小沢一郎の権力意志と歴史認識について(4)

2010年1月 6日 (水)

小沢は民主政治家か宮廷政治家か

 前回の末尾に、花隆氏が文藝春秋十一月号「小沢一郎『新闇将軍』の研究」で、小沢一郎の政治手法を「密室政治=宮廷政治」であると批判した一文を紹介しました。

 「民主主義の政治過程で主役をしめるのは、公開の場における言論だが、宮廷政治で主役を占めるのは、密室における政治的実力者の取引、談合、恫喝、陰謀、抱き込みなどであり、そこで主たる行動のモチベーションとなるのは、政治的見解の一致不一致ではなく、物質的利益と政治的利益の分配、あるいは義理人情、愛情、怒り、嫉妬、怨恨といった感情的どろどろである。」

 小沢一郎の分かりにくさは、氏自身の「公開の場における言論」が、著書という形で提示されていることであり、かつ、その政治改革に向けたメッセージが、旧来の日本の官僚政治を打破し政治主導の責任内閣制の確立しようとする点で、まさに当を得たものであるということ。その一方、現実政治における氏の政治手法は、人事ポストや資金力を駆使した理念無視の多数派工作が真骨頂であり、まさに、「密室における政治的実力者の取引、談合、恫喝、陰謀、抱き込み」を得意としているということです。

 このため、氏の政治家としてのモチベーションが、その著著に語られた政治的主張の実現を目指すものなのか、それとも、かって氏が自民党において田中、金丸の寵愛を受けたことで一度手にした最高権力を失ったことへの屈辱をはらすというものなのか、判然としないのです。もし前者なら、自民党の採ってきた政策でもいいものは継承できると思うのですが、あえて全否定し、その息の根を止めることに執心している様子は、その動機が「怒り、嫉妬、怨恨」であることを疑わせます。

 そこで、このいずれが氏の本当の姿であるのか、これまでに論じてきたことをもう少し深く掘り下げながら、私なりに総合的な判定を下してみたいと思います。もし後者なら、それは現実政治に混乱を招くばかりでなく、日本の民主主義の発展にも大きな障碍となりかねませんから・・・。

『日本改造計画』で語られた日本の政治改革

 この『日本改造計画』という本は、小沢氏がまだ自民党竹下派に属しており、金丸信竹下派会長が議員辞職した後の会長後任人事をめぐって小渕を推す竹下と対立して「改革フォーラム21」を立ち上げた頃(1992年)に書き始めたものです。出版は93年6月で、当時70万部のベストセラーになりました。思想的には新自由主義に立っていて、アメリカでも高く評価されたそうです。氏自身の回想によると、この本の作成には10人くらいの官僚と学者が参加し、小沢氏自身が推敲してまとめたものだと言います。(『小沢一郎政権奪取論』p95)

 で、この本が書かれた基本的動機ですが、それは、氏が自民党海部内閣の幹事長をしていた時に遭遇した、湾岸戦争における日本の対応を巡ってアメリカと交渉した時の屈辱がそのベースになっています。少し長くなりますが、重要ですので、この部分を引用紹介しておきます。
 
 「九〇年の湾岸戦争は日本にとって苦い教訓だった。湾岸戦争における日本の対応は、アメリカの親日的な人々を失望させ、日本批判派の日本叩きを増長させた。どこに原因があったのか。

 サダム・フセインがクウェートを占領したとき、アメリカが懸念したことはサウジアラビアだった。当時、軍事専門家の見方では、イラクがサウジに攻め込むと、二週間以内でサウジの重要な油田地帯をほば制圧できた。そうなるとイラク、クウェートおよびサウジの油田をフセインが占領することになる。合計埋蔵量は世界の五五パーセントである。それは、毒ガスを平気で使う独裁者によって世界の石油価格が思いのままにコントロールされる、ということであり、西側経済は壊滅的な打撃を受けるに違いなかった。それをアメリカは心配した。(このあたりの認識は、石原慎太郎氏とは全く異なる。『国家なる幻影』参照)

