(再掲)「東電「全面撤退」問題をめぐる私の総括――菅首相は東電が全面撤退しないことを知っていた!」

2014年8月20日 (水)

 東電全面撤退問題についてKH氏との論争を行いました。決着はつきませんでしたが、しかし、いくつかの新しい発見をすることができました。KH氏は、菅氏は福島第一現場の技術者や作業員が逃げるとは全く思っていなかった。菅氏が東電本部で”逃げよったって逃げられないぞ”と怒鳴ったのは、単に東電本部の職員に対して”全社員が一丸となって命を賭けてほしい”との覚悟を迫るものだった、というのです。そう解釈することによって、KH氏は菅氏を弁護しようとしているわけですが、これは大変おもしろい見方だと思いました。というのは、それによって次のような解釈が可能となるからです。

 菅氏が東電本部に乗り込み東電の社員に対して”逃げよったって逃げられないぞ”と怒鳴った時、当時のマスコミは、それを「東電が福島第一の事故現場からの全面撤退=敵前逃亡しようとした」と解釈し報道しました。ほとんどの国民もまた、この時の報道をそのように受け取りました。ところが、実は、それは官邸の誤解で実際は「一部退避」であることを菅氏は東電に乗り込む前に確認していたのですが、菅氏は、東電本部に設置された統合対策本部に行った時、「原発事故を起こした」東電に対する怒りの感情を爆発させ”東電に八つ当たりをした”という解釈が成り立つからです。

 私は、民間事故調、東電事故調、国会事故調、政府事故調の四つの報告書の関連部分を読んで見ましたが、これらの報告書に指摘された事実関係を総合してみると、どうも、この解釈が当たっているのではないかと思うようになりました。

 実は、こうした解釈は、東電が行った事故調査報告書の中で次のようになされていました。

 「清水社長が電話で海江田大臣に伝えた趣旨は、「プラント状態が厳しい状況であるため、作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい」というものであり、全員撤退などというものではなかった。

 しかし、この電話で清水社長が海江田大臣に「一部の社員を残す」ということを同大臣の意識に残るような明確な言葉を持って伝えたかどうかは明確でない。そして、海江田大臣は、清水社長が「撤退」ではなく「退避」という言葉を使ったことは認識していたものの、「全員が発電所からいなくなる」との趣旨と受け取り、官邸内で共有し、その旨を菅総理に伝えたようである。

 枝野官房長官の発言によれば、このころ福島第一原子力発電所の吉田所長に電話で意志を確認したところ「まだやれることがあります。頑張ります。」との返事であり、官邸側としても吉田所長は、全面撤退など考えていないことを確認したことを述べている。

 なお、吉田所長は最初から一貫して、作業に必要な者は残す考えであった。

<総理による清水社長への真意確認>
清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過して後に清水社長に官邸へ来るようにとの連絡があった。用件は示されなかったが、ともかくすぐに来るようにということであった。3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に撤退するつもりであるか否か真意を問われた。

 清水社長によれば、ここで、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。
菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」
清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」
菅総理 「そうなのか。」

 いわゆる撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。概略このようなやりとりがあったことは、後記の通り、菅総理自身が、事故からまもない4月18日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁(後述)に合致するものであって、確かな事実であったと見られる。

 したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

 それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。

<当社本店での菅総理>
4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官等が、本店対策本部に来社したところで細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。

 5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した。前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。

 清水社長は、国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと違和感を覚えた」とこの時の総理の態度が理解できなかったことを証言している。

 また、福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい虚脱感を感じた、と証言している。」

 これは、この問題の被告に当たる東電の証言なのですが、これに対して、逆に、東電を告発する立場をとったかに見える「民間事故調」は、次のように言っています。

「東京電力の撤退判断 14日夜から15日朝
14日2号機爆発の危険が高まり、吉田所長は必要人員以外の退避も考えた。東京電力の清水社長は、福島第一原発からの退避を官邸に申し出た。東京電力側は全面撤退を意図した申し出ではないと主張しているが、直接電話で清水社長と話した海江田経産相、枝野官房長官、細野補佐官のいずれも全面撤退とび、受け止めている。菅首相が清水社長を官邸によびつけ、撤退はさせないと伝えた。一時的に2号機の状態が安定し、注水が可能となった時でもあり、吉田所長は「まだ頑張れる」と伝えたが、6時頃の2号機爆発後650人が一時避難した。この際にも、菅首相は注水関係者を現場に残すように指示を出した。菅首相による東電撤退の拒否は必ずしも2号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなく、撤退すれば最悪の状況に確実に至るという強い危機感を主な根拠としたものであった。しかし、結果的にこの撤退拒否が東京電力に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイントである、東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった。」

