事件発生後74年、今「南京大虐殺」について日本人が知らなければならないこと(1)
名古屋の河村市長の発言が問題になっていますね。河村氏の当初の発言は「南京事件はなかったのではないか」といい、終戦時に氏の父親が南京市にいたことを挙げ、「事件から八年しか経っていないのに、南京の人は日本の軍隊に優しくしていたのはなぜか」と付け加えた。これに中国外務省が反発を示した。そこで藤村修官房長官は「非戦闘員の殺害、略奪行為は否定できない」と河村市長の発言を否定し、「村山談話以来、政府の姿勢は変わっていない」と述べた。これに対して河村氏は自らの発言について、「象徴的に30万人とされるような、組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨だった」と釈明した・・・。
この話を聞いたとき、私は、漠然と「なかったのではないか」というのではなく、厳密な歴史考証を踏まえた言い方をすべきだと思いました。で、最後の「象徴的に30万とされるような・・・」という釈明になったわけですが。こう言えば、歴史的事実としては河村氏の方が正しい。また、政府はこの問題を村山談話でなんとか済まそうとしたわけですが、「南京大虐殺」と村山談話は直接の関係はない。おそらく中国は引かないでしょう。また、河村氏も「正しい」と思ったら引かない人だから容易には片はつかないと思います。一方、メディアの反応は、「市長としての発言にはもっと慎重であるべきだ」とか、「配慮が足りなすぎる」などというもので、相変わらずの逃げ腰であって、この事件の本質に触れようとしません。
中には、日中共同研究で日本側も「南京大虐殺の事実を認めた」とする新聞もあります。しかし、そんなことはなくて、中国側が「被害者数は延べ三十余万人」との従来の見解を示したのに対し、日本側は「20万人を上限に4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」と反論して溝が埋まらず両論併記された、というのが本当です。また日本側は、犠牲が拡大した「副次的要因」として「中国軍の南京防衛作戦の誤り」などを指摘し、引き続き検証作業が必要との認識を示しています。
まあ、このような国家間の面子に関わる歴史的事件の解釈については、それぞれの国の内政が絡みますから、それを外交的に処理するにはそれなりの政治的判断をせざるを得ないわけで一定の時間がかかります。しかし、それはあくまで国家間の話であって、私たちのような市民レベルでは、遠慮することなく自由闊達にその事実関係について論ずべきだと思います。なにしろ、この事件は、今から80年前の1937年12月から翌年の2月頃までに発生したとされる事件であり、かつ日本人の「人間性」に関わる重大は問題なのですから。(下線部1927を訂正)
この事件は、東京裁判で取り上げられた後、日中国交回復期に朝日新聞が「中国の旅」で再復活させて以降、いわゆる「自虐派」、「まぼろし派」そして「中間派」の間で激しい論争が繰り返されてきました。まあ、このおかげで、旧軍人の親睦団体である偕行社による①『南京戦史3巻』、南京事件調査研究会による②『南京事件資料集1,2』、日中戦争史資料編集委員会による③『日中戦争資料 南京事件Ⅰ、Ⅱ』などの基本資料が整ったわけで、長い目で見れば私は良かったと思っています。というのは、今後、これらの資料を中心に、さらなる資料収集や研究分析が進められ、この事件の全容が解明される日が必ず来ると思いますので。
私自身、先に論じた「百人斬り競争」との関係もあって、この事件の全体構造をなんとかして掴みたいものだと思い、関連資料を少しずつ読んできました。しかし、これらの資料から「事実の核」を取り出すことは容易ではありません。確かに、「婦女子を含む非戦闘員30万人の虐殺」という中国側の言い分は、途方もないものであってホラだと言うことはすぐ分かります。だから、河村氏は自説を撤回する必要はない。しかし、南京陥落後、日本兵によるまさに”狂った”としか言いようのない掠奪・放火・強姦事件、それを告発した「良心的」アメリカ人達の記録を見ると、自虐派ならずとも気が滅入ってしまいます。
つまり、これらの告発が、仮に根も葉もない宣伝工作であったとするならば、なぜ、当時の日本軍や日本外務省は、これに対して有効な対策がとれなかったのか。多分、当時の日本外交が政府と軍部間で二重化していたために、それができなかったのだとは思いますが・・・。といっても、当時は、同時代のことでもありその宣伝工作はあまり効果を発揮しなかった。ところが思いがけなく東京裁判で復活した。その後、日中国交回復時に朝日新聞がこの対日宣伝工作を買って出ることになり、それが教科書誤報問題以降、中国の対日外交カードとして使われることになったわけです。
だが、悪いことはできないもので、その虚偽性が「百人斬り競争」論争を契機に暴かれることになりました。さらに、その本体である「南京大虐殺」も、その後の研究の積み重ねによって、ようやく、その「対日プロパガンダ」としての全貌が明らかになりつつあります。
こうした一連の研究で、今、私が最も注目しているのは、松村俊夫氏です。氏は、本年2月号と3月号の『正論』に、『南京の平穏を証明するアメリカ人宣教師達の記録、上・下』を掲載しています。これは、先ほど言及した「南京陥落後、日本兵によるまさに”狂った”としか言いようのない掠奪・放火・強姦事件、それを告発した「良心的」アメリカ人達の記録」について、それがまさに謀略的宣伝工作であったことを、見事に証明する資料提供となっています。
これで、「南京大虐殺」を構成する二大要素――「婦女子を含む非戦闘員30万人の虐殺」と、「南京占領後、荒れ狂った日本軍兵士による掠奪・放火・強姦事件」による、日本人の民族的・精神的呪縛が解かれることになると思います。なお、この宣伝工作の片棒を担いだのが、南京安全区国際委員会を構成するベイツを中心とする数人の「良心的」アメリカ人であったわけですが、彼等のこの宣伝工作の虚偽性を暴いたのは、同委員会の他のメンバーが同時期に家族に充てた手紙だった、ということになります。
以下、この事件の基本構造を捕らえる上でポイントとなる考え方を申し述べたいと思います。もちろん、これは、先に私が「百人斬り競争」事件について論じた時にも申しましたが、これらの意見を「私は絶対正しい」と言うつもりはありません。あくまで、一読者として、多くの優れた研究者に学び、先に紹介したような基本資料を読むことで得た、現時点における私の解釈に過ぎません。お気に召さない方もおられると思いますが、そういう考え方もあるのだ、という程度にお聞きいただければ幸いです。 |