朝日新聞は、自社の政治的主張を正当化するために事実報道を歪めている!

2014年8月20日 (水)

 またもや朝日新聞の誤報というか曲解が問題となっていますね。今回の朝日の主張は次の通りです。(2014年5月2日以降の朝日新聞特集記事「吉田調書」より抜粋)

「東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。」

「暴走する原子炉を残し、福島第一原発の所員の9割が現場を離脱したという事実をどう受け止めたら良いのか。吉田調書が突きつける現実は、重い課題を投げかけてくる。」

「吉田氏は所員の9割が自らの待機命令に違反したことを知った時、「しょうがないな」と思ったと率直に語っている。残り1割の所員も原子炉爆発の場合の大量被曝を避けるため、原子炉を運転・制御する中央制御室でなく、免震重要棟2階の緊急時対策室にほぼ詰めており、圧力や水位など原子炉の状態を監視できない時間が続いた。」

「吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ。その時、誰が対処するのか。当事者ではない消防や自衛隊か。原発事故に対応する特殊部隊を創設するのか。それとも米国に頼るのか。」

こうした「現実を直視した議論はほとんど行われていない。自治体は何を信用して避難計画を作れば良いのか。その問いに答えを出さないまま、原発を再稼働して良いはずはない。」

「貴重な証言を読むと、根源的な疑問が浮かぶ。原発とは、一民間企業である電力会社に任せていいものなのか、と。」

「東京電力はただちに事実関係を明らかにすべきだ。この問題を正面から議論せずに原発運転を任せることはできない。」

「政府は事故調の資料をすべて公開し、「福島の教訓」を国民的にくみ取る努力を尽くすべきだ。それなしに、再稼働へ突き進むことに反対する。」

つまり「最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。」というのが 「多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。」というのです。

これに対して、産経新聞が、本紙は、東京電力福島第1原発事故に関し、政府事故調査・検証委員会が吉田昌郎所長から聴取した「吉田調書」の全文を入手」したとして、「同じ調書を入手した朝日新聞が、吉田氏自身が明確に否定しているにもかかわらず、現場関係者が吉田氏の命令に背いて「撤退」したと断じていること」について次のように批判しています。

「吉田氏は東電が事故発生3日後の14日から15日にかけて第1原発から「全面撤退」しようとしていたとする菅直人首相(当時)らの主張を強く否定し、官邸からの電話指示が混乱を招いた実態を証言している。吉田氏は一方で、現場にとどまった所員には感謝を示すなど、極限状態での手探りの事故対応の様子を生々しく語っている。」

「それによると、吉田氏は聴取担当者の「例えば、(東電)本店から、全員逃げろとか、そういう話は」との質問に「全くない」と明確に否定した。細野豪志首相補佐官(当時)に事前に電話し「(事務関係者ら)関係ない人は退避させる必要があると私は考えています。今、そういう準備もしています」と話したことも明かした。」

「特に、東電の全面撤退を疑い、15日早朝に東電本店に乗り込んで「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と怒鳴った菅氏に対する評価は手厳しい。吉田氏は「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉を使うわけがない」などと、菅氏を批判している。」

「朝日新聞は、吉田調書を基に5月20日付朝刊で「所長命令に違反 原発撤退」「福島第1 所員の9割」と書き、23年3月15日朝に第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していたと指摘している。

ところが実際に調書を読むと、吉田氏は「伝言ゲーム」による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない。

また、「退避」は指示しているものの「待機」を命じてはいない。反対に質問者が「すぐに何かをしなければいけないという人以外はとりあえず一旦」と尋ねると、吉田氏が「2F(第2原発)とか、そういうところに退避していただく」と答える(次の)場面は出てくる。

吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」

 --細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)

 吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」

 --15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる

 吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第2に行けという指示をしたんです。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないなと。2Fに着いたあと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」

--所長の頭の中では1F(第1原発)周辺でと

 吉田氏「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりでいったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していて死んでしまう。よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しい」

 --退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと

 吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう。それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の人間を退避させることは考えていると言った」

 --本店から逃げろというような話は

 吉田氏「全くない」

 --「撤退」という言葉は使ったか

 吉田氏「使いません、『撤退』なんて」

--使わないですね

 吉田氏「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」

 --政治家ではそういう話になってしまっている

 吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」

 --ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)

 吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」

 〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言した〉

 --この事故調を自分(菅氏)が作っている

 吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」(肩書は当時)

また、「第2への退避、吉田氏「正しかった」 元所員「命令違反ではない」本紙に証言」(2014年8月18日)では、
「当時、現場にいた複数の元所員も産経新聞の取材に「命令違反」を否定した。40代の元所員は「第1原発では乾パンや水しかなく環境は日に日に悪化しており、第1のどこかに待機するというのはありえない」と語る。吉田氏の命令は第2への退避と受け止めたという。

