最近のツイート――「かんぽの宿」、菅・枝野氏のうそ、原発問題、橋下大阪市長への提言、小沢裁判ほか
*部分は、私の追加コメントです。ツイッターも使い方によっては便利だなーと思いました。
小沢裁判を見ていて思ったこと。政治家の言行録をネット上にアップする必要があるということ。裁判では証拠がなければ何とでも言えるが、政治家はそういうわけにはいかない。その点、産経の阿比留氏はいい仕事をしていますね。http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2566636/
1月13日
*ヒトラーの大衆操縦術「大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切り型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読み取ってくれる。」にはまらぬよう、その言動を時系列的に記録しその論理の矛盾を突くべきです。
かっての日本軍の体質を継承していたのは革新陣営だった。ではその日本軍の体質とは。http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-6d73.html
1月12日
*アゴラ研究所の池田信夫氏より「一読推奨」の評価をいただいたもの。一週間で2万件近くのアクセスがありびっくりしました。
橋下徹大阪市長への提言――府教育基本条例案は早急に撤回し教育委員会制度の改革を目指すべき(2) http://agora-web.jp/archives/1421488.html 説得力有り、良記事。橋下さんがこの提言を一読する事を期待。
1月11日
*1月14日の橋下氏のツイートを見ると、氏はその教育改革戦略を完全に教育委員会制度改革にシフトしたようです。
日本の言論空間を支配する「空気」について【その2】~日本人の親切とは~ http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-672.html
1月11日
*私と共に山本七平の紹介に努めている「一知半解」さんのブログです。過去ログも参考にして下さい。大変分かりやすい。
@Semagumo 教員免許を国家試験にして国民の教師に対する信頼性を高めることが先。その上で学校経営機能をどう高めるか、どういう経営システムを採るべきかを議論すべき。橋下氏は知事の教育行政権限の強化を提案しているが、その他の主張は民営化。ここにこの議論の混乱がある。
1月11日
*私がアゴラに投稿した記事「橋下市長への提言」へのツイッターコメント「私は、教育も民営化すべきだと思うんだが・・・」に対する私の返信。
@JBpress 「この原発事故の根底にあるものと、第2次世界大戦での日本の失敗との類似性」が指摘されている。最大の問題は「想定外を想定」できないこと、つまり、絶対安全なんかないのに、絶対安全と言わないと人々が納得しないので、絶対安全と言っている内自分もそれを信じた、ということ。
1月11日
*JBプレスの記事に対する私のコメント。「なぜあんな無謀な戦争をしたのか」という疑問に対比して「なぜあんな初歩的な安全策をとらなかったか」と問う欧米専門家の疑問。「原発事故の教訓: 福島のブラックボックス-話にならないほど初歩的な失態も」 《The Economist》- http://goo.gl/qyZLH
@YoichiTakahashi お説に対してそんな”うまい話はない”という意見が政府、日銀で大勢を占めているのだと思いますが、この信じられない認識ギャップを経済学という学問は埋められないのですか。私にはこれが信じられません。
1月11日
*高橋洋一氏の”お札を刷れば良い”という金融緩和論と、日銀・大蔵省のインフレ懸念論の理論的ギャップがどうして経済学者の間で埋まらないのか、という私の疑問。今も分かりましぇん。
多様な生き方と多数決は別物。多様な生き方とは単に流行に流されないということ。では多数決とは何か、なぜ人は多数決に従うのか。かって人はそこに”神の意志が現れる”と信じた。ただし、それは政治的意志決定をする場合のこと。個人的意志決定は神?の言に従う。その時始めて後者が優先される。
1月11日
*人気ブロガーchikirinさん(私に似てるが別人物)のブログ記事「多様な生き方を尊重する社会へ」http://agora-web.jp/archives/1417139.htmlに対する私のツイート。なんか基本的な所で分かっておられないのでは?
@miyachi_hisa 教育委員はその二分の一以上のものが同一政党に所属してはならないとされ任期は4年です。心身の故障または職務上の義務違反、委員たるに適しない非行があった場合の他はその意に反して罷免されないことになっています。大阪は本人の同意を得て任期をずらしたのか?
