「自虐」でも「美談」でもない「独立自尊」の歴史観を持つこと7――
一読者様との対話

2010年4月12日 (月)

一読者様へ(「一知半解」さんのブログでの対話ですが、長いのでこちらに全文掲載させていただきます。)

 大変参考になるご意見(参照)ありがとうございます。今後とも勉強していきたいと思いますので、忌憚のない対話ということで、よろしくお願いします。

(読) 一般論として、韓国理解に歴史的観点が必要なことはその通りだと思います。とくに朱子学的伝統のマイナス面を直視することは重要でしょう(今まではこのことを軽視し過ぎましたから)。ただ、個人のレベルならいいのですが、日々現実の韓国と向き合わなければならないビジネスマンやジャーナリスト、政治家などは、韓国社会の現状を把握して的確に対応すべきであり、歴史的観点からの情緒的な対応が正当化される余地はほとんどないように思います。

tiku 歴史的観点を持つことが、ただちに情緒的な対応をもたらすとはいえないのではないでしょうか。近代史についてはそうした傾向があることは事実ですが、そうした情緒的対応に陥らないためにも、より長い目で見た歴史的観点を持つことが大切だと思います。

 岡崎久彦氏は「日韓の感情的摩擦の原因は巨視的に言えば、近代化が早かったか遅かったかの違いに集約される」といっています。この差が縮まる過程では競争も激しくなり愛憎ともに増幅されるが、「この時こそ、われわれ日本人としては、過去の歴史の重みに深く思いを致して、また将来長い目で見た日本と韓国との関係でどうすることが両国双方に得になるかを決して見失わないようにして、問題があれば、感情問題にならないようにスマートに妥協で処理して行き、協力できることは何でも協力していくということで、韓国近代化の最後の仕上げを暖かく見守るのが正しい態度と思います」(『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか』)と言っています。

 感情的にならずスマートに妥協する術も身につけると同時に、韓国の近代化に協力を惜しまないという日本の基本的姿勢も見失うべきではないと思います。それが日本の安全保障にもなるわけですし、呉善花さんのような韓国人も現れているわけで、近年の韓流ブームに見られるように、儒教的な倫理観を共有する部分も相当あるのではないですか。

 韓国併合時代日本もいいことをした、と言うことも事実でしょうが、皇民化政策によって、彼らを民族文化喪失の危機に追い込んだことも事実で、こうした失敗を繰り返さないという意味において、お説のようなパターナリズムからの脱却が、おそらく双方に、求められているのではないかと思います。

(読) 韓国の漢字教育廃止も知る人ぞ知る問題で、司馬遼太郎氏は、70年代(?)の対談集でこの問題に触れ、将来の日本人と韓国人は英語で意思疎通をするようになるのではないか、と述べていたと記憶しています。

tiku 呉善花さんの『漢字廃止で韓国に何が起きたか』を読みました。韓国には「漢字教育推進」の運動もあるようで、また氏は、韓国語に漢字の訓読みを導入することを提唱しておられるようで、がんばっていただきたいと思いました。

(読) 山本氏は、「自らの信仰(神)への忠誠」から殉教へ、という西欧の伝統的な精神史に関する理解から、それと同質のものを、ドグマたる朱子学の「政治的大義への忠誠」から殉難へ、という過程の中に見出し、その一変容を洪思翊中将の「自らの決断への忠誠」という考えに見たのではないでしょうか。

これらは、ともに「自らの主観的信念に対する忠誠」に基づき迫害や受難を甘受するという態度で、同じ『型』だと言ってもよいのではないでしょうか。
こうした観点からは、洪思翊中将の最期の言葉は、まさに「殉教者」の言葉と同様のものと受け取ることができるような気がします。

tiku キリスト教と朱子学が殉教を正当化する論理を持っている点で共通する面があることはその通りだと思います。吉利支丹の教えの中で日本人が最も激しく抵抗したのはこの教え=思想に殉ずること、すなわち「殉教」であったことは、ベンダサンの『日本教徒』や『日本的革命の哲学』の中で詳細に論じられています。