 一方、日本とアメリカの間では「グローバル・パートナーシップ」というスローガンのもとに政策協調が非常にうまく進展していた。このためアメリカは日本も立ち上がってくれると思っていた。だが、日本はその期待を裏切った。

 まず、アメリカは日本に軍用物資を運ぶ輸送機の派遣を要請してきた。それに対して日本政府はあまり検討の時間もかけずに「ノー」の答えを出す。次にアメリカは補給艦を要請する。これも「ノー」。軍用のタンカーはどうか。またまた「ノー」。それでは船を。これに対しては、日本国籍二隻、米国籍一隻の計三隻を出して応じたが、出港した九月末は輸送需要のピークを過ぎていた。さらに、アメリカは掃海艇の派遣を要請してきた。政府は憲法上の観点から「ノー」と答えた。最後には政府は掃海艇を派遣したが、戦争が終わってからであった。このように、政府の対応が遅すぎて本当に必要なときに協力できなかったのである。

 アメリカ国内の基地からサウジ東海岸まで物資と兵員を緊急輸送するための輸送協力(エアリフト)についても、同じだ。日本政府は中東貢献策としてこの要請には何とか応えようとした。このため外務省、運輸省、日航などが何日も徹夜して議論した。その結果、最終的に出た計画は、途中で三回荷物を積み替え、成田経由で地球を三分の二周して持っていくというものだった。所要時間は七日間。しかも積み荷の検査が必要だと条件をつけた。

 日本の民間航空機を軍事用に使うことに踏み切ったこと自体は一つの決断だった。とはいえ、現実の必要に間に合うものではなかった。結局この件は、アメリカの航空会社に電話して二十四時間で契約が成立した。しかも、即座に直接現地まで飛ぶという。日本政府は八十数便チャーターしてアメリカに提供した。アメリカ軍は喜んでくれたが、日の丸のついた飛行機だったら国際社会からもっと評価されたのに、というのが彼らの率直な感想だった。

 難民輸送のために自衛隊の輸送機を派遣する計画は離陸直前までいきながら、ついに実現できなかった。自衛隊機をエジプトに飛ばし、カイロを基地としてヨルダン、シリアとの問を往復、イラクから脱出してきた難民をピストン輸送する計画である。自衛隊に準備命令を出し、エジプト政府の了解も取り付けた。あとは飛びたつばかりとなった。ところが、土壇場で日本政府はゴーサインを出せなかった。国内で自衛隊機の海外派遣に対する批判が出るのを恐れたからだ。

 日本は実効的な貢献を期待したアメリカの要求に応えることができなかった。
 資金的な協力はどうだったか。
 日本国内には、アメリカは破産同然で戦費もないのに日本やドイツのカネで戦争しているという声が一部にあった。これは明らかに間違いである。アメリカが日本に要請してきた項目の中で、資金協力は四番目か五番目の優先順位にすぎなかったことを知るべきだ。むしろ日本の方が、人員を一人も現地に派遣できないので、何とかカネだけで済ませてくれという姿勢だったのである。日本は自ら望んでキャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払い機)になってしまった。その結果、百三十億ドルという資金を提供するはめになった。この点を勘違いしてはならない。(この間の経緯については前掲書を参照)

 金額については議論があるようだが、私は高いと思う。一人前の国家として国際的な安全保障に協力できず、資金提供だけでお茶を濁そうとすると、こういうことになってしまう。韓国やフィリピンは要員を派遣してそれなりの評価を受けた。日本はどんなに金を出しても尊敬されない。それが国際政治の冷厳な現実である。(中略)
  
 湾岸戦争以来、アメリカでは『同盟』という概念に該当する国は、湾岸戦争で生死を賭けて戦った二十八ヵ国ということになっている。もちろん、日本はその中に入っていない。日本は、アメリカが心情的に描いていた『同盟』という概念から離れてしまったのである。

 日米同盟関係を基軸にしていくべき日本にとって、湾岸戦争は大きな『負』の遺産を残したことを忘れてはいけない。」(『日本改造計画』P33~36)

