「国民統合の象徴」として求められる天皇及び皇室の姿

令和3年7月8日

   近年、秋篠宮家の真子内親王の結婚問題を巡って皇室の在り方がSNS上で問題になっています。一般のメディアでは不敬にあたると言うことでしょうか、正面から議論されてはいませんが、これは、皇族としての義務と個人的人権とのバランスを巡る問題で、ひいては、皇室における「皇族教育」の問題に帰結するのではないかと思われます。
 wikii「皇族」には次のようなことが書かれています。
 「皇族も、日本国憲法第10条に規定された日本国籍を有する「日本国民」である。皇室典範その他の法律により若干の制限はあるものの一般の国民との差異は本来大きいものではない。
 皇族の参政権は、皇族が戸籍を有しないため(詳細後述)公職選挙法付則により当分の間停止されているだけである。しかし、実態として皇族の権利や自由は大きく制約されている。これは「『皇族という特別な地位にあり、天皇と同じように制限されるべきだ』という考え方が市民の間で根強かったため」であるとされる。このため、一般国民とは異なる取り扱いがなされている面が多くある。
 具体的には、事実上、皇族に対しては日本国憲法第3章(国民の権利及び義務(第10条〜第40条))が一部適用されないということである。」
 その適用されない主なものは、

1.家父長制下にあること。
2.参政権(選挙権・被選挙権)が停止されていること。
3,住民基本台帳に登録されず皇統譜に記録されること。
4.国民健康保険に加入する義務・権利がない。医療費は全額自費負担となる。
5.内廷費や、皇族としての品位保持の資に充てるために皇族費が国庫から支出される一  方で、財産の賜与(贈与)及び譲受に関して日本国憲法と皇室経済法による強い規制がある。
6.全ての皇族は、どこに赴く際にも必ず護衛が付く。
7.信教の自由がない。法令で義務付けられたものではないが、宮中祭祀という宗教行事  があるために実質上、皇室構成員全員は神道の信徒である、等々。
 なお、現在、問題となっている眞子内親王の結婚の自由については、秋篠宮は憲法第24条に基づいて「両性の合意で結婚できる、といっていますが、憲法学者の木村草太は次のように評しています。
 「秋篠宮皇嗣が昨秋の誕生日に際した会見で言及されたように、婚姻は『両性の合意に基づいて成立』と規定されています。双方の当事者の意思があれば、両親の同意などはいらないということです。しかしこれが眞子さまにも適用されるのかと言えば、どうでしょう。私は適用されないと考えます」
 その理由は、現在議論されているように女系宮家の創設により将来その子どもが天皇になる可能性があることや、摂政になる可能性があるためで、その時、「『国民統合の象徴』である天皇について、「多くの国民が『この方は象徴だ』」と承認せず、『この人の親族にこんな人がいる』『国民として恥ずかしい』と思われてしまうと、象徴という立場が成立しないからだ・・・。
 ここに、日本の天皇制の独特の性格があります。問題は、「国民統合の象徴」としての天皇の地位が、皇族全体に及ぼす影響はどのようなものかということで、特に重要なのが政治的中立性を保つということ、国民の基本的倫理観において一定の品位と水準を保つことではないかと思われます。

 前者については、
 日本国憲法第三条に、天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
 第四条【天皇の権能の限界、天皇の国事行為の委任】天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない、となっており、この場合の内閣と天皇の意思の疎通は、内閣の内奏によって行われることになっています。
 問題は後者で、この「国民統合の象徴」として求められる日本人の基本的倫理感に基づく行動規範が必ずしもはっきりしないということで、これは、戦後の天皇制批判と皇族の人権尊重の流れの中で曖昧となり、それが眞子内親王の結婚問題を契機に、その問題点が一気に浮上したのではないかと思われます。
 そこで参考までに、今上陛下が戒めとされていると伝えられる花園天皇の『誡太子書』を紹介しておきたいと思います。

