「自虐」でも「美談」でもない「独立自尊」の歴史観を持つこと8――
一読者様との対話2

2010年4月17日 (土)

* 相当に突っ込んだご意見で大変勉強になりました。お付き合いいただきありがとうございました。経済的な専門的判断については、ご教示いただいて、勉強を進めたいと思っています。

(読) 『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか ― 隣の国で考えたこと』は、岡崎氏の在韓国大使館での勤務後、1977年に出版された本だと思います。ということは、この当時の韓国は、朴正煕大統領の下、日本語世代が現役バリバリで活躍し、後に「漢江の奇跡」と言われるようになった時代ということになります。
その当時、実際の韓国を見た岡崎氏が、引用された文章のような感想を持ったとしても、不思議ではありません。・・・そこには、ある種のパターナリズムも・・・日本の共産圏に対する防波堤を強化するという意味で(も)、日本の国益にも直結していました。
問題は、こうした感覚を修正することもなく、冷戦終結によって東アジア情勢も大きく変化した90年代、さらに21世紀にまで持ち越してしまっている点です。
ただ、岡崎氏自身は、後に「日韓関係は日米関係の従属変数」と言い切っています(要するに、日韓関係は日米関係次第。韓国をとくに問題にする必要はない、ということでしょう)。

tiku ここでの論点は、韓国理解に「歴史的観点が必要であるか否か」ということで、一読者さんのご意見は、それは情緒的対応を正当化するからそれはいらない」というものでした。そこで私は「歴史的観点を持つことが、ただちに情緒的な対応をもたらすとはいえない」のではないかといい、岡崎氏の提案を紹介したのです。

 確かに、私が引用した岡崎久彦氏の文章は、ご指摘の通りの時代背景の中で書かれたものです。しかし、『なぜ日本人は韓国人が嫌いなのか』は2006年11月に初版(再版)されたもので、2006年10月に書かれた前書きには、日本は韓国の近代化のために多額の援助だけでなくそれ以上に善意の援助をした。その結果、今日「経済成長による韓国人の自信と日本人の側からの親愛感情によって、日韓関係の悲劇が過去のものとなるための基本的条件はもう達成されていると思う」と書かれています。

 つまり、こうした「歴史的」努力が実を結んだといっているわけで、特に、こうした歴史的観点を切り捨てることを求めているようにも思われません。むしろ、韓国経済が日本の強力なライバルになっている今日こそ、その「成功」に対する日本人の警戒心を和らげる意味からも、より長期的な韓国理解の歴史的観点が求められるのではないでしょうか。

(読) また、一口に儒教的な倫理観と言っても、日韓のそれは全く違うということは、呉善花さんが頻繁に取り上げる主題的なテーマですから、そちらでご確認ください。

tiku 呉善花さんの見解は、日本の儒教の根底には、自然と一体のうちにあった縄文時代の狩猟採集時代に発する思想=神道がある。それが日本人の道徳心の根底に「人間のあるがまま、自然なままの心というのは、清らかで嘘いつわりのない心なのだ」という考え方があり、これが日本人の表面的でない道徳心を基礎付け社会秩序を保っている、というものです。(『帰化日本人』参照)

私も、この通りだと思いますが、しかし、呉善花氏も言う「中国でも韓国でも、人間というのは放っておくと何をするかわからない存在だ」という人間観をもつ民族の方が、世界全体を見渡せば多いのも事実で、そういうシビア-な現実を認めながらなお人間に対する「愛」を説く教えがある、ということも事実です。山本七平はこの事実を、キリスト教の神概念の紹介を通して、日本人に学んでもらおうとしたのだと思います。

>お説のようなパターナリズムからの脱却が、おそらく双方に、求められているのではないかと思います。

(読) ※パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語では「父権主義」「温情主義」などと訳される。
上記の※を見て頂ければ分かるように、残念ながら、これでは意味が通じません。

tiku 韓国にも、日本文化に対する優越的な文化的「父祖」意識があることを指していったのです。これも広義のパターナリズムといえるのではないか、といった程度です。

(読) 呉善花さんは、日本での様々な出版や発言が原因で、事実上、韓国政府からの迫害を受け、すでに日本に帰化していますから、韓国でできることには限界があるかもしれません*。

tiku 呉善花さんもそうですが、黄文雄さんや金美齢さんなどの勇気ある毅然たる生き方には感銘をおぼえますね。洪思翊中将ではありませんが、「士(大夫)」的精神ということで共通項があるような気がします。しかし、これらの帰化された方のご意見はご意見として、ネイティブの日本人としては、自己弁護に陥らない率直な歴史観を持ちたいと思っています。日本文化をよりよいものに発展させていくために。