 その理由は、当時の日本人は「思想」を、人間が生まれながらに持っている「善悪を知る心」=善心を磨くための「磨種(とぎぐさ)」(石田梅岩)と考えたからで、それは人間教育の方法論に過ぎない。その方法論を頑迷に固守して、自分の意志で処刑を選んで殉教するということは、「自然ノ道理」に反する、という風に考えたのです。(そうした考え方が今日に及んでいる)

 この点、キリスト教の教えは「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ福音書)という言葉に見られるように、言葉=思想を、神の意志と結びついたものとしてとらえる伝統を持っています。ここから神の教えに殉ずる→「思想に殉じる」という考え方も出てきているのではないかと思います。

 ただ、こうした考え方に危険性が孕まれていることも事実で、それに歯止めをかけているのが、イザヤ書の次の言葉「64:6全てわれらの義は瀆れた布きれの如し(日本聖書教会)」だとベンダサンは言いました。浅見氏はこうした見解を批判し、イザヤの言葉は、「正すべきだったのに正さず、清めるべきだったのに清めなかった」ことを懺悔しているのであって、「正義を口にすればけがれる」等といったのではないと山本七平を批判しました。

 しかし、ベンダサンが言ったのは、「人間が正義を口にし自分を絶対化することの危険性」についてであって、イザヤ書の言葉も、「正しいと思ってやったことが罪を犯すことになった」といっているのですから、ベンダサンは、特に間違ったことをいった訳ではないと思います。そうした抽象化が間違っていると言うなら、それでは浅見氏は、ベンダサンの指摘する「人間の正義」に対する歯止め、という考え方について、そういう考え方は聖書にはないと言われるのでしょうか。道理で・・・という感もしないではありませんが。

 山本七平自身は、「人間の正義」には歯止めがかけられなければならない、ということを、自らの軍隊経験を通して知ったのだと思います。つまり、人間が自らの思想を正義として絶対化することの危険性を、昭和の「現人神」思想の中に見たのです。そして、もともと、そのような絶対思想は日本にはなかったはずなのに、どこから、そうした危険思想が生まれたかを、日本の思想的系譜の中に探ろうとしました。その一つの成果が『現人神の創作者たち』でした。つまり、それは朱子学の正統思想に淵源するものであり、それが浅見絅斎に至って殉教の対象となる「現人神」思想を生み出していると見たのです。

 では、「洪思翊中将」の場合はどうか。氏の思想が朱子学の影響を受けているのは当然でしょうが、では、その生き方は「現人神」への殉教者たちと同じだったか、というとそうとは言えず、氏は、敗戦により天皇が消え、日本軍が壊滅したのちも、自分がユニフォームを来ている間はそれに忠実であろうとした。しかし、それは、氏がフィリピンで南方総軍の兵站総監(その下に兵站病院や捕虜収容所があった)の職にあった間に発生した「捕虜虐待」という戦争犯罪の責めを負うことでもあった。氏自身は、それを自らの罪だとは思わなかったけれど、あえてそれについては弁明せず、その罪を自ら負って慫慂として死刑台に立ったのです。

 氏は、もちろんクリスチャンではありませんでした。しかし、その死に際して片山氏に読んでくれと言ったのは、旧約聖書の詩編五一篇でした。それは、「ああ神よ ねがわくは汝の仁慈(いつくしみ)によりて われをあわれみ 汝の憐憫(あわれみ)の多きによりて わがもろもろの愆(とが)をけしたまえ わが不義をことごとく洗い去り われをわが罪より清めたまえ。 われはわが愆を知る わが罪は常にわがまえにあり。・・・」という言葉でした。ここには、自らを正義と主張する姿はありません。

 つまり、自分自身は正しいと思うことをやってきたが、それをあれこれ弁明してみても他を非難することになるからそれはやらない。それは確かに冤罪というほかないものだが、そうした責任を問われる職に就いたことは自らの選択でもあったわけで、これは一種の「敗戦罪」であってその咎は自ら負うしかない、というものだったと思います。おそらく、これは一種の「士的廉潔」を表わす精神だと思いますが、それが、先に紹介した聖書の詩編の言葉と共鳴するものであったことは、少なくとも、氏の精神が自己絶対化からは遠いものであったことを示していると思います。