 ――私は聞く、天が人民を生じ、この人民が君主を立てて司牧する、その理由はそれが人間を利するからであると。民衆は暗愚であるからこれを教導するに仁と義をもってし、また凡俗は無知であるからこれを統治するに政術をもってすること。ではその才のないものはどうすべきか、その者はその位(天皇の位)にあってはならない。人民の中の一官ですら、これをその才なきものに任ずれば「天事を乱る」という。まして天皇という位においてをや、「慎まざるべからず、懼れざるべからず」である。

 しかし皇太子は「宮人之手」で成長したので、未だ一般人民の急(困窮患難)を知らない。「綺羅の服飾を衣て織紡の労を思ふ無し」であり、いつむ御馳走に飽いていても稼穡(かしょく、農耕・収穫)の困難を知らず、国家に対しては何の功もなく、人民に対しては何一つ恩恵を与えたことはない。そしてただ天皇家の子孫だからという理由だけで、ただそれだけで将来、万乗の天皇の位につこうとしている。これといった徳があるわけでもないのに王侯の上に位置し、何一つ功もないのに人民の上に臨む。どうしてこれを恥じないでいられよう。

 さらに皇太子は、詩書礼楽のうち何か修得したものがあるのか、また民を御する道を知っているのか、自分で反省してみてほしい。もし温柔敦厚の教えを自らのものとし、疎通知遠の道の真意に達しているのならまだよいが、たとえそうであってもなお十分でないのではないかと恐れるべきことなのだ。ましてまだこの道徳を備えないで、どうして登位することができようか。それでは網を捨てて魚のかかるを待ち、耕さずして穀物の実るのを待つと同様に、その位を得ることはむずかしいであろう。確かに、強引に努めればこれを入手することはできよう(後醍醐天皇への批判か?)。だがそれは、保持できるということではない。秦が強大でも漢に併呑され、隋の揚帝がいかに盛んでも唐に亡ぼされた通りである。

 以上のように私か言えば、宮廷の謟諛(とうゆ)の愚人がきっというであろう。日本は外国と違って皇胤一統で、徳によって政権が移り、また武力によって多くのものが帝位を目ざす外国と同じでない。従って徳が少なくとも隣国からつけこまれることもないし、政治が乱れても「異姓」が帝位を奪う心配もない。これは先祖の伝来の功徳で外国にはないことなのだから、この先代の余風をうけて、大過なければ「守文の良主」なのだから、それで十分である。何か故にこのうえさらに無理をして余計な徳などつもうとするか、大過なければよい、大過なければよいと。そして宮廷の女性の無知なる者は、またみなその通りというであろう。しかし私は、これは実に大きく深い誤りであると思う。

 すなわち「事迹は未だ顕われずと雖も、物理は乃ち炳然(へいぜん)たり」である。こういう時に、「薄徳を以て神器を保たんと欲するも」どうしてそれを道理が許すであろう。これを思えば、まさに累卵の危きといえる。たとえわが国は「異姓」が帝位をうかがうことはないと言っても、一国の運命・天皇家の運命が延びるもちぢむも、この理によるのである。加うるに中古以来兵乱がつづいて、帝威は衰えている。どうしてこれを悲しまないでおられよう。太子はよく前代の興廃の理由を観察されるがよい。見本は、すぐ目の前に、はっきりとあるではないか。

 世の中はすでに乱世になりかかっている。人びとはみな暴悪になっている。従ってすべてのことをよく知り、裏も表もわかっていないで、どうしてこの悖乱(はいらん)の人びとを統御できようか。太平の時になれて平凡人は乱を知らない。また太平の時なら平凡な君主でも治めることができるであろう。それは、その時勢の勢いで治まるからである今は確かにまだ大乱とはいえない。しかし乱の萌芽が見えてすでに久しい。この原因は絶対に一朝一夕でできたものではない。

 そういう時にあたっては「内に哲明の叡聡あり外に通方の神栄あるに非ずば、乱国に立つを得ず」と。では一体これに対して具体的にはどうすればよいか。恩賞で武士団を味方につけるか、乱世に備えて公家の武家化を計るか、否、そうではない。そういう方法では、何も解決しない。それは目前の政争の処理にすぎず、むしろ一日屈を受くるも、百年の栄を保たば猶忍ずべし」の道を選ぶべきである。

