小沢氏会見について――戦前の政党政治を破壊した第一の責任は、政治家にあった

2011年10月 8日 (土)

10月6日の「小沢氏会見」を見聞して、その威圧的な態度に恐れをなした人も多かったのではないかと思います。だが、日本は、小沢氏もいう通り「民主主義国家・法治国家」であって、暴力ではなく言論によって政治が行われるべきですので、氏の今回の主張のおかしな部分について、私なりの意見を申し述べておきたいと思います。

 第一の問題点は、小沢氏の「三権分立」の考え方でしょう。氏は記者の「公判がスタートしたとはいえ、司法の場とは別に国会で説明責任を果たす考えはあるか」という問いに対して次のように答えています

 「三権分立を君はどう考えているの? だから、ちゃんとよく勉強して筋道立った質問してください。司法で裁判所っちゅうのは、最高の、最終の法に基づき、根拠に、証拠に基づいて判断をする場所でしょ? それが、いろいろな力や感情によって結果が左右されるようなことになってはいけないから、司法は司法で独立しているわけでしょ。うん。もうちょっと勉強してから、また質問をしてください。」

 ここでは、三権分立の原則に基づき、司法、立法、行政はそれぞれ独立した権限をもっているから、司法権を行使する裁判所が裁判を始めたら、他の二権はこの問題を扱えない(「それに干渉できない」を訂正10/9)といっています。でもこれはおかしい。立法権を有する議会が裁判に干渉すれば問題ですが、裁判とは別の観点で、例えば「政治家としての」国民に対する説明責任を求めることはできます。

 確かに、政治家も「法によってのみ裁かれる」わけですが、「法に違反していなければ何をしてもいい」ということにはならない。政治家はあくまで「選良」であって、最低限の国民的モラルや人格を求められる。ただ、国会での証言には偽証罪が適用されるから、被告の裁判上の黙秘権が侵害されることになる、との意見もあるようですが、「実質的犯罪はまったく行っていない」と小沢氏がいうのなら、国会での証言を怖れる必要はありません。なのに、それを三権分立を盾に拒否するということは、「偽証罪」を怖れているのだな、と解釈せざるを得ません。

第二の問題点は、「それ以上に本件で特に許せないのは主権者たる国民から何も負託されていない検察、法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜(ぼうとく)侵害したことであります」といっていることです。

 戦前には「検察ファッショ」といわれた事例があり、また戦後も、「国策捜査」と批判されるような事例があることも事実です。「国策捜査」は、「起訴する権限を独占している官僚たる検察官の集団で民主的基盤を欠く検察が、何らかの政治的意図や世論の風向きによって捜査をおこなう」ような場合のことで、それでは検察がポピュリズムの荷担することになりますので、「権力の濫用」になります。

 しかし、小沢氏の政治資金の集め方に対する国民一般の厳しい評価は、決して「ポピュリズム」で片付けられるものではありません。私の印象としては、「法に違反しなければ何をしてもかまわない」、というより、その法は氏が作ったようなものですから、「あらかじめ法の抜け道を作っておき、それを熟知した上で”脱法的行為”を繰り返した」ように見えます。西松建設からうけた政治資金の問題。数十億に上るとされる政党助成金の氏の政治資金団体への「寄付」の問題。仮にその「法的責任」を免れるとしても、政治家としてのモラルを問わざるを得ません。

 従って、こうした問題について、特捜検察が「政治家汚職、大型脱税、経済事件を独自に捜査・立件する権限」を持ち権力腐敗を防止しようとするのは当然のことです。それ故に、検察の地位は「三権のうち、行政権に属する官庁であるが、国民の権利保持の観点から俗に準司法機関とも呼ばれ」ているのです。

 「もっとも、時代に応じた取り締まりの必要性を判断するのは、本来は検察でなく立法機関たる国会の役割である。佐藤優は、政治家という「フォワード」がだらしないので、検察官という「ゴールキーパー」がどこででも手を使おうとする状況がある」(wiki「検察官」参照)といっています。確かに特捜もチェックされるべきですが、問題の焦点は、”政治家という「フォワード」がだらしない”ことにあるわけで、この”だらしなさ”を小沢氏は象徴しているように私には思われます。(10/8 21:22訂正)

