を炫耀する為に一緒に撮影せる写真があり。その標題には「百人斬競争両将校」と註しあり。之亦其の証拠たるべきものなり。

  更に南京大屠殺案の既決犯谷壽夫の確定せる判決に所載せるものに参照しても其れには「日軍が城内外に分竄して大規模なる屠殺を展開し」とあり其の一節には殺人競争があり之即ち本件の被告向井敏明と野田厳の罪行なり。其の時我方の俘虜にされたる軍民にて集団的殺戮及び焚屍滅跡されたるものは19万人に上り彼方此方に於て惨殺され慈善団体に依りて其の屍骸を収容されたるもののみにてもその数は15万人以上に達しありたり。之等は均しく該確定判決が確実なる證據に依據して認めたる事実なり。更に亦本庭の其の発葬地点に於て屍骸及び頭顱数千具を堀り出したるものなり。

  以上を総合して観れば則被告等は自ら其の罪跡を諱飾するの不可能なるを知り「東京日日新聞」に虚偽なる記載をなし以て専ら被告の武功を頌揚し日本女界の羨慕を博して佳偶を得んがためなりと説辯したり。

  然れども作戦期間内に於ける日本軍営局は軍事新聞の統制検査を厳にしあり殊に「東京日日新聞」は日本の重要なる刊行物であり若し斯る殺人競争の事実なしとせば其の貴重なる紙面を割き該被告等の宣伝に供する理は更になく況や該項新聞の記載は既に本庭が右に挙げたる各項は確実の證據を以て之を證実したるものにして普通の「伝聞」と比すべきものに非ず。之は十分に判決の基礎となるべきものなり。

  所謂殺人競争の如き兇暴'惨忍なる獣行を以て女性の歓心を博し以て花嫁募集の広告となすと云うが如きは現代の人類史上未だ嘗て聞きたることなし。斯る抗辯は一つとして採取するに足らざるものなり。」

 この判決を受けた時の印象を、野田は獄中手記(『「南京大虐殺」のまぼろし』p110)の中で次のように述べています。

「二十二日判決文が参りました。相手にとって不足がないぐらい、物凄い判決文でした。われわれは南京大屠殺に関係があり、向井君と私は、残虐なる百人斬りによっての獣行によって日本女性の歓心を買わんとしたことは、現代人類史上聞いたことがないといふのです。思はず笑い出してしましました。」

 そこでただちに、向井と野田は、両者連名で中国側弁護人を通して南京軍事法廷に上訴申辨書を提出しています。その要旨は次の通りです。(番号は筆者による)

1 原判決は、被告等の「百人斬り競争」は田伯列(ティンパーレ)の著作「日本軍暴行 紀実」に記載されていることをもって証拠としているが、この記事は当時の日本の「東京日日新聞」の「百人斬り競争」に関する記事を根拠としたもので、田伯列が南京において目撃したものではない。然るに、原判決に「詳明シ記載アリ」とあるのは如何なる根拠によるものか判知し得ざるところである。

2 いわんや、新聞記事を証拠となし得ざることは、すでに民国最高法院の判例にも明ら かであり、単に事実の参考に供するに足るもので、唯一の証拠とすることはできない。 なお、犯罪事実はすべからく証拠によって認定すべきことは刑事訴訟法に明らかに規定 されている。(この証拠とは積極証拠を指していることはすでに司法院において解釈されている。)()内は8/20追加挿入

3 然るに、貴法廷は、被告等が殺人競争をしたという直接間接の積極的証拠は全くない にもかかわらず、被告等と所属部隊を異にする部隊長たる谷寿夫の罪名認定をもって南 京大虐殺に関する罪行ありと推定判断しているが、かかることの不可能であることは些 かも疑義はない。

4 原判決は、「東京日日新聞」と「日本軍暴行紀実」とは符合すると認定しているが、 後者の書籍の発行期日は前者の発行期日後であって、田伯列が新聞記事を転載したこと は明瞭である。いわんや、新聞記者浅海一男は民国36年(昭和22年)12月10日に記述した証明書に、この記事は記者が直接目撃したものではないことを明言しており、 すなわち、この記事は、被告等が無錫において記者と会合した際の食後の冗談であって 全く事実ではない。この件は東京の盟軍(GHQ法務局)の調査でも不問に付されたものである。〈民告36年(昭和12年)〉を(昭和22年)に修正8/20