>…氏(=洪思翊中将)の精神が自己絶対化からは遠いものであったことを示していると思います。

(読) この「絶対」ということが感覚的に理解できないと、西欧思想の多くも、朱子学など一部の中国思想も理解できないということになってしまいます。
私にとって、山本氏は、西欧や中国の古典などを読む上での非常に優れたナビゲーターで、たとえば「神の絶対性」という点についても、『禁忌の聖書学』の「結末なきヨブの嘆き」を読んで、初めて理解できたような気がしました。それまでは、どうしてもM・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理…』などで取り上げられている予定説(=決定論)を感覚的に理解できずにいましたから。

tiku 私も、山本七平によって、「絶対」という考え方に「独善」を超える知恵が隠されているのだということを教えていただいた、と思っています。

(読) それにしても、『現人神の創作者たち』は不思議な本です。

 確かに、山本氏はあとがきで「現人神の創作者」について、『私は別にその「創作者」を“戦犯”とは思わないが、もし本当に“戦犯”なるものがあり得るとすれば、その人のはずである」と言っています。
しかし、これはどういう意味なのか。・・・この浅見絅斎のような考えがなぜ生まれたのか、という点について、山本氏は、後に対談で(司馬遼太郎氏との対談だったのかどうか、出典不明)、耶蘇(キリスト)教の影響ではないかと指摘され、同意していたという記憶があります。

 要するに、山本氏は浅見絅斎の思想が潜在的に継承され、昭和のある時期に猛威を振るったと単純に考えていたわけではないということが分かります。また、山本氏にとって、浅見絅斎の(キリスト教の影響を受けた)異端的朱子学が、単に個人的・主観的な“異端論争”の対象ではなかったことも理解できます。

 また、『現人神の創作者たち』は、解説で松本健一氏が言うように「ひとつの言葉、もしくは言葉となり終わるまえのエトス(心性)がどこに淵源をもつかを探」った労作であることは確かですが、・・・結局、山本氏の言う“戦犯”とは何のことだ、というのが以前から判然としない点で、一種のトートロジーに陥ってしまっています。

tiku 『現人神の創作者たち』の評価は必ずしも定まっていないようですね。私は、”戦犯”というのは、日本に昭和の「非合理的戦争」をもたらした「絶対主義思想」の創作者、という程度の意味に理解しています。もちろん軍事裁判とは無関係ですが、この言葉がいささか”きつく”なっているのは、それは、氏がクリスチャンであり、家族の履歴からも否応なしに、日本の「現人神」概念と、ユダヤ・キリスト教的な神概念との対決を意識せざるを得なかった、さらに、戦場における悲惨な体験がその思いを倍加させたのではないかと思います。

 また、山本七平が、「現人神の創作者」の次に「育成者」「完成者」を書くつもりでいたことは、この本の「あとがき」に言及されていますが、その育成者とは、おそらく平田篤胤(1776~1843)や後期水戸学のことではないかと思いますが、前者は、神キ習合的国体思想、後者は忠孝一致の国体論を説いています。おそらく、この段階で西欧的非合理性が朱子学的非合理性に重なった、と見ていたのではないかと思います。

 昭和になると、こうした伝統の上に、さらに、北一輝や石原莞爾の国家社会主義思想(田中智学の国体至上主義を背景にもつ)が導入されて幕僚軍人間で主流となり、それに筧克彦や蓑田胸喜らの狂信的国体思想が重なって、昭和の「現人神」思想が完成された、と山本は見ていたのではないかと思います。

 問題は、北や石原などは、本音では現実の天皇を機関説扱いしていたことです。これに対して2.26事件を起こした隊付青年将校やその精神的指導者であった平泉澄などは純粋な天皇親政論者でした。つまり石原ら幕僚軍人は尊皇思想を制度論的には機関説扱いし、精神論的には国民にそれに殉ずることを求めていたのです。

 しかし、このあたりを記すことなく山本は亡くなりましたので、これがどのような「神の像」として書かれる予定だったか、ということは判りません。今後、私なりに勉強して見たいと思っていますが・・・。なお、完成者については立花隆氏の『天皇と東大』が参考になります。

 ところで、天皇制についての山本七平自身の考え方は、「日本国民の統合及び継続の文化的象徴」というもので、そこが浅見氏らとの違いですね。つまり、天皇は憲法内の存在として、日本人の「生活様式」(私はそれを、「日本人性善的人間観がもたらす人間関係文化の総体」という程度に理解しています。)を象徴するものとして認めていて、それが政治権力との原初的な二権分立機能を果たしていると評価しているのです。