 しかし、ここでは、「菅首相が清水社長を官邸によびつけ、撤退はさせないと伝えた。」とだけあって、東電報告書にある、菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」菅総理 「そうなのか。」という部分の会話が抜けています。

 続いて、「民間事故調」には、「吉田所長は「まだ頑張れる」と伝えたが、6時頃の2号機爆発後650人が一時避難した。この際にも、菅首相は注水関係者を現場に残すように指示を出した。」とあります。これは、あたかも、二号機爆発後、吉田所長は「注水関係者も現場に残そうとしなかった」ので、菅首相が「残すよう指示を出した」かのようにも読めますが、「東電事故調」では、この部分について次のように記述しています。

<2号機の衝撃音と所員の一部退避/吉田所長らの残留>
「その後、引き続き菅総理は本店幹部を本店対策本部が設置された緊急時対策室と廊下を隔てた小部屋に集め質問等をしていたところ、6時14分頃の2号機で大きな衝撃音と震動(後の調査で4号機の建屋爆発と判明)が発生した。

 異変が生じたことから、本店・緊急時対策メンバーは緊急時対策室(対策本部)に戻り、発電所長との状況確認を再開した。なお、小部屋にもTV会議システム端末があり、現地の状況を知ることができる。菅総理は引き続き小部屋にとどまった。本店及び発電所の緊急時対策室では、2号の圧力抑制室が破損した可能性の報告、チャコールフィルタ付全面マスク着用の指示などがあり、6時30分、「一旦退避してパラメータを確認する(吉田所長)」、「最低限の人間を除き、退避すること(清水社長)」、「必要な人間は班長が指名(吉田所長)」などのやり取りがあり、吉田所長が一部退避の実行を決断、清水社長が確認・了解した。班長の指名した者の氏名は同発電所緊急時対策室のホワイトボードに書き込まれた。福島第一原子力発電所には、吉田所長を筆頭に発電所幹部、緊急時対策班の班長が指名した者など総勢約70名が残留した。

 6時37分、吉田所長から異常事態連絡発信(71報)『2号機において6時00分~6時10分頃に大きな衝撃音がしました。作業に必要な要員を残し、準備ができ次第、念のため対策要員の一部が一時避難いたします。』として通報している。菅総理は、8時半ごろ本店から退去した。」

 これは、2号機爆発に伴って「一部避難」を指示したことを示すもので、こうした判断がなされた現場に菅首相もいたわけで、氏がこれを承知していなかったはずはありません。

 続いて、「民間事故調」は、「菅首相による東電撤退の拒否は必ずしも2号機の安定化に向けた具体的な方策を伴ったものではなく、撤退すれば最悪の状況に確実に至るという強い危機感を主な根拠としたものであった。」と言っています。つまり撤退を阻止したと言うなら、その後に「注水関係者を現場に残すよう」菅首相が「具体的」な指示を出した、となるはずです(民間事故調にはこの言葉がある?)。ところが、その指示は「具体的な方策を伴った」言葉ではなく、ただ「強い危機感を主な根拠とするもの」だった、というのです。これは、言い換えれば、その時の菅首相の指示は、冷静な判断に基づくものではなく、「強い危機感を主な根拠とする」=「感情的な怒りの爆発」だった、ということを示しています。

 そして、その締めくくりとして、「しかし、結果的にこの撤退拒否が東京電力に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイントである、東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった」と言っています。しかしここでは、菅氏の言葉は、「全面撤退を阻止した」ことより、「東京電力に強い覚悟を迫る」ものだったことに重点が置かれています。こうして、それが「今回の危機対応における一つのターニングポイント」となり「東京電力本店での対策統合本部設立の契機となった」と積極的に評価しているのです。しかし、この部分についても、東電報告書では次のようになっています。

 「したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって解消されていたと考えられる。

 それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないから、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。」

 事件の真相解明をするには、このように原告と被告の両方から話を聞かないとダメだと言うことですね。そこで、これらの二つの報告書の後に出された国会事故調と政府事故調の二つの報告書も合わせて、さらに、この問題の真相に迫りたいと思います。

 まず、ここで留意しておいていただきたいことは、以上の二つの報告書を総合することで、菅首相の東電本部での発言は、福島第一の現場作業員が全面撤退することを阻止するために発言したものではないこと。菅首相は現場が撤退しないことは知っていて、従って、東電本部での発言は、「東電本部の職員に”全社員が一丸となって命を賭けてほしい”と覚悟を迫るものだった」という解釈が可能になる、ということです。

 実際は、その時の菅首相の発言の調子はそのような解釈を許すものではなく、「吉田所長は、TV会議を通じて当時目の当たりにした菅総理の言動について「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」と記憶している」というようなものだったのですが・・・。

