幣原喜重郎の「戦力放棄」は「本心」か「欺し」か?

2015年7月11日 (土)

前稿「日本国憲法は日本人にとって『栄光』」かそれとも『屈辱』か」で、私は、日本国憲法がその背景に持っていた世界観について山本七平を引用し次のように述べました。

「この世界には『平和を愛する諸国民』(光の子)と「戦争を愛する諸国民」(闇の子)とがあり、そして「闇の子」は終末的な戦争において滅んだ」。そして、その「闇の子」は戦後悔い改め「回心」して「光の子」となり、「平和を愛する諸国民」(光の子)の「公正と信義に信頼して」自らの「安全と生存を保持しようと決意した」

これが、日本国憲法前文に書かれていることで、この「平和を愛する諸国民」の代表がアメリカであり、「闇の子」である日本人を「回心」させるための作業が、一つは東京裁判であり、もう一つが、WGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に基づく、プレスコードによる徹底した言論統制であったわけです。

なぜ、こんな事を改めて言うかというと、日本国憲法を「ノーベル平和賞」に推薦する運動があるように、この日本国憲法を日本人の「栄光」と考える人が多いからです。しかし、以上の事を知れば、日本国憲法が前提とする歴史観や世界観は、戦勝者が敗戦者に押しつけたものであって、こんな世界観の下に、日本人に罪悪感を植え付けようとしたことは、決して許されることではない、ということです。

といっても、日本国憲法の本文は、第9条2項を除いて、決しておかしなものではありません。日本語として”おかしい”と批判する意見もありますが、それはドイツのワイマール憲法のほか日本側の憲法改正案なども参考にしたらしく、ある意味「理想的過ぎる」もので、日本の自由化、民主化を徹底する上では一定の効果を発揮したと思います。

問題はその第9条2項ですが、なぜこれが問題になるかというと、この条文で、日本は国際紛争解決のための「戦力」を持たないとなっており、従って、国家の自然権とされる自衛権の発動において「戦力」を持つことができない。しかし、「戦力」以下の「自衛力」なら持てる・・・などといった訳の分からない解釈を生んでいるからです。

これは、本来持ってはいけない「戦力」を「自衛力」という言葉でごまかして持っていることになります。その結果、自衛隊の存在がごまかしになる。つまり、憲法第9条2項によって、日本の安全を守るための「自衛力」そのものが、何かしら罪深いことのように思われてくるのです。なにしろ、この憲法は、冒頭紹介したように、日本の軍隊を「戦争を愛する諸国民」の軍隊と見なしているのですから。

では、この憲法9条2項は誰が発案したか、ということですが、これは当時の総理大臣であった幣原喜重郎とする意見が有力です。

では、なぜ幣原はこのような日本の主権を制限するような条文を発案したのでしょうか。それは、戦争終結直後、連合国内に「天皇と戦争を不可分」とする意見が大勢を占めていたので、そんな中で、天皇制を維持するためには、憲法に「戦争放棄」を書き込み「天皇と戦争を切り離す」必要があったからです。

しかし、こんなことは国内の憲法改正論議の中では言い出せることではないので、幣原は、独断で、このアイデアを「マッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心し」、S21年1月24日に一人でマッカーサーを訪問しました。そして、「二人で長い時間話し合った」結果、そのアイデアが、新憲法の象徴天皇制及び第9条の戦争放棄条項に反映されることになったのです。(平野文書「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」S39.2)

しかしながら、この時、日本政府も憲法改正のための作業を進めていて、「憲法改正要綱」(いわゆる松本案)がほぼ出来上がっていました。従って、幣原がこの時マッカーサーに、”憲法に戦争放棄条項を組み込むことを提案した”のは、あくまで現在進行中の日本側の憲法草案に、そうした条文を盛り込むべく、マッカーサーに命令を出して欲しいと要望したに止まるのではないかと思います。

従って、その後、GHQがにわかに新憲法草案を作成し、日本側に押しつけてくるとは、幣原も思っていなかったのではないでしょうか。堤堯氏の『昭和の三傑』では、幣原はそこまで予測していて、まず味方を「欺く」事からはじめた、というような書き方がなされていますが、1月30日の松本案の審議では、幣原は「軍の規定を憲法に置かない」ことを主張しています。

