「小沢VS検察」論の行方――再び政界再編となるか

2010年1月28日 (木)

 西松建設事件以来、再び、「小沢VS検察」論が話題を集めていますね。田原総一朗氏は『政界ここだけの話』「新聞が一斉に小沢批判を始めたのはなぜか」(参照)で次のように言っています。

 「西松建設事件関連で小沢氏の公設第一秘書大久保氏が政治資金規制法違反で逮捕された時、「私は、郷原信郎さん(名城大学教授・弁護士)とリクルート事件で主任検事を務めた宗像紀夫さん(元東京地検特捜部長)に『この逮捕をどう思いますか』と聞いてみた。すると、二人ともそろって同じ答えだった。

 『逮捕、それ自体はアンフェアだ。不当だと思う。しかし検察は、西松建設がらみで捜査することにより、別の事件を摘発するのではないか。おそらく小沢さんにかかわる収賄に近い事件だろう。そういうことがなければ、この逮捕は不当逮捕だ。』」

 その後「検察は、正義を必死になって国民にアピールするため、世田谷の土地購入問題に手をつけた。」

 それは「陸山会は2004年10月29日、土地代金約3億4000万円を支払った後、4億円の定期預金を担保として銀行から小沢氏の個人名義で同額の融資を受けていることが判明している。ところが、お金を銀行から借りたのが29日の午後で、実際に支払ったのは29日の午前だった。つまり、銀行から借りたお金で土地代金を払ったわけではない。」というものだった。

 「では、(その)土地購入の資金はどのような内容のものなのか。検察は今、それを懸命に捜査している。その資金について、小沢氏は16日の党大会で、『私が蓄えてきた個人資金。何ら不正なお金を使っているわけではない』と説明している。また、石川議員は『小沢氏がお父さんから引き継いだ遺産である』と供述しているという。」

 これに対して検察は「中堅建設会社『水谷建設』の元幹部が検察の聴取に、胆沢ダム(岩手県奥州市)関連工事を下請け受注した時期と重なる2004年10月と05年4月に、5000万円ずつ合計1億円を石川議員と大久保秘書に渡したと供述しているという。こうなると贈賄、収賄という問題が浮かび上がってくる。」

 「贈賄の時効は3年であり、収賄は5年。贈賄、つまり金を渡した側はすでに時効を過ぎていて、収賄はこの3月に時効を迎える。贈賄側は時効が過ぎているから、罪に問われない。これから何でもしゃべる可能性がある。検察はこれからもゼネコンを捜査し、小沢氏側の4億円の中身を解明していくだろう。」

 「ところが、ここでも問題がある。小沢氏をいくら追及したところで収賄罪は成立しない可能性が高い。なぜなら、小沢氏は当時野党だった。野党であれば職務権限はない。職務権限がなければ収賄にはならないので、罰することはできないのだ。」

 「では脱税で攻めるのか。鳩山首相はお母さんから12億円をもらい、税金を1銭も払っていなかったのだから、脱税で追及されてもよかったはずだ。ところが修正申告をして5億円の税金を支払い、何も罰せられなかった。それを考えると、同じ要件で小沢幹事長だけを罰することはできないだろう。」

 「ほかにどういう罪があるのか。せいぜい考えられるのは政治資金規正法違反(虚偽記入)だろう。(しかし)虚偽記入なら単なる形式違反だから、逮捕は難しい。」

 「検察は今後、『小沢一郎という人物はこんなにも悪いやつだ』という情報をどんどん流すだろう。そして、『小沢は逮捕すべきだ。罰するべきだ』という世論の盛り上がりを期待しているのではないか。」

 しかし「マスメディアは、こういうときこそ、(そうした検察の意図的なリークによる世論誘導に振り回されることなく)もっと事実を踏まえた報道に徹すべきである。最近の報道のあり方を見ていると、検察のお手伝いでもしているかのような印象を受ける。」

 この田原氏の議論を聞いた時、私は、かってロッキード裁判の証拠採用をめぐって、立花隆氏と渡部昇一氏などの間に交わされた激しい論争を思い出しました。それと同時に、山本七平がこの論争について次のような独自の見解を提示していたことを思い出し、今日の「小沢vs検察」をめぐる議論は、この事件の教訓を十分ふまえていないのではないか、と疑問に思いました。

以下、『派閥なぜそうなるか』山本七平p11~17)より

氷山の一角

 ロッキード社がカネをばらまいた、これはおそらく事実であろう。だがその対象が日本だけだったわけではあるまい。確かイタリアで問題になりかけたという話は聞いたが、それで終ってしまった。では中国はどうなんだろう、同じことかもしれない、何しろ中国の要人が日本へ来れば「目白詣で」をやるのだから。これが彼らの「悪之顕者禍浅、而隠者禍深」(菜根譚)という感覚なのだろう。こういう点で中国人とヨーロッパ人はどこか似たところがあり、日本人とアメリカ人には何か共通した心情かあるのだろうか・・・。だが、こんなことが頭をかすめたのは一瞬である。何しろ座談会は進行中だったから。