 吉田所長は、続いて次のように言っています。
「もともと全員撤退などは考えたこともない。私(吉田所長)は当然残る、操作する人間も残すが、最悪を考えて、関係ない大勢の人間を退避させることを考えた。」と証言した上で、一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほしい」。

 これもおもしろいですね。「一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいるというのなら示してほしい」と言っているのですが、これは、この時の菅首相の言動を直接聞いたものの感想として、それは「極めて高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」ということ。その後の一連のマスコミによる「東電全面撤退」報道は、実は「風聞」に過ぎないと言っていることです。

 つまり、この時の菅首相の言葉は「全面撤退阻止」という明確な意図を持ったものではなく、「怒り狂ってわめき散らしていた」だけだった、ということですね。この点については、この部分の菅首相の発言内容がビデオ公開されればはっきりするわけですが、どういうわけか音声が記録されていない。だが、その要旨は次のようなものだったといいます。

 「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなる」「このままでは日本滅亡だ。撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「金がいくらかかってもいい。必要なら自衛隊でも警察でも動かす」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」「原子炉のことを本当に分かっているのは誰だ。何でこんなことになるんだ」

 これを見ても、どうも、この言葉を菅首相に言わせたものは、「何でこんなことになるんだ」という東電に対する怒りの感情だったのではないか。そして、その怒りにつられる形で、すでに清水社長に確認して誤解が解けたはずの「全面退避」という言葉がよみがえり、「撤退などありえない。撤退したら東電は100%つぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」という東電叱責の言葉につながったのではないか。しかし、それが、東電の「全面撤退を菅首相が阻止した」とのマスコミ報道になった。実際、一般国民も東電社員もそのように聞いた。

 この部分の経緯について、東電は次のような見解を示しています。

 「5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわたって、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した」ことについて、「前述の通り菅総理は官邸での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識していたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の撤退を封じようとしたものとは考え難い。」

 おそらく、これが「真実」であって、菅首相は、この時、現場が完全撤退するとは思っていなかった。しかし、つい、怒りにまかせて発言したことが、ビデオ会議システムを通じて福島第一、第二の現場作業員にも聞かれてしまった。また、それが、菅首相が東電の「全面撤退」を阻止した話として、一斉にマスコミ報道されることになった。で、このことに気づいた菅首相はその後どうしたか。KH氏が言うように、現場が撤退するとは全く思っていなかったのなら、その「風聞」を消そうとしたはずですが。

 だが、菅首相が積極的にそうした誤解に基づく「風聞」を消そうとした形跡は見えません。そのため「東電が全面撤退しようとしたのを菅首相が叱責しそれを阻止した」という「風聞」は残り続け、その真偽を廻って、各事故調査報告は膨大な時間が費やすことになった。この間の経緯について、菅首相はその後の国会答弁で次のように説明しています。

<総理による清水社長への真意確認>
(平成23年4月18日、25日、5月2日の総理自身の国会における「撤退問題を廻る菅首相と清水社長とのやりとり」に関する答弁。東電事故調に紹介)

 菅氏発言「そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだと言うことを言われました。(4月18日 参議院予算委員会)」、「それで社長にまず来て頂いて、どうなんですか、とても引き揚げらてもらっては困るじゃないですかと言ったら、いやいやそういうことではありませんと言って。(4月25日 参議院予算委員会)」、「社長をお招きしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりではないけれどもという話でありました。(5月2日 参議院予算委員会)」との総理答弁がなされており、菅総理自身が、官邸での清水社長の真意確認をしたところ、撤退ではないと聞いたという認識を示している。」

 つまり、菅首相は、東電本部に乗り込む前に、東電が全面撤退する意志はないことを確認していたのです。しかし、そうであれば、これ以降も同様な答弁をすればいいと思うのですが、これが途中で言い方が変わります。これは、9月7日、枝野氏が、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」といい、この時の菅首相の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した(2011年9月8日09時14分 読売新聞)」ことが端緒になっているように思われます。

 こうして、この問題に関する菅氏の答弁内容が変化しはじめます。東電事故報告書では次のように言っています。 「しかしながら、夏以降の菅総理のインタビューなどでは、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志については、例えば、別紙1<発言抜粋6>に示す平成23年9月の新聞社のインタビューでは、「そして、東電の清水正孝社長を呼んだ。撤退しないのかするのかはっきりしない。」と、社長の意志は不明確であったとしている。

