「恩の国」から「怨の国」に変える左右翼連合の脅威

2017年4月2日

(大幅に加筆校正しました。2017.4.5 9:55)

森友学園問題の発端について

この事件は、まず、木村真豊中市議が「まあ(極右の学校を)つぶしたかっただけなんですけどね」に始まり、「さらに安倍政権にダメージが与えられれば御の字という点で、木村市議と朝日新聞の利害が一致し」、これに野党4党が乗ったものだが、問題は、こうした動きに、攻撃を受けていたはずの籠池氏が一転して同調し、安倍政権攻撃を始めたことである。

この原因について、アゴラでは、梶井氏が、次のような安倍首相の籠池氏に対する「人格否定発言」を問題視する論を展開している。

「証人喚問(参院)で「なぜ今になって、献金の話をしようと思ったのか」と聞かれた籠池氏は「安倍総理から『しつこい人』と言われ……」と述べている。「え、それだけ?」と思うかもしれないが、偉人、敬愛するとまで讃えていた人物からの人格否定ともとれる発言は本人にとっては重かったのだろう。」(安倍首相の「しつこい」発言は2月24日で、籠池氏はこの言葉で安倍首相批判を始めたわけではない)

私は、この見方は、本末転倒した見方だと思う。なにより、なぜ安倍首相がなぜ「しつこい人」と言ったかの事実認識が間違っている。従って、それが籠池氏の人格否定となったという理解の仕方も間違っている。そこで、この問題をよりクリアーに理解するため、次に、日本人の伝統的な「恩に基づく倫理基準」について説明したい。

日本人の伝統的な倫理基準とは?

イザヤ・ベンダサンは、著書『日本教徒』の中で、不干斎ハビアンの『キリシタン版平家物語』を紹介しつつ、今の日本人にも通用する倫理基準としての「恩論」を展開している。
これは、戦国時代から江戸時代への転換期、仏僧からキリスト教徒に改宗した不干斎ハビアンが、日本に来た宣教師(パードレ)に日本理解のための教材として「平家物語」を抄出し「日本人のものの見方・考え方」を解説したものである。

この中でハビアンは、日本人の倫理基準を次のように説明している。
「この世には四恩がある。天地の恩、国王の恩、父母の恩、衆生の恩」、人間はこの「恩の貸借関係の世界」に生きている。この「恩」の世界では、人は「恩」を受けた債務を感じなければいけない。一方、「恩を施した」権利を主張することも許されない。つまり、忘恩や「施恩の主張」は「科=罪」であり、「受恩の義務」を忘れず、「施恩の権利」を主張しない生き方こそ「人間らしい生き方」である。

従って、「施恩の権利」は権利として主張するのでなく、あくまで、相手の「受恩の義務」として説くことになる。こうしたプロセスを踏むことを日本人は「相手の自主性を尊ぶ」という。こうしたプロセスを踏まず、いきなり「受恩の義務」を「施恩の権利」として主張された場合に、受け手が感じる感情が「恥」である。

つまり、この世界では、もし「施恩の権利」を主張し、「受恩の義務」を否定する者が出現した場合、これに対抗する手段がなく、そのため「怨」が生まれる。そして、この「怨」はつもりつもって、「受恩の義務」を拒否し、「施恩の権利」を主張した、いわゆる「人を人とも思わぬ」「世を世とも思わぬ」人を滅ぼす・・・。

では、こうしたハビアン版「平家物語」に見られる倫理観は、もはや日本人にとって時代離れしたものだろうか。そこで、籠池氏の行動・言動をこの倫理観に照らして見たい。

それは、森友学園の教育方針に賛同し、瑞穂の国記念小学校の建設のために講演、寄付?までしてくれた首相夫人に対する「受恩の義務」を拒否し、幼稚園児に”安倍首相がんばれ”と言わせるなどの「非常識かつはた迷惑な行動」を「施恩の権利」として主張し、校名や寄付振込用紙に「安倍晋三名義」を冠することを「しつこく」迫って断られたことを、逆に”しつこい”と言われた、”はしごを外された”と逆怨みし、その腹いせに、首相夫人より寄付を受けた?ことを野党・マスコミに暴露し、これに乗じて安倍内閣を潰そうとする野党と連携して安倍首相を攻撃する・・・まさに「人を人と思わぬ」「世を世と思わぬ」大罪ということになる。