 このことは山本七平自身がクリスチャンであることと少しも矛盾せず、実際思想信条の自由は憲法で保障されているわけですから、国民がどのような思想信条を持とうと自由なわけで、私見では、こうした日本の統治システムを支える原理としてかっては「天の思想」がありました。「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし。」といった西郷の言葉にも通じる思想ですね。

 もちろん、どういう思想を選ぶかは個人の自由ですが、そうした「絶対」の基軸を持った思想、逆説的な言い方になりますが、人間が「絶対者」になることを拒否する「絶対」思想を持つことが、日本の性善説文化にも求められている、ということなのではないでしょうか。伝統的には、その「絶対」は「自然」であり、いわば「無私」で言葉を持たない「美意識」のようなものですから、人間の方で忖度するほかなく、昭和の尊皇思想ではこれを「現人神=天皇」に仮託したのです。もちろん、その裏で、その観念を利用し自ら絶対権力を握ろうとしたした人たちがいたのですが・・・。

 しかし、より伝統的(ある意味では卑弥呼以来ともいえる)には、天皇は「宗教的に祈祷を受け、祭祀を受けられて・・・人びとの日常生活に禍福を与えられる」存在ではなくて、あくまで日本民族の幸福を神に祈る、そのために神を祀る存在なのです。つまり「天皇ご自身が神をお祭りになるのでありまして、その点では天皇は神に対する人の位置にあらせられるのであります」(津田左右吉『公判記録』より)。また、昭和天皇ご自身の自己規定も「憲法どおり」で、あくまで立憲君主として行動する、であったことは歴史の証明するところです。(以上4パラグラフは余談として追加4/18)

(読) *ここまで書いてきて気づいたことは、私とtikurinさんとは、山本七平氏の著作の理解の仕方が結構違うということです。
たぶんtikurinさんは、出版されたのとほぼ同時期、リアルタイムでお読みになっていたのだと思いますが・・・
以前、一知半解さんのところで、吉田 五郎太さんがとても興味深い論文を引用なさっていました。これは、M・ウェーバーに関するものですが・・・

tiku リアルタイムで読んでますので、当時の時代状況の記憶が残っているとは事実です。ただ、全体像がつかめていたわけではありませんので、近年、あらためて読み直しているところです。このあたりの一読者さんの感想については、ご紹介いただいた論争を参考に勉強させていただきます。

>…村山談話を、その成立の事情のいかがわしさをもって批判しても、私は説得力を持たないと思います。

(読) 私は、そもそも政府が歴史談話など出す必要はない、という立場です。・・・また、村山談話はどう見ても国内向けの形式になっており、対外的な談話としては、意味不明であるだけでなく、有害でしかありません。「反省していると言うのなら、行動で示せ(要するに、金を出せ)!」というのが国際社会での常識でしょう。

tiku 「村山談話」は日本の国内政治事情の産物と見ておられるのですね。私もそういう一面があることは認めますが、中国や韓国の「反省の強要」に対して、政治的決着をつけるという意味もあるのではないかと考えています。しかし、この件に関して、自民党がいくら言い訳をしても、自社さ連立政権を政党の基本思想を無視して立ち上げたのは自民党だったのですから、責任転嫁はできません。

 実際、安倍内閣でも麻生内閣でもこの談話を継承しています。それは、この談話の効用をそれなりに認めた部分もあったからではないでしょうか。もし、この談話を根拠に、賠償問題や教科書問題で中国や韓国が理不尽な要求を突きつけてきても、この談話の付帯的見解もありますので、その線で処理すればいいのです。問題は、むしろ国内の「中韓迎合勢力」の存在なのではないですか。その説得も必要ですし。

>一読者さんが、この村山談話に代わる大東亜戦争を総括する言葉をお持ちであれば、…

(読) 一国が国運をかけて戦争という究極の行動を起こしたこと、ましてや世界中の国々が、それぞれの国益を追求して相争った先の大戦を、簡単に『総括』することなど不可能です。

tiku 戦後半世紀過ぎて、資料的には特定の事件を除いて9割方明らかになっているのではないでしょうか。私は、いわゆる「自虐史観」を克服するためにも、山本七平の見解を参考にしながら、既出の資料をもとに、自分自身に納得できる歴史解釈を求めているのです。私見では、特に政治家では森恪、軍人では石原莞爾の歴史的評価が甘いと思っています。前者の満洲領有論、後者の最終戦総論はもっと厳しく評価しなければいけないと思っています。