 小沢氏のその後の行動は、実は、この時の屈辱的な体験が基になっているのです。つまり、「一人前の国家として国際的な安全保障に協力できず、資金提供だけでお茶を濁そう」としたことが、膨大な戦費負担を余儀なくされただけでなく、世界から感謝されるどころかバカにされ、日本の安全保障の基軸であるべき日米「同盟」からも、心情的に切り離されることになってしまった、と慨嘆しているのです。

日本が湾岸戦争でアメリカに協力できなかった原因

 では、そうなった原因は何か。小沢氏は次の五つの問題点を指摘しています。
一、日本にとって軍事力は『負債』でしかなく、国家安全保障の役割は政府に『栄光』を与えるどころか、国民は、安全保障に関して政府に対する不信感さえ持っている。

二、アメリカの民主主義は、一朝、緊急事態が発生すると、極めて少数の人間が責任を持って決断、対処していく。一方、日本の場合は、手続き面に偏重した民主主義で、泥棒が入ってから、縄のない方を喧喧諤諤議論するようなものだ。

三、国会における全員一致による意思統一という疑似民主主義的慣習が、本来の民主主義を機能不全にしている。

四、政策決定において首相官邸のリーダーシップが弱すぎる。首相には三年、四年と入ったある程度の長さの任期を与えた方がよい。

五、縦割り行政の弊害、各省庁の利害を超えた総合的な判断ができない。

 要するに、一、政府が国家安全保障の役割と能力を備えると共に、それに伴う権威を持つべきこと。二、緊急事態には、少数の人間が責任を持って決断、対処すべきこと。そのためには、三、国会における疑似民主主義的慣習をやめると共に、五、縦割り行政の弊害をなくして、四、首相の政策決定におけるリーダーシップを確立する必要があるというのです。

内閣の具体的な機能強化策

 そのための具体的方策としては、
○ 首相官邸の機能強化策としての補佐官制度の導入し、内閣審議室を置いて政策の総合調整機能の充実を図る。

○ 議会で選ばれた内閣が政治に責任を負うようにするため、与党と内閣を一体化する。そのため、例えば、与党側の議会運営の最高責任者である幹事長を閣僚にする。また、与党の中堅部分と内閣あるいは行政府を一体化するため、省庁毎に二~三人の政務次官と四~六人の政務審議官を置き、政策立案に参画する。これによって責任の所在がはっきりし、
政策過程も分かりやすくなる。

○ 国会答弁は閣内大臣のほか、専門的な問題や細かい問題については政務次官などの政治家が担当し、政府委員(官僚)による答弁は全て廃止する。官僚は政治的に中立を保ち、純粋にテクノクラートとして政治家を補佐する。

○ 閣議の前に各省庁の考え方を調整する制度は廃止し、名実共に内閣の最高意志決定機関とする。この閣議は、即与党の中枢機関であり、それを首相がリードすることで首相のリーダーシップは本当の意味で機能する。
  
 以上が内閣の強化策ですが、こうした政治改革を実現するためには、従来の自民党の馴れ合い、もたれ合いの政治構造を根本から変えなければならない。ではどんな手段でそれを壊し、戦後政治の転換を実現するか。そのためには、選挙制度、政治資金制度、政治腐敗防止制度の改革を「三位一体」として断行する以外にない。選挙制度については従来の中選挙区制度を廃して小選挙区制度を導入する必要があると、次のようにいいます。

小選挙区制度の導入

 なぜ中選挙区制がダメかというと、「一つの選挙区で三~五人を選ぶ中選挙区制では、野党は候補者を一人に絞る限り、黙っていても必ず当選する。何が何でも与党に反対する二割ほどの反体制的批判票が必ず存在するから・・・手をこまねいていても、野党は百三十前後の議席を確保できる。」そして、日本では、これら少数者の尊重が政治の談合構造の中で肥大化し、実質的に全会一致制となっており、迅速な意志決定ができなくなっている。

 こうした政治構造を改革し、「政治のリーダーシップを回復し、ダイナミズムを取り戻すためには、多数決原理をもっと全面に出さなければならない。」小選挙区制度では、「各選挙区で一人しか当選しないので、どんなに拮抗しても一票でも多い方が議席を獲得し、少ない方は議席を得られない。これほど明瞭に多数決原理の考え方を反映している選挙制度はないであろう。」その結果、二大政党制が確立しやすくなり、また政権交代も起きやすくなり、これによって今日日本が抱えているほとんどの問題は解決できる。