 その意味で、今回の場合は、「土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜(ぼうとく)侵害」しているのはむしろ小沢氏の方ではないかという気がしました。小沢氏がそれを記者会見まで開いて、国民にあのような訴え方をしたのは、私には、いささか”盗っ人猛々しい”ことのように思われました。

 また、このことに関わって、小沢氏は、日本の戦前の歴史の失敗を例に出して、検察やマスコミなどを次のように批判しています。

 「日本は戦前、行政官僚、軍人官僚、検察警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで国家権力を濫用し、政党政治を破壊しました。その結果は無謀な戦争への突入と、悲惨な敗戦という悲劇でありました。教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません」

 日本の戦前の政党政治を破壊したのは「行政官僚、軍人官僚、検察警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで国家権力を濫用」したためだ、というわけですが、では、政治家の責任はなかったのか、と私は問いたいと思います。

 私は、本稿のタイトルにも示したように、戦前の日本の政党政治を破壊したのは、「官僚、軍人、検察、財界、マスコミ」というより、むしろ政治家だった、と考えています。

 よく、昭和の無謀な戦争をもたらした元凶として、「軍の統帥権」が問題とされます。しかし、この「統帥権」を軍にたきつけ、それを政治問題化することによって当時の「民政党」からの政権奪取を図ろうとしたのは「政友会」の政治家たち(犬養毅、鳩山一郎など)であって、特に幹事長森恪がその首謀者であったことは、はっきりと認識しておく必要があります。

 <森格の伝記には「森は中国大陸からアメリカの勢力を駆逐するのでなければ、とうてい日本の指導権を確立することはできない、満蒙を確保するためには、対米七割の海軍力は絶対必要な兵力であるとの考えを持ち、ロンドン条約の成立を阻止するため、もっぱら宇垣陸相と軍令部方面に働きかけ、国民大会を開いて条約否決、倒閣を工作し、森の意を受けた久原房之助、内田伸也は枢密院工作を行った」と記されています。

 (また)「岡田日記によれば、五月から六月にかけて、山本悌二郎、久原房之助、鈴木喜三郎などの政友会の幹部が岡田大将を訪問し、手を変え品を変えて、海軍をして国防不安なりといわせようと策動しており、また六月十日の加藤軍令部長の帷幄上奏を森が前もって知っていた事実などから見て、軍令部豹変の背後に政友会があったことは間違いないものと思われる。財部海相自身も、後日統帥権問題に就いての知人の質問に『あれは政友会のやった策動であった』」と答えています。(『太平洋戦争への道1』p110)

 つまり、統帥権干犯問題というのは、それを最初に発想したのは北一輝ですが、それを議会に持ち込み政治問題化したのは、軍ではなくて政治家だったのです。では、なぜ森恪は、「責任内閣の国防に関する責任と権能を否定せんとするが如き」統帥権干犯問題を引き起こしたのでしょうか。言うまでもなく森は、第二次南京事件以来、軍縮に不満を持つ軍人らを政治的に巻き込み、その実力で以て自らの大陸政策を推進しようとしており、この時も、「兵力問題」を「統帥権問題」に転化し政治問題化することで、民政党からの政権奪還を図ろうとしていました。>

 つまり、<大正末から昭和初期の段階で比較的正しい政治判断をしていたのは、むしろ官僚(主として外務)であって、それをぶち壊し、日本を破滅へと導いたのは、政治家(特に森恪を中心とする政友会)だった>のです。要するに、<時の政治家が、軍人という「世論に惑はず政治に拘わらず」とされた専門家集団を、党利党略で政治に引き込んだ結果、「庇を貸して母屋を取られた」格好になった>のです。