>この人物を、山本は、韓国の人びとに紹介する義務を感じていたのではないかと思います。…

(読)その通りだと思いますが、現在の韓国でその想いを受け取ることができるのは、おそらく70代以上の日本語世代に限られることになるのでしょうね。

tiku せめて日本人にはこの山本七平の思いを共有してもらいたい、と思いますね。

(読)現在の韓国では、50代以下の世代は、ほとんど漢字の読み書きができないということになります。一部では、漢字教育の復活を望む声もあるようですが、こうした状況では相当に困難でしょう。

また、本家である中国においても、現在は簡体字が主流になっており、30代以下の世代では、大学卒でも簡体字しか理解できない人が増えているそうですし、日本も戦後は新字体が広く普及し、旧字体が分からなくなっている人も増えているように思います。
私の経験からは、同じ漢字文化圏にあると思えたのは、繁体字を採用している臺(台)湾だけでした。

こうした点を見ても、漢字文化圏だとか「同文同種」などという幻想に基づいた『東アジア共同体』構想が、いかに空疎なものか理解できるのではないでしょうか。もっとも、それ以前に、倫理感や価値観があまりにも違い過ぎることが問題なのですが(このことは、上記のビジネス体験記等に如実に描かれています)。

tiku 中国が簡体字を採用したことについては、文化大革命の頃だったでしょうか、三島由紀夫もそのことを問題にしていましたね。また、「同文同種」ということが「倫理観や価値観」の一致を意味しないことは、山本も繰り返し指摘していました。

 しかし、他国の文化を理解するためには「その言葉を理解する」ことが最良の道であることも事実で、そういう意味では、お互いに漢字を共有することで意思疎通が容易になり、相互理解が深まることは、私は望ましいことではないかと思います。

 ただ、「同文同種」をいうことで倫理観や価値観が同じだと考えることが危険であることは、戦前の「支那通」軍人を見ても明らかですね。そうした失敗を繰り返さないための付き合い方について、一読者様は、現実体験を通してお話しされているのだと理解しています。

>その歴史的観点が「自虐的」であってはダメだということですね。

(読)そうではありません。
河野談話の問題点は、旧日本軍の強制性を証明する資料も根拠も無いにも拘わらず、あのような談話を出してしまった点にあります。
河野氏は直接戦後教育の影響を受けた自虐世代だから当然でしょうが、当時から私が最も問題だと思っていたのは、宮沢元首相のナイーブな対韓(対中)姿勢であり、それを念頭に、以前のコメントでは「歪んだパターナリズム」に基づく情緒的対応と批判したのです。

tiku このことについては、私は、秦郁彦氏の著作も参考にしていますが、同意見です。

>なお「従軍慰安婦」の問題については同意見ですが、村山談話については、私はおおむね妥当だと思っています。

(読)村山談話は、河野談話と同等かそれ以上に問題があります。
なぜなら、村山談話は、政権に就いたために、日米安保と自衛隊を認めるという党の基本に関わる部分で譲歩を余儀なくされた旧社会党の党内や支持者の不満を逸らすために、抜き打ちだまし討ちで閣議決定されたものだからです。

tiku 自社さ連立政権の成立を悔やんでも仕方ないでしょう。それは、小沢氏の細川非自民連立政権を政党の思想を度外視して、数だけ集めて政権を奪取したことの反動ですが、それは、55年体制崩壊後の日本の保守の政治思想に確たるものがなかったことの証左でもあるのです。

 このことは、今日の政治状況を見てみれば一目瞭然で、一体、保守の側に、村山談話に抗して明示できるいかなる大東亜戦争を総括する言葉がありますか。それができていない以上、村山談話を、その成立の事情のいかがわしさをもって批判しても、私は説得力を持たないと思います。

 一読者さんが、この村山談話に代わる大東亜戦争を総括する言葉をお持ちであれば、ぜひ、お伺いしたいと思います。私自身、それを求めて日本近現代史の再検証を、山本七平の所説を参考に進めているのですが、今のところ、村山談話の内容は、この問題の外交的決着を図るためのものとしては、私はほぼ妥当ではないか、と考えているのです。

(読)小泉談話に関する私の評価は、やや否定的です。要するに、「場違いで必要なかった」のではないか、という気がするからです。

tiku 小泉談話は、村山談話という社会党党首が出した談話を、自民党党首が再確認した談話です。つまり、村山談話は自民党内閣が継承したのです。このことは安倍政権も福田政権も麻生政権も同様なのではないですか。