政治資金制度改革

 また、「政治資金制度の改革は、政治資金の全面公開と政治活動への公的助成の拡大を二大柱とすべきである。」「政治家の政治資金団体を一つに限り、政治活動にかかわるあらゆる資金はそこを通してのみ受領、支出し、一年ごとに全面公開する。」これによって「一億二千万人が直接政治資金の流れをチェックするのが、最も民主的で効果的な監視である。」

 「さらに、企業や団体による政治献金は政党にたいしてのみとし、政治家個人への献金は禁止してもいい。理論的にはおかしいことだが、政治家と特定の企業、団体との関係について疑いを持たれる余地をなくし、国民の政治不信を払拭するためにはやむを得ないと思う。しかし、こうすると、政治資金はほとんど集まらない。個人による少額の献金しかなくなってしまう。したがって、政治活動費は公費で助成する以外にない。」

政党による政策による選挙

 「小選挙区制では一選挙区から各党一人しか立候補できないので、各党がどのように候補者を選ぶかが問題になる。政党本位の選挙という視点に立てば、党本部が選ぶことで権限が党本部に集中することになり、政党規律を確立するためには好ましい。しかし、党執行部に権限が集中しすぎて寡頭支配になってしまう危険性がある。党の官僚化は避けられず、幅広い印材を確保できない可能性もある。(そこで)候補者の選出は地方支部が行うのが望ましい。」

 「小選挙区制の趣旨からいえば、選挙運動の手段は全て政党に与え、政党だけが選挙運動を行えるようににした方がよい。しかし、個人の選挙運動を全面禁止すると憲法に違反することになるので、最低限の手段は個人にも認めざるを得ない。(中略)政党の公認候補でなければ、選挙運動は有効に行えない。その結果、本当の意味で政党と政党が資金力によってではなく政策の優劣で争う政党本位、政策本意の選挙ができるようになる。これまで自民党に見られるような派閥の弊害も是正されるだろう。」

国会の審議改革

一、一年中国会を開く通年国会にするなどして、必要な審議をどんどん進めることができるようにする。
二、予算委員会開会中に多の常任委員会が開けないなどの、合理性を欠いた慣行は廃止する。
三、国会を情報発信の場とする。本当の意味で民主主義を日本社会に定着させるためにも、国会議員は国会に戻り、国会での議論を通して不断に国民に訴え、国民の審判を仰くようにしなければならない。

 以上が、『日本改造計画』第一部「いま、政治の改革を」の主な内容ですが、こうした氏の政治改革の着想の発端は、湾岸戦争において、アメリカの同盟国として自衛隊をイラクに派遣できなかったことで受けた、氏自身の屈辱的体験にあったのです。その屈辱を日本にもたらしたものが、五十五年体制下の日本の官僚依存の政治体制であり、全員一致の馴れ合い政治であり、少数政党の意向に縛られる政治である。しかし、これでは湾岸戦争のような緊急事態には対応できないから、小選挙区制を導入することによって多数決原理を貫徹させ、少数政党=社会党のような反体制政党が存立できないようにしなければならない、というのです。

公表された言論と実態の恐るべき乖離

 あけすけな言い方になりましたが、小沢氏がこの本で言っていることはこういうことなのです。ところが皮肉なことに、氏は自民党を離脱後の選挙で思うような議席数を獲得できなかったことから、その社会党と連立を組むという奇策を採ることになりました。この無理が、自民党と社会党の連立政権を生むことにもなったわけで、これが、その後の日本の政治を怨念渦巻く政局本位の分かりにくい政治にしたことは間違いないと思います。

 この間、確かに小選挙区制は導入されましたが、それは比例代表並立制であり、小沢氏が二者択一の多数決原理を反映させようとした単純小選挙区制ではありませんでした。そのため僅かの議席数しか得ていない社民党や国民新党がキャスティングボートを握り、政局を左右し、民主党がそれに振り回されるという不思議な結果を招いています。