菅野完氏の「仕込み]と奸計

不思議なのは、こうした「常識的な見方」が、戦後の日本のマスコミ界にほとんど見られなくなったことである。籠池氏の場合も、証人喚問に呼ばれて堂々としていた、立派だったと褒めそやす人がいるが、本当に、彼は、自己保身に走る権力者に「はしごを外された」か弱き民間人被害者なのだろうか?小川栄太郎氏は次のような証言をしている。

「その後、(平成29年3月)10日夕方から、籠池理事長と電話のやり取りをし、メディア対応に限定した助言を数回やり取りした。ところが、3月15日夜、理事長の電話に出た夫人から「昭恵さんに裏切られた。許しません」と突然言はれ、一方的に電話を切られた。朝までの理事長とのやり取りは丁重なものだつたので驚いた私は昭恵夫人に即座に電話し、何かあつたのか尋ねたが、この数日連絡をとつてをらず何もしてゐないとの事だつた。」

ではこの間何があったか。
15日午後2時、日本外国特派員協会による記者会見をキャンセルした「籠池夫妻は菅野完氏に会つてゐる。そこで籠池氏の態度が180度変つたのである。メールから確実に推定されるのは、菅野氏が籠池氏に「安倍総理が地検に云々など」と荒唐無稽な話をそこで吹き込んだのだらうといふ事だ。 又、安倍総理からの寄付金100万円を「振込用紙」と共に主張しだしたのも16日で、これも菅野氏の仕込みであらう。この「振込用紙」は馬鹿げてゐる為、検証対象になつてゐないが、実は精査する必要がある。」

「実際菅野氏の仕込みの直後、籠池氏に野党4党が面会した。面会内容は非公開の約束となつてゐるといふが、証人喚問前に証人と召喚する側の非公表の面会などが許されるのか。籠池氏はなぜ証人喚問に応じたのか。議事録を精査すると、証人喚問で野党4党と証人の間で平仄のあひ過ぎるやり取りが多見されるが、なぜか。」(小川栄太郎)

この件について当の菅野氏は、週刊新潮のインタビューで次のように答えている。
「その本(『日本会議の研究』―筆者)の取材で、塚本幼稚園の問題は知っていたのにあまり書かへんかった。だから、国有地問題が火を噴いたのを機に、僕は園児に軍歌を歌わせるようなその異常性をもう一度掘り下げていこうと思った。ところが、他のメディアも役所の責任追及より右翼的教育を主に取り上げた。だから、僕が矛先を変えようかと。国、大阪VS幼稚園という構図で見ると、籠池理事長は弱者の立場なので、そちら側に付くことにしたのです」

「3月10日に記者会見が開かれたとき、僕が質問すると“あんたが菅野さんか!”と、籠池理事長はご立腹だった。でも、なぜか、長男の佳茂さんはニコニコしながら“後で時間取るから”と言うてくれはって。だから、佳茂さんにライン送って、翌日、会うことになった。そして、話しているうちに意気投合し、理事長の自宅に行こかとなったのです」(この話し合いで菅野氏は10時間位かけて佳茂さんに”ある事”を説得したという)

(3月12日籠池宅訪問)「とはいえ、過去の取材活動のなかで、塚本幼稚園の園児虐待疑惑などを度々取り上げてきたため、籠池理事長には“天敵”とも言える人物だった。だから、僕の顔を見るなり、“君のせいで、ウチがどないなっとると思うとるんや!”と怒鳴られ、僕も“あんたが悪いんやろ!”と怒鳴り返しました。その場は佳茂さんが仲立ちし、なんとか収まった。それから、僕が籠池理事長にメディア対策などを伝授していくと、妻の諄子さんからは“あんた、ホンマ悪知恵が働く男やなあ”とからかわれたりして、だんだんと心を開いてくれるようになったのです」

こうした経過は、自ずと「窮地に立たされた籠池氏は『藁をも掴む』心境で本来水と油の関係の左系議員や著述家?と手を組んだのではないでしょうか。」という小川氏の推測を可能にする。

また、当の菅野氏が籠池氏のスポークスマンとなった狙いは、「極右人脈と政治家が接近し、その蜜月から森友学園疑惑は起こった」という構図の下でこの疑惑を事件化することだった。それによって、財務省の国有地売買における不正や、大阪の松井知事の私学審審査への介入を暴き、さらに昭恵夫人からの100万円寄付を梃子に、安倍首相の不当な政治的働きかけをあぶり出そうとした。

私は、この問題が起こった時、籠池氏はなぜ正々堂々と正面突破を計らなかったか疑問に思ったが、「しばき隊」に属していたこともある極左の菅野氏と連携する姿を見て、刑事訴追されかねない何らかの不正を自覚していたのだろうと思った。それが3月10日の補助金申請取り下げになったのだろう。

