NHKジャパンデビュー「アジアの一等国」―問われているのは戦後の日本人

2009年6月29日 (月)

 NHKジャパンデビューのメインキャプションは次のようになっています。

「150年前世界にデビューした日本は、ひたすら“坂の上”をめざし、第一次大戦後には五大国のひとつになる。日本が明治以来、欧米列強に伍していこうとする時に命運を握った4つのテーマ、「アジア」、「天皇と憲法」、「貿易」、「軍事」に焦点をあて、いったんは世界の“一等国”になった日本がなぜ国際社会の中で孤立し、焼け野に立つことになったのかを、世界史的な視点から検証する。」

 その第一回が「アジアの一等国」だったわけですが、保守系のメディアからバランスを失していると激しい抗議を受けています。私も見ましたが、従来日本人が抱いてきた日本の台湾統治のプラスイメージを帳消しにする内容で、これに衝撃を受けた友人から、当夜意見を求められるということもありました。

 この番組制作の意図は、”親日的ともいわれる台湾に今も残る深い傷”を紹介することにあったようです。そのため、この番組制作に協力した台湾の方々の証言の内否定的部分だけ紹介したり、また、その非人道性を際だたせるためか、台湾原住民パイワン族を「人間動物園」としてロンドン日英博覧会に展示したことを紹介するなど、かなり誤解を招きやすい編集がされていました。

 それは、日本の台湾領有が、台湾人の「漢民族としての伝統や誇り」を奪うものであり、その皇民化政策がいかに差別的で非人道的なものであったかを、印象づけようとしているかに見えました。確かに、日本の台湾統治には、そうしたネガティブな側面もあったでしょう。しかし、よく知られているように成功した部分もあったわけで、いささかバランスを失しているように私には思われました。

 というのは、当時は、植民地は「人類の経済を豊かに思進歩させるもの」(矢内原忠雄)と考えられ、「当時の人道主義的、平和主義的、反戦的な文化人」の多くが、こうした考えを支持」していたからです。新渡戸稲造も植民は「文明の伝播」「地球人化」であると評価していました。つまり、「列強諸国の植民地統治は列強の倫理的使命だと見なされ、先進国としての崇高な歴史的使命」とされていたのです。

 もちろん、現実の植民地統治は、こうした理想主義だけで解決できるものではなく、利害関係や権力闘争が絡み、その初期には台湾人の激しい抗日運動もあり、多くの犠牲者を出したことは事実です。しかし、日本の台湾領有自体は、日清戦争後結ばれた日清講和条約(下関条約)に基づくものであり、これを非合法な侵略と見なすことはできません。

 また、その当時の台湾は土匪が支配する社会であり、ここに法的秩序を確立するためには、反乱を武力で討伐し警察による治安維持に代える必要がありました。その上で、インフラ(土地所有権の確立、鉄道・道路、上下水道、ダム・水力発電・港湾・都市の建設など)を整備し、森林開発や農業改良(米作・サトウキビ栽培)を行い、法律を整備し、教育の普及が図られました。

 また番組では、特に皇民化教育の弊害が指摘されていましたが、この問題は、朝鮮や台湾における教育政策の問題点というより、日本の国内政治(=思想統制)の延長と見るべきだと思います。というのは、日本が日中戦争から大東亜戦争へと突入する中で、独善的・排外的思想が生まれ、それが国内では言論弾圧・思想統制となり、朝鮮や台湾では皇民化政策となったのです。

 というのも、台湾人の公学校就学率は1899年の調査では2.04%だったものが1944年には71.17%、日本語普及率は57%に達しているからです。日本語教育が批判の対象となることもありますが、それまでの台湾の言語は多種多様であり、そこに日本語という共通言語を得たことで、台湾が近代国家に生まれ変われた、と黄文雄氏は評価しています。

 一方、日本人は台湾人を教化するために台湾語をマスターしようと努め、特に警察官や師範学校教師には台湾語学習が必要とされ、多くの語学書や優れた日台辞典、台湾文化志などが編纂出版されました。この外、台湾文化を守るために尽力した学者、文化人、教育者、ジャーナリストも数多くいたということです。(以上『台湾は日本の植民地ではなかった』黄文雄 参照)

 これらのことを総合的に勘案すれば、日本の台湾統治が、台湾の近代化や殖産興業に果たした役割は、正当に評価されて然るべきだと思います。それと同時に、台湾の人びとが、日本の統治下で自治を奪われ、日常生活においてもなにかと差別扱いを受け、悔しい思いをしたという事実もあったわけで、このことも率直に認めるべきだと思います。

 ただ、こうした問題を考える際に忘れてならないのは、特に昭和12年の日中戦争以降大東亜戦争に至る日本の無謀な対外膨張政策によって、日本人のみならず、台湾人や朝鮮人にも多くの犠牲者を出したという事実です。これさえなければ、朝鮮や台湾の独立あるいはアジアの植民地からの解放ということも、もう少し犠牲少なく達成できたかもしれません。歴史のIFということではありますが。

 また、この番組でNHKのインタビューに答えていた台湾のおじいさん達の言葉を聞いていて感じたことですが、私は、彼等の不満は必ずしも戦前の日本に向けられたものではなく、戦後の日本に向けられたものではないかと思いました。(雑誌「正論」7月号「視聴者センターに殺到した抗議二転三転する”仰天”言い訳集」永山英機 にも同様の指摘がなされていました。)

 それは、戦時中は日本国民として日本語を話し、日本語でものを考え、軍歌を歌い、命をかけて日本のために尽くしたのに、戦後私たちは、かって敵国であった蒋介石のの国民党の支配下におかれ、みなしごになってすてられた。中には”日本の奴隷になった”として処刑されたものもいた。この事実を戦後の日本人は忘れているのではないか、ということです。

 ”人を馬鹿にしているんだ日本人は・・・”という、この台湾のおじいさんの言葉は、戦前の日本人に対してというより、こうした悲劇に見舞われなければなければならなかった台湾の人びとに対して、戦後の日本人はどう責任をとろうとしたのか、日本人の信義は一体どうなっているのか、と問いかけているように私には思われました。

 とすれば、NHKも(この時の、このおじいさんのインタビューのテープの切り方がいかにも不自然でしたねェ・・・)、また、この番組が日台間の友好親善関係を傷つけたと抗議している日本人も、こうした彼等の言葉の意味を今一度反芻し考え直してみる必要があるのではないでしょうか。問われているのは過去の日本人ではなく、現在の日本人なのだと。