安倍首相の唐突な靖国神社参拝は、氏の個人的な思い入れによるものか、それとも外交的深謀遠慮に基づくものか?

2014年1月 8日 (水)

11月末に体調を壊して以来、多忙も重なって本ブログ更新を2月ほど休みました。この間、昭和史講座の方は継続して行うことができ、昨年は9回実施しました。参加者も徐々に増えており、今後も元気の続く限り続けていきたいと思っています。ネット上の公開についても鋭意検討中です。

 さて、私自身の靖国神社問題についての基本的考え方は次の通りです。

 日本は、昭和の戦争についての政治的な結果責任を当時の指導者に求めることができなかったから、外交的には、東京裁判の判決結果を、それに代わるものとして受け入れざるを得ない。従って、国内法でA級戦犯受刑者を犯罪者扱いしなかったとしても、外交的な影響を考慮して、靖国神社へのA級戦犯合祀はするべきでなかった。

 ところが、そうした観点を無視して、靖国神社の宮司がA級戦犯受刑者を合祀したために、その後、中国や韓国から「日本は侵略戦争の反省をしていない」との批判を受けるようになった。また、こうした批判は、日本の世論にも訴えるところがあるから、その後この問題は、中国や韓国による、日本世論を分断するための外交カードとして利用されることになった。

 こうした状態から脱却するためにはどうしたらいいか。まず、政府は、A級戦犯の「分祀」を神社側が自主的に行うよう働きかける必要がある。ただし、これはあくまで外交上の問題処理のためであって、より根本的には、戦争犠牲者に対する慰霊に関する問題と、昭和15年戦争の政治的結果責任の問題とを、切り離す方策について検討すべきである。

 そのためには、上記の働きかけとは別に、靖国神社の性格を、現在靖国神社境内に置かれている鎮霊社のような、戦争犠牲者を無差別に慰霊する施設へと転換する必要がある。これによって、たとえA級戦犯を合祀したとしても、それを「祭神」として顕彰するわけではないから、中国や韓国がそれを根拠に、日本の「歴史認識」を問題とすることはできなくなる。

 このように、戦争犠牲者に対する慰霊の問題と、戦争の政治的結果責任の問題とを切り離すことで、日本人が戦争責任の問題を自らの問題として考えることができるようになる。また、中国や韓国が、日本人の「歴史認識」を問題とすることがあっても、そうした自己検証を通して確立された歴史実証主義的な観点から、彼らの主張に冷静に対応できる。

 このように考えていたところ、昨年10月22日のアゴラに、北村隆司氏の「『国のために戦い、倒れた方々』を私営施設に祭ることが適切であろうか」と題する記事が掲載されました。氏はこの論を、次のような言葉で締めくくっています。「靖国問題は中韓との交渉で決まる可能性は低いが、日本国民が当時の指導者に第二次大戦の結果責任を求める事が、問題解決への第一歩であると思えてならない。」

 私は、冒頭に紹介したような、靖国神社問題解決策を考えていましたので、北村氏の「日本国民が当時の指導者に第二次大戦の結果責任を求める事が、問題解決への第一歩である」という意見には賛成でした。しかし、問題は、それをどういう形で表すかです。法的には「1953年8月3日、『戦犯』とされた者を赦免し、名誉を回復させる『戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議』が社会党を含めて圧倒的多数で可決」されているのですから、これを覆すわけにはいきません。となると、結局、東京裁判の判決――特に戦争指導者を裁いたA級裁判の判決を受け入れたことを、何らかの形で残さざるを得ません。

 この点を、もっとも明瞭に自覚していたのが昭和天皇で、戦争犯罪人の処罰を我が国において実行するとの閣議決定に対し「これを天皇の名において処断するは忍びざるところ」(9.12東久邇宮首相参内時)としつつも、当時の戦争指導者の中に、当然、戦争責任を負うべき者(例えば松岡や白鳥など)がいたとの自覚は強く持っていました。それが上述したような観点とも相まって、