 また、政治資金制度改革も行われましたが、政治家個人への企業・団体献金は禁止といいながら、皮肉にも最大の企業献金疑惑(西松建設、鹿島建設)の渦中にいるのが小沢氏本人です。政治家の政治資金団体は一つに制限すると言いながら、氏は現在七つ持っています。また、自由党時代の政党交付金の不可解な支出(藤井に15億円、本人は否定)や、自由党解党時(2003年)の政治資金13億円(内5億円が政党助成金、本来は返納)の横流しも疑われている始末です。(『文藝春秋』一月号「小沢から藤井に渡った15億円の怪」)

 また、小選挙区制度のもとでの候補者の選定については、党執行部への権限集中を避けるため、候補者の選出は地方支部が行うと言っていましたが、今回の衆議院選挙における民主党の候補者の選出から選挙指導まで小沢氏が支配し、民主党議員に対する圧倒的権力を誇示するようになっています。だって、小沢氏に逆らえば「選挙と人事で干し上げられる」ことは目に見えていますから。

 また、小選挙区制により派閥の弊害をなくすという言葉とは裏腹に、民主党内には小沢チルドレン→小沢軍団が誕生し、「一新会」と称する小沢一郎派閥が誕生しているそうです。(小沢氏への忠誠を持つことなど入会資格が厳しく、名簿すら出さない閉鎖的な会になっている)。そして、それに属するか否かで「議員間格差」がつけられるようになっているといいます。(『正論』二月号「『軍団』教育から読み解く小沢一郎の野望」)
 
 それよりなにより、民主党の政権奪取後、内閣強化策として設置された国家戦略室(=内閣審議室)もいまだ機能不全のままなのは一層不可解です。与党と内閣の一体化ということについても、かえって内閣と与党が分立している印象で、というより、与党の幹事長である小沢氏の方が内閣の首班である鳩山首相よりも強大な権力(政策においても人事においても政治資金の配分においても)を行使しているように見えます。

 確かに、各省庁に大臣、副大臣の外複数の政務官などを配置することとか、事務次官会議を廃止するとか、政府委員の国会答弁を禁止するとか、官僚に対する政治主導の確立という点では一定の成果を上げているようですが、肝心の内閣中心の政治主導体制が確立していないのは不思議というほかありません。鳩山首相のリーダーシップの欠如と言えばそれまでですが、その背後に、小沢氏の強権的支配があることは歴然としています。

 このことは、三百を超える議席数を持つ民主党が、なぜ、わずかな議席数しか持たない社民党や国民新党との連立を必要とするのか、前者は国家安全保障政策に関して、小沢氏とは真っ向から対立する思想の持ち主であり、後者は、行政改革や特殊法人改革を徹底しようとしている民主党の政策に逆行する思想の持ち主であることは明らかにもかかわらず・・・。端的に言えば、思想的には「みんなの党」や公明党あるいは自民党の方が民主党に近いわけで、こうした不可解な連立運営も、小沢氏から出ていることは疑いようがありません。

小沢政治への不安

 なぜこのようなことになるのか、こうした変則状態は、次の参議院選挙で民主党が単独過半数を獲得すれば解消することなのか、それとも、小沢氏本人が首相になることで解消するのか、いずれにしても、こうした小沢氏本人の言葉とも矛盾する権力操作を臆面もなく行う小沢氏が首相となり最高権力を握った時、はたして、「民主主義の政治過程で主役をしめるべき、公開の場における言論」が保障されるのか、不安に思うのは私だけではないと思います。

 そうした疑念を払拭するためにも、冒頭に紹介したような、氏自身の言葉に違わない内閣主導の政治主導体制を一日も早く確立してもらいたいものです。その時、内閣の総合調整機能を担うものは国家戦略局であり、閣僚会議を含め内閣をリードするものは首相であり、当然のことながら、政策決定においても、政府・与党人事においても、党の政治交付金の収支についても、その最終責任者は首相であり、幹事長はあくまで首相の補佐職であることが明確にされるべきです。

 次回は、小沢氏の経済政策の変化や歴史認識について検討したいと思います。