靖国問題について3――日本人の「死んだら仏(または神)になる」という考え方はどこから生まれたか。

2010年9月25日 (土)

 

日本人閣僚の靖国参拝に対して中国や韓国が抗議行動をとることについて、日本人がこれに反論する時に持ち出す論理は、「日本人は死んだら仏(または神)になると考えるので、生前の「罪」をしつこく追求するようなことはしない」というものです。

 靖国問題というと中国や韓国の抗議を受けたことが発端であるかのような印象があり、上記のような反論がなされるわけですが、この問題のそもそもの発端は、1969年に自民党が靖国神社を国家護持による慰霊施設としようとして靖国神社法案を提出したことによります。自民党としては、戦死者の慰霊を民間の一宗教法人に任せるのではなく、国家の責任で行うべきだと考え、この法案を国会に提出したのですが、これに反対する人たちは、これが憲法に定められた「政教分離」や「信教の自由」に抵触するとして反対運動を起こしたのです。

 この時、こうした反対行動を起こした団体の一つである日本のキリスト教系団体の行動のおかしさを最初に指摘したのがイザヤ・ベンダサンでした。氏は、これら日本のキリスト系教団体が、キリスト教徒の「英霊」が神道の霊廟である神社に奉祠されていることを戦後二十数年間放置しながら、これが政治問題として提起されるとにわかに反対運動起こしたのは、宗教教義義上極めて偽善的なことではないかと指摘したのです。

 といっても、ベンダサンは、これを日本人の宗教的な無節操さを示す例として指摘したのではありません。そうではなくて、日本という国は、実は日本教という無意識の宗教的条理に基づく「祭政一致」の国であって、そのため、宗教問題も政治問題になってしまう。また、それが政治問題となってはじめて、宗教問題も”政治的に解決される”ということを、事実の問題として指摘したのです。

 これは、日本においては、西欧的な意味における「政教分離」――宗教法と世俗法の分離を前提に、政党はあくまで世俗政策の実現を図る。宗教団体は教義の実現を政党を通じて行うようなことをしない(小室直樹)――という考え方がないことを示している。もし彼等が、自らの宗教教義に自覚的であったならば、戦死した信徒の霊が神道の霊廟に祀られていることを、これまで放置するはずがないではないか、というのです。

 しかし、実際は1969年までこれを放置した。浅見定雄氏は、こうしたベンダサンの指摘に対して、「信教の自由」とは公権力との関係ではじめて問題になるのであって、戦後、公権力から見放されて「鳴りをひそめた宗教など無視してやれば十分」といっています(『にせユダヤ人と日本人』)。要するに、政府から強制されなければ、キリスト教徒であっても、一宗教法人である靖国神社に信者が祀られていても、一向にかまわないといっているのです。

 なかば居直りに近い論理だと思いますが、この問題が、自民党が靖国神社法案を出して以降、はじめて憲法上の「政教分離・信教の自由」に関わる問題として、国論を二分する政治問題に発展したのは事実です。つまり、これが政治問題化してはじめて、社会的な関心を集めるようになったのです。当時の朝日新聞『天声人語』(81.8.1)は、自民党の靖国神社法案に反対する理由として、次のようなことを述べていました。

 「ふるさとの肉親や恋人のため、と信じて死んでいった兵士たちの霊を慰めること自体に異議をさしはさむものはいないだろう。」しかし、靖国神社の国家護持は、「英霊に対する国民の尊崇の念を表すため、その遺徳をしのび、その事績をたたえる」ものであり、国民の「国防意識の高揚と結びついたものになる」。それは結局、「前大戦そのものを美化することになる。それがはたして無念の死をとげた無数の戦没者たちの鎮魂になるのだろうか。」

 つまり、ここで問題とされているのは、宗教団体の教義上の問題としてではなく、この法案が、前大戦を美化し、侵略戦争を肯定し、「日本を再び侵略戦争に駆り立てることになる」といったような、政治的問題に発展したということなのです。つまり、このように政治問題化されない限り、宗教教義上の問題など「キリスト教家族の側で忘れていさえすればなんのかかわりも生じない」(浅見前掲書p186)ものなのです。

 これは、ベンダサンの指摘する通り、日本人が宗教教義についていかに無関心であるか、そうした宗教教義上の問題が政治的問題に発展すると、なぜ、これほどの混乱を生じるのか、ということを解明する上での、格好の事例と言えるのではないかと思います。

