「自虐」でも「美談」でもない「独立自尊」の歴史観を持つこと6――
葵様への返書3

2010年4月 6日 (火)

葵さんとの論争?について
 今回の葵さんの反論を読んで、少し反省したことがあります。というのは、氏の無礼千万な語り口は一つの”お遊び”ではないか、ということです。そういうことなら、真に受けても仕方がありませんので、議論の要点だけお答えしたいと思います。

(葵)「天皇の象徴的性格」と「象徴天皇」は全く違います。

(tiku)私は、象徴天皇制の意味を、「天皇が政治の実権から離れて文化的象徴となったこと」と限定しています。そういう意味では、鎌倉時代に政治の実権が幕府に移ったことを葵さんも次のように認めています。

(葵)頼朝の時代で公家政治は終わり、実権(主権ではない)は幕府になりましたが、その権力を与えたのは天皇です。
天皇には旨味がありましたので、継承問題で争いがあったのでしょう。

(tiku)葵さんはここで、幕府の実権は天皇が与えたので、それは「象徴天皇制」とは違うといいたいのでしょうが、それは間違いです。平氏滅亡後、後白河法皇は、義経と頼朝の離間させ、義経及び源行家に頼朝追討の宣旨を出しました。しかし、義経・行家は兵力を集められず逃亡。頼朝は舅の北条時政に大軍を率いて上洛させ、後白河に強硬な申し入れを行い、院の近臣らの解官、九条兼実政権の樹立、守護・地頭の設置を呑ませたのです。(これは公領を含む警察権・行政権(=政治権力)を幕府が武力で掌握したことを意味します。)

(葵)明治憲法(大日本帝国憲法)での主権者は天皇です。

(tiku)葵さんが、これで何を説明しようとしているのかわかりません。察するに天皇は鎌倉時代から明治時代までずっと主権者だった、と言いたいのでしょうか。ちなみに私は、鎌倉時代にはじまった天皇の文化的・象徴的位置づけは、建武中興の一時期を除き、幕末には尊皇思想の影響を受け絶対主義的天皇制に変わったと説明しています。さらに、それを規定した明治憲法の解釈が、教育勅語的な天皇親政的解釈と立憲君主制的解釈(これが天皇機関説)に分かれことを説明しています。といっても、1930年頃までは機関説が学界の定説として扱われていました。

(葵)日本国憲法での主権者は国民です。
国民の選挙で選ばれた議員が総理大臣となり、内閣を決めますが、天皇の任命は儀礼であり、天皇は内閣の人選に関与は出来ません。

(tiku)同様に鎌倉時代も天皇は幕府の人事に関与できなかったのです。後白河法皇が頼朝の許可なく義経を検非違使等に任命したことが頼朝の怒りを買い、それが、その後の義経の運命を決めたのです。さらにその後、幕府から政治の実権を取り戻そうとした後鳥羽上皇等三上皇は北条泰時に島流しされました。つまり、将軍職の任命も儀礼であり形式だったのです。

>天皇が政治の実権から離れて文化的象徴となったことについて

(葵)上記は日本国憲法においてのことであり、明治憲法や頼朝から家康の時代のことではありません。

(tiku)以上説明した通りです。

(葵)日本沈没、あれはあくまでもSF小説です。ありえないから面白いのです。

(tiku)あり得ない「日本沈没」を設定してまで、日本人のディアスポラの必要性を訴えたかったということです。紹介した会話を見ればわかるでしょう。また、だから33年もたって二部を出版したのです。失敗してますが。

>日本人は「人は皆、仏性がある」と考える、というのが葵さんの結論なのでは。なのに、葵さんは結論として「仏教徒でないものには仏性は無いのだ!」と強弁される。
そして「屁理屈こいて己の恥を晒せば、教祖の山本の恥でもあるぞよ」とご託宣なさる。これを”インチキ教祖のご託宣”といいます。

(葵)私は「仏教徒(日本式の大乗仏教)には」と言いましたが、日本人にはと言っていません。

(tiku)日本の仏教は皆大乗仏教です。

(葵)山本は、神仏混合の時代が長かった日本では信仰心が薄いので、日本のキリスト教徒は、日本教キリスト派であると言っているでしょ?私も同意いています。
もし日本教キリスト派の人が亡くなって、仏になったら困るでしょ?
神のみもとに行けなくなります。だから、日本人の全てに仏性があってはならないのです。

(tiku)「仏性」とは、現代語で言えば「良心」にあたる言葉だと説明しています。「一切衆生、悉有仏性と説給ふ也。喩ば、天上の一月の、万水に移るが如し。大海にも一月、一滴の露にも一月有に似り」(『破吉利支丹』鈴木正三)というように、人の心には仏性(=慈悲の心)が移されている、という風に解釈したのです。それが、江戸時代になって仏教色が薄れ「本心」と呼ばれるようになったのです。キリスト教徒であろうがなんであろうが「良心」に相当するものはあるのではないですか。それにどういう言葉をあてるかは別としても・・・。だから、その「良心」を持っていたら死んだ時「仏」になる、ということにはならないのです。

>インチキ教祖のご託宣”といいます

(葵)私は教祖ではありませんよ
勿論、アンチ山本信者でもないし~。
ただの東京下町に住む意地悪オババです。

(tiku)あまり高飛車で高踏的な言い方をするから誤解されるのでは。

>(葵)なにやら半島はきな臭いようだね、(いつものことがけど)停戦中と言う事を思い出して、この際、「統一は民族の悲願」のために頑張って欲しいな。
アメリカや中国や日本の経済の為に、思う存分と死闘してください!南北ともに頑張れ!

