「自虐」でも「美談」でもない「独立自尊」の歴史観を持つこと――
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2010年4月28日 (水) |
ひょっとしたら、衆参同時選挙もあるかも知れないという、通常の常識では考えられないような状況に立ち至っていますね。それほど鳩山内閣の「政治主導」政治は混乱を極めていて、にもかかわらず、当の鳩山首相が異様に”落ち着いている”ものだから、田原総一朗氏なども唖然として、4月22日の田原総一朗の政財界「ここだけの話」では、次のような繰り言のような感想を述べています。
「おおらかなのか、現実離れしているのか
しかし、鳩山さんの心中はこうだろう。
「沖縄にこれ以上、迷惑をかけたくない」と考えているのは国民の皆さんも同じ。今は徳之島の方々は大反対だ。しかし、私が誠意を持って説明すれば、きっと理解してくれるに違いない……。
以上のように推測しない限り、鳩山さんがこの土壇場にきてもなお平然としていることが私には理解できない。普通の人ならノイローゼになってしまうところだ。でも鳩山さんはならない。何しろ「宇宙人」なのだから。
鳩山さんは、銀の匙(さじ)をくわえて生まれてきた。そして、銀の匙をくわえっぱなしで「雲上人」となった。ある意味ではおおらかであるし、ある意味では現実離れしていると言えるだろう。
この土壇場に追いつめられ、誰もが狼狽しているにもかかわらず、あの異様な落ち着きぶり。それは、こうでも考えないと理解できないのである。」
”普通の人ならノイローゼになってしまう”のに、なぜあんなに”ケロッ”としておれるのか、という不可解な思いは誰しも抱くところだと思います(さすがにここ二、三日は動揺しているように見えますが・・・)。私は、その理由について鳩山首相には「善意の論理」が働いていたからだ、と考えています。
本来なら、鳩山首相が本気で自らの善意=「沖縄にこれ以上迷惑をかけたくない」という思いを普天間基地問題の解決に生かそうと思うなら、まず日米安保の重要性を国民に訴え、そこから生じる米軍基地負担について、国民全体で担おうではないか、沖縄だけに負担させるのはおかしいではないか、ということを正面から国民に訴えかけるべきでした。
しかし、鳩山首相はもともと「駐留なき安保」論者ですから(一時的にそれを封印?しているだけ)、本音ではグアムにでも持って行けるとでも思っていたのでしょう。もともと「善意」の人ですから、その東アジア共同体構想に見るように、米軍の日本からの撤退がかえって中国との軍事的緊張緩和に役立つ、とでも考えていたのかもしれません。
でも、こうした「善意の論理」は、到底、極東における平和維持や日本の国益に役立ちそうにありません。何しろ中国は経済的には資本主義化しているものの、政治的にはいまだ共産党一党独裁下の全体主義国家に止まっています。私たちは、中国は資本主義の導入から次第に民主主義社会へと移行すると期待していましたが、今はそうした希望は抱けなくなっている、といいます。
「たとえば新鋭のミサイルや潜水艦の登場が物語る中国の軍事力拡大の実態、東シナ海で国威を発揚する国家主権の拡大の思考、宇宙やサイバーという領域での攻撃準備、そしてハゲタカと称される巨大な中国の国家ファンドの内幕・・・などについては、日本での情報は極めて少ないようである。」(『アメリカでさえ恐れる中国の脅威』古森義久)
そんな状況の中で、沖縄にある米軍海兵隊の機能を司令部(現行案ではこの機能だけをグアムに移すとしている)だけでなく実戦部隊も含めて全てグアムに移すということはどんなことを意味するか。岡元行夫氏は「文藝春秋」5月号で次のように言っています。
「米軍は、日本に『常時駐留』しているからこそ強い抑止力になっている。横須賀を母港とする第7艦隊の原子力推進の空母ジョージ・ワシントンは、艦載機を含めれば一隻二兆円する。随伴艦を含めれば三兆円に近い。これだけの艦隊を日本の首都のすぐ近くに置いているアメリカの政策が、周辺諸国にアメリカの日本防衛への強い意思表示になっているのだ。第五空軍(横田基地、嘉手納基地、三沢基地)と第三回海兵遠征軍(沖縄に展開)も同じだ。」
問題は、これらの部隊がそれぞれどのような機能を持っているか、ということではなく、これらを合わせた、海、空、海兵の三本柱を日本に維持し続けるというアメリカの姿勢が、周辺諸国に対して、『日米安保体制は単なる条約上の約束ではなく、実際に機能する枠組みである』ことを知らせているのだ、といいます。
そこで普天間基地の移設の問題ですが、もともと1996年に日米両政府が合意したのは普天間飛行場の「返還」ではなく、普天間にある海兵隊のヘリ基地を住宅密集地域から離すという基地の「移設」という話だった。つまり、これによって普天間は返還されるが、その代替施設をどこに置くかが問題だったというのです。
最終的には、2006年11月、辺野古崎沿岸部の海上にV字形滑走路二本を埋め立てることで沖縄県、名護市が合意し、アセスメントに着手しました。しかし、2008年の沖縄県議選で反対派が多数を占めることとなり、さらに2009年8月の衆議院議員総選挙で民主党が県外移設を約束したことで、話は振り出しに戻ってしまいました。