1月10日
*大阪市教育委員会の教育委員の任期は一年ずつずらしているそうで、それに対する私のコメント。
@ikedanob また、とるべき具体的な対応策については可能か不可能かを徹底して論じる必要がある。その場合もその対応策をめぐる「事実論」を冷静に論じる事ができるかどうかが問題になる。つまり、「事実論」を「是非論」と切り離して冷静に論じられるかどうかがキーポイント。
1月8日
*微量放射能の人体に与える影響について、定説が確定しているわけではないが、現段階で分かっている限りの事実論を確認した上で、今後の実施可能な対応策を考える必要がある。その「現段階で分かっている限りの事実論」をアゴラ研究所が「2012年1月2日に研究機関グローバル・エネルギー・ポリシー・リサーチ(GEPR)」を創設紹介している。この問題の処理について非科学的な「空気」に支配されないためにも大切な仕事です。
http://agora-web.jp/archives/1419482.html
@ikedanob 事実論には「わからない」レベルから「定説」レベルまで仮説のグレーゾーンがある。しかし、危険を伴うものには何らかの仮説を立てて対応策を考えざるを得ない。つまり、仮説がなければ対応策は論じられない。だから仮説が「わからない」人は、対応策も「わからない」というべき。
1月8日
*未だよく判らない事象に対処するためには「仮説」を立ててそれへの対処法を作成するしかするしかない。やってみて失敗するかも知れないが、そのリスクをとらなければ科学技術を発展させることはできない。完成した技術だけを輸入すれば良いという時代はすでに終わっているのです。
@takenoma どのような編集になっているのですか。私は『日本の神話伝説』吉田敦彦+古川のり子著などを読んで始めてその面白さを理解しましたが、そうした解説を付することが必要な気がしますが。
1月8日
*明治天皇の曾孫にあたられる竹田恒泰という皇族の方(慶応大学講師)が主導して、古事記を日本のホテルに配布することにしたそうで、それについての私見を申し述べました。お返事には、ホテル配布分は現代語訳のみ、市販本は武田氏の解説付きということでした。買って読んでみたいと思います。
@agora_japan 「・・・村」というのは電力業界に限らず既得権益に守られたところには何処にでも偏在します。その閉鎖空間を突破し共通の自由闊達な知的言論空間を形成すること。それこそが平成維新の開国と呼ぶにふさわしいと思います。
1月8日
*橋本市長が日本の統治機構の改革と言うことを言いますが、それは、組織(機能集団)のガバナンスを確立するということであり、そのためには仲間内のかばい合いより、いわゆるコンプライアンス(法令遵守基本規定)を優先するということだと思います。このことは、今特に公務員組織(電力会社もそれに近かった)に問われているのですね。
これからの日本人のための「おまじない」 ー アゴラ研究所の発足に寄せて http://agora-web.jp/archives/1419051.html
1月8日
*「今回、アゴラ研究所は、破綻した日本のエネルギー政策、科学よりも小市民的正義を重視し中世的衆愚政治社会への回帰を目指すマスメディア、そして自己保存のみを優先させ臆病と無策に陥った政治家たちにより生じた空白を埋めるべく発足された」というもの。http://agora-web.jp/archives/1419051.html#more
橋下徹氏は平成維新の主導者たり得るか。「大阪府教育基本条例」が孕む問題点について私見を申し上げます。http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-e6e8.html
1月5日
*私のアゴラメンバーとしての最初の投稿記事です。
新年を迎えて願うこと、皇太子徳仁親王妃雅子さまが健康を回復されること。
1月2日
*同級生の話によれば”お優しく目立つことが嫌いなご性格だった”(『文藝春秋』今月号)といいます。元気で明るい姿を見たいですね。
@310kakizawa 政治家と専門家の役割の違いを明確にする必要があるのでは。その上で板野氏のついた嘘の是非を論ずべきだと思います。知らんぷりは許されません。http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-20a5.html
12月30日
