小沢一郎の権力意志と歴史認識について(3)

2009年12月26日 (土)

 前回、オバマ大統領の「戦争論」を紹介しました。それがブッシュ政権の「戦争論」とどう違っているかと言えば、アメリカの一国行動主義から、国連中心主義へと比重が移っているということではないかと思います。演説では次のようにいっています。

 「だからこそ、すべての責任ある国家は、平和維持において、明確な指令を受けた軍隊が果たし得る役割というものを認めなければならない。

 世界の安全保障における米国の責務が消えることは決してないが、米国は一国だけでは行動できない。北大西洋条約機構(NATO)諸国の指導者や兵士たち、そして他の友好、同盟国は、アフガンでその能力と勇気をもってこれが事実であることを示してくれた。

 しかし、多くの国で、任に当たる者たちの努力と、一般市民の抱く相反する感情との断絶がある。私は、なぜ戦争が好まれないのか理解している。だが、同時に、平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。

 平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。そうだからこそ、NATOが不可欠であるのだ。そうだからこそ、われわれは国連と地域の平和維持機構を強化しなければならない。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのだ。」

 これは、必ずしも国連だけにそれを委ねばいいといっているわけではなくて、「世界の安全保障における米国の責務が消えることは決してない」が、「米国だけでは行動できない」。だから、「国連やNATOなどの地域の平和維持機構を強化する必要がある」といっているのです。つまり、犠牲を伴う平和維持の努力を、アメリカだけに委ねるのではなく、各国が責任を「明確な指令を受けた軍隊(militaries with a clear mandate )」=「国連などの平和維持機構」によって担って欲しい、といっているのです。

 「極東ブログ」のfinalventさんは、このオバマ大統領の「戦争論」は、理念的には日本国憲法の平和主義と一致するのではないかと、次のようにいっています。

 日本国憲法前文は、「平和を愛する諸国民の公正と信義」に信頼するという「普遍的な政治道徳」に従って、平和を維持することを誓っている。つまり、「日本国憲法の平和主義は、人道主義の高い理想の実現で諸国間が協調して『悪』を排斥するとともに、その最終的な裏付けとしての軍事力に対して、"a clear mandate (明確な委任)"を持っているだろう。これは、9条との関係でいうなら、日本国国権の発動としての戦争は放棄されても、国家間の公正性に委託される軍事力の運用は否定されていないのではないか。」

 これは、前々回のエントリー「小沢一郎の権力意志と歴史認識について(2)」で紹介した小沢一郎の「国連に御親兵を差し出せ」という論理と同じです。私も、日本国憲法の論理から言えば、その通りだと思います。しかし、オバマ大統領がこの日本国憲法と同じことをいっているのかというと、そうではなくて、「米国の責務が消えることは決してない」といっているように、各国の派遣する軍隊が"a clear mandate (明確な委任)"を受けたものであるべき、ということを言っているに過ぎないと思います。

 この点が、小沢一郎氏の「御親兵」論に無理のあるところで、これは、民社党内の護憲派勢力や連立社民党の主張と論理的一貫性を持たせようとした結果だとは思いますが、現実的ではないと思います。多分、日本は敗戦国であるし、かってその国権発動に瑕疵もあったことだから、ここは身を低くして世界平和のために犠牲を払おう。そうすることで国際社会の信用も回復できる、という算段だと思いますが、それだけの覚悟ができていれば自衛隊を派遣して国連軍の指揮下に置くこともできるわけで、つまり、この問題は外国の問題ではなくて国内問題だということです。

 小沢氏の主張には、こうした「論理のこね回し」に起因する無茶な主張が随所に出てきます。それは、後述する氏独自の権力闘争至上主義に基づくものですが、「日本改造計画」に見られるような官僚依存国家から自由と責任を自覚した「普通の国へ」という主張が当を得ているだけに、その評価をめぐって、極端な分裂が生じる事になっているのです。(この点、民主党連立政権において社民党が小沢を後ろ盾にしていることは誠に不可解)

 典型的には、氏は、元来「占領憲法無効論・天皇元首」論者(1999年独自に改憲案(「日本国憲法改正試案」を示す)でありながら、今日では、現行憲法との論理的整合性を維持するため、上述したような国連中心主義の日本の国際安全保障政策を主張していることです。また、憲法解釈においても集団的自衛権を容認する立場から、2003年に内閣法制局の廃止を主張し、これを内閣の権限とすることを主張しています。