 「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私 あれ以来参拝していない それがわたしの心だ」

という言葉になって現れたのだと思います。

 では、どういう経緯で、靖国神社の宮司が自らの判断でA級戦犯の合祀をしたのかというと、その経緯はWIKIでは次のように解説されています。

 「靖国神社の照会により引揚援護局が作成した祭神名票には、改正された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」および「恩給法改正」の支給根拠である「戦犯は国内法で裁かれた者ではない」という解釈から、東京裁判における戦犯も除外なく記載されている。

 靖国神社では1959年(昭和34年)にBC級戦犯を合祀した。A級戦犯については合祀のための照会をしていなかった。だが、1965年(昭和40年)に厚生省に戦犯を含む資料の送付を依頼。翌1966年(昭和41年)厚生省引揚援護局調査課長が「靖国神社未合祀戦争裁判関係死没者に関する祭神名票について」の通知に基づき祭神名票を送付。1970年(昭和45年)に靖国神社の崇敬者総代会でA級戦犯の合祀が決定された。

 ただし、当時の宮司預かりとなり、合祀はされていなかった。

 1978年(昭和53年)になって新宮司が就任。A級戦犯の受刑者を「昭和殉難者」と称して合祀した。また、靖国神社は、東京裁判の有効性や侵略の事実を否定するなど、「A級戦犯は戦争犯罪者ではない」として名誉回復の方針を見解として打ち出している。

 A級戦犯合祀問題の背景には、靖国神社などによる「A級戦犯は戦勝国による犠牲者」とする意見と、侵略戦争を認めた政府見解や、国民への多大な犠牲などから「侵略・亡国戦争の責任者である」と(して)一般の犠牲者である軍人・軍属などと一緒に祀り、顕彰することを問題視する意見の対立があると思われる。」

 つまり、このA級戦犯合祀を決断した宮司には、昭和天皇とは異なり、当時の戦争指導者の政治的結果責任についての自覚が希薄だった、と言うより、むしろそれを正当化する考えがあったのです。また、A級戦犯合祀が、後に重大な外交問題に発展し内政干渉を招く恐れがあることにも全く気づいていなかった、ということです。もちろん、天皇のご親拝ができなくなることも想定していなかったのでしょう。

 そこで、「A級戦犯は戦勝国による犠牲者」か、それとも、国民に多大な犠牲を強いた「侵略・亡国戦争の責任者」か、ということが問題になります。しかし、この両者は、一見アンビバレントな関係にあるように見えますが、実は、敗戦という事実の両面なのです。つまり、歴史の真相に迫るためには、この双方の視点が必要なのですが、これに靖国神社の問題が絡むと、前者は「戦争責任の否定」、後者は「勝者による敗者の裁き」となり、互いに相容れぬ関係となって、冷静な議論ができなくなってしまいます。

 従って、こうしたデッドロック状態から脱却するためには、まず、「靖国神社の問題」と「戦争責任の問題」を切り離す必要があります。その上で、先の双方の視点からの議論を総合する中で、日本人から見た昭和15年戦争の結果責任を明確にしていく必要があります。一方、靖国神社には、その合祀基準が、時の政権側にあった戦死者のみを顕彰するとしている所に、一種の差別的な問題があります。

 従って、これを同じ靖国神社境内に設置されている「鎮霊社」のような無差別の慰霊施設に変えるべきです。といっても、それは靖国神社の設置目的にかかわりますから、簡単にはいかないでしょう。従って、次善の策としては、いわゆるA級戦犯の合祀を、この鎮霊社に移すことが考えられます。こうすることによって、その合祀はあくまで慰霊のためですから、中国や韓国がこれに対して抗議をする根拠は失われます。

 しかし、当面の処置としてこのようなことが考えられるとしても、長い目で見れば、靖国神社の合祀基準を無差別なものに変更することは、神社本来の性格からして決しておかしなことではないと思います。つまり、靖国神社から国家神道的な色彩を払拭する必要があるのです。また、靖国神社には、明治維新の功労者である西郷隆盛や、「八重のさくら」で知られることになった、会津を中心とする奥羽越列藩同盟軍の戦死者は合祀されていません。

 ちなみのその合祀基準は次のようになっています。

「祭神となる基準(WIKI)