この結果、民主党は、普天間基地の移設先を県外または国外に探すことになりました。しかし、「普天間のヘリコプター部隊は沖縄に駐留する海兵隊の足だから、本隊から切り離すことはできない。移すのなら一万人の海兵隊員、キャンプハンセン、キャンプシュワブ、北部訓練場、瑞慶覧(ずけらん)の施設軍の全てを一緒だ。そんな場所が簡単に見つからないことは、誰でもわかる話だ」というわけで、鳩山首相は、今日のような窮地に追い込まれることになりました。
一方、鳩山首相や社民党の「国外案」を支持する人たちの中には、アメリカは「海兵隊のヘリ部隊だけでなく、地上戦闘部隊や迫撃砲部隊、補給部隊まで全てグアムに行く計画を持っている」と主張する人たちもいます。アメリカや日本政府がそれを公表しないのは、その移転費用を日本に負担しようとしている事実を隠蔽するためだ、というのです。
こうした意見に対して、岡本氏は次のように言っています。
「出て行ってくれと日本が言えば、海兵隊は去るだろう。その場合には、沖縄だけでなく日本全土からの撤退だ。沖縄から主力を引いた後海兵隊の残余の部隊を岩国や東富士に置いていても仕方がないからだ。・・・第七艦隊、第五空軍とならんで在日米軍を構成する海兵第三遠征軍が仮にも日本から撤退する事態となれば、日米安保体制は一挙に弱体化する。中国にとって、これ以上の望めない喜ばしい事態が極東にやってくる。
中国は第一列島線(九州、沖縄列島、台湾、フィリピンを結ぶ線)の内側で力の空白ができれば、必ず押し込んできている。南ベトナムから米軍が引くときは西沙諸島を、ベトナムダナンからロシアが引いたときは南沙諸島のジョンソン環礁を、フィリピンから米軍が引いたときはミスチーフ環礁を占拠した。
このパターンどおりなら、沖縄から海兵隊が引けば、中国は尖閣諸島に手を出してくることになる。様子を見ながら最初は漁船、次に観測船、最後は軍艦だ。中国は一九九二年の領海法によって既に尖閣諸島を国内領土に編入している。人民解放軍の兵士たちにとっては、尖閣を奪取することは当然の行為だろう。先に上陸されたらおしまいだ。
そうなった際は、日本は単に無人の尖閣諸島を失うだけではない。中国は排他的経済水域の境界を尖閣と石垣島の中間に引く。漁業や海洋資源についての日本の権益が大幅に失われるばかりではない。尖閣の周囲に領海が設定され、中国の国境線が沖縄にぐっと近くなるのだ。」
この辺りの軍事専門的な判断は私にはできませんが、いずれにしろ、先の「第一列島線内」での力の空白を作らないことが重要なことは疑いないと思います。そのためには①沖縄に海兵隊の実戦部隊を置く必要があるか、②(民主党の小沢氏が言うように)第7艦隊だけでいいか、③その場合の兵力不足分は自衛隊が補うのか、はたまた、④こうしたパワーバランス的な考え方とは別に、中国との平和的な問題解決が可能か、これらの選択肢について検討を加える必要があります。
言うまでもなく、岡本氏は①の立場で、次のように②や④の意見を退けています。「『常時駐留なき安保』を主張する人たちは、同盟の基盤は人間感情であることを理解していない。都合のいいときだけ米軍に『戻ってくれ』と頼んでもムリだ。長年連れ添った妻に対して『もうお前の顔は見たくないから出て行け。しかしいいな、病気の時はちゃんと看病に来るんだぞ』と言うわがままが通用すると思っているのだろうか。」
もちろん、こうした日本の安全保障についてのアメリカ依存の考え方が、今日の日本人の防衛意識を劣化させていることは否めないわけで、③の考え方も今後重要になってくると思います。しかし、それはあくまでも日米同盟の重要性を損なわない範囲内で検討すべきことで、そのためには、「テロとの戦い」をはじめとするアメリカの安全保障政策に協力する姿勢も失ってはならないと思います。日本はいずれにしろ軍事大国にはなれないわけですから。
話を元に戻しますが、先に述べた鳩山首相の「善意の論理」についてですが、確かに、「沖縄にこれ以上、迷惑をかけたくない」という首相の思いは正しいと思います。問題は、その思いが、「駐留なき安保」という非現実的な安全保障政策に依存していたために、日米安保の重要性とともに「基地負担」を全国民で担うべきだ、という議論を正面から国民に訴えることができなかったことにあります。
その結果、日本国民の自らの国の安全保障についての自己責任の意識は、反基地運動の高まりによってますます希薄化することになると思います。また、沖縄の人びとの本土の人びとに対する不信感も一層増大することになるでしょう。さらに、アメリカの日米同盟の対する信頼感の低下を招くことになると思います。
鳩山首相の現実政治におけるリアリズムを欠いた「善意」が、「友愛」どころか「不信」と「悪意」をしか生み出さなかったことを、私たちはこの機会にしっかりと見ておく必要があると思います。
実は、同様の問題が、戦前の日中関係にも見られたのです。それが、今日に至るまで、大東亜戦争は日本のアジアにおける植民地解放という「善意」に基づくものであったか、それとも植民地獲得という「悪意」に基づく侵略戦争であったか、という日本人の歴史認識の亀裂にもつながっているのです。次回から、この問題について考えてみたいと思います。