 従って、その国連中心主義に則って自衛隊を海外派遣すること、例えば国際治安支援部隊(ISAF)への派遣は容認しています。にもかかわらず、イラク戦争については、アメリカが自衛権を発動して開始した戦争であり、日本がその同盟国として有志国軍(OEF)に参加することは集団的自衛権の行使にあたり憲法違反だとして、テロ対策特別措置法の延長に反対しました。

 確かに、イラク戦争(2003.3.19)は、それが国連の開戦決議を得ないまま、米英による国連安保理決議1441号(イラクに、大量破壊兵器および関連計画について全面的かつ完全な申告を30日以内に提出するよう要求したもの2002.11.8)違反等を理由とする「専制的自衛権」の発動により開始されたことは間違いありません。

 そして、その後、イラク国内から大量破壊兵器が見つからなかったことから、この戦争の正当性が疑われる結果になりました。しかし、この戦争が2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を契機にしていることも忘れてはいけません。これが大量破壊兵器によるテロ攻撃への恐怖をかき立てたわけで、事件発生後イラクがこのテロ攻撃を「世紀の大作戦」と賞賛したり、国連の大量破壊兵器の査察に抵抗したりしたことは、一国の為政者としては誠に重大な誤りだったと思います。

 結果的には、この戦争にはアメリカの同盟国は皆なんらかの形で参加しました。日本の小泉政権も、「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」(イラク特措法)に基づき、人道復興支援活動と安全確保支援活動を柱に、比較的治安が安定しているとされたイラク南部の都市サマーワの宿営地を中心に活動し、2006年(平成18)7月に撤収しました。

このあたりの判断は、時の政府が責任を持って決めることですが、イラク戦争後のイラクの治安維持が「自爆テロ」の頻発などによって軍民に膨大な数の犠牲者を出すことになっただけに、アメリカは、国連の開戦決議がなされるまでの十分な大量破壊兵器の査察を行うべきであったと思います。ただ、そうしたアメリカの行動に同盟国が協働したことも、またやむを得ないことだったと思います。

 この点、小沢氏が、先に紹介したように、この戦争はアメリカが自衛権を発動して開始したものだから、日本がその同盟国として有志国軍(OEF)に参加することは集団的自衛権の行使にあたり憲法違反だ、と主張することは論理的にはその通りです。しかし、氏自身は、先に見たように、憲法解釈としての集団的自衛権の容認を主張し、それに反対する内閣法制局の廃止さえも主張しているのですから、その思想的一貫性が疑われてもやむを得ません。

 さらに、こうした小沢氏の主張の矛盾は、日本の安全保障について、「日本の法律より国連決議が優先する」と述べたことで一層深刻になりました。それがいかに非現実的な主張であるかは、今回のCOP15が何も決められなかったことでも分かりますが、これが一国の安全に関わる問題となれば、国連決議が各国の国益利害に左右されることは明らかであり、そんなところに一国の安全を委ねることはできません。

 このあたり、戦前の日本の安全保障に関わって、日英同盟が廃棄(1923年)され、それに代わって四カ国条約という集団安全保障体制が採られたが何の効力も発揮しなかったこと。結局それが、極東の安全保障体制を崩壊させ、その後の日本の外交的失敗から日中戦争そして日米英戦争につながったという歴史的反省を十分ふまえる必要があります。

 氏は、このように国連中心主義を高唱する一方、2009年2月24日には「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ・・・あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う・・・米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と述べました。

 これもよく分からない主張で、一見、米軍の代わりに日本が極東の安全保障について積極的に役割を果たしていく、といっているようですが、しかし、これは、先に見たような「日本の安全保障に関する主権を国連決議に従属させ」ようとする氏の主張と矛盾しています。また、2006年10月に北朝鮮が核実験を行った後の朝鮮半島情勢は「周辺事態法」を適用できるかどうかについて、「周辺事態法は適用できない」という小沢トロイカ体制の見解を発表して、前原誠司を始めとする党内からの反発を招いています。

 また、中国や韓国との信頼関係の確立を主張することは当然としても、靖国神社問題に関する氏の主張にも一貫性があるとは言えません。かっては「東京裁判は不当な報復裁判であり、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではない。しかし当時の国家指導者は敗戦責任があり、天皇陛下が参拝できるよう靖国神社から削除すべき。行く行かないは個人の自由だが、公約をし、政治信念で行くのならば8月15日に公式参拝を行うべき。」と言っていました。

