「南京事件」に関する私論へのHATENA::DAIARY様の反論への反論

2015年11月 8日 (日)

拙稿「『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相」に対して、HATENA::DIARY氏から以下のような反論がありましたので、それに対する私の反論を掲載します。斜線部分が私の反論。

スマイス調査をろくに読まない否定論者
南京事件、歴史修正主義
アゴラ「『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相」における渡邉斉己氏の否定論についてです。

タイトルは「南京戦史」ですが、記事中(と言うより「南京戦史」が)ではスマイス調査についても言及されています。
市部調査の加害者についての印象操作
まず、この記述。

では、このスマイス調査にはどのような数字が書き込まれているか。「本調査」第四表によると、南京市部における、12月13日~翌1月13日の間の兵士の暴行(日付不明150を加える)による死者2,400、拉致され消息不明のもの4,200、合計6,600となっている。この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日~24日)のもので、かつ、「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。

「この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日~24日)のもの」なら、加害者は日本軍と考えるのが普通ですが、渡邉氏は「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」と付け加えています。

本調査「まえがき」(M・Sベイツ)には「われわれ自身の立場は戦争の犠牲者にたいする国境をこえた人道主義の立場である。この報告書のなかでわれわれはほとんど「中国人」とか「日本人」等の言葉を使うことなく、ただ農民・主婦・子供を念頭に置いている」と書いている。実際、第4表「日付別による死傷者数および死傷原因」の死亡原因は軍事行動、兵士の暴行という区分はあるが、その加害者が日中いずれであるかのく分がなされていない。そもそも50戸に1戸の割合で抽出した数字を50倍した被害者数について加害者が誰であったかを正確に推定できるだろうか。なお、この「報告書の作成と調査結果の分析について、指揮者は金陵大学のM・Sベイツ博士の貴重な協力を得た」となっていおり、『戦争とはなにか』でベイツの果たした役割を考えると、その作為がこの分析に反映したことは当然である。

ちなみにスマイス調査では、表4の市部調査に関連する記述で以下のようなものがあります。

There is reason to expect under-reporting of deaths and violence at the hands of the Japanese soldiers, because of the fear of retaliation from the army of occupation.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

占領している日本軍を恐れて、日本軍による虐殺・暴行が過小評価されている可能性にスマイスはわざわざ言及しているわけです。

この英文資料の邦訳は『日中戦争資料9南京事件Ⅱ』(s49年刊)で読むことができる。この本をご存じないか、それとも訳文に不満か。この文章はスマイスの推測。そもそも加害者を特定しない調査であるから日本軍の報復を怖れる必要はないと思うが。

虐殺犠牲者を便衣兵扱い

ここで注意すべきは、この6,600人は、一般市民ではなくこの期間に掃討された兵士の数である可能性が大であること。また、この掃討について『南京戦史』は、「ことに城内安全区掃討(12月14日~24日)や兵民分離(12月24日~13年1月5日頃)の際、我が軍としては一応選別手段は講じたけれども、便衣兵と誤ったケースもあったようであるが、その最大の原因は安全区の中立性が犯され、便衣の敗残兵と一般市民が混淆してその選別が極めて困難になったことがある」としている。

渡邉氏はスマイス調査で示された虐殺拉致被害者らは、中国兵だと決め付けています。しかし、スマイスは基本的にこれらを市民(civilians)と呼び、少数の敗残兵が含まれている可能性が極僅か(the very slight possibility)だと言っています。

The figures here reported are for civilians, with the very slight possibility of the inclusion of a few scattered soldiers.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

これもスマイスの推測に過ぎない。6.600人の内拉致された4,200人について、スマイスは「拉致された男子は少なくとも形式的に元中国兵であったという罪状をきせられた。さもなければ、彼らは荷役と労務に使われた」と記している。兵士の暴行による男1,800人の死亡の47%846人が元兵士であったとすると、5,046人が元兵士の疑いをかけられたことになる。