(読) また、とくにここ10年は、新資料の発掘などで歴史解釈自体も大きく変化しつつあります。・・・現在の私には、到底こうした動きをフォローする時間も能力もっPありません。したがって、歴史解釈は基本的には歴史家に任せるしかない、と思っています。

tiku 歴史解釈は資料の発見により大きく変わります。ただし、そのことは、一定の歴史段階での解釈を無意味にするものではありません。日中の歴史共同研究の報告書も出されていますし、ここには村山談話程度の反省は日本側から提示されています。これに異議を唱える方もおられるようですが。 

(読) ・・・将来的には、機会を捉えて村山談話を実質的に破棄し、「歴史的評価は後世の歴史家に任せる」という原則に立ち戻るべきだと考えています。

tiku 私は、歴史家による歴史的評価と、政治家による歴史的事件の政治的決着とは分けて考えるべきだと思います。「村山談話」の評価については、その政治的効果についての見解は先に述べた通りですが、その歴史的評価という点では、――あくまでも、今までの私が勉強した範囲内での結論ですが――、言葉遣いの問題はあるとしても、日本人自身の反省としては一応、妥当と言えるのではないか、と思っています。(「村山談話」参照

 一読者さんは「歴史的評価は後世の歴史家に」とおっしゃいますが、同様に「村山談話」を批判している人たちの多くは、多母神さんのように、「大東亜戦争は侵略戦争ではない」とか「アジアを欧米の植民地主義者の手から開放するための戦争だった」というような歴史解釈上の主張を持っているのではないですか。

 渡部昇一氏などもこれを応援していますが、私は氏の『日本史から見た日本人―昭和編』までは賛成ですが、それ以降はすこし我田引水が過ぎるように思います。他国向けではなく、自分たち自身のための歴史評価としては、私はより厳密に解釈すべきと考えています。その点、多母神さんの論文はいただけませんね。詳細については、私論「多母神論文から有事教育のあり方を考える」(参照)をご覧下さい。

(読) 自民党の敗北について・・・確かに、テレビや新聞が主たる情報源である場合、当時の自民党や麻生政権が何をやっていたのか、なぜそうした行動を取るのか、まったく分からなくなるのは当然だと思います。正確な情報が無ければ、正確な判断はできないのですから。
なお、鳩山邦夫氏や東国原知事などの騒動は、基本的にはワイドショー・ネタ、スタンドプレーないし茶番でしかなく、瑣末的な問題で、私は興味がありませんでした。

tiku 自民党への信頼喪失の原因を、麻生政権の経済政策をマスコミが正確に報道しなかったことに求めておいでですが、私は、鳩山郁夫氏の”かんぽの宿不当売却摘発騒動”が、小泉構造改革路線に対する「格差」攻撃を”炎上”させる上で効果があった、と見ています。一読者さんは、小泉構造改革に批判的ですので、当然、このような見方は無視されるわけですが、この辺りの評価は、しばらく時間をおいて考えてみたいと思っています。

(読) もともと自民党は、「伝統的な政治文化の上に乗っかってるだけ」と指摘したのは山本氏でした。・・・良く言えば、状況に応じて非常にプラグマティックに対応をすることこそ、自民党の持ち味だったと考えていました。そして、この両面の特色を壊してしまったのが小泉政治だった、とも考えています。

tiku 伝統主義とプラグマティズムが自民党の持ち味だったことはよく分かりますが、これが経世会的談合政治に堕していたことを見逃すわけにはいきません。私は、これまでの官僚組織の問題点、その「身内主義」的弊害は身にしみて知っています。山本七平流に言えば「機能集団が本来の組織目標を見失い、身内の利益を優先する共同体組織に堕している」訳で、角を矯めて牛を殺すようなことがあってはいけませんが、より開かれた能率的な組織に改変する必要があると考えています。

 日本が今日まで生きのびてこられたのは、日本の固有文化を創った武士集団が、基本的に「器量第一主義」をとったことによります。山本七平は、明治を創り上げた幕藩人の伝統的文化を、「式目的能力主義」→「一揆的集団主義」→「集団主義的能力主義」→「(その中に潜在する)孟子的平等主義・論語的礼楽主義」→「人望に基礎を置く組織の統率力」と説明しています。この「器量第一主義」が日本のコアの伝統文化と言えるのではないでしょうか。

(読) そもそも新保守主義(新自由主義)というのは、アメリカの特殊な歴史的背景においては保守主義としての意味があっても、それをそのまま日本に持ち込めば、保守主義としての意味がないばかりか、却ってラディカルな改革思想になってしまう・・・

tiku その保守主義と新自由主義のアンビバレントな関係についてですが、佐々木教授の本は読んでみますが、私は、日本ではこの両者は両立しない、とは思っていないのですが。