5 被告等の所属大隊は、民国26年(昭和12年)12月12日、麒麟門東方において行動を中止し南京に入っていないことは富山大隊長の証明書により明瞭であり、被告野 田が紫金山付近で行動せざることを明白に証明している。また、被告向井は、12月2日、丹陽郊外で負傷し事後の作戦に参加せず紫金山付近に行動せざりしことも富山大隊長の証言で明瞭である。

6 また、この新聞記事の百人斬りは戦闘行動を形容したものであって、住民俘虜等に対 する行為ではない。残虐行為の記事は日本軍検閲当局を通過することはできなかった。 ゆえに、貴法廷が日本軍の検閲を得たことをもって被告の残虐行為と認定したことは妥当ではない。以上の如くであり新聞記事は全く事実ではない。

7 貴判決書に多数の白骨が埋葬地点より出たことをもって証拠とする記述があるが、被 告等が入っていないところで幾千の白骨が出ても、被告等の行為と断ずる証拠とはなら ない。

8 被告等は全く関知しない南京大虐殺の共犯とされたることを最も遺憾とし、最も不名 誉としている。被告等は断じて俘虜住民を殺害することはしておらず、また断じて南京 大虐殺に関係ないことを全世界に公言してはばからない。被告等の潔白は、当時の上官、 同僚、部下、記者が熟知するとKろであるのみならず、被告等は、今後帰国及び日本国 は恩讐を越えて真心より手を握り、世界は岩の大道を邁進せられんことを祈願している。

  以上陳述したとおり、原判決は被告等に充当することはできないと認めれれるので、 何卒公平なる複審を賜らんことを伏して懇願いたします。            (以上)

 山本七平は、「私にこういうもの(『私の中の日本軍』)をかかしたのも、実はこの中国人弁護士催文元氏の態度であり、また二人が創作記事によって処刑されるのだということを、的確に見抜いた最初の人は、おそらく彼なのである。彼はこういうことを平然とやっている日本人を、内心軽侮したことであろう。心ある一人の人の軽侮は、「殺人ゲーム」で惹起された百万人の集団ヒステリーの嘲罵より、私には恐ろしい。」『私の中の日本軍』p293)といっています。

 また、この申辨書は、「実に問題の核心を突くとともに、それまでの裁判の経過を明らかにし、この軍事法廷で、「無罪か死刑か」が最後まで争われたその争点が何であったかをも明確にしている」として、次のようにいっています。(以下、山本引用文、注1及び浅海、鈴木両氏の尋問調書の一部を追加しました。h19.7.1)

 つまり、彼は、まず原判決が田伯列(ティンパーレ)の記述が東京日日新聞と符合するといっても、ティンパーレが新聞記事を転載したことは明瞭であるとしてこれをしりぞけ、その他の物証も一切ないことを証明し、さらに、新聞記事を証拠となし得ないことは、判例にも明らかであり、それは単に事実の参考に供するに足のみであって、唯一の罪証とすることはできない、と主張しているのである。そしてここが、彼がいかに誠意をもって努力しても、もう彼の力ではどうにもならない限界なのである。

 「すなわち新聞記事を「唯一の罪証」としてはならないと主張はできても、その「唯一の罪証」である記事が、実はフィクションだと証明する手段が彼にはない。──これが「浅海証言」(注1)が二人を処刑させたのであって、この処刑は軍事法廷の責任ではなく浅海特派員と毎日新聞の責任であると前に書いた理由であり、また私が催弁護人のできなかった点は、日本人自らの手でやるべきではないかと考えた理由だが──・・・だが少なくとも中国人が誠心誠意弁護しているものを、何も日本人がその足をひっぱる必要はないはずだ。両者の関係は、催弁護人の「申弁書」と「浅海証言」「本多証言」を比較すれば、だれでもおのずと明らかであろう」(同書p294)