 「例えば日本においては、死んだ人を仏という。これほど徹底した仏教の誤解は考えられない。死んでいようが生きていようが、覚りを開いて輪廻の因果法則に支配されなくなった人が仏である。そして、この「成仏」は容易なことで達せられるわけではなく、古来、そのためには、多くの宗教的天才すら苦闘した。そうでない人は断じて仏ではありえない。それを、死ねば自動的に成仏できるとまで考えたところに、日本人のぬきさしならぬ仏教の誤読がある」(「創価学会スキャンダルと日本の宗教的特性」小室直樹)

 つまり、本来の仏教の教えには、本エントリーの「死んだら仏になる」といったような考え方はないのです。確かに、日本では平安時代末から、在家者の救済を目的とした浄土宗による他力仏教が盛んになり、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けると教えました。しかし、浄土に行けば自動的に仏になれるわけではなく、浄土で仏道の修行を積むというのが「戒名」を授かる意味なのです。つまり、死と同時に出家し戒を授け仏道修行者の道を歩むと言うことなのです。(親鸞の場合は、阿弥陀仏への絶対的信仰を説き、そうした信仰を持てば浄土に行けると教えた。ここでは浄土に行くことより、そうした絶対的信仰を持つことの方が重視される)

 そもそも仏教は、現世を、六道(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)を、生まれ変わり死に変わりして輪廻転生する「苦」の世界と教えています。従って、この輪廻の世界から脱出すること。そのためには現世の執着を脱する修行が必要である。で、その結果どこに行くかというと、別に浄土に生まれ変わるわけではなくて、あくまで現世の執着を断った「涅槃」の覚りの境地に達することを目標としているのです。(釈迦は死後の世界の有無を聞かれたとき、沈黙を守って応えなかった、つまり――考えるな――と言ったのだそうです。)(『仏教と儒教』ひろさちや)

 従って、もともとの仏教の教えでは、日本仏教のように、死んだ後に仏となって極楽浄土に行く、というような考え方はしないのです。また、日本人が一般的に考えているように、死者が霊魂となって、この世とあの世を行ったり来たりする(お盆など)とか、それを人間が慰めるといったような考え方もないのです。もともと仏教は葬式もしなくて、日本仏教が葬式をするようになったのは、江戸時代の寺請制度以降のことだといいます。現在でも奈良仏教の宗派(南都六宗)は葬儀をしません。(『仏教と神道』ひろ さちや)

 また、現在日本で行われている仏教式の葬儀では、僧侶の中心的な役割は読経をすることになっていますが、読経とは、本来、出家した僧に修行の一環として聞かせるものであって、参列者に聞かせるものではないそうです。だから何を言ってるか判らなくてかまわない!つまり、死んだときに出家したということにして、戒名を授け(つまり受戒させて)仏道修行の道に導き入れるている(これを「引導」という)わけですが、こうした日本仏教のやり方は、本来の仏教の教えからいえば大変おかしいということです。

 また、私たちは、お墓は死者を追憶するためのものだと思っていますが、インド人は火葬にした後、(釈迦のような聖職者を除いて)全部川に流します。しかし儒教では、先祖の墓をつくり、その墓に詣でます。また中国仏教では、儒教をまねて位牌をつくります。また、儒教の「孝」という観念を生きている親だけでなく、何代も先の祖先にまで及ぼして先祖祭祀を行います。日本の江戸時代の仏教が葬式を本業とするようになったとき(これを僧侶が検死の役人になったと酷評するものもいた。明治の排仏棄釈もこれを抜きには考えられないと言います)、同時に、この中国の墓や位牌、先祖供養という儒教の祭祀を取り込んで、仏教的習俗として定着させたのです。

 以上、日本仏教が、本来の仏教の教えからはかなり変質して、葬式がその本業になったかのような現状に堕していることについて説明しました。特に、その死者に対する供養の仕方は、中国の儒教の影響を受けていたものだということです。また、ここで注意しなければならないのは、こうした日本人の死生観に決定的な影響を与えているものは、こうした外来宗教ではなく、日本の伝統「宗教」である神道によるものだということです。エントリーに掲げた「人は死んだら仏になる(または神になる)」といったような考え方は、仏教というより、神道の考え方を反映しているのです。