さらに言えば、虐殺された2400人のうち650人は女性ですし、男性も半数(53%)は14歳以下と46歳以上で敗残兵とはまず考えられません。虐殺犠牲者の性別・年齢構成を考えれば、そのほとんどは市民であったとしか言いようがなく、「便衣兵と誤ったケースもあったようである」などという言い訳は通用しません。

この650人という数字は、紅卍会の埋葬記録(『侵華日軍南京大屠殺檔案』)では、死体数男41,183人、女75となっている。そもそもこの調査は市部では50戸に1戸の割合で調査し、その数を50倍して求めたものであり、調査段階の数字は13人だったことになる。いずれにしても、虐殺犠牲者の「ほとんどが市民であったとしか言いようがない」とはとても言えない。

拉致された4200人について言えば、男性ばかりで年齢も15才~44歳ですが、スマイスは給仕や売春を強要された女性の拉致被害者が短期間で帰れたのに比べて、深刻であることを指摘しています。また、その4200人も、中国兵だったというのは考えにくく実際、3月に13000家族が連行された家族の解放を求めていたことにスマイスは言及しています(このあたりの話は以前も書いています)。

拉致と連行とは違うのでは。

農村調査での犠牲者も否定。

また、スマイス調査における江寧県での死者9,160人という数字は、あくまで城外の(調査した100日間)の死者数であり、かつ「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。また、「我が軍の中国一般市民に対する基本的態度は、これを敵視しないことであった。市民の被害は我が軍が中国軍を攻撃し或は掃討などの戦闘行為をとったさい、その巻き添えによってやむなく殺害された場合を除いて、すべて個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」としている。

ここでも加害者が日本軍(だけ)ではないように印象操作する否定論を展開していますが、実際にはスマイス調査の報告書には以下の記載がちゃんとあります(この部分はベイツによる)。

Practically all of the burning within the city walls, and a good deal of that in rural areas, was done gradually by the Japanese forces (in Nanking, from December 19, one week after entry, to the beginning of February). For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces - whether justifiably or unjustifiably in terms of policy, is not for us to decide.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

この文章は本調査の「まえがき」にあるが、この前段には「南京の城壁に直接接する市街部と南京の東南部郊外ぞいの町村の焼き払いは、中国軍が軍事上の措置としておこなったものである」とある。なお中国軍の堅壁清野作戦をご存じか。また、「調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民に対する暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた」という記述が伝聞に過ぎないことは、拙稿「『南京大虐殺』が創作された歴史的経緯」で論じた通り。さらにwhether justifiably or unjustifiably in terms of policy, is not for us to decide.
訳文「そのようなやり方が正当なものであるかそうでないかについては、われわれの判定を下すところではない」と但し書きされていることに注意されたし。

「個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」という言い訳についてもスマイス調査から否定されています。

87 per cent of the deaths were caused by violence, most of them the intentional acts of soldiers.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

このように、ほとんどは日本兵による意図的な暴力(intentional acts of soldiers)だと書かれています。

これは「調査で回答のあったこの100日中の志望者総数」についてのもので、「死亡者の87%は暴行事件による死亡で、大半は兵士の故意によるもの」とあるだけで、その加害者が日中いずれであるかは問題とされていない。

そもそも江寧県しかカウントしないこともおかしい

大体、スマイス調査では江寧県以外に、句容県(暴行死:8530人)、溧水県(暴行死:2100人)、江浦県(暴行死:4990人)、六合県(半分のみ)(暴行死:2090人)の調査が行なわれていますから*1、それらを無視しているのもおかしいんですけどね。

拙稿では「日本軍が南京占領後、翌年1月までの間に発生した中国軍民の不法殺害」を問題にしている。なぜなら、「南京大虐殺記念館」の30万という数字が、「日本軍占領後6週間、城内外都市部とその近郊でで起こった虐殺事件」における虐殺数としていることと、江寧県以外の県における犠牲者については、南京城陥落以前の戦闘中に発生したものと見るべきだから。