*福島第一の事故の後の政府の対応では枝野氏の落ち着いた対応が好評だったわけですが、まあパニックを防ぐ為だったのでしょうが、随分事実と異なった説明をしていたわけですね。それは専門家の責任なのか、政治家が責任を負うべき事なのか、いずれきっちり整理しておく必要があると思いました。
@ikedanob 残念ですがそんな印象ですね。
*河野太郎氏の原発に関する意見は、いわゆる核燃料サイクルが破綻している、というものですが、それは政治的判断か、それとも技術的判断か、その辺りがどうもはっきりしません。
12月30日
@NomuraShuya 自民党から民主党への政権交代のきっかけとなった事件が鳩山邦夫がでっち上げ民主党が自民党攪乱に利用しマスコミが喧伝した「かんぽの宿」問題でした。こんな茶番で起きた政変ですからその結末も茶番になりそうです。http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/jijimondai/minsyutou.html#2009/9/18
12月28日
*「かんぽの宿」の問題と「JPエクスプレスの承継」問題(運送単価が極端に安い不採算顧客を全て承継するという現経営陣の著しく不合理な経営判断によって、年間1000億円ずつの巨額損失を出した問題)については、原発事故と同様に、議員立法で国会に調査委員会を設けて徹底的に調査して欲しい。
@ishiitakaaki 菅前首相が「東電が全面撤退しようとするのをオレが止めた」と自己宣伝していた問題、いよいよ事実関係が明らかになるようですね。当時マスコミはこの問題を余り取り上げませんでしたが・・・。参照http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-93f3.html
12月28日
*菅首相が、政治家としても個人的人格においてもいかに不適格であったか、周囲の人たちはこれを見抜くことができなかったのでしょうか。私自身は、「菅首相の正体不明」http://www7b.biglobe.ne.jp/~sitiheigakususume/jijimondai/kan.htmlで疑問を呈しておきましたが・・・。
2011年12月20日 (火)
最近のツイートと補足コメント――Nスぺ「メルトダウン」から「金正日死去」まで
私の場合、ツイートをどう利用するかまだ定まっていません。根拠示さないで意見を述べるのは無責任だと思いますが、簡潔に意見を述べるには便利です。とりあえず、最近私が興味を持ったことをツイートして見ましたので紹介しておきます。(追加コメント)は今回新たに付したものです。
(以下12月19日分)
(金正日死去について)
金正日の死去に対する各国の報道を見ていると、まともな国と異様な国、まともな国民と異様な国民の違いが分かります。立花隆氏が『天皇と東大』で戦前の日本を現在の北朝鮮と比べて、”あれ以上に異様だった。北朝鮮は首領様だが日本は神だった”と言っていますが、これは明らかに言い過ぎですね。
(半藤一利・加藤陽子著『昭和史裁判』について)
半藤一利氏と加藤陽子氏の『昭和史裁判』ざっと目を通したが、両氏とも日中戦争の開始原因を読み間違っていると思った。これは華北分離を強行する日本軍に対する防衛戦で、日本側にとっては日中連携のための親日政権作りだったが中国にとっては侵略であり抗戦する外なかった、ということ。
(両氏は)トラウトマン工作で、蒋介石は日本の和平条件を本気で検討していたが、病気で期限までには対応できなかった。参謀本部の多田らが延長を主張したが広田や近衛が打ち切った、と(する)通説を補強する意見を述べているが、私は、蒋介石は日本軍を信用しておらず、抗戦意志を維持していたと見ている。(参照「トラウトマン和平工作」)
確かに日中戦争の根本原因は日本の大陸政策にあるが、日本は(中国と)戦争するつもりはなかった。しかし王道文明vs覇権文明という図式の中で華北分離まで突き進んだことが中国に抗日戦争を決意させた。そして戦争になれば応戦するほかない。昭和天皇の戦争意志はここから生まれた。ではいつ戦争をやめるか。
(結果的にはやめられなかった)ではなぜ日中戦争をやめられなかったか。その根本原因はそれが始まりであった如く「王道文明vs覇権文明」という図式を脱却できなかったから。つまり、中国を主権を持った独立国と認識できなかった。蒋介石は日本のそうした誤りを昭和10年に中央公論「敵か友か」論文で示した。(参照「蒋介石の「敵か友か」中日関係の検討」)が、それでも分からなかった。
