戦前の日本人はなぜヒットラーを賛美したか。また、その日本人をヒットラーはどう見たか?

2011年1月18日 (火)

健介さんへ

>大東亜戦争はアメリカもわが国もよくさず、ドイツがもくろんだという見方はいかがでしょうか。

 ドイツというより、ヒトラーに”いいようにあしらわれた”ということでしょう。彼の思想の本性がどのようなものであったかと言うことは、小林秀雄が「ヒトラーと悪魔」で見事に描出しています。これを見ると、日本の軍部がなぜ暴走したか、その心理的メカニズムが解りますね。

 まず、ヒットラーの心性の基礎にあったものは、

第一、「徹底した人間侮蔑による人間支配、これに向かって集中するエネルギーの、信じがたい不気味さ」であり、「人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。これは議論ではない。事実である。」という確信だった。

第二、そして「人間にとって、獣の争いだけが普遍的なものなら、人間の独自性とは、仮説上、勝つ手段以外のものではあり得ない。」では、「勝つための手段」をいかに講ずるか

第三、それは、勝つ見込みのない大衆をいかに「屈従」させ「味方」につけるかということ

 「獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択に任すと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。」

第四、そのためのもっとも効果的な方法は、プロパガンダを繰り返すこと。それを「敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神」と思わせること

 「大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切り型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。
これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読み取ってくれる。」

第五、また、勝つための外交はどうあるべきか。

 「外交は文字通り芝居であった。党結成以来、ヒットラーの辞書には外交という言葉はなかった。彼には戦術があれば足りた。戦術から言えば、戦争はしたくないという敵国の最大弱点を掴んでいれば足りたのである。重点は、戦術を外交と思い込ませて置くところにある。開戦まで、政治に基づく外交の成功という印象を、国民に与えて置く事にある。」

第六、そして、死んでも嘘ばかりついてやると固く決心すること

 「彼には、言葉の意味などというものが、全く興味がなかったのである。プロパガンダの力としてしか、およそ言葉というものを信用しなかった。・・・彼は死んでも嘘ばかりついてやると固く決意し、これを実行した男だ。つまり、通常の政治家には、思いも及ばぬ完全な意味でプロパガンダを遂行した男だ。」

第七、その時の彼は、人性は自分も含めて獣物であり、それなら一番下劣なものの頭目になってみせる、と決意していた。

 「彼が体得したのは、獣物とは何を措いてもまず自分自身だということだ。これは、根底的な事実だ。それより先に行きようはない。よし、それならば、一番下劣なものの頭目になって見せる。興奮性と内攻性とは、彼の持って生まれた性質であった。彼の所謂収容所という道場で鍛え上げられたものは、言わば絶望の力であった。」

第八、しかし、これらが成功するためには、経済的・政治的混乱などの外的事情がないといけない。もちろん、その前にヒトラーの自立的エネルギーがあったわけだが・・・。

 「ザールの占領、インフレーション、六百万の失業者、そういう外的事情がなかったなら、ヒットラーはなすところを知らなかっただろう。だが、それにもかかわらず、彼の奇怪なエネルギーの誕生や発展は、その自立性を持っていた事を認めないのはばかげているだろう。」

第九、最後に、以上のような自分の本心を糊塗するため、汎ドイツ主義とか反ユダヤ主義を標榜すること

 「おそらくヒットラーは、彼の動かす事の出来ぬ人性原理からの必然的な帰結、徹底した人間侮蔑による人間支配、これに向かって集中するエネルギーの、信じがたい不気味さを、一番よく感じていたであろう。だからこそ、汎ドイツ主義だとか反ユダヤ主義だとか言う狂信によって、これを糊塗する必要もあったのであろうか」

 「もし、ドストエフスキィが、今日、ヒットラーをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼はこういうであろう。正銘の悪魔を信じている私を侮ることは良くないことだ。悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか移らぬのも無理のないことである、と。

 この最後のパラグラフは、小林秀雄のこのエッセイの結語ですが、「自分自身のことも含めて、正銘の悪魔を信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があるだろうか。諸君の怠惰な知性は・・・」といっているのです。自分を善人と思っている人ほど始末に困るものはないと言うことですね。

