小沢政治の評価と、その行方

2010年2月 3日 (水)

 2月3日、小沢氏の政治資金規正法違反事件をめぐって、検察庁は最高検などと協議し、小沢氏を在宅起訴するか、嫌疑不十分で不起訴処分とするかについて、結論を出すとみられる、といった報道がなされています。一部では、検察は起訴を断念する方向、という報道もなされています。

 一方、立花隆氏は、2月2日、小沢氏が検察の二度目の取り調べを受けたことを次のように行っています。

 「はっきりいって、小沢はもう終りと見てよいだろう。検察が二度目の事情聴取に踏み切るのは異例のことである。検察が目算なしに有力政治家の事情聴取に踏み切ることもなければ、秘書の逮捕(それも前元あわせ一挙に三人もの)に踏み切ることもない。ましてや二度目の本人事情聴取に踏み切ることはない。」http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100202-00000301-gtwo-pol

 さてどうなるか、ですが、前回申し上げた通り、仮に小沢氏の起訴が見送られるとしても、政治的に氏が生き残ることはないだろうと思います。その最大のウイークポイントが「裏献金」(この捜査が打ち切られるとは思わない)であることはいうまでもありませんが、私が最大の問題点であると思うのは、前回も指摘しましたがその「正論」に対する”疑惑”です。

 人の思想信条は自由です。だから右でも左でもかまわない。しかし、民主制下の政治家である限り、それ(その人自身の「正論」)を明確に表明しなければならない。その上に立ってその政治家の政策選択もなされているはず。そして国民はその言葉を信じて一票を投じたはずです。

 いや、実際にはそんなことで人は投票しているわけではない、という人もいるかと思いますが、少なくとも民主党のマニフェスト選挙とは、そうした政治スタイルを売り物にしたのであり、その結果、今回の政権獲得となったはずです。

 ところが、小沢氏の場合は、このマニフェストに示された「目玉政策」のみならず、それを支える氏の「正論」が単なる政権獲得のための手段、あるいは方便だった疑いが濃厚である。私はこれが氏の最大の問題点だと思います。

 元外務相主任分析官(外務省のラスプーチンと評された)佐藤優氏は、いや、小沢氏が『改造論』で表明した「普通の国」論はいまも生きている、と次のように小沢氏の隠された政治的意図を説明しています。

 冷戦構造化における政治体制は、日米安保+象徴天皇制+官僚支配構造だが、それが終結した今日、まずこの官僚支配構造が打破されなければならない。つまり、今後の日本の政治は、二大政党制下の政党の切磋琢磨によって運営されなければならない。では、その究極の理念は何か。

 それは、必然的に「列強間の帝国主義」的運営とならざるを得ない国際社会において、特に国連の治安維持活動に積極的に参加することによって日本も列強としての資格を獲得すること。そうすることで国連という枠組みの中における利益を追求し、共同体としての生き残りをはかることである。それが氏の「国連中心主義」の真の意味だ、というのです。

 この佐藤優氏の所論については氏の宗教論も含めて今後勉強していこうと思っていますが、氏は、小沢氏の表向きの「正論」の変化について、それを「政治的センスの良さ」として評価しています。その一方で、現代の国際社会は「資本主義の宿痾」としての”自由競争的メカニズム”から逃れられない。従って、その「資本の論理」を自覚的に受け入れることによって、「よりよい資本主義」を目指すべきだと説いています。

 つまり、ここで佐藤氏は、〇五年に民主党代表となった前原氏が「自民党と改革競争をする」と口走っていたことの政治的センスの無さを小沢氏との比較で指摘しているのです。しかし、これは政治家の本音の思想と国民向けの政治的宣伝とを使い分けるものであり、ここには、大衆を政治的煽動の対象としか見ない官僚的エリート主義が隠されているようにも見えます。

確かに、政治家に政治的センスは不可欠でしょう。しかし、政治家は自らの言葉には誠実であってもらいたい。この民族が歴史的に独自のプラグマティズムを発達させてきたことは事実ですが、それはあくまで「日本教」的枠組みの中で機能を発揮してきたことである。

明治以降の日本は、この伝統に立憲君主制という政治制度を継受することで、西欧諸国が作る国際的政治・経済秩序を生きてきた。ここで私たちに求められていることは、自らの思想を対象化することで「言葉による秩序」を形成する能力を身につけることではないか。

官僚もそして検察も、自らの権力行使について、言葉で明瞭にその根拠を国民に説明してもらいたい。また政治家は、自らの政治的信念と政策とを偽りなく国民に示していただきたい。それが民主主義社会における政治主導の要諦ではないか、私はそう思っています。

追伸 佐藤氏は次に小沢氏が目指すものは、日米関係の再構築さらに「象徴天皇制」だ、といっています。この指摘は、小沢氏の天皇発言ひいては佐藤氏自身の天皇制理解にも関わっていて大変興味深いところですが、追々勉強して私見を申し述べさせていただきたいと思っています。

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