籠池氏の「逆恨み」と「恩」の関係

おそらく菅野氏はそうした追い詰められた籠池氏を見て、次のような「策略」を計ったのだろう。

国有地払い下げには、必ず安倍首相以下維新の不正な働きかけがある。従って、この不正を突けば、彼らは必ず逃げ出し籠池氏を見捨てる。籠池氏は保身に走る政治家を見て失望、怒りの矛先を彼らに向ける。彼らは戸惑い籠池氏を批判する。その結果、籠池氏は自己防衛上、彼らこそがこの国をダメにしている元凶だとの心的転回に至る。

こうして籠池氏は、一転して安倍首相や松井知事を攻撃するようになり、「私こそ、信念なき自己保身の政治家らにおだてられ、木に登らされたあげく、はしごを外されたかわいそうな民間人」とのイメージを打ち出す。それをマスコミが宣伝することで、籠池氏に対する世論の同情が高まる。その結果、その後の籠池氏をめぐる状況は籠池氏に有利に展開する。

私は、結局、話はこのようには展開せず、籠池氏は孤立せざるを得ないことになるのではないかと思うが、こうした極端の心的転回がいわゆる伝統的を価値を重んずる人々になぜ起こるかと言うことについては一考する必要があると思う。

それは、端的に言えば、先に述べた日本人の「恩」を媒介とする相互債務の人間関係の中においては、法的な権利義務関係を厳格に設定することが忌避されるからである。この結果、今回の事件で問題となった「忖度」という現象が生まれる。松井知事は政治家は「忖度」には「良い忖度」と「悪い忖度」があるといい、安倍首相や野田元首相は「忖度はない」という。

では、この両者の関係はどう整理すべきか。私は、「恩」を媒介とする相互債務の人間関係こそ日本人のモラルの源泉だと思う。そうしたモラルをベースに、社会関係においては法的な権利義務関係が形成されているわけである。従って「忖度」はモラル面から見れば「良い忖度」となり、法的な権利義務関係から見れば「悪い忖度」となる。

そこで今回の森友学園事件をこうした観点から整理すると、まず、教育勅語の問題はあくまで教育問題であり、学校認可の問題や国有地払い下げの問題とは区別して論じるべきである。昭恵夫人の森友学園に対する100万円寄付が問題となっているが、これ自体は何ら問題ではない。また、そうした肩入れが後者の問題にどう関わったかは、今のところ一般的な行政問い合わせの域を出ていないようである。

また、こうした昭恵夫人の行動に関わって、安倍首相が後者の問題にどう関わったかが問題とされる。しかし、安倍首相自身は籠池理事長の「しつこい」働きかけに困惑しており、その土地取得に不当な働きかけをしたという動機も証拠も挙がっていない。そこで「忖度」と言うことが言われるが、行政手続きがしっかりなされておれば問題とはならない。

今回の場合は、近畿財務局に手続き上の”チョンボ”があったとされる。あわせて、松井知事の、私学審議会に対する学校開設認可の働きかけにおいて、森友学園の財務状況の把握が十分でなかった点が指摘される。この点については、籠池理事長自身も自覚しているらしく、学校建設に伴う補助金申請を取り下げている。

では、何が問題を大きくしたかというと、籠池氏が、元来天敵であったはずの菅野完氏らと連携して、学校認可の問題や国有地払い下げに、安倍首相や松井知事の不当な働きかけがあったと告発に転じたことである。それは、まさに冒頭述べた「極右の森友学園潰し、安倍政権潰し、維新大阪府市政治潰しを画策する勢力の思惑にはまることだが、ではなぜ籠池氏はこんな奇策に打って出たか。

端的に言えば、「逆恨み」であろう。問題の根本は、籠池氏が教育者に求められる人格を欠いていたこと。また、小学校建設のための資金力もなく、そのため、その認可・土地取得に伴う政治家への働きかけに無理があったこと。そこに左翼の活動家がつけ込み、その中に菅野完という「しばき隊」上がりの極左活動家がいて、窮状に陥った籠池氏の「逆恨み」を安倍内閣、維新大阪政治攻撃へと導いたのである。

では、今後どうなるか。籠池氏は破産から免れるか、何らかの不正を摘発され「豚箱入り」となるか。今回の国有地払い下げについては、近畿財務局の”チョンボ”も指摘されるし、大阪府より一度は学校設置認可が下りたわけだから、両者の責任も免れないだろう。今後の成り行きを見守るしかないが、残る問題は、今回の籠池氏の行動・言動が日本人にどう受け止められるかである。