(読) また、グローバリズムも、歴史上何度も繰り返される理念ではあっても、必ずしも普遍的なものではないことは、すでに崩壊して緩やかな保護主義に向っている現在の国際情勢を見れば明らかでしょう。規制緩和も同じで・・・

tiku 経済のグローバル化は避けられないのでは・・・。もちろん、道路標識が必要なように、事故をなくし、スムースな交通の流れを確保するためには、共通するスタンダードが必要なことは言うまでもありません。なお、日本の規制緩和についても、一概にマイナス評価することもできないと思います。

(読) 以上のような観点を基に、現在の自民党内部を政策的に分類すると、経済・財政政策的には橋本・小泉ラインと小渕・麻生ラインに分けることができ、前者はいわゆる財政再建派であり、後者は経済成長派と言うことができると思います。
また、構造改革(地方分権を含む*)や規制緩和(及び民営化問題)に対する態度は、前者は教条的、後者は実際的と考えることができるのではないでしょうか。

tiku 小渕政権の国債発行による巨額な財政出動を続けるべきだったとおっしゃるのですか。また構造改革や規制緩和も実際的であればよろしいということでしょうか。であれば、いずれが実際的であったかは評価の分かれるところですね。

(読) なお、その他の政治・外交的には、安倍・麻生ラインが主流になりつつある、という風にも見えますが・・・
そして、政策的妥当性においては、現在のようなデフレ経済下においては、小渕・麻生ラインが妥当で、橋本・小泉ラインが失敗だったことは、すでに数値による結果が出ている問題ですし・・・

tiku 麻生ラインと民主党の成長戦略は似ていると言われますね。一読者さんの麻生政権の成長戦略を評価するご意見については、一読者さんの過去コメントなどを勉強させていただいて、私見を整理したいと思います。私自身は小泉構造改革を支持してきましたので。

 私は、消費税増税ができない段階での構造改革や規制緩和が、世論の反発を生んだことは仕方ないと思っています。といっても、一方で、セーフティーネットの早急な整備の必要も併せて説かれていた訳で、この辺りの対応が安倍政権以降明確でなかったことも、自民党敗北の一因ではなかったかと考えています。この辺りは意見の分かれるところだろうと思いますので、しばらく時間をおいて考えたいと思います。

>これが、自民党が小党分裂せざるを得ない理由です…

(読) マスコミは、必死にそれを煽っているようですね。
私自身は、テレビや新聞をほとんど視たり読んだりしなくなっているので、ほとんど実感はありません。

tiku 自民党の伝統的な保守主義やプラグマティズムにしても到底党内コンセンサスが得られているようには思われませんね。また、私は、小党分裂に期待しているわけではありません。自民党が小選挙区制度の下で一体性を維持するだけの求心力を持ち合わせていないのではないか、ということを言っているだけです。

(読) 前回の安倍政権時の参議院選挙直前の最終支持率は30%前後、その前の数カ月間の地方選挙の勝率がほぼ5分でも、実際の選挙では、1人区の小選挙区効果で自民37:民主60でした。来る参議院選挙で、この逆、あるいはこれ以上の差がついたとしても不思議ではない、と現時点では考えています。
逆に、民主党については、もともと選挙互助会的な体質から、参議院選挙の結果と小沢氏の動向次第で、一気に瓦解する可能性があるという見方もあり、私もその可能性が高まっていると考えています。

tiku 民主党が参院選挙に敗北すれば、政界再編の可能性はあると思いますが、自民党中心の政権が誕生する、というところまでは難しいかなと。いずれにしても、小沢氏の動向が見物ですね。そこで氏の本当の思想が露呈します。おそらく、どういう形が自らの権力を温存する上で最も上策であるか、そんなところが氏の判断基準ではないでしょうか。

(読) 私は、ここ数年の政治的混乱の責任の7,8割はマスコミにあると考えています。それだけ、ここ数年(とくに3,4年)のテレビを中心にしたマスコミの劣化は著しく、かつビジネスモデルとしても成り立たなくなっていますから、来る参議院選挙も、その崩壊・再編成のキッカケになってくれることを、内心では期待しています。

tiku 情緒に流されない正確な報道がなされるべきだと思います。多角的な視点かららなされるそれらの報道を総合して自らの判断を導くのは、国民一人一人の責任です。その点ネットによる情報公開は民主主義の発展のために革命的な意義を持っていると思います。この対話も、その賜と感謝しています。