(読)私は、以前から、小泉外交の良さというのは、結局は“反射神経”の問題だろうと考えていました。
国内で中国の内政干渉に関する反発が強まっていると感じれば、直ちに靖国参拝を断行する。9.11事件が起これば、即座に哀悼の意を表する。アメリカがイラク攻撃を宣言すれば、直ちに支持を表明する…

tiku 少なくとも中国の執拗な内政干渉を断固拒否したという点では、立派だったのではないでしょうか。というのは、なぜ小泉氏より伝統的保守主義者である安部氏が中国に受け入れられたか、それは小泉氏のNOなしには考えられませんから。

(読)イラク戦争については、異論があるかもしれませんが、現状の日本では、どう考えてもアメリカを支持する以外に方法が無かった以上、いち早く支持を表明することは、むしろ日本の負担を減らすことに繋がったのではないでしょうか。

tiku 9.11の対応についてもイラク戦争と同様でしょう。

(読)ただ、小泉氏の問題点は、国内問題の場合と同様に、中長期的なビジョンが無いところです。

(tiku) その点は私も同意見です。問題はいかなる中期的ビジョンを示すべきであったか、ということですが、氏は5年の任期一杯首相を務めたわけで、その後の政権運営は後継者の責任というべきでしょう。

 あえて、小泉氏の中期ビジョンが問題だとすれば、私は、それは氏が政治家を任期途中で引退したことで、それは、氏の首相時代に負った政治責任を抛棄した事になるからです。

 それと、選挙地盤を進二郎氏に譲ったことです。これは政治権力の私物化を意味しており、これは氏の政治信条の不徹底を証するものだと思います。中期ビジョンと言うより、長期ビジョンを欠いていたというべきですね。

(読) また、小泉氏の対応が可能だったのは、国際的に漠然と「面倒な最前線に立つのは止めて、二番手で美味しいところだけを頂く」という日本の外交姿勢が(おそらく莫大なODA等と引き換えに)受け入れられる土壌があったからですが、現在では、もはやそうしたやり方が成り立たなくなっています。

tiku 小泉氏のあの時点での対応は適切だったと言うことでしょう。

(読)最近、暫定とはいえ唐突に常任理事国入りという話が出てきたり、G7復活の話が出てきているのは、たぶん今後の経済動向を含む国際情勢の変化を睨んだ「中国外し」の動きの顕在化であるとともに、日本に対する主体的な行動要求であるという見方が出てきています。その場合、好むと好まざるとに関わらず、日本は最前線に立たざるを得なくなりますし、日本の国益に基づくビジョンを明確にする必要が生じるでしょう。

tiku そのビジョンを明確にするためにも、まず、過去の総括を大筋ででもつける必要があるのではないでしょうか。現実には、自民党は、民主党ばかりか国民新党にも振り回されているわけで、これでは勝てるわけがありません。

(読)民主党に対応できるでしょうか? 言うだけ無駄かもしれませんが。

tiku 前回の選挙は、民主党が選ばれたのではなく、自民党への落胆票だということが言われます。その通りで、それは、政権党である自民党に対する国民の信頼が地に墜ちたことの表明だったのです。その発端となったものが鳩山邦夫の「かんぽの宿」問題での立ち回りで、何とか交付金の問題や東国原氏の問題もありましたね。

 要するに、自民党の政治思想的一貫性が一体どこにあるのか、見えなくなってしまったのです。もちろん、民主党もそれと似たり寄ったりで、夢想家の首相を、権力至上主義者の幹事長が操っている分だけ、政策が支離滅裂になっていますが、残念ながら、それに取って代わるだけのものを、今の自民党が持ちあわせていないことも事実です。

 これが、自民党が小党分裂せざるを得ない理由ですが、おそらく、ここしばらくは、日本の伝統文化の再把握とその活路を見いだすための試行錯誤が続くのではないでしょうか。迂遠なようですが、私は、そうしたプロセスが必要なのではないかと思います。

 民主党政権のもたらす混乱も、その意味では、日本国民がリアルポリティクスを学ぶための高価な授業料と考える他ないのではないでしょうか。結論としては、言葉=思想による秩序づくりの大切さを、日本人も再認識する必要がある、ということだと思います。