なんと言っても、籠池夫妻の奇矯な言動、自分の責任を棚に上げ、自分の学校の教育方針に賛同し支援してくれた首相夫人が100万円の寄付?をしたと暴露し、それを、自分の学校建設のための土地取得に安倍首相が不正を働いた証拠として告発する。その、まさに「恩を仇で返す」行動は、私は日本人には決して受け入れられないと思う。日本人の「恩」と菅野氏の「怨」の闘いである。

昭恵夫人は100万円を寄付したか

ともあれ、昭恵婦人は、100万円寄付をしたか、しなかったか。この疑問を解くための最も良い資料は、私は、昭恵夫人と籠池夫人とのメールのやりとりだと思う。このメールでは10万円の講演謝礼について次のような会話が交わされている。

平成29年2月28日
安倍昭恵:私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。 申し訳ありません。

籠池諄子:『私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。 申し訳ありません』 あまりにひどい なぜその情報はどなたからですか 全国の方々から励ましのメールがどっさり届き励まされます 絶対おかしい!

安倍昭恵;報道をされたようなので、確認です。

籠池諄子:えーひどい ひどすぎます 応援メールをみていただきたいぐらいです。

これをみれば、籠池夫人は明確に10万円の講演謝礼を否定している。(森友学園の決算書には寄付支出40万の説明に昭恵夫人の名があるというが、これについては後述)。また、100万円の寄付については、3月16日の昭恵夫人の籠池夫人に対する「100万円の記憶がないのですが」の問いかけに対し、籠池夫人は何も答えていない。

一方、籠池氏は、3月23日の衆参両院の予算委員会、森友学園理事長籠池泰典氏の証人喚問で、「私とふたりきりの状態で『一人にさせてすみません。どうぞ安倍晋三からです」とおっしゃって、寄付金として封筒に入った100万円を下さいました。」と証言した。
また、10万円の講演料については、3月23日の証人喚問における民進党福山議員の質問に答えて次のように答えている。

福山。10万円を講演料として渡したというのは?
籠池:先に用意していた。講演が終わった後に渡しました。お菓子の袋に感謝と入れて、お持ち帰りいただいた。
福山:昭恵夫人に直接渡したでしょうか?
籠池:記憶がはっきりとしていませんので、申し訳ありません。
福山:100万円も10万円も、安倍総理側は否定されています。なぜ今となって公にしたのか?
籠池:当初から安倍首相に敬愛を持っていました。2月10日に事件が勃発して、国の方向性も見ていたが、2月23日にテレビ中継で、安倍首相が籠池氏はしつこい人だと言っていました。重要なのは我々はこの学園を作り上げようとしている時に、途中、手のひらを返すように、潰すようになってきたので、私自身も、何が動いているのかという気持ちになって、解明しないと国民の皆様に申し訳ないと思いました。(The Huffington Post執筆者:ハフィントンポスト編集部 投稿日2017年03月23日)

つまり、籠池婦人は、2月28日のメールでは10万円の講演料を昭恵夫人に渡したことを否定する一方、3月16日に籠池氏が四野党調査団に安倍首相から100万円の寄付をいただいたと証言したことが影響したのか、昭恵夫人からの3月16日の「100万円の記憶がないのですが」との問い合わせには何も答えていない。

しかし、例の100万円の郵便振込用紙の「受領証欄」の安倍晋三の文字は、その筆跡鑑定で9割方籠池夫人のものと言われている。よって、もし籠池夫人が100万円を昭恵夫人からもらっていたのなら、100万円いただきましたと返信するはずである。それをしなかったと言うことは、その100万円は、昭恵夫人からの寄付ではなかった・・・。

また、その籠池夫人が否定している10万円の講演料について、籠池氏が昭恵夫人にあげたと国会で証言したのは、この100万円の出所について、当時、籠池氏が昭恵夫人に差し出した講演料100万円を昭恵夫人が受け取らなかったので、それを寄付として処理したのではないかとの見方があったことを、否定するためのものと推察される。

では一体真相は?私は、10万円の講演料については、昭恵夫人は差し出されたが受け取らなかった。そして100万円は、実は籠池氏が用意したもので、それを「安倍首相の寄付」として処理し、その記録を残すため郵便振り込みの受領証「ご依頼人欄」に安倍晋三名を記入した。しかし郵便局が受け付けなかったので、やむなく森友学園に訂正した、と言うことではないかと思う。