そして結論として、スマイス調査の6,600人+9,160=15,760人という数字について「この中には前述したように、戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ、さらにスマイス調査実施の際の手違いや作為も絶無とは言えない。また、第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」ので、「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」としている。

スマイス調査で挙げられている暴行死者数は、基本的に「戦闘死、戦闘行為の巻き添え」を除外しています。表4は、「Military Operations 」と「Soldiers' violence」を明確に区別していますし、表25でも「Causes of Death」の内訳を「Violence」としてカウントしています。

「暴行による死亡」には「戦闘死、戦闘行為の巻き添え」が含まれているのでは。なお、ここでも、その加害者が日中いずれであるかは問題とされていない。

「中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ」などというのも、調査対象の日付とベイツの記述から明らかなように改竄に等しい内容です。

繰り返しますが、「For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces」とはっきり書かれています。

これも本調査のベイツが記した「まえがき」にるもので、この期間の市民に対する暴行のほとんどを日本軍の所為にしているところに、ベイツによる明らかな作為が看取される。それは「戦争とはなにか」の記述における作為と同じ動機によるもの。

「第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」というのもひどい話で、スマイス調査報告が出る1938年6月の時点まで、半年経ってなお行方不明の者を“生きているかもしれない”といって犠牲者数を過小評価するのは異常です。

こうした判断は『南京戦史』によるものだが、必ずしも異常とは言えないのでは。捕虜として収容されていたものや「荷役と労務に使われた」例もあったであろう。

そもそも、拉致被害者4200人という数字自体が少ないという可能性をスマイスは指摘しています。

The figures for persons taken away are undoubtedly incomplete.

Indeed, upon the original survey schedules, they were written in under the heading "Circumstances," within the topic of deaths and injuries; and were not called for or expected in the planning of the Survey.
https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

この文章は「数字自体が少ないという可能性」について述べたものではなく、最初の調査票には「拉致」がなく死傷者の「事情により」の欄に書き込まれた数字であったので、不完全だと言うのがより正確である。

まともにスマイス調査を読めば、市部調査の暴行死2400人、拉致4200人、江寧県の暴行死9160人、句容県の暴行死8530人、溧水県の暴行死2100人、江浦県の暴行死4990人、六合県(半分のみ)の暴行死2090人を合せた33470人でさえ、市民の犠牲者数見積もりとしては控えめな数字だとわかります。

「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」のは、最初から犠牲者数の過小評価、あわよくば皆無にしようという偏向の表れに過ぎません(そもそも「南京戦史」はそういう目的で編纂されたわけですから当然ですが)。

貴方の主張には「あわよくば犠牲者数を水増ししようという偏向の表れ」が見える。拙稿では『南京戦史』の紹介をしたわけだが、これが今日までの南京事件に関する研究では最も信頼に値するものだと私は評価している。多くの研究者も同様の評価だと承知している。

それにしても、未だに南京軍事法廷や東京裁判を“結論先にありき”であるかのように批判する論者は大勢いますけど、それなら、南京事件を否定しようという“結論先にありき”で編纂された「南京戦史」を鵜呑みにするのはどうなのか、と思わざるを得ませんし、そのようなスタンスで編纂した「南京戦史」でさえ南京事件は否定できなかったことの重みを感じて欲しいものとも思います。

拙稿で私は「南京事件」はあったが一般市民を対象にした「計画的かつ意図的な南京大虐殺はなかったと言っている。もちろん『南京戦史』もそういうスタンス。「それにしても、未だに南京軍事法廷や東京裁判を“結論先にありき”であるかのように肯定する論者」がいるが、”結論先にありき”ではなく、まず事実に肉薄することが先で、その上で当時の時代条件の中でフェアーにその行為の当不当を考えるべきではないか。なお、『南京戦史』はその当不当についてはそれを判断する具体的な資料がないので避けた」と言っている。また、南京軍事法廷や東京裁判がおかしなことは”結論先にありき”でなくても少し勉強すればすぐ分かる。