次期リーダが小沢詣でをする民主党には民主政党としての資格はない
民主党が自民党に代わって政権を担当した時、日本にも漸く政権交代できる政党が出来たと喜んだ人は多かったと思います。というより、その程度には日本の民主政治は発展したのだと思いたかった、というより、それに賭けようとした日本人が多かったということだと思います。私もその一人でした。
しかし、そうして自民党政治を凌駕することが期待された民主党のリーダー達・・・、鳩山氏にしても菅氏にしても、自民党以下どころか一般国民の常識あるいは良識以下のルーピー又はペテン師だったことが明らかとなりました。なお、今、民主党の次期リーダーといわれる人たちが小沢詣でをしていますが、これなど、未だに彼らは、自民党政治の習作時代にあるということで、自民党政治脱却どころの話じゃありませんね。
民主党を支持した、というより政権交代を支持した自分としては、民主党が長く苦しい野党時代の勉強や経験を通じて、自民党政治を凌駕するだけの思想的鍛錬を、あるいは経ているのではないかと淡い期待を抱いたわけですが、次期リーダーとして名乗りを上げている連中の思想的レベルがこの程度だということは、この政党には政権担当の資格というより能力がないと言わざるを得ませんね。
ここしばらくは、そのバカさ加減を眺めさせられることになると思いますが、民主政治においては政治家の思想レベルは国民の思想レベルを超えられないわけで、戦後60年を経て未だにこの”ざま”だということは、戦後民主政治がいかに欺瞞に満ちたものだったかということになります。今後、政党間の合従連衡も始まることと思いますが、この欺瞞から脱却しない限り、同じことを繰り返すことになると思います。
こうした観点から見ると、大阪の橋本知事などは、自分の思想をはっきり言葉に出してそれを政策化し、かつ、それを民主的手続きを経て実現する思想的・政治的手腕を持っているようです。ただ、私は、氏の教育基本法理解は間違っていると思いますし、氏の教育委員会制度改革論も間違っていると思います。これは知事の権限を強化する方向ではなく、市教委の学校経営体としての自律と責任を明確にする方向で進めるべきです。
しかし、氏はこうした改革を公開の言論を通じて市民に訴え支持を獲得することに成功しており、それが激越なものであるだけに、これに対する言論を誘発することにもなり、それがガチンコ勝負になれば政治に参加する市民としては大変おもしろいですから、日本の民主政治の発展のためには大変良いことだと思います。今後の活躍を期待したいと思います。対抗する有力な言論への期待も含めて・・・。
なお、氏は、小沢氏とも会談をしたことがあり、その威力に恐れ入った風な報道がなされたことがありますが、この2年間の民主党政治の結末を見て、その根底に、小沢氏の”言葉のうそ”をあったことを、民主政治家としてどのように見ているでしょうか。これが、氏の政治思想が本物であるかどうかを占う試金石になると私は思っています。だって、民主政治に”言葉のうそ”は許されませんから。これは民主政治の基本的ルールです。 |