民主党のリーダーには、金権、ルーピー、ペテン師の外にヤクザもいた!

2011年7月 4日 (月)

 先日(6月22日)の、フジテレビのプライムニュース「どうなる国会会期延長、首相退陣条件再表明(後編)を見ていてびっくりしたことがあります。ゲストの一人に民主党副代表の石井一氏がいて、菅首相の退陣時期について、次のように主張していました。

 「自民党の首相は1年で放り出したが、菅首相は粘っている。首相は二次補正、特例公債、再生法案の道筋が付けばやめるといっている。その見極めが付かないからやっているのだから、そこまで見守ってあげるべきだ。問題は菅の後は誰が良いか、誰もいないから困っているわけで、今の時期は選挙も出来ないし、従って、菅がやめればいいとも言えない。しかし、以上の三点の法案処理をしてもらえれば菅はやめるし、やめさせる。その後、新しい顔が決まったら、自民党にも”仁義切りますから!”」

 確かに、自民党の二世首相等の”だらしなさ”はご指摘の通りだと思いました。それに比べれば”菅は確かに粘っている”わけで、その点は評価すべきと思いました。つまり、首相になった以上、マスコミが流す世論調査などには惑わされず、4年の任期は必ず全うするつもりで首相の任を果たしてもらいたい。また、その覚悟をもって首相になるべきであり、また、それに耐えるだけの首相を国会議員は選んでいただきたい、ということです。

 それはよろしいのですが、しかし残念ながら、菅氏などの場合は、もともと首相になるべき人材ではなくて、こういう場合は、村山氏のように潔く身を引く謙虚さを持つべきだと思います。それにしても、石井氏の、「仁義を切る」という言葉はいただけませんね。これは、「やくざ言葉」であって、今日の政界でも当たり前のように使われているのでしょうが、私も、ヤクザにからまれた経験があって、そのすさまじさを知っているだけに、こうした言葉使いは、選良たる政治家の世界からはぜひ追放して欲しいと思いました。

 ところが、それどころの話じゃないことを、YOUTUBEの「松本復興相、宮城県知事を叱責 記者恫喝」の動画で目撃しました。

 これは、この度の政府の役員人事で復興大臣となった松本龍氏が宮城県庁を訪れた時、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」といいつつソファーに座り、「数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否」し、村井知事に次のように語ったシーンです。

 松本氏
「(水産特区)は県でコンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。ちゃんとやれ」
(知事に対して)「いまあとから入ってきたけど、お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか? 長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。わかった?しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」

 ”オフレコなのに報じてしまった東北放送は、松本氏によって終わってしまうのか?”などとコメントが書かれていますが、これ、オフレコ扱いされるべき発言でしょうか。

 今までも、何度か”オフレコ”と断ったはずの言葉をマスコミに流されて、辞任を余儀なくされた大臣がいました。そのオフレコの定義ですが、「日本新聞協会編集委員会はオフレコについて、ニュースソース(取材源)側と取材記者側が相互に確認し、納得したうえで、外部に漏らさないことなど、一定の条件のもとに情報の提供を受ける取材方法で、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない「取材源の秘匿」、取材上知り得た秘密を保持する「記者の証言拒絶権」と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある。」と解説しています。(wiki「オフレコ」参照)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%B3

 そこで、先の松本大臣の発言ですが、これ「オフレコ」となるのでしょうか。「今の最後の言葉はオフレコです」という、その最後の言葉とは「長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。わかった?しっかりやれよ。」だろうと思いますが、これは「取材源を秘匿することによって得られる政治家の本音の言葉」などと言えるものではなく、単なる暴言に過ぎないのではないでしょうか。

 このヤクザまがいの、ほとんど恫喝に近い”言葉遣い”。これは政府の震災復興担当大臣が、被災地である宮城県の知事を公式訪問し、知事室において知事に対してなした発言であって、およそ公職にあるものが公の席で使うべき言葉遣いではないと思います。要するに、知事の出迎えがないのに腹を立て”カッ”となって暴言を吐いたということなのでしょうが・・・。

 菅首相についても言えることですが、こうした感情むき出しの恫喝的発言・・・政治権力者がその政治権力を維持するための手段は、ガルブレイズによれば、「威嚇・報償・条件付け」だそうで、そこで松本大臣は出迎えをしなかった知事に対して、「長幼の序がわかっているか」と「威嚇」し、復興資金という「報償」を見せびらかし、バッタのように唯々諾々と自分に従うよう彼らを「条件付け」ようとしたのでしょう。

 しかし、世の中の平等主義が強くなればなるほど、その社会において求められるリーダーシップの型は、「人望主義」にならざるを得ないといいます。では、この「人望」とは何か。まず、「克伐怨欲」を抑え「礼」に復ること、つまり、他人を押し倒し、オレがオレがと自己主張し、それがかなわないと怨み、私欲を逞しくする。そういった感情を「自己抑制」し、「礼儀にかなった振る舞い」を身につけることです。

 で、この松本大臣のYOUTUBEで見られる態度についてですが、まずこの言葉遣い、その恫喝的口調・態度・・・私はかっての自民党政権時代においても、このような風景は見たことがありません。その露骨な威張り方は、およそ政治家・・・まして国務大臣としての品性を疑わせるに十分で、一体こうしたヤクザまがいの大臣が出てくる民主党政権なるもの、まるで”お化け屋敷”のようで、首相の任命責任どころの話じゃありませんね。

 そして、松本大臣のホントの最後の言葉、”今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから”の、”その社は終わりだから”ですが、マスコミはこの言葉をスルーするのでしょうか(この発言をそのまま伝えず、言い換えた社がほとんどですが)。まさか、戦前のようにテロの襲撃を懼れているわけでもあるまいと思いますが・・・。いや、テロに遭う危険があっても守り通さなければならないものもあるはずです。

 なお、これだけ民主党政権が”お化け屋敷”であることが明らかとなっても、自民党の支持率は上がらない、その原因ですが、私は、その主張が明快さを欠いているからだと思います。民主党程ではないにしても、自民党も思想的に混沌としており、また、谷垣首相も”一緒にやろうぜ”では求心力になりません。従って、今後は、政党解体、政界再編しか道はないと思いますが、しばらくはこうした訳の判らない状態が続くのではないでしょうか。

 私は長年、山本七平の言葉を聞いていますが、一種通奏低音のように私の耳朶に響いている言葉があります。それは、日本が大東亜戦争に破れ、日本軍将兵が南方の捕虜収容所に入れられた時のこと。軍の階級が剥奪され、その後、収容所の中で自然発生的に生まれた秩序が、なんと暴力団支配だった・・・そして、それがほとんどの収容所において例外なく起こったと、いうことです。

 私は、上記の松本大臣の言葉遣いに、かって経験した暴力団の恫喝的論理そっくりのものを感じ、実にいやな思いを致しました。断じて日本のマスコミはこれを看過すべきでない。日本の政治の論理は決して暴力団のそれであってはならないはずだ。マスコミには是非その理非を、国民の前に明らかにしていただきたいと思います。どうせ、政治家にはお茶濁しのようなことしか出来ないでしょうから。