tiku こういうことを匿名をいいことに平気で言う人がいるのです。進歩的文化人どころの話ではありません。これを”卑怯”といいます

(葵)↑これを日本語では卑怯とは言いません。
毒舌or正直な心の叫びと申します。(苦笑)

(tiku)あなたが、匿名でなく本名で、こうしたことを「正直な心の叫び」としていえるなら、私は「卑怯」という言葉は撤回しますが、おやめになった方がよろしいのでは。

(葵)卑怯とは、私宛のコメントを私のブログにしないで他人のブログに書く人のことですよ。コメント欄が無理ならば、トラックバックすれば卑怯とは言いません。

(tiku)あなたのブログのコメントはかって字数制限と投稿制限がなされていましたね。だから、私HPに掲載すると断ったでしょう。また、最初のあなたとの論争は、あなたが「一知半解」さんのブログを通じて私論を嘲笑し、また、本名まで上げて論争に引き出そうとしたことから始まったものです。今回の場合も貴方のイニシアティブですよね。また、ご希望であればトラックバック致します。

>>朝鮮戦争は、日本の資本家が(もうけるため)、たくらんだものである」と平気でいう進歩的文化人に対して、

(葵)だから~~、そんな嘘を言う進歩的文化人って誰なのさ!山本七平かい?

tiku そんなこと文脈見ればわかるでしょう。これを”口からでまかせ”といいます。

(葵)文脈を見ても私には分かりません。そんな嘘を言う進歩的文化人の名前を教えてください。もしかしたら山本が”口からでまかせ”ですか?
日本語は誤解されないように、正しく使いましょう。

(tiku)「山本かい!」が”口からでまかせ”だといっているのです。だって、引用した文章は、ベンダサン(あなたたちはベンダサン=山本七平としている)が進歩的知識人を批判した文章ですから。

>「この平和ボケしている日本人に攘夷思想なんてあるのだろうか?」と葵さんがいった時の「攘夷思想」とは”米軍基地撤退”を想定していたのかしら
日本のナショナルアイデンティティーを中国や韓国の攻撃から守る、程度の象徴的な意味だったのでは。これを”話のすり替え”と言います

(葵)攘夷論(じょういろん)は、日本に於いては、江戸末期に広まった考えで、夷人(外国人)をしりぞける。つまり外国人を実力行使で排斥しようという思想。元は中国の春秋時代の言葉。
他国の軍隊が日本にのさばっています。
攘夷思想となれば日本軍を認め、強めて米軍基地撤退でしょう。
しかし日本には“国軍”がありませんので仕方が無いと私は諦めています。
九条改正は、今の日本人の思想では・・・今の所、私は保留です。

(tiku)葵さんは、日本にのさばっている米軍基地を撤退させるという攘夷思想をお持ちなのですね。

(葵)中国は確かにミサイルの標的を日本にしているそうですが、日本を武力攻撃して何か得をすることがありますか?損失の方が多いと思いますがね?
韓国が日本を攻撃する?日本沈没より面白いジョークです。

(tiku)私は「日本のナショナルアイデンティティーを中国や韓国の攻撃から守る、程度の象徴的な意味だったのでは」といっています。「中国や韓国が日本を武力攻撃する」とはいっていません。

>これを”話のすり替え”と言います
(葵)違います。貴方の勝手な思い込みです。

(tiku)”話のすり替え”じゃないですか。

(葵)貴方には元日本兵や銃後の妻の哀しみを理解する心が感じられませんので、私はそれに触れません。同じ本を読んでも、その解釈は十人十色であり、感性や知識力、理解力で異なります。確かに私の文章力の無さが、貴方の誤解を生じたのでしょうが、それにしても酷すぎます。きっと山本文やそのほかの人の文も同じような誤解、誤読をしていると思います。

(tiku)葵さんが、議論の相手を頭から嘲弄する態度に出なければ、誰でも間違いはあるのですから、失礼なやりとりにはならないのです。貴方が「元日本兵や銃後の妻の哀しみ」を理解したい、とおっしゃるなら、私もそのことに意義はありません。わたしにそれが感じられないとおっしゃるなら、私の説明が不足していたのかも知れません。自戒したいと思います。

(葵)貴方は私に知られるように、こっそりと愚痴を吐いているつもりでしょうが・・・そこがネットの恐ろしさです。論争を仕掛けるのならば最後まで気合を入れてなさいな。
その根性や知識がないのならば、人様に暴言を吐くべきではありません。
mugiさんに対する仕打ちは、人間として許せません!

(tiku)私も、ネットは世界に公開されていますよと初めに断っています。この論争を仕掛けたのはあなたですし、暴言を吐いたのもあなたです。ただし、論争となれば、言葉を曖昧にせず徹底してやります。そしてそれは記録されるべきです。そうすることで言論の責任が明確になります。ところで、mugiさんに私がどんな仕打ちをしましたか?

(葵)自分の痛みは分かるけど、人の痛みは分からないものですが、思いやる心があれば、ある程度は分かるはずです。私が貴方や一知半解さんにした意地悪は、『痛みを感じて欲しい』からですよ。ブログは個人の部屋です。その人の趣味ですから、その趣味が悪いと“喧嘩”を売るべきではありません。リアルではエチケット、ネットではネチケットを守り、愉しく暮らしましょう。

(tiku)貴方の言葉遣いを見る限り、葵さんが人の痛みや、人を思いやる心を大切にされているとは思いませんでした。また、いくら趣味だからといって、ネット上の書き込みでは、もう少し「人の痛みや人を思いやる心」が感じられる言葉遣いにすべきではないでしょうか。

以上