ただ、いずれにしても、憲法に、「戦争放棄(戦力放棄を含む)」に関する条項を、日本側の誰にも相談せず(あるいは天皇の内諾を得ていたのかも?)、独断で、マッカーサーの指示によって書き込ませたことは事実です。そこには、天皇制の維持という目的に加えて、もう一つの、幣原ならではの「負けて勝つ」起死回生の外交戦略が隠されていました。

それは、前稿でも言及した通り、戦後の東西イデオロギー対立が顕在化する中で、日本が軍隊を持てば、東西冷戦の代理戦争の先兵として使われる危険性がある。従って、「戦力放棄」を憲法に書き込めば、それを防止することができる。しかし、表向きはあくまで「原爆発明後の世界が破滅を免れ新しい運命を切り開くための究極の軍縮としての戦力放棄」をするのだと説明しました。

ここで、こうした幣原の行為についての評価が二つに分かれます。一つは、幣原のこの説明をそのまま真実として、憲法第9条を日本人の発案とし、それを「栄光」として擁護する立場。もう一つは、それを、あくまで占領下あるいは東西冷戦を見越した「負けて勝つ」外交の秘策であるとし、状況が変われば当然改正すべきとする立場です。

では、どちらがより真相に近いかというと、私は後者を取ります。その一つの理由は、幣原の説明に見られる「原爆発明後の世界が、破滅を免れ新しい運命を切り開くための、究極の軍縮としての戦力放棄」という発想は、実は、マッカーサー自身の「神学的課題」だったということです。マッカーサーは、ミズリー艦上で行われた降伏調印式の演説で次のように述べています。

「我々はいまや新時代を迎えた。勝利さえ我々の未来の安全と文明の存続に対する深刻な危惧の念を伴っている。科学的発展の進展は軍備の破壊力を増大させ、いまや伝統的戦争観の修正を余儀なくする点に達した。平和探求の努力は有史以来存在した。・・・しかし国際紛争の解決の試みは何れも不成功に終わっている。・・・戦争もまた徹底的破壊力を持つに至り、戦争という途も封じられてしまった。」

幣原は、こうしたマッカーサーの発言を聴いて”使える”と思ったのではないでしょうか。つまり、幣原がマッカーサーに「戦力放棄」条項を憲法に書き込ませるために使った論法は、まさに、マッカーサーのこうした「神学的課題」に解答を与えるものだったのです。マッカーサーは敬虔なカトリック教徒であり、「アメリカのキリスト教系新興宗教の『通俗的終末論』」の信奉者でした。(『戦争責任と靖国問題』山本七平P178)

幣原がマッカーサーを説得するときに使った論理は次のようなものです。1,原爆の発明で世界は滅亡の淵にある。2,滅亡を避けるには世界は一つの世界に向かって進むしかない。3,そのための唯一の手段は軍縮、日本が究極の軍縮=戦争(戦力)放棄を自発的に行うのは歴史的運命であり正義にかなう。4,そのためには世界の公平な世論によって裏付けられた正義が必要。5,日本がその正義で生きようとするのに日本を侵略する国があれば第三国(アメリカ?)は黙っていない。5,日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。(上掲「平野文書」)

これはまさに、マッカーサーの終末論的歴史観そのもので、これを鼓舞することによって日本が憲法に「戦力放棄」を書き込むことをマッカーサーに認めさせようとしたのです。当時連合国には、条約によって日本を非武装化させる「バーンズ案」があったそうですが、幣原の発想は、さらに進んで、これを憲法に書き込むことで、敗戦後の日本が東西冷戦の先兵として使われる危険性を除去しようとしたのでした。

こうした幣原の外交秘策がいかに有効であったかは、朝鮮戦争時のアメリカの日本再軍備要求を、吉田首相がマッカーサーに頼んで阻止したり、ベトナム戦争への参戦を免れたことで証明できます。マッカーサーは、朝鮮戦争の直前憲法に「戦力放棄」を書き込んだことは「時期尚早」であったと後悔しています。しかし、騙されたとは言っていない。もっとも、ニクソンは1953年(「昭和53年」は間違い)に「誤りだった」と言ったそうですが(『昭和の三傑』堤堯p112)。