 しかし、氏の著書『小沢主義』では、「戦争の勝者が敗者を裁いたことによる「戦犯」という考え方を僕はよいとは思わないが、ただ靖国神社にいわゆるA級戦犯の人々が雌られていることは問題だと思っている。なぜならば、靖国神社とは戦死した人を祀る場所であって、戦犯とされている人たちは戦死者ではないからだ。この問題をクリアすれば、僕は首相が靖国神社に参拝するのはまったく問題がないと思っている」と述べています。

 ところが、2008年2月21日の朝鮮日報からのインタビューでは、「靖国神社問題は日本側が大きな間違いをしている。民主党が政権を取ったら、戦争責任者を靖国神社から分祀し、韓国と中国に強力な信頼関係を築く」と述べています。

以上、安全保障や靖国問題に関わる小沢氏の矛盾した言動を見てきましたが、これが氏独自の「権力闘争至上主義」に基づくものであることに注意を払わなければなりません。氏は、『小沢主義』の中で、次のような織田信長の「合戦における無慈悲」に共感を示しています。

 「汝は合戦を行う以上、ひたすら合戦に勝つことを願わなければならぬ。・・・汝が合戦のあいだ敵方に慈悲を与えることは、いかにも人間の道にかなうようではあるが、そもそも合戦そのものを考えれば、そこに慈悲のあるはずはない。合戦とは相手に勝つためのものであり、相手を打ちはたすためのものである。合戦がある以上、最早慈悲はない。・・・合戦のことに入るならば、いかようなりとも、はじめより終わりまで合戦のことでなければならぬ。」

 この合戦というのが、氏の権力闘争である事は論を待ちません。従って「妥協するくらいなら、改革は最初からしないほうがいい」というのです。そして、「改革とは最初から痛みや犠牲を伴うものと決まっている」といい、自民党やマスコミのいう「痛みを伴わない改革」などはどこにも存在しない、といいつつ、「いわゆる小泉改革なるものは、多くの人たちに痛みを与え、その一方で特定の者にだけ利益をもたらすもので、およそ本来の改革とは似ても似つかぬものなのである」と批判しています。

 しかし、これが、氏一流の「権力闘争至上主義」に基づく、マスコミの「格差批判」に便乗した論難であることは、今日の民主党の財政政策を見れば明らかです。小泉改革の最大眼目は、経世会による政官業一体の「鉄のトライアングル」といわれた政治的利権構造の打破にありました。これこそ、従来、小沢氏の依拠してきた政治資金調達の源泉となってきたもので、現在問題となっている小沢氏の西松建設がらみの政治資金も、この構造から生み出されてきたものです。

 この外、小泉構造改革では、以上の経世会の政治利権構造の打破という政治改革だけでなく、バブル崩壊後の不良債権処理、「官から民へ」のスローガンのもとに進められた道路公団はじめ特殊法人改革、その一環としての郵政民営化、「中央から地方へ」というスローガンのもとに進められた三位一体改革(財務省の抵抗で挫折したが)、医療制度改革、特別会計の整理統合、FTA(自由貿易協定)・EPA(経済連合協定)の締結などが目指されました。

 しかし、こうした改革は、同時に自民党の従来の支持基盤を切り崩すものでもあったわけで、それは小沢氏の論理からすれば、「改革に必然的に伴う痛み」であったわけです。しかし、氏は、この場合も当然の如く、この痛みを訴える側に立ち、小泉構造改革は「強者の論理」であり「格差社会」を招来した、として全面的に否定し攻撃しました。その後、社会保険庁の年金記録問題に端を発して、2006年の参議院選挙で野党が過半数を制したことから、上述したような、安全保障に関する矛盾した主張や、小泉構造改革批判を掲げて政府を揺さぶりました。

 それが功を奏して、自民党も、小泉構造改革による支持基盤の崩壊を危惧するようになり、さらに、従来の改革方針に逆行するような政策を取り始めたことから野党に乗じられ、自民党はそれまでの「改革の旗印」を野党に奪われることになりました。その先兵を努めたのが鳩山邦夫総務大臣だったわけです。氏としては、麻生総理と連携し郵政票のつなぎ止めを図ったのかも知れませんが、読みが浅かったというほかありませんね。

 以上、今回は、小沢一郎氏の元来の思想と、その後の民主党党首となって以降の政権奪取のための氏の主張の変化について見てきました。一言で言えば、氏の一大特徴は、権力闘争のためには、氏自身の本来の思想とは全く異なった主張を平気で行うことができる、つまり、氏は「権力闘争至上主義」の持ち主であるということです。