彼はつづけて言う。

 「今時の凡人はこのことを知らない。しかし詩書礼楽によらざるものは、治めることはできない」。従って「寸陰を重んじ、夜を以て日に続ぎ、宜しく研精すべし」である。しかしたとえ「学百家を渉り、国に六経を誦するも」それで儒教の奥義をきわめたと思ってはならない。ましてわずかばかり学んで「治国の術を求むるは」あぶが千里を思い、せきれいが九天を望むより愚かなことである。従って学びに学んで経書に精通したら、日々それで自分を評価して反省していけば、経書の精神に自分が似てくるようになるであろう。必要なのはそのことである。

 すなわち「学の要」とは、ここにまず至ってから、次に物事に対する正しい知識、将来への判断、天命の終始の知得、時運の見通しをはじめ、先代興廃の跡をよく探求する等、まことに「変化きわまりないもの」なのである。諸子百家の文を暗誦したり、巧みに詩賦を作ったり、うまく議論をするなどということは、群僚がそれぞれやればよいことで、君主が自らこれに労する必要はない。『寛平聖主遺遺誡』に「天子雑文に入って日を消すべからず」と言っているのは、このことである。

 最近は愚かな儒者たちがいて、まことに凡才であって、ただ徒らに仁義仁義とその名を守るだけで、儒者とは何であるかを理解していない。これはただ言葉を集めているだけ、ただ知識の集積で、これでは労ばかりで功はない。

 と思うと最近は、その逆の一群の学徒もいる。すなわち聖人の言葉をわずか一言聞いただけで、あとは自分で何もかも臆測してわかったつもりになり、仏教や老子の言葉を借りて、ただ中庸中庸と強調し、「湛然盈寂(たんぜんえいじゃく)の理を以て儒の本となし」、「仁義忠孝の道は知らず」「法度に協わず礼義を弁ぜず」である。

 その人たちが無欲清浄であることは一応立派だと思うが、これはむしろ老荘の道であって孔孟の教えでなく、儒教とは根本的には違うから、治国の道としてはとるべきでない。たとえ学の道に入ったとしても、このように失敗は多いのである。「深く自ら之を慎み、宜しく益友を以て切磋せしむべし」

 学問ですらなお誤りがあり、道は遠い。ましてそのほかのことにおいてをや、である。深く自らを誠めて過ちを防がねばならない。いまの小人が習う所は、ただ俗事だけである。たとえ生知の徳があっても、これに染まることは恐ろしい。そんなことをしていては、到底上知に到達はできない。徳を立て学を成すの道は、そういうものには全く関係がない。ああ何と悲しいことであるか。こうなってしまっては、先皇の諸業はたちまち墜ちてしまう――そして今やそうなろうとしている(後醍醐帝批判?)。

 私自身は、生来、拙であって智も浅いが、それでもほぼ典籍を学び、徳義を成して、王道を興そうとしたのは何故であったか。これはただ宗廟の祀を絶たないがためであった。宗廟の祀を絶たないのは、ただに太子の徳にあるのである。他にない。徳を廃して修めなければ、学の所の道もまた用いることができない。これでは「胸を撃て哭泣(こくきゅう)し、天を呼んで大息する所」となる。最大の不幸は、その代に祀を絶つことである。

 なぜそうなってはならないか、「学功立ち徳義成らぱ、ただに帝業の当年を盈(みたす)にするのみならず、亦即ち美名を来葉に胎(のこ)し、上は大孝を累祖に致し、下は厚徳を百姓(万民)に加えん」となるからである。それは人民のためである。従って、常に「慎まざるべけんや、懼れざるべけんや」である。そしてそうなれば「高うして而して危からず、満て而して溢れず」である。そしてまた世に、これほど楽しいことがあろうか。すなわち書中で聖賢とまじわり、「一窓を出でずして千里を見、寸陰を過ぎずして万古を経」。楽の最大なるもの、これ以上のものがあるはずがない。「道を楽むと乱に遇うと」はまさに憂と喜の大きな差である。これは自らの決断において選択すべきことであるから、「よろしく、審に思うべき而已」である。――(『山本七平の日本の歴史(上)』(p235)ビジネス社