 渡部昇一氏にはじまり、石島泰氏、林修三氏、さらに倉田哲治氏のような本職法律家・弁護士、いわば法律の専門家の「ロッキード裁判」に対する批判、さらに立花隆氏の一連の「大反論」を読んでいるとき前記の言葉、意訳すれば「悪もあばかれて世に現れるようなものは、それほどの大悪でなく、その禍いは浅いが、隠れた悪は、その根が深く恐しい」を思い出した。というのは、立花氏は次のように記されているからである。

 「・・・法廷という土俵に登らされたロッキード事件は、ロッキード事件全体のごく一部であり、そこには『牛一頭がステーキ一枚に化けた』くらいの差があるのだということを、私は『裁判傍聴記』の第一回目で語っている」、そして法律の専門家はこのステーキ一枚に対して「あくまで、一般論、抽象論に固執して議論を組み立てていく」と。さらに氏は次のようにつづける。

 「一般に、一般論、抽象論のほうが、個別論、具体論より論理的整合性を保った議論を構築するのが容易である。後者はことの性質上、どうしても弁証法的にならざるを得ず、「しかしながら」論法が入ってくる。そこで、論理的整合性に目を奪われてしまうと、前者のほうが正しいように思われてくるかもしれない。しかし、その正しさとは、実は頭の中の世界における正しさにすぎず、この現実世界においては、後者のほうが正しいことはいうまでもない。

 同じ象の脚にさわってみるだけでも、象の総体を認識し、それが象の脚だという認識のもとにさわっている場合と、それが何であるかわからぬままにさわっている人とでは、認識がちがう。私かいいたかったのは、法律問題プロパーを論じるにしても、ちょっと目を上げて象の全体を見て、自分がさわっている脚の一部が、象の総体のどこに位置しているのかを見ておけということである。

 だがこの議論をさらに進めると、一頭の象だけでなく、「象群」という「派閥群」にも目をやり、その象群の中の一頭がどういう位置にあるかも見るべきだという方向に発展するであろう。

法の裁きと派閥

 ここで立花氏が問題とされる点は、角栄氏が一身に「顕」も「隠」も兼ねているという点であろう。そうなると、この問題は確かに立花氏のいわれるように「一般論、抽象論」では片づかない。「法」は「顕」には触れ得ても「隠」には触れ得ない。しかし「角栄問題」は「顕」と「隠」が暗部で密着している、それなのに「それに対して彼らは、裁判には法律問題という固有の領域があって、それは、一切の事実から切り離して考察可能なのだという見解に立つらしい。しかしそれは誤りである・・・」と氏はいわれる。ここで、法律の専門家と立花氏との意見が完全に分れるであろう。

 「・・・権力犯罪に対するにそれを擁護する側にまわるという自称人権派の弁護士がいたら、私はこれをエセ人権派と呼ぶにやぶさかでない。

 むろん、権力犯罪を犯した犯罪人にも人権はある。しかし、その人権が、一般国民の人権とくらべて不当に侵されているというのなら格別、あるいは、すでに権力を失って落醜の身となり、他に頼る者とてない哀れな状態にあるというのなら格別、そうでなければ、権力犯罪者の弁護など、真の人権派の弁護士なら敬して遠ざけるべきではないか。いまなおゆるぎない権力を持ち、金はうなるほど持ち、社会のあらゆる階層に応援団かおり、脂ぎった顔で誰彼なく威張りちらすのを日常としている権力犯罪者の肩を持つ『人権派』の弁護士というのは、私には全く理解できない」

 だが権力を持っていようと、金をうなるほど持っていようと、脂ぎった顔で誰彼なく威張りちらすのを日常としていようと、その人の「人権」が無視されてよいという理由にはならないであろうが、――といった感想を私か述べたとき、常識家の牛尾治朗氏はいわれた。「法律上の正論は今のところダメだろうなあ。何しろ『角アレルギー』があるからな。アレルギーが消えれば別だろうけれど・・・」。

 アレルギーが消えれば、そこに見えてくるのは「角栄個人」よりむしろ[派閥]であろうが、立花氏が問題とされるのは、一審有罪の刑事被告人でありながら「いまなおゆるぎない権力を持」つ「権力犯罪者」田中角栄なる人物の「特異な位置」であろう。確かにこれは「不思議な存在」である。疑獄事件は昔からあったが、「一審有罪の刑事被告人」がキング・メーカーと呼ばれた例は私の記憶にはない。(中略)おそらく外国にもないであろう。立花氏がこの点を問題にされるのは、ある面では当然である。

