「百人斬り競争」事件について――二少尉の完全無罪を主張した中国人弁護士
1月30日の産経新聞に、30日富山で行われた日教組の教育研究全国集会において、日中戦争の南京戦で報道された日本軍の“百人斬(き)り”を事実と断定して中学生に教える教育実践が報告された、との記事が掲載され、ネットでも話題になっています。この事件が冤罪であることはほぼ確実ですので、事実とすれば、何と不勉強なことかと思い、事実を確認してみました。 次は、その部分の記述内容です。 「これは、中国で撮られた写真と新聞記事です。何の写真でしょうか」字が小さいので、こちらで見出しだけ読んであげた。 「百人斬り超記録」「向井1 0 6-1 0 5野田」「両少尉さらに延長戦」‥‥ レポートの「百人斬り競争」に関する記述はこの11行だけです。これを読む限り、この授業の焦点は、「百人斬り競争」の事実云々というより、むしろ、これを兵士の手柄として報道した新聞、それを日本人が”すごい”と称讃した事実に重点が置かれているように思います。つまり、ふだんは人殺しは一番重い罪なのに、戦争になるとこんな風に価値観が逆転するのだ、ということを教えているのです。 これに対して、今回の産経新聞の報道では、この教師が「”百人斬り競争”を事実として教えたこと」を問題にしています。拓殖大学藤岡正勝教授も「事実でない中国のプロパガンダを教えるという意味で問題。わが国の歴史に対する愛情を深めさせることを求めた学習指導要領にも反しており、極めて不適切だ」と言っています。 しかし、この教師は、授業の始めに、この新聞記事を生徒に見せ、それを日本が中国に攻め入ってたくさんの中国人を殺した、という話につなげているだけで、この事件の事実関係についての説明は一切していません。だが、こうした印象操作による問いかけを受けた生徒達は、当然これを事実と思い込むわけで、これは、生徒たちの感想文「多くの人を理由もなく殺し・・・」という言葉に現れています。 だが、もしこの生徒達が、この先生の印象操作によって、「多くの人を理由もなく殺した」その典型例と思い込んだ「百人斬り競争」が、実は、この新聞で報道された内容とは似ても似つかぬものであったことを知れば、この素直な生徒達は、一体どのような感想を持つでしょうか。あるいは、残虐非道な日本軍人というイメージから、”なんてひどいマスコミ!”に転化するかも知れません。また、この二少尉が意外にも立派な日本人であったことに誇りを感じるかも知れません。 本稿は、以下私の述べることが絶対正しいと主張するものではありません。しかし、今日までに出てきた資料を分析する限り、この「百人斬り競争」は、この教師が印象操作したような、日本軍人の残虐行為を示す典型例では決してなかった。従って、この事件から生徒達が学びうることは、マスコミによって事実は如何様にでも変えられるということ。「虚報」はどのようにしたら見抜けるか。あるいは、この二少尉の残した遺書から、何を学ぶことができるか、等々だろうと思います。 この「百人斬り競争」事件は、こうした、今日の日本人にとっても大きな課題となっている事実認識や価値判断の問題、また、自分自身の生き方を考える上でも、極めて示唆に富む内容を含んでいると思います。それだけに、今回の日教組教研集会における「百人斬り競争」を題材にした平和教育は、この事件の真相は一切問わないままに、一方的に、二少尉を「多くの人を理由もなく殺した」残虐な日本軍人の典型としただけでなく、上記のような「知恵」を学ぶ機会を生徒達から奪っているように、私には思われました。 そこで、以下、この事件の真相について、私が理解している範囲で、できるだけ分かりやすく説明し、皆さんの参考に供したいと思います。 まず、この「百人斬り競争」事件の核心は、この事件が事実であったか否か、ということにあるのではなくて、この記事を書いた記者本人が、「二少尉から聞いたという話を事実として聞いたか、それともフィクションとして聞いたか」という点に集約される、ということを述べておきたいと思います。 言うまでもなく、南京軍事法廷において、二少尉が有罪とされたその唯一の証拠は、この記者が書いた「百人斬り競争」の記事だけでした。このことは、両少尉がこの軍事法廷において死刑判決(昭和22年12月18日)を受けた後、この法廷に提出した「復審を懇請」するための上訴申弁書(12月26日)に明らかです。 次にそれを示しますが、注目すべきは、この申弁書を書いた(12月20日)のは、向井、野田両少尉の弁護人を務めた中国人弁護士崔培均(官選弁護人)で、それを「陳某」(名不詳)が日本語に翻訳して向井敏明、野田毅両名に届け(12月22日)、両者連名で法廷長石美瑜に再審を懇請し、合わせて蒋介石への転呈(取り次ぎを願うこと)を願ったものだと言うことです。 この中国人弁護士崔培均は、「民衆で満員三階迄一杯」(ただしこの裁判に関しては「始めより終わり迄、民衆は声無く聞く」と向井少尉の「獄中日記」にある)の法廷において、彼等の弁護を務めたわけですが、この「上訴申弁書」には次のような申し立てがなされ、二少尉の無罪が主張されています。*野田はその遺書の中で「中国にもこの人あり、このような弁護士もおられるかと思ふと、日本と中国は真心から手を握らなければならないと思いました」と書いています。 