(追)この点は昭和史を理解する上で極めて大事なポイントですので、別稿であらためて論じたいと思います。両氏はこの戦争原因を統制派である「一撃派」にあるとし、王道派とも言うべき石原派(多田や堀場など)による華北分離の責任を軽く見ています。
トラウトマン工作でこの石原派が交渉延期を主張しますが、マッチポンプの論であって一度火のついた戦争は容易なことでは止まらない。蒋介石は上海戦ですでに持久戦争を決意している。12月14日にはすでに王克敏の華北傀儡政権が出来ている。従って、少々交渉を延ばしたところでこの段階で講和が成立したとは思われません。
何より軍内部が分裂して統制がとれなくなっていたではないか。統帥部も意見が一致していたわけではない。この事実を等閑視して広田や近衛の責任を追求してもはじまらない。もちろん近衛の「対手とせず」は失敗で弁護の余地はありませんが、すでに世論は手を付けられなくなっていた。そんな大火事を引き起こしたのは石原派であって、彼等がそれに小便をかけたからといって免罪されるわけはない、と私は思います。
また、これに関連してお二人は昭和天皇を「一撃派」と同類視するなど、この紙上裁判において昭和天皇の大元帥としての責任を問い「有罪」と判決しています。しかし、昭和天皇はあくまで明治憲法に従い立憲君主として行動されたのでは。大元帥という立場でも補翼責任者がいたのでは。補弼・補翼者の間で意見対立したら天皇が決裁する責任を負うというのは、天皇親政の考え方ではないか。
明治憲法の解釈にそうした曖昧な点があった事は事実だが、昭和天皇ご自身は機関説天皇で良いと思っており、その範囲で行動していた。そもそも、天皇親政という言葉を持ち出した軍部は、統帥事項の判断を天皇の裁断に委ねようとしたのではなく、あくまでもそれを自らの統帥権さらには政治支配権を確立するために利用しただけだった。
挙げ句の果てに自らの内部統制も保持できず軍としての最終案をまとめることができなくなると、その最終決定の責任を、首相また天皇に負わせることで自らの責任を逃れようとした。それが軍が実際にやったことではないか。こんな無責任な軍部の態度を支持できるわけもなく、まして、その責任を昭和天皇に負わすなんてあまりにも公正を失している。
そもそも、いったん戦争になれば、勝つほかないわけで、君主たる者がそれを願わないわけがありません。その際の片言隻句を取り上げて、その判断の是非を問うなどということは、それこそ君主に”哲人あるいは神”たることを求めていることになるわけで、まあ、なんと過酷なかつ非情な歴史裁判官である事よと思いました。
この点について山本七平は天皇が「閣議決定」の上奏に拒否権を行使した例は皆無であると言っています。ただし、「内奏」は別で天皇が各大臣に意見を述べたり、重臣を呼んで意見を徴したり、それに対して天皇がご自身の状況判断やご意見を述べられることもあれば、時には叱責されることもある。
「もちろん天皇の状況判断やご意見が常に正しかったことはあり得ないと私は思っているし、天皇もそう自覚されていたのであろう。というのは、それなるが故に、「憲法上の責任者が慎重に審議して、ある方策を立て、これを規定に遵って提出し、裁可を請われた場合には、私はそれ外に満ちても意に満たなくても、よろしいと裁可する」わけである。
ただ、この「内奏」とそれへの天皇の「応答」は、正確には分からない。というのは、これについて、天皇が何も言われないのは、マッカーサー元帥との場合と同じである。ただ侍従長、侍従武官長が立ち会ったり、またメモを読んだりする場合、また天皇が何かの感想を述べられたりして、それが彼等が「日記」に記している場合にだけ残る。いわば、これはあくまでも「天皇のフリートーキング」であり、正規の機関からの憲法上の手続きを経た「上奏・裁可」ではない。」(『裕仁天皇の昭和史』p336~337)*上3パラグラフ挿入12/21
もちろん、お二人による先のような有罪判決は、それぞれ資料に基づいた判断でしょうから、読者としてはそれを有り難く利用させていただきますが、私にはその批評の視点は、昭和史という歴史的現実から遊離した大変お気楽で無責任なもののように思われました。
半藤氏の『あの戦争と日本人』はご本人の体験と史論とがうまくかみ合っていて興味深く読むことができましたが、『昭和史裁判』では半藤氏は加藤陽子氏に付き合いすぎたためか、バランスを失いひっくり返されたような印象ですね。昭和天皇が金属の拠出等をしたことを福沢の帝室論を引用して”細かくて情けない”などと慨嘆していますが、福沢の帝室論における「天皇の万機を統ぶる」行為はあくまで「政治社外のものなり」が前提ですよ。
