昭和の悲劇は、近衛文麿の思想への理解を欠いては決して判らない(3)

2011年2月24日 (木)

 「昭和の悲劇は、近衛文麿の思想への理解を欠いては決して判らない(2)で、近衛文麿の思想を、大正7年に彼が書いた「英米本位の平和主義を排す」によって見てみました。

 大著『近衛文麿』の著者矢部貞治は、「この論文の重大さは、後に近衛の言行がいろいろ変転を示しているに拘わらず、彼の生涯を貫く基本思想がここに現れていると思われる点にある」と言い、彼が「第一次近衛内閣を組織する際、『国際正義と社会正義』をその指導原理として高唱したのも、あるいは彼が満州事変に同調したのも、日独伊三国同盟への悲劇的な道を行くことになったのも、更には日本の降伏後英米の裁判を拒否して悲劇的な死を選んだのさえも、この論文の思想を背景にして、初めてよく理解し得るものがあろう」といっています。

 そこで、彼が「英米本位の平和主義を排す」でなした主張を、今一度、分かりやすく見てみたいと思います。

① 第一次大戦後、民主主義や人道主義が唱えられているのは、その根底に人間の平等主義が求められるようになったからだ。そこで、この平等主義を国際社会において実現し、後進国の生存権を保障するためには、まず、欧米先進国の政治上の特権や経済上の独占を排除することが必要である。また、後進国が政治的・経済的に発展していくための機会均等が保障されなくてはならない。

② ところで、この平等主義は、教育勅語に「古今に通して謬らず中外に施して悖(もと)らぬ」と唱われているような我が「国体」の道徳規範の指し示す方向と一致している。むしろ、英米人の言う民主主義、人道主義こそ「自由と独立を宣伝しながら、殖民地の名の下に天下の半を割いてその利益を壟断」するものであり、その背後に潜む「利己主義」こそ見落とすべきではない。

③ では、この人道主義と利己主義が対立する場合はどうすべきか。言うまでもなく、これからの世界に通用すべき思想は平等主義・人道主義である。従って、もし、日本が平等・人道的に扱われず、その正当なる生存権が不当に脅かされる場合には、「飽く迄もこれと争うの覚悟なかるべからず」である。即ち「正義人道」のためには時に平和を捨てなければならぬこともある、ということである。

④ 英米の論者は平和人道と一口に言うが、その平和とは、「自己に都合よき現状維持」の平和であって、それに人道の美名を冠したものに過ぎない。彼等は、独逸を「専制主義軍国主義、人道の敵」と非難し、今次の戦争は、「専制主義軍国主義に対する民主主義人道主義の戦なり」などと言うが、「正義人道」に合するか否かを言うなら、まず、この現状の正体をこそ問うべきだ。

⑤ また、欧洲戦前の世界の現状は、英米から見ればあるいは最善であったかも知れないが、「正義人道」に照らして見れば、決して最善の状態とは認め難い。英仏等がいち早く世界の劣等文明地方を占領して殖民地化し、その利益を独占したからこそ、「独り独逸とのみと言わず、凡ての後進国は獲得すべき土地なく、膨脹発展すべき余地を見出す能わざる状態」になっているのである。

⑥ つまり、こうした現状は「実に人類機会均等の原則に悖り、各国民の平等生存権を脅やかすもの」であり、「正義人道」に反するものである。確かに、ドイツのやり方には非難すべき点はあるが、それは、そうせざるを得ない環境にあったということであり、そのドイツと同じ環境にある日本人が、英米本位の平和主義にかぶれるのは卑屈であり「正義人道」に反するものである。

⑦ また、国際連盟が真に正義人道の観念に基いて組織されるなら、その成立を祝するに吝(やぶさ)かではないが、しかし連盟は、「動(やや)もすれば大国をして経済的に小国を併呑せしめ、後進国をして永遠に先進国の後塵を拝せしむるの事態を呈するに恐れ」なしとしない。そうなれば、日本の立場からも「正義人道」の立場からも、誠に忍ぶべからざることというほかはない。

⑧ 従って、この国際連盟の結成に当たって日本がまず主張すべきは、「経済的帝国主義の排斥と黄白人の無差別的待遇」である。つまり、「正義人道」を害するものは、独り軍国主義のみならず、国民平等の生存権を脅やかすものであり、「黄金富力を以てする侵略と征服」もそうであって、そのような経済的帝国主義は武力的帝国主義と同じであり、当然否認されなければならない。

⑨ しかしながら「この戦争で最も多くを利した英米」は、「国際連盟や軍備縮小などを現状維持のために利用し、以て世界に君臨することになる」だろう。彼等はすでに「自給自足政策を唱え、殖民地の門戸閉鎖を盛んに論じている」。しかし、もしそういうことになれば、「領土狭く原料に乏しい日本などは、『自己生存の必要上、戦前の独逸の如くに現状打破の挙に出でざるを得なくなる。」

⑩ そこで、日本人が講和会議において特に主張すべきは、白人の黄色人に対する人種差別の撤廃である。彼等は、この差別感から「あらゆる差別待遇を設けつつ」あり、これは人道上許し難いことである。従って、日本人はこの人種差別の廃止を、「正義人道」の上から主張すべきである。講和会議は、人類が「正義人道」に基づく世界改造の事実に堪うるものであることを示すべきである。