戊辰戦争・明治維新の戦死者では新政府軍側のみが祭られ、賊軍とされた旧幕府軍(彰義隊や新撰組を含む)や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外。西南戦争においても政府軍側のみが祭られ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外(西郷軍戦死者・刑死者は鹿児島市の南洲神社に祀られている)

戊辰戦争以前の幕末期において、日本の中央政府として朝廷・諸外国から認知されていた江戸幕府によって刑死・戦死した吉田松陰・橋本左内・久坂玄瑞らも「新政府側」ということで合祀されているばかりか、病死である高杉晋作も合祀されている。

戊辰戦争で賊軍とされて戦死者が靖国神社に祭られていない会津藩士の末裔で戦後右翼の大物だった田中清玄は「(靖国参拝とは)長州藩の守り神にすぎないものを全国民に拝ませているようなものなんだ。ましてや皇室とは何の関係もない」と述べている。

軍人・軍属の戦死者・戦病死者・自決者が対象で、戦闘に巻き込まれたり空襲で亡くなった文民・民間人は対象外。

また、戦後のいわゆる東京裁判などの軍事法廷判決による刑死者と勾留・服役中に死亡した者が合祀され、合祀された者の中に文民が含まれている。なお、「軍人・軍属の戦死者・戦病死者・自決者・戦犯裁判の犠牲者」であれば、民族差別・部落差別等の影響は一切無い。」

以上、私がなぜ、冒頭に述べたような靖国神社問題の解決策を提案するかの理由について説明しました。ついでとといっては何ですが、最後に、昨年末、唐突に行われた安倍首相の靖国神社参拝の是非について、私の考えを述べておきます。

 この問題に対する評価として大変おもしろいのは、これを安倍首相の「個人的な思い入れ」によるものとし、これを、外交的配慮を無視した「軽率な行動」と批判する意見が、日本の知識人にきわめて多いのに対し、一般国民に対するアンケート調査の結果では、これを肯定的に受け止めるものが、朝日新聞社による調査でも6割に達するということです。

 このどちらが常識的かと言えば、私は一般国民の方ではないかと思います。その理由は、第一に、安倍首相が靖国参拝をしなくても、中国や韓国の日本に対する非難攻撃は常軌を逸するものであったからです。第二に、安倍首相は、単なる個人的な思い入れから靖国参拝を行ったのではなく、実は、次のような深謀遠慮がその背後にあったのではないかとも考えられるからです。

 もちろん、この後者は私の想像に過ぎませんが、今回、安倍首相が靖国神社境内にある鎮霊社の存在に言及したことは、その重要なヒントなのではないかと思っています。また、日本経済が次第に復活の兆しを見せる中で、さらに、日本国民の安倍内閣支持が5割を超す中で、中国や韓国が、靖国参拝問題に契機に、さらに日本に対する攻撃をエスカレートさせることがはたしてできるか?

 私は、彼らは否応なく、今回の安倍首相の靖国神社参拝を契機に、「靖国神社問題」と「戦争責任の問題」を分離せざるを得ない状態に追い込まれるのではないでしょうか。そして、もし、靖国神社問題が上述したような形で解消されれば、彼らの日本人の歴史認識を巡る批判は、その攻撃の照準を見失うのではないでしょうか。

 中国の場合、A級だけではだめだB級も、とエスカレートできるでしょうか。例えば南京事件の「百人切り競争」の二少尉もダメだと・・・。一方、韓国の場合は、そもそも戦勝国ではないのですから中国とは自ずと立場が異なります。おそらく、日韓併合以来の日本の外交政策に対する謝罪を要求し続けるでしょうが、これについては日韓条約で一定の決着がついていますし、慰安婦問題がそうであるように、個別の実証が求められることになると、それまでの主張のウソがばれないとも限らない。

 また、このことは、先にも言及しましたが、日本人自身が自らの視点で戦争責任の問題を考える契機ともなります。その結果、日本人の日本近現代史理解のより歴史実証的な視点の確率につながると思います。また、そうした視点が確立すれば、中国や韓国によるプロパガンダとしての日本に対する非難・攻撃に対しても、歴史実証的な観点からの反論が可能となります。

 願わくば、今回の安倍首相による靖国神社参拝は、こうした政治的・外交的深謀遠慮に基づくものであって欲しいと思いますが・・・。