なお、この申弁書は、向井、野田両名と共に南京の収容所に収監されていた戦友が、釈放後、ザラ紙一杯に細かく書き込まれた向井、野田両名の遺書と同時に、二人が最後に「上訴申弁書」として出した紙切れ二枚(「上訴申弁書」原文は漢文で、これはそれを和訳したもの)を、靴底に隠して日本に持ち帰り、遺族の許に届けたものでした。以下の文は、鈴木明が読みやすくするためこれをさらに現代語訳したものです。(『新「南京大虐殺」のまぼろし』p310) [野田毅、向井敏明]上訴申弁書 「被告向井敏明と野田毅は、民国三十六年十二月十八日に、国防部審判軍事法廷で、死刑を即決されました。しかし、この判決に不服がございますので、左の通り上訴申弁書を提出致しますので、再審をお願い申し上げます。 一、この判決は、被告たちの「百人斬り戦争」は、当時南京に住んでいたテインパーレー(原著名は田伯烈・そして、既にご存知のように、ティンパーリーは南京にはいなかった)の著『日本軍暴行記実』に鮮明に記載してあるので、これが間違いのない証拠である、と書かれておりますが、『日本軍暴行記実』に記載されている「百人斬り競争」に関する部分は、日本の新聞を根拠にしたものであります。この本は、この法廷にもありますので、改めて参照することは簡単であります。 ところが、原判決で”鮮明に記載してある”というのは、どのような根拠によるものでしょうか、判断が出来ません(「向井、野田両名を指してどの男が犯人だ」という証人が現れなかったことを示唆している)。その上、新聞記事を証拠とは出来ない、ということは、既に民国十八年上字第三九二号の貴最高法院の判例で明らかになっております。新聞記事は、事実の参考になるだけであって、それを唯一の証拠として、罪状を科することは出来ません。 なお、犯罪事実というものは、必ず証拠によって認定しなければならない、ということは、刑事訴訟法第二六八条に明らかに規定されております(後に調べたが、「中華民国刑事訴訟法第二六八条の中国語原文は、下記の通りである。「犯罪事實應依證據認之」)この、いわゆる”証拠”とは、積極証拠を指しているものであることもまた、既に司法院で解釈されていることであります。 ところが、貴法廷には、被告人が殺人競争を行ったことを証明する、直接、間接の証拠は全く提出されませんでした。単に、被告の部隊名や、兵団の部隊長であった谷寿夫の罪名が認定されたからといって、被告等に南京大虐殺に関して罪がある、と推定判断することは、全く不可能であります。 二、原判決では「東京日日新聞」と『日本軍暴行記実』には同じことが書かれてある、と認定しています。しかし。この本の発行期日は、「東京日日新聞」に記事が記載された後であり、ティンパーレーの方が、新聞記事を転載したことは明らかであります。さらに、新聞記者(東京日日新聞)浅海一男から、中華民国三十六年十二月十日に送付された証明書の第一項には、「この(百人斬りの)記事は、記者が実際に現場を目撃したものではない」と明言しております。即ち、この記事は被告等が無錫で記者と雑談を交したとき、食後の冗談でいったもので、全く事実を述べたものではありません。東京で、浅海一男及び被告の向井に対する『盟軍』(アメリカ軍のこと)の調査でも、この記事は不問に付されたものであります。 被告等が所属した隊は、民国二十六年二九三七年)十二月十二日、騏麟門(南京城の門名ではなく、南京城門外、東部にある地名を指す)東部で行動を止め、南京には入城しなかったことは、富山大隊長の証明書で明らかであります。これは、被告野田が、紫金山付近では行動していないことを証明するものでもあります。 また被告向井は、十二月二日、丹陽郊外で負傷し、その後の作戦には参加していませんでした。従ってこれも紫金山付近で行動していないことは、また富山大隊長の証言でも明らかになっています。 さらに申し上げれば、この新聞記事の中の”百人斬り”なるものは、戦闘行為を形容したものでありまして、住民、捕虜などに対する行為を指しているものではありません。残虐行為の記事は当時の日本軍検閲当局を通過することは出来ませんでした。このような次第ですから、貴法廷が”この記事は日本軍の検閲を経ているから、被告たちの行為は間違いない”と認定しているのは、妥当ではありません。 以上のように、新聞記事は全く事実ではありません。ただ、被告等と記者との食後の冗談に過ぎないのに、貴法廷の判決書には、多数の白骨が埋葬地点から堀り出されたことが証拠である、と書かれています。しかし被告たちが行ったことのない場所で、たとえ幾千の白骨が現出したとしても、これを被告等の行為であると断定する証拠にはなりません。 もし、貴法廷が被告等の冗談を被告の自白だと認定しようとしても、その自白が事実と符合しないのですから、刑事訴訟法第二七〇条の規定によってこれを判決の基礎とすることはできません。 三、被告等は、全く関知しない南京大虐殺の共犯と認定されたことを、最も遺憾とし最も不名誉としています。 以上申し上げた通り、原判決は被告等にとってふさわしくないので、何とぞ、公平なる再審を賜ることを、伏してお願いするものであります」 |