私自身は、常識ある日本人は天皇親政なんか信じていなかったと思いますし、政治責任は臣下が負うべきものと考えていたと思います。それを戦後の平和を無償で享受できる人間が、戦中における天皇の「内奏に対する応答」(いわばフリートーキング)について親政責任を問うというのですから、一体どうなっちゃったの?というのが私の率直な感想でした。*下線部12/21挿入
(『謎解き 張作霖爆殺事件』について)
山本七平賞奨励賞に『謎解き 張作霖爆殺事件』が選ばれた。一読してそれに値しないと思った。肝心な部分がノンフィクションではなくほとんど”小説まがい”だから。何処に爆薬がしかけられていたかは探求の余地(「必要」を訂正)はあるが、仮に客車天井裏の爆薬がしかけられていたとしても満鉄線橋脚の爆薬とシンクロ
したと説明しなければならない。これを、本筋はコミンテルンが仕掛け国民党内のルートを通じて張学良が行った”父殺し”で、これに河本が共謀したため実行犯にさせられた。つまり、この事件はコミンテルンのトラップだというわけですが、騙されるにも「程(ほど)がある」話で、日本の弁護にはなりませんね。
(追)この件で、まず調査すべきは、爆弾が車内にしかけられていたかどうかですね。全てはその後だと思います。
(半藤一利著『あの戦争と日本人』について)
「坂の上の雲」がNHKで放映されていますが、203高地の戦いについて、12月5日高地を占領し旅順港を見下ろした所、敵艦隊はすでに壊滅していた!なんと9月28日から10月18日までの28インチ砲による山越の砲撃で・・・。この事実は隠蔽されてきたが、ドラマでは従来の説のままでした。
また、日本海海戦において、ロシア艦隊が対馬海峡に来るかそれとも津軽海峡かで、東郷は対馬海峡とし微動だにしなかったことで名将とされる。が、事実は5月25日開封の密封命令で津軽に向かうとした。しかし第二艦隊参謀長藤井らに説得され開封を24時間延期。ドラマではそのように修正されていた。
(ところで)203高地の戦いについて、12月5日高地を占領し旅順港を見下ろした所、敵艦隊はすでに壊滅していた!という話、半藤氏の『あの戦争と日本人』にあった。つまり二万に及ぶ兵士の死は無駄だったというわけだが、にわかには信じられない。なぜ、艦隊壊滅が分からなかったか、不思議な話です。
(追)ドラマでは、203高地を占領した兵士が”旅順港は丸見えです”と叫ぶシーンがありました。こちらは小説のままで訂正されていないわけですが、やはりこの説は無理があると判断されたのでしょうか。
というのは、28インチ砲の射程は分かっていたはずで、それによる旅順港砲撃の結果も分からないはずがない。となると、旅順要塞及び203高地占領の目的は別にあった、ということになりますが、ではなぜ、あんな犠牲の多い戦法を採用したのか分からなくなります。
(李明博大統領と慰安婦問題について)
@ikedanob 慰安婦問題についての事実論を再度公開ガチンコ論争の形でやっておく必要があるのではないでしょうか。
(追)事実論をしっかり押さえておくことがいかに大切か、ということですね。韓国は日本に儒教的「義」への応答を、”そういう事実があった”ということを前提に、日本国政府に求めているわけです。従って、再度、その事実の確定作業を、まず国内でやる必要があると思います。日本的な「相互懺悔・相互告解方式」は国外では通用しないのですから。
(Nスぺ「メルトダウン」での「イソコン」について)
@inosenaoki 当時の報道で全電源喪失後も機能するはずのイソコン(非常時緊急冷却装置)の存在について確認なりアドバイスなりをした専門家はいましたかね。
(追)東電の責任のみならず、専門家や、政府の対応のまずさも次第に明らかになってくるでしょうね。それにしても本来機能集団であるべきものが共同体化し自分たちを守るための生活集団と化すという日本組織の宿弊は、今回の事故を教訓として徹底的に改める必要がありますね。大阪の橋下氏がやろうとしていることもそれだと思いますが、そのポイントは組織目的の明示とその不断の検証と共有ということだと思います。
つまり、日本もリーダーを必要としているということですね。日本の課題は、そうしたリーダーを今後どのように創っていくのか、ということだと思います。その点、「科挙」的身分制ではない、任免自由な上級公務員制度を作る必要がありますね。それにしても、いわゆる現状維持派の情けないこと。橋下氏の話では、”やめる”といってやめたひとは府知事時代一人もいなかったとのこと。”武士に二言はない”というのは一体何処の国の言葉だったのでしょうか。 |