 また、平成24年5月28日の国会の事故調査委員会での関連の答弁を別紙1<発言抜粋7>に示す。この答弁においては、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志については、「私が撤退はありませんよと言ったときに、そんなことは言っていないとか、そんなことを私は申し上げたつもりはありませんとかという、そういう反論が一切なくてそのまま受け入れられたものですから、そのまま受け入れられたということを国会で申し上げたことを、何か清水社長の方から撤退はないと言ったということに少しこの話が変わっておりますが、そういうことではありません。」としているが、清水社長に全面撤退の意志はないことは示されている。また、吉田所長に関しても現場対応を継続する意志であることは知っていたことが示されている。」

 以上の記録を総合すれば、菅首相らの当初の「東電が全面撤退する」との思い込みは、官邸の誤解であり、菅氏はそのことを東電本部に乗り込む前に知っていたことが分かります。しかし、途中で彼らはこの事実をぼかし始めた。その意図は、この時の枝野氏の発言に現れています。おそらく、この時枝野氏は、「全面撤退」が官邸の誤解であったことが、その後の調査で明らかになることを見越して、そうした発言の責任を東電に負わせると同時に、菅首相の叱責が、「結果的に・・・東京電力に強い覚悟を迫るものとなった」と評価される道を切り拓こうとしたのではないかと思われます。

 それが、先に紹介した「夏以降の菅首相の答弁の変化」となって現れたのではないか。そして、この戦略にまんまと引っかかったのが、「国会事故調」と「政府事故調」だったのではないか。というのも、この二つの調査報告書は、この東電の全面撤退問題の焦点となる論点を、「全面撤退という誤解はなぜ生じたか」という些末な問題に絞っているからです。その結果、前者の結論は官邸の誤解は「東電の黒幕的経営」の所為だといい、後者は、「(なぜこうした)認識の違いが生じたのかについては、十分解明するに至らなかった。」と締めくくった。

 しかし、この問題の焦点は①官邸と東電の間になぜ「全面撤退」という誤解が生じたか?ではなく、②こうした「全面撤退」の誤解は解けていたのに、なぜ、菅首相はあのような「全面撤退を非難するかのような発言をしたのか?だったのではないか。それを隠蔽し問題を①に局限したのが枝野氏で、これによって、官邸が「誤解」した責任を東電に転嫁し、最悪でも「解明不能」とすることができる。さらに、菅首相の発言が誤解に基づくものであったとしても、その動機は”純粋”で、結果的に、「東京電力に強い覚悟を迫る」ことになったのだからいいではないか、との評価につなげようとした。

 だが、騙されてはいけない。真実は、菅首相は、東電本部に乗り込む前に「全面撤退が自分らの誤解である」ことを認識していた。しかし、新たに設置された東電の統合対策本部に乗り込んだ時の菅氏の感情は、事故を起こした東電に対する怒りの感情に満ちていた。その憤怒の感情が、先に官邸が持っていた「全面撤退」という(誤解の)言葉を呼び覚まし、それが、その後の一連の発言となって爆発した。しかし、それでは、単に首相が”かっとなって暴言を吐いた”だけになるので、そこで、上述したような枝野氏の戦略に乗って、官邸が「全面撤退は誤解」であると認識していた事実を”ぼかす”戦術に出たのではないか。

 KH氏との論争は、以上のような新たな判断を私にもたらしてくれたという意味で大変有意義でした。それにしても、もしこれが事実だとしたら、なかなか巧妙な作戦ですね。官邸の誤解を「東電の黒幕的体質」の所為にすることもできたし、それは東電バッシングの世論に合致するし、さらに、菅氏の東電本部での「侮辱的発言」も東電の所為にできるし、仮にそれが誤解に基ずくものであると分かったとしても、結果的に、それが「東電に強い覚悟を迫る言葉」になったという理由で、これを評価することもできますから!

 だが、真実は一つ。菅氏は単に”カッとなって東電社員に当たり散らした”だけではなかったか。菅首相は「全面撤退」などないと知りながら、東電に対する不満を怒りにまかせて爆発させた。世間には、これが「菅首相が東電の敵前逃亡を阻止した」と発言と受け取られた。いうまでもなく、これは、死力を尽くして事故対応に当たっていた東電社員に対する最大の侮辱だったわけですが、氏はその責任をほっかむりしたまま、彼らを踏み台にしたまま、自分だけがヒーローになろうとした。

 しかし、その後の調査で自分たちの「誤解」がばれそうになった。そこで、その「誤解」を東電の所為にすることで、上述したような逃げ道を作ろうとした・・・。呆れた話だと思いませんか。普通の人間だったら、自分の言動がマスコミに誤って報道された事を知った時点でそれを訂正し、相手に非礼を詫びるものです。菅首相等はそれをせず、自分らの「誤解」も東電の所為にして、自分たちだけヒーローになろうとした・・・こんなこと見過ごされていいものでしょうか。