 別の中堅元所員も「第1原発にいた所員は、退避するなら第2へという共通認識があった。それが吉田氏の命令違反であるはずがない」と証言した。

 当時、第1原発にとどまったのは吉田氏ら69人。15日昼ごろには第2に退避していた多数の人が戻った。

 吉田氏と一緒に現場にとどまったベテランの元所員は「(第1に)残りたいという人ばかりだった。第2までの道は崖崩れの危険があったから、退避した人から『第2に無事に到着した』という連絡があったときには、第1に残った人は『ああよかった』とお互いに喜び合った」と語る。

 別の東電関係者も「当時自家用車で第2へ退避した人も多く、逃げるのであればそのまま避難所にいる家族のもとに行っているはずだ。しかし、彼らは第1へ戻ってきた」と話した。」

その上で、吉田所長は「私が指揮官として合格だったかどうか、私は全然できませんけども、部下たちはそういう意味では、日本で有数の手が動く技術屋だった」と絶賛した。

 3号機爆発直後は、高線量のがれき撤去や注水のためのホース交換をしなければならず、作業員を危険な現場に送り出さざるを得なかった。吉田氏は「注水の準備に即応してくれと、頭を下げて頼んだ。本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と、危険を顧みずに職務を全うしようとする姿をたたえた。」

さて、この両者「吉田調書」の読み方、どちらが正しいでしょうか。

朝日のこの記事の目的が、原発再稼働阻止と言う政治目的にあることははっきりしています。つまり、この目的のために、「吉田調書」の、吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。」という証言を根拠に、「東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。」そのため、「その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。」さらに、「残り1割の所員も原子炉爆発の場合の大量被曝を避けるため、原子炉を運転・制御する中央制御室でなく、免震重要棟2階の緊急時対策室にほぼ詰めており、圧力や水位など原子炉の状態を監視できない時間が続いた。」

つまり、事故が深刻化したのは、このように、事故対応に当たるべき者が「逃げた」のが現実であり、こうした「福島原発事故の収束作業の実相」に目を背けて、原発再稼働に走るべきではない、と言っているのです。

これに対して、産経は、吉田調書を次のように紹介し朝日の見解に反論しています。

確かに吉田所長は2Fに行けとは言っておらず、バスを用意しておけといっただけだが、職員は退避先は2Fと受けとり、1Fにとどまった69人以外の約650人が2Fに退避した。しかし、これを吉田所長は命令違反とは認識しておらず、退避先は2Fの方が正しかったとしている。朝日はこれを命令違反とし、この2Fへの撤退によって事故対応が不十分になった可能性がある、としているが、吉田所長は、この退避は、あくまで「注水とか最低限の人間は置いてお」き、それ以外の職員を退避させるためのものだった。つまり、彼らは命令違反で撤退(=逃げた)わけではない。その証拠に、退避した職員の多くがその後1Fに戻ってきた。

とりわけ吉田所長が怒っているのは、こうした福島第一原子力発電所における事故対応について、菅首相が逃げたと言ったとか言わないとか言っていることについてです。

「何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。」「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」

つまり、吉田所長は、現場から全面撤退などと言うことを考えたことはなく、線量の増大や食料はじめ居住環境の悪化からF1には「注水とか最低限の人間は置いてお」き、それ以外の職員をF2に一時的に退避させただけだと言っているのです。朝日は吉田氏の先に紹介した証言を根拠に、所員の約9割の650名が氏の命令を無視してF2に撤退した、そのため事故対応が不十分になった、と言っているわけですが、少なくともF1現場に関する限り、これは朝日の原発再稼働反対という政治「目的」を達成するための悪意あるプロパガンダというべきでしょう。

では、東電本社のこのことについての意向はどうだったのでしょうか。最近、寺田某と言う当時の民主党政権でこの問題の処理に当たった若手政治家が、現場はともかく東電本社の意向は「全面撤退」だった、というようなことをいっていますが、実は、ここには、次のような民主党政権の卑劣きわまる「ウソ」が隠されているのです。このことについて私は、2012年8月23日の私ブログ「竹林の国から」で指摘していますので、ここに再掲しておきます。

結論を先に言わせていただければ、次のようなことです。

菅首相は単に”カッとなって東電社員に当たり散らした”だけ。氏は東電との事前折衝で「全面撤退」などないと知りながら、東電に乗り込んだとき、”イラ菅”よろしく東電に対する不満を爆発させ”逃げよったって逃げられないぞ・・・”と喚いた。世間には、これが「菅首相が東電の敵前逃亡を阻止した」と発言と受け取られた。いうまでもなく、これは、死力を尽くして事故対応に当たっていた東電社員に対する最大の侮辱だった。普通なら、マスコミが菅首相の喚きを誤解して報じたことについて、すぐに訂正すべきだが、氏はその責任をほっかむりしたまま、自分らの「誤解」も東電の所為にして、自分たちだけマスコミヒーローになろうとした・・・