 では、その理由は何に基づくのか。答は簡単である。それは彼が「木曜会」(田中派)という「派閥」を持っているからであり、これを失えば彼もまた「ただの人」である。権力は永遠ではあり得ないから角栄個人はいつかはそうなるであろうが、派閥が残ると問題は純然たる法律論では解けない「派閥とは何か」という問題になる。そしてこれを解かない限り角栄氏が有罪になろうと無罪になろうと、生きようと死のうと、問題は、問題はそのまま残り、第二の角栄が出現するだけのことであろう。(中略)

 というのは彼の周辺の「小角栄」はその「マシン」の構成と運営に参加することによって、それを機能させて「裏権力」を行使する方法を学び取り、さらに重要なことは、どこで彼が蹟いたかも知っているから、さらに巧妙にこれを行使すると思われるからである。そうなれば、その秘密を明かすことになる「別荘」での「回想録」はますます期待できないものになってしまう。」

 この「小角栄」が小沢一郎氏であることはいうまでもありません。また、ここで注目すべきは、氏が、田中角栄の躓きに学ぶことで作り上げた、より巧妙な「裏権力」の行使の仕方とはどういうものだったか、ということです。小沢氏は、その師田中角栄の「派閥」の問題点を指摘し、その弊害をなくすための法律改正を行いました。にもかかわらず、氏はこの自ら作った法律の網の目をかいくぐるように、その後も東北建築業界からの政治資金提供を受け続け、その資金力をもってその後の政局を支配し、一方、自らの「派閥」の育成に努めたのです。

 これが功を奏して、いよいよ首相の座に昇りつめようとしていた矢先、西松建設からのダミー献金事件や陸山会の土地購入に関する虚偽記載=政治資金規正法違反容疑で小沢氏の三人の秘書が逮捕されました。しかし、これだけの容疑であるならば、秘書の逮捕は冒頭紹介したように「不当逮捕」ということになる。しかし検察は「小沢さんにかかわる収賄に近い事件」を摘発することを、その最終的なねらいとしているのではないか。郷原氏や宗像氏はそう見ているのです。

 田原氏は、これとても、小沢氏にはこうした収賄にからむ職務権限がないから、例えその事実が実証されたとしても、罰されることはないだろうといっています。しかしこうした見方は、「裏権力」の行使によって違法政治献金を受け続けることができるという、日本政治の現実から目をそらすものであるといわざるを得ません。そもそも1994年の政治資金規正法改正及び政党助成法の制定は、こうした現実に対応し、企業・団体から政治家個人への「裏献金」をなくすために制定されたものだったはずです。

 従って、もし、小沢氏の資金管理団体に対する東北建設業界からの「収賄に近い」事件が摘発された場合、私は、小沢氏に「職務権限がない」というだけで、それが免罪になるというようなことはないと思います。つまり、西松建設からのトンネル献金などの個々の事件ではなく、小沢氏の「裏権力」行使による企業・団体からの違法政治献金収受の全体構造が問題になると思います。そしてこれをふまえて、さらに、こうした事態を防止すべく政治資金規正法の改正がなされると思います。

 こう考えた場合、小沢氏の「一進会」を中心とする一枚岩的「派閥」の形成は、私は不審とせざるを得ません。というのは、もともと氏は、自民党の派閥政治の弊害を最も厳しく指摘し、それを解消するために小選挙区制の導入を主張し、それを実現させた人だからです。もちろん、氏の「派閥」が自由闊達な言論に支えられた開かれた政策集団であれば問題はない。しかし、今回の「小沢vs検察」論争における、民主党とりわけ「小沢閥」の対応を見る限り、とてもそのような評価はできない。それは田中角栄と同じく「闇権力」を維持するための「派閥」ではないかと。

 自民党と民主党を比べて見た時、これだけ民主党政治の欠陥が露呈しているにもかかわらず、なぜそれが、自民党の支持率の向上につながらないのか。私は、その最大の理由は、民主党はこれまでの自民党による利益誘導型政治の”しがらみ”から免れているということ。つまり、従来のような「裏組織」を通じた根回し政治(これが「闇権力」行使を可能にした)ではなく、「マニフェスト」をベースとするオープンな議論を通して政策形成がなされることへの期待感が、今日の民主党の支持率を下支えしていると思います。

 それだけに、今後、小沢氏の「裏権力」操作による民主党支配が続けば、また、これに対する民主党の一蓮托生的・没主体的な政治姿勢が続けば、早晩、民主党への国民の支持は失われると思います。要は、民主党の「民主的政策形成能力」が試されている、ということですね。本来なら、検察の力によらずとも、民主的な政治秩序を保つべくいわゆる自浄能力を高めなければならない。それが民主党のいう「政治主導」の信頼性を高めることになるのです。

 それができずに「政治主導」を振りかざせば、民主党はかえって全体主義的独裁を疑われてしまいます。そうなれば、再び政界再編です。私は今日の民主党連立政権の、政党の政治思想の違いを無視した野合政権的性格とも合わせて、その可能性の方が高いと見ていますが・・・。