 そこで、昭和期の軍人たちの心性をこのヒットラーの思想に照らして概観して見ると次のようになります。

第一、「人性に対する憎悪」ということでは、彼らには、大正デモクラシー下の軍縮の流れの中で、軍を軽視した「社会に対する憎悪」があった。

第二、「勝つための手段」として満洲占領を行い成功した。

第三、大衆を「味方」につけることにも成功した。

第四、プロパガンダを「敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神」と思わせることに成功した。

第五、「戦争はしたくないという最大弱点」を逆に敵国に掴まれた。

第六、「死んでも嘘ばかりついてやると固く決心する」どころか、戦争をやめたくて「大乗的」和平交渉ばかりしていた。

第七、「人性は自分も含めて獣物」という冷酷な自己認識を持たず、自分の善意を信じていた。(下線部修正1/19)

第八、当時の時代状況としては、資本主義の発達に伴う貧富の差の拡大、インフレによる物価上昇、昭和の恐慌に伴う大量失業、東北地方の冷害、政党政治家の金権腐敗、大正デモクラシー下の退廃文化等の経済的・政治的・社会的混乱があった。

第九、以上のような自分の本心を糊塗するため、大東亜共栄圏や八紘一宇を標榜した。

 つまり、彼らは、ヒットラーのような徹底した「人性に対する憎悪」を持っていたわけではなく、軍縮などに端を発する当時の社会に対する不満(かなり強度)があり、一方、自分たちは政党政治家や財閥よりも正しく、潔癖さも時代を読む力も勇気も実力も持っていると考えていた。そこで、支那の排日・侮日、米英に抗して国力を海外に伸張できるのは自分達であり、その目的は、東洋の王道主義に基づく大東亜共栄圏さらに八紘一宇の新世界秩序を建設すること、と盲信した。

 これを、ヒットラーの先の九原則に照らして整理し直して見ると、第一は、人性に対する憎悪というより自己絶対化だった。第二は、戦術的には大成功だったが思想的には不徹底だった。第三の世論操作には成功したが、第四のプロパガンダの結果としての対米英戦争に耐えるだけの力はなく、第五、「戦争をやめたい」本音を敵に掴まれており、第六、そのため絶えず和平交渉を繰り返したが失敗した。その原因は第七、つまり何よりも自己認識が甘かったからで、中国との戦争を、兄弟げんか程度にしか考えていなかった。第八は、昭和初期の経済的・政治的・社会的・思想的混乱があり、それを自由主義の結果と見てこれを攻撃した。第九、以上の行為を正当化する思想を、尊皇思想という伝統思想に求めた、といったところではないでしょうか。

 これを総合採点すると、成功した項目が、第二、三、八、九の四項目、失敗した項目が、第一、四、五、六、七の五項目、総合判定四対五で失敗!ということになりますね。ただ、ここで成功したという項目は、あくまで戦術的なものです。一方、失敗した項目は、まず、自己認識の不徹底、それから、自己絶対化、自分は何のために戦っているのか目的意識の不明確。中国への一方的感情移入と反発の繰り返し。戦争終結できない事へのいらだちと自信喪失。それを埋め合わせるためのヒットラー賛美。ドイツとの同盟に恃んで南進。その結果対米英戦争。最後は一億玉砕ということで、どうやらこれらは思想的な問題に帰着するようです。

 では、これらの問題点は、日本人の思想のどこに胚胎しているのか。その人間性信仰の不徹底に原因があるのか。というのは、これはもともと、本性→仏性と遡及する宗教的概念だったわけで、脱宗教化の過程で仏抜きの「人間性」となったものだからです。

 この、「人間性」に対する日本人の無条件の信仰こそ、日本人は一度疑ってみる必要があるのではないだろうか。それが、日本人における昭和の戦争を反省する第一歩ではないか、私はそう考えています。

 なお、ヒットラーとの比較で摘出された第一の自己認識の不徹底ということですが、これについては、その憎悪の哲学から何を学ぶかということが大切ですね。悪魔が信じられなければ天使も信じられないといいますから。

(1/19 2:45最終校正)