 この神道の死についての考え方ですが、古代においては、死体と死者の霊魂とは区別されていて、死体は穢れ・恐れの対象となり、埋葬するときは、再び出て来て生者に害を及ぼさないよう、死体に石を抱かせたりしました。一方、この死体から遊離した霊が悪さをしないよう神社を造って祀ったりしました(菅原道真など)。こうした霊が一定の年月を経ることによって次第に浄化され、祖霊となり、最終的には氏神となって近辺の山中あるいは鎮守の杜に宿り、子孫や地域共同体を守護するという風に考えられたのです。

 これが、日本人の死後の世界観の根底にある無意識の考え方で(「千の風にのって」のイメージもそれ)、地獄・極楽という仏教の来世の考え方は、必ずしも日本人の間に受け入れられてはいないように思います。仏教では四十九日、一周忌、三年忌がありますが(この時点に来世での生まれ変わりが審査される)、それ以上の三十三回忌の「弔い上げ」という考え方になっているのは、仏教とは関係なく、霊魂が「集合霊」になったという、神道的な発想によるものだと、ひろさちや氏は言っています。三十三年も祀ればもう幽霊になって出て来ないというわけですね。

 そこで、以上のような日本人の霊魂観を考慮して、靖国問題を考えるとどうなるか、と言うことですが、私は、基本的には、先ほども申しましたように、戦死者の慰霊の方法は、それぞれの宗教によるべきではないかと思います。ただし、戦死者は、国家が行った戦争の犠牲者でもあるわけですから、国家がその霊を祀るための施設を設けることは当然だと思います。その意味では、かっての自民党が、その集合慰霊施設である靖国神社を国家護持しようとしたのは、決して非常識なことではないと思います。

 ただ問題になるのは、それが単に戦死者の慰霊を目的とするものではなく、つまり、「英霊に対する国民の尊崇の念を表す」「その遺徳をしのび、その事績をたたえる」ということが、自民党政府が、前大戦を美化し、侵略戦争を肯定し、「日本を再び侵略戦争に駆り立て」ようとしている、といったように政治問題化して解釈されることです。また、神道思想が祭政一致という、政教分離以前の統治イメージを払拭できないでいることも問題です。そのため、こうした疑念を取り除くためにとられた方策が、私的参拝であったり、参拝方式の非神道形式化であったわけです。

 その後、この問題は、中国や韓国からの抗議を受けるようになって、その問題の所在がどこにあったのかわからなくなってしまっていますが、そのポイントは、靖国問題を政治問題としてではなく、あくまで宗教問題として捉え、その問題解決をはかるということです。つまり戦死者の慰霊施設としては、神道の宗教的教義からは切り離して非宗教施設とすること。その上で国家が責任をもって運営するということです。引き続いて靖国神社をその施設とする場合は、これをどのように非宗教化するかが問題になります。

 こうした考え方に対して、戦死者の慰霊をそうした非宗教的施設で行うべきではないという考え方もあります。しかし、前述したように、その宗教的な慰霊の方法は、それぞれの宗教による他ないのです。実際、靖国神社についていわれる「死んだら仏(この場合は神)になる」といった考え方は、仏教の教義によるものでもなく、また、伝統的な神道の考え方とも微妙に異なっています。従って、そうした考え方に固執する必要はなく、新たに、日本の近代国家建設のために命を捧げた人びとを慰霊し顕彰するという目的を明確にして、それにふさわしい国立の慰霊施設を作ればいいのです。

 その施設として、現在の靖国神社を使うことも考えられますが、この件は、関係者が話し合って決めればいいと思います。いずれにしても、この施設を国家護持とするということは、宗教的にも政治的にも中立の立場を取ることになるわけですから、そのためには、その慰霊の形式はどのようにしたらいいか。また、特定の政治的イデオロギーによらない戦死者の慰霊・顕彰のあり方はどのようにあるべきか、ということについて、国民的な議論を行い合意を取り付けるよう努力する必要があると思います。

 最後に、日本の宗教団体のなすべきことについてですが、先に紹介したような、日本人の宗教感覚の怪しげな部分、つまり、その宗教混淆状態のもたらしている混乱状況をどう糺していくかということがあると思います。また、政治家の努めとしては、戦死者の慰霊・顕彰ということの意義について、国民が政治的立場を越えて共通理解が持てるようにするということ。そのためには、この問題を政治的に利用するようなことはしないこと。これらが、この問題を解決する上で、日本人が乗り越えなければならない重要課題ではないかと私は思っています。

2010年9月25日 (土)