注1 「浅海証言」(向井少尉の実弟向井猛氏が、昭和22年10月12日に南京に送られる以前、市ヶ谷の軍事法廷の軍検事局に拘留中の向井少尉を訪ねたとき「とにかく証拠が要る。今のところ、向こうの決め手は、例の百人斬りの記事だ。この記事がウソだということを証明してもらうには、これを書いた毎日新聞の浅海さんという人に頼むほかはない。浅海さんに頼んで、あの記事は本当ではなかったんだということを、是非証言してもらってくれ。それから、戦友たちの証言ももらってくれ」と頼まれた。彼は、まだやけビルの後も生々しい有楽町の毎日新聞に浅海氏を訪ね、次のような証言を得ました。彼はできればあの記事は創作であると書いてほしかった、といっています。

①同記事に記載されてある事実は、向井、野田両氏より聞きとって記事にしたもので、その現場を目撃したことはありません。②両氏の行為は決して住民、捕虜に対する残虐行為ではありません。当時とはいえども、残虐行為の記事は、日本軍検閲局をパスすることはできませんでした。③両氏は当時若年ながら人格高潔にして、模範的日本将校でありました。④右の事項は昨年七月、東京における連合軍A級軍事裁判に於て小生よりパーキンソン検事に供述し、当時不問に付されたものであります。

 また浅海記者及び鈴木記者は昭和21年6月15日市ヶ谷陸軍省380号室において米国のパーキンソン検事から尋問を受け、次のように証言しています。参照

(問)毎日新聞に掲載されたニュース記事を2本お見せした上で,あなたがその執筆者かどうか,あるいはいずれかの記事の執筆に携わったかどうかをお聞きしたいと思います。
(答)1937年12月5日付けで掲載された記事は自分が書いたものではありません。しかし,12日付けで毎日新聞に掲載された二つ目の記事は私が浅海さんと一緒に書いたものです。
(問)日本語版に掲載された写真は同じようにあなたが送ったものですか。
(答)この写真はサタさんという別の従軍記者が撮影しました。常州で撮影したものです。
(問)この写真は別の人が撮ったということですが,自分の記事の一部としてあなたが送ったものですね。
(答)私はこの写真について知りませんが,浅海さんは知っています。実際は彼が送信したものですから。
(問)しかし,写真は浅海さんが撮ったのではありませんね。
(答)佐藤という名の別の従軍記者が撮ったものです。
(問)それから鈴木さん,あなたが浅海さんと共同で,記事の一部として送ったのですね。
(答)浅海さんが送った,と言った方がいいでしょう。
(問)浅海さんと協力して執筆した記事をあなたが送ったのですか。それとも浅海さんが執筆に加わった記事を彼が送ったのか,またはあなたが参加した記事を彼が送ったのか。
(答)その記事は浅海さんが主に執筆したものです。
(問)しかし,加わったのは…。
(答)鈴木さんが加わりました。
(問)つまり共同執筆ですか。
(答)そうです。
(問)では,12月5日付け東京毎日新聞に掲載された記事を執筆したのは誰ですか。
(答)5日付けに掲載された記事については,私は何も知りません。
(問)浅海さん。鈴木氏に対する質問と答えを聞いていましたね。彼が言ったことが正しいと思いますか。
(答)その通りです。
(問)1937年12月5日の記事の執筆者はあなたですか。
(答)はい。私がこの記事の執筆者です。
(問)では,鈴木さん。あなたは12月12日の記事の執筆に関わりました。あなたはその記事に事実として書かれていることが真実か虚偽か知っていますか。
(答)はい,知っています。
(問)真実ですか,虚偽ですか。
(答)真実です。
(問)浅海さん。たった今,鈴木さんに尋ねた質問をお聞きになりました。あなたもこれらの記事に事実として書かれていることが真実か虚偽かお答えになれますか。
(答)真実です。
(問)では,この新聞発表2本を確認する上で,お二人の共同供述書に署名を頂くことができますか。執筆者であること,そしてその記事が真実であること,つまり,記述内容が真実であることを供述してください。
(答)はい。供述します。