 確かに、氏は、その著書『日本改造計画』や『小沢主義』において、日本の政治のアメリカ依存の体質、そこから生まれた政治家の指導力欠如、その原因となっている日本人の自立精神の欠如、それが官僚依存体質を生み、日本の民主主義を機能不全に陥らせている点を的確に指摘しています。しかし、氏の権力闘争至上主義に基づく矛盾した言動が、民主主義の基盤である「ことば=言論」による政治的意志決定を大きく損ねてきたことも事実です。

 なぜ、そのようなことになるのか。多くの人びとが、氏のそうした矛盾した言動に翻弄され、混乱させられてきました。それが、「傲慢」とか「豪腕」であるとか、あるいは「純粋」であるとか、ある時は「悪魔」などという酷評さえ生んだのです。果たして、そのどれが氏の真実の姿なのか。私自身もよく分からなかったのですが、最近、そうした謎の一端を解く出来事が立て続けに二件起きました。

 一つは、11月10日、小沢氏が、和歌山県の金剛峯寺での全日本仏教会会長である松長有慶・高野山真言宗管長と会い、その後記者団に、キリスト教は「排他的で独善的宗教だ」。イスラム教も「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた事件。もう一つは、12月14日、小沢氏が記者会見で、天皇が中国の習近平副首相と、いわゆる「一ヶ月ルール」を破って会見したことについて、宮内庁長官が苦言を呈したことについて、恫喝ともとれる批判をした事件です。

 前者については、曽野綾子氏が、「キリスト教をご存じなくても、国内問題なら氏の発言も日本人は見逃す。しかし勉強していない分野には黙っているのが礼儀だろう。また宗教について軽々に発言することは、少なくとも極地紛争以上の重大な対立を招くのが最近の世界的状況だ。それをご存じない政治家は決定的に資質に欠けている。」と厳しく批判しています。氏は後に、文明論を述べたに過ぎないと弁解していますが、それは氏の文明論の皮相を証するだけのもので、傲慢とに批判は免れません。

 後者については、天皇の国事行為が憲法上「内閣の助言と承認」のもとにおかれていることはその通りです。しかし、今回、天皇の行為の政治的中立性を担保する「一ヶ月ルール」の変更を求めたのは内閣であって、そのことに苦言を呈されたことについて「30日ルールって誰が作ったのか。法律で決まっているわけでもない。国事行為は『内閣の助言と承認』で行われるのが憲法の本旨で、それを政治利用といったら陛下は何もできない」
というのは、これも傲慢のそしりを免れません。

 また、外国の賓客を天皇が引見することは、天皇の象徴としての地位に基づく「公的行為」であって、国家機関の地位に基づく行為である「国事行為」とはではない、という議論は措くとしても、苦言を呈した宮内庁長官を”辞表を出せ”と恫喝したことに続いて、「陛下の体調がすぐれないなら優位性の低い(他の)行事はお休みになればいいことだ」「天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないが会いましょうと必ずおっしゃると思う」といったことは、それは、(かって天皇元首論を唱えていたが)そもそも天皇の日本国の象徴としての意味が分かっていなかったということであって、これも、日本の政治家として決定的に資質を欠いている証左としなければなりません。

 以上、今回は小沢氏の政治家としての資質を問う論考となりました。先の私の、氏の「政治改革思想」の可能性を問う論考とは対照をなす立論となりましたが、この両者を総合することで、小沢一郎なる政治家の実相を捉えることが可能になると思います。最後に、立花隆氏が文藝春秋十一月号「小沢一郎『新闇将軍』の研究」で、小沢一郎の政治手法を「密室政治=宮廷政治」であると批判した一文を紹介しておきます。

 「民主主義の政治過程で主役をしめるのは、公開の場における言論だが、宮廷政治で主役を占めるのは、密室における政治的実力者の取引、談合、恫喝、陰謀、抱き込みなどであり、そこで主たる行動のモチベーションとなるのは、政治的見解の一致不一致ではなく、物質的利益と政治的利益の分配、あるいは義理人情、愛情、怒り、嫉妬、怨恨といった感情的どろどろである。」

 その感情的どろどろが、今の民主党政治の混乱の底流にあることは間違いなく、これが本格的な小沢政治となった場合、それがどのような混乱を惹起することになるか、私としては氏の権力意志が、その本来の思想と矛盾なく発揮されるようになることを祈りたいと思います。