 <それは山東出兵に始まり、東方会議で軍人が政治に関与する糸口を作り(「田中メモランダム」は偽書とされますが、この文書は東方会議なしには作られなかった)、済南事件で日本軍が北伐軍を攻撃し蒋介石を敵に回し、さらに張作霖爆殺事件で満州の張学良を敵に回した。それが、中国人のナショナリズムの炎に油をそそぐことになり、中国の国権回復運動から満州における日本の特殊権益の侵害、さらには旅大回収運動へと発展していった・・・。

 注目すべきは、石原完爾などは、そうした満州における状況の悪化を、日本が満州を武力占領するための口実にできると機をうかがっていたということです。ほんとは、石原は中村大尉事件で出兵したかったのですが、それが許されず、そこで、政府が関東軍の暴走を怖れて止めに入ったことに機先を制する形で、かねて計画していた満州占領計画を、政府や軍中央はおろか天皇の意思も無視して実行したのです。

 そして、この計画を政友会幹事長であったの森恪は知っていて、満州事変が引き起こされる直前の昭和6年9月9日の講演で、次のように語っています。「(支那満州について)要するにどうしても現在のままでおくことはできない。・・・然らばこれを如何に展開するか。我々は一つの手段方法を有って居る。けれども角力は、この取り組みはこう云う手で敵を倒すというようなことを発表したならば、角力は取れぬ。」(「名古屋市公会堂における講演」)>(以上、エントリー「昭和の青年将校はなぜ暴走したか(最終回)――自己評価と社会評価のギャップが生んだ悲劇」参照)

 このように、日本の政党政治を、政権奪取のための党利党略から「軍を政治に巻き込み」破壊したのは、誰あろう政治家自身だったのです。小沢氏は、「本件で特に許せないのは主権者たる国民から何も負託されていない検察、法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒涜(ぼうとく)侵害した」といっていますが、これはいいかえれば「国民から負託された政治家が最高権力者だ」ということです。

 確かに、民主主義社会では政治権力の正統性は「国民の負託を受けている」ことにあり、国家の最高権力は政治家が行使すべきでしょう。しかし、それだからこそ、政治家は「法に反しなければ何をしてもいい」ということにはならない。先ほど、「国民のもつ最低限のモラル」ということを申しましたが、法以前に、政治家として自らを律すべき最低限のモラルが要請される。

 その第一が、政治家の「出処進退」ということでしょう。その権力至上主義、指導者(=武士)の風上にも置けない”いさぎ(潔)の悪さ”。秘書らに責任を転嫁して平然たる無情。4億円?ものタンス預金。巨額の政党助成金による蓄財?。それに、今回の記者会見に限らない恫喝まがいの一方的論理、口吻等々・・・。およそ現代民主政治家としての基本的資質を欠いているように私には思われます。

 政治主導・・・?民主政治においてはそれは当然です。だからこそ権力乱用に陥らない、自らを厳しく律する規範意識が政治家に求められる。だが、その自浄作用だけで済むわけはない。当然、その最高権力は、権力分立による相互牽制が図られるべきであり、マスコミも恫喝に屈せず、事実の報道に努めなければならない。(この点今回のフリー記者の質問はまさに”ヨイショ”でしたね。)そして、政治家を選んだ責任は最終的には国民が負わなければならない。

 戦前昭和における無謀な戦争の責任は、第一に政治家にあった。この事実を、「政治主導」が叫ばれる今日、肝に銘じる必要があると思います。

 なお、以上のような私の判断は、小沢氏の著書『日本改造計画』以来の氏の言動の変化を踏まえた、氏一流の「党利党略」に対する疑問がそのベースになっています。自民党はそれに騙され、民主党はそれによって政権の座につき、日教組の輿石氏は小沢氏のそうした能力を高く評価しているわけです。だが嘘は必ず相応の代償を伴う。その代償を支払わされるのは果たして誰でしょうか。戦前の歴史に学ぶべき点はここにあると思います。(山本七平学のすすめ「小沢一郎の権力意思と歴史認識」参照(下線部追記10/9 11:39)

最終校正10/8 21:54