 以上の論理を、さらに箇条書きに簡潔にまとめると次のようになります。

①は、国際社会における政治的・経済的「平等主義」と「機会均等」の主張。

②は、その「平等主義」は、日本の「国体」の理想とする方向と一致するが、欧米先進国のそれは、その背後に「利己主義」が潜んでいるという指摘。

③ 従って、もし、日本の「平等主義」と欧米先進国の「利己主義」が対立する場合は、「正義人道」のため平和を捨てる覚悟が必要だ。

④ 実際、欧米先進国の言う平和人道は「自己に都合よき現状維持」をするための方便である。

⑤ また、それは「人類機会均等の原則に悖り、各国民の平等生存権を脅やかすもの」である。

⑥ 従って、日本は、現状の不平等を打破しようとしたドイツの立場を理解すべきであって、英米本位の平和主義にかぶれるのは卑屈千万であり、それは「正義人道」にも反する。

⑦ また、国際連盟もこれら大国の利害を優先しがちであることを忘れるべきではない。

⑧ 従って、来る(ベルサイユ)講和会議では、こうした現状を改めるよう、欧米先進国に対し「経済的帝国主義の排斥と黄白人の無差別的待遇」を求めるべきである。

⑨ というのも、彼等はすでに殖民地の門戸閉鎖を始めようとしており、こうなると日本などは自己生存のため現状打破の挙に出ざるを得ないからである。

⑩ そこで、講和会議では、こうした現状を打破するため、まず、白人による黄色人に対する人種差別の撤廃を求めるべきである。

 では次に、この論理の妥当性を検証してみます。

①は、理念としてはこの通りで、その具体化は、講和会議に引き続くワシントン会議で列国が参加して協議が行われました。

②は、日本の平等主義は、その「国体」観念と一致するが、欧米先進国のそれは「利己主義」に基づくものであるといい、結果的に、日本の「平等主義」に道徳的優位性を認めています。

③④⑤は、その西欧先進国の「利己主義」に対する後進国の現状打破を求める戦いを、「正義人道」の名のもとに正当化しています。

⑥は、英米よりドイツとの連帯を主張するもの。

⑦は、国際連盟に対する不信を表明するもの。

⑧⑨⑩は、日本は、欧米先進国に対して「経済帝国主義の排斥と黄白人の無差別待遇」を求めるべき、というものです。

 ここにおける第一の問題点は、①の理念、つまり、国際社会における政治的・経済的「平等主義」と「機会均等」の主張が、その後開催されたワシントン会議では、どのように具体的に処理されたかということ。さらに、それに対して、近衛はどのような評価を下し、とりわけ満州問題について、中国との利害関係を、その「平等主義」「人道主義」の観点からどのように調整しようとしたか、ということです。

 第二の問題点は、②の日本におけるの平等主義は、日本の「国体」観念が理想とする方向と一致するが、欧米先進国のそれは「利己主義」に基づくものといい、日本の「平等主義」に道徳的優位性を認めている点について、果たして、これが妥当であったかどうかという問題です。もしこの認識が誤っていたとするなら、③以下の西欧先進国に対する批判は説得力を欠くことになります。(「失うことになります」を訂正3/2)

 以上二つの問題点についての具体的な検討作業は次回に回しますが、そのポイントは、第一の問題点については――これはワシントン会議において問題になったことですが――中国を巡る日本と西欧先進国間の政治・経済分野における「平等主義」と「機会均等」をどのように実現するかということ。とりわけ、中国の「領土保全」及び主権の尊重を列国がどのように保障するかということになります。

 第二の問題点については、実は、日本は、西欧先進諸国との関係においては、確かに西欧先進諸国を「経済的帝国主義の排斥と黄白人の無差別的待遇」の観点から批判する立場に立ち得たわけですが、こと中国との関係においては、逆に、「中国、とりわけ満州における日本の特殊権益の主張と、中国に対する日本の民族的優位性」を主張する立場に立たざるを得なかった、ということです。(下線部挿入2/26)

 こうした近衛の論理に見られる矛盾を解く方法はあったのでしょうか。実際に採られた方法は、日本と中国を東洋文明(=王道文明)という枠組みの中で一体的にとらえることによって、西欧文明(=覇道文明)に対し、日本と中国が共同して対抗しようとするものでした。だが、中国にしてみれば、そうした考え方に基づく日本の行動こそが、中国の主権を踏みにじる帝国主的侵略行為に見えたのです。

 つまり、この東洋王道文明vs西洋覇道文明という対立図式は、日本が、西欧先進国の平等主義・人道主義を利己主義に基づくと批判する一方、中国に対しては、その主権を無視しても領土・資源を求めざるを得ないという日本の「宿命的」な矛盾を、自己欺瞞的に回避しようとするものだったのです。このことに近衛も、そして日本国民の大部分も気が付かなかったように思われます。

 とすると、日中戦争のその根本的な原因は、日本人自身の意識構造にあった、ということになります。もちろん、ここに森恪などの煽動政治家や昭和の青年将校などの思惑が絡んでいたことも事実です。次回は、このあたりの事情を、ワシントン会議以降、幣原喜重郎、森恪、そして近衛文麿などが、どのような外交方針・政策を以て乗り切ろうとしたかを具体的に見てみたいと思います。