「金権」「ルーピー」「ペテン師」だった民主党のリーダー

2011年6月 3日 (金)

 自民党から民主党に政権が移る時の私の考えは「あれよあれよの政権交代劇――「小泉がつき、麻生がそこねし天下もち、ちぎりまるめて、食うは鳩山(小沢か?)
で論じた通りです。次にその冒頭の三パラグラフを示します。

 「まさに地滑り的な民主党の勝利で歴史的な政権交代となりました。55年体制以降初めてといわれますが、二大政党制のもとでの政権交代劇という意味では戦後初めてといってよいと思います。はっきり言って、私は、小沢一郎氏の金権体質は看過されべきでないと思っていました。また、鳩山由紀夫氏のユーモアのかけらもない生真面目な弁論スタイルも好きになれませんでした。また、民主党の、郵政民営化を始めとする小泉構造改革批判、特に格差問題をその帰結と断じる党利党略、子ども手当、高速道路無料化などのバラマキ政策もばかげていると思いました。

 しかし、注意深く見ると、民主党の政策の根幹は、実は小泉構造改革の果実を盗み取り、整形を加えた上で、あたかもそれが民主党オリジナルの政策であるかのように粧ったものではないか、そんな風にも思われました。というのは、その中心的な政策課題は、官僚の天下り廃止や独立行政法人改革を始めとする「行政の無駄をなくす」こと。霞ヶ関官僚支配の政治体制を政治家主導の政治体制に切り替えること。政府の権限と財源を地方に移管し、地方分権を「地方主権」を呼べるレベルにまで高めること、等どこかで聞いたことがあるものばかりだからです。

 つまり、これらはまぎれもなく、小泉元首相が目指した政治・経済の構造改革、行政・特殊法人改革、地方分権改革を継承するものなのです。それどころか、「子ども手当」等バラマキ政策として批判される各種の給付政策や、高速道路無料化のために必要となる財源は、全て行政の無駄をなくす政策によって生み出されると極言されているのです。違うのは、鳩山氏が「新自由主義的な市場万能主義」に対する批判をしていること位ですが、これも、行き過ぎた市場原理主義に「大枠で公正なルールや安全性を確保する」というほどのことでしかないらしい。」

 以下、神保氏の本「民主党が約束する90の政策で日本はどう変わるか」を参考に、民主党に期待できるところと、危うきところについて私見を述べました。結果的には、民主党は、いわゆる「4k」といわれるばかげた「ばらまき政策」に固執しただけで、より根本的な次のような政策理念の転換には全く手がつけられずに終わりました。

 「民主党のマニフェストには、前回、教育行政制度改革についてみたように、自民党のマニフェストには見られない、重要な制度改革提言が、数多く掲げられている・・・。また、そうした制度改革の基本理念として、次のような、”バラマキ”という言葉から受ける印象とは無縁の、市民としての自立を求める力強いメッセージ――他力本願からの脱却、お上意識からの卒業、機会均等・フェアープレーの精神、未来への責任、公正な負担の要求、フリーライド(ただ乗り)の禁止など――が、繰り返し表明されています。」

 なぜこんなことになったか、つまりは、これらの政策理念が”偽札”だったということで、そのことは、この民主党を創り支えてきた三人のリーダーに冠せられた言葉が「金権」「ルーピー」「ペテン師」だったことで明らかだと思います。

 昨日来、菅内閣に対する「内閣不信任決議案」提出をめぐるごたごたが続いていますが、この間、とりわけ私の印象に残ったのは、この決議案に対する反対討論を行った民主党の山井和則氏の演説内容及びその態度でした。

 子供会じゃあるまいし、既に不信任決議案を国会に提出している自民党に対して、頭を壇上にこすりつけて、ひらぐものように懇願する姿を見ると、民主党議員は、国会が言論を弾丸とする戦場である事が判っていない!と罵声の一つも投げつけたくなりました。

反対討論 反対討論「山井和則」
http://www.youtube.com/watch?v=T6XdrO9iWe8&feature=related

 これに比べれば、何となく、そのイメージが水戸黄門の時代劇に出てくる”悪代官”風で、その物言いも時代がかっていて、支持する気になれなかった大島理森氏の「内閣不信任案」提出理由説明演説は、年季の入った堂々たるものでしたね。

内閣不信任決議案 提案 大島理森
http://www.youtube.com/watch?v=qebBLlSmJpc&feature=related

 いずれにしろ、この言論戦の天王山に、山井和則氏のようなアマチュアを送る民主党の気が知れませんが、もう一つ、この決議案採決の直前に取り交わされた、鳩山前首相と菅首相との間の「確認書」の内容にも驚きました。

 一、民主党を壊さないこと
二、自民党政権に逆戻りさせないこと
三、東日本大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと
(1)復興基本法案の成立
(2)11年度第2次補正予算の早期編成のめどをつけること

 ここで、”辞任”の文字がないことが鳩山氏と菅氏の間で水掛け論になっていることなど、ありそうなことで驚きませんが、この冒頭の一、二がいずれも、党利であり、”一度転がり込んだ権力は絶対手放さない”という”私利”の宣言であることは、民主党の思想を知る上で注目すべきだことだと思います。

 先ほど、民主党の政策理念は、「偽札」だった、ということを申しましたが、その本音の思想はこの「公私混同」の域を出ていなかった、ということだと思います。少なくとも、この三人の民主党結党以来のリーダーにおいて、この区別が付いていなかった事は明白です。

 今月号の『正論』に岸田秀氏が「原発と皇軍」という記事を書いています。その中に、日本軍が惨敗した第一の重要な原因は「日本軍が多くのばらばらな自閉的共同体の雑多な集まりであって、一つの確乎とした目標をめざし、全体を視野に収め、統括する統合された団体ではなかったことあった」という指摘がなされています。

 そもそも民主党のいう「政治主導」とは、日本の政治過程において「自閉的共同体の雑多な集まり」が「メンバーの安全と利益」のみを優先し、「共同体外の者がどうなろうと無関心」な政治から、「一つの確乎とした目標をめざし、全体を視野に収め、統括する統合機能をもつ政治」に転換することだったはずです。

 それが、この結果はどうですか。民主党自体がまさに「自閉的共同体の雑多な集まり」であって「メンバーの安全と利益」のみを優先し、「共同体外の者」(この場合は日本国民)がどうなろうと無関心」な政党であった。それどころか、各共同体のリーダーに「実力」と「人望」が欠けていた。

 こうした組織が早晩分裂を余儀なくされることは当然といわなければなりません。皮肉なことに、民主党のこうした末路が、鳩山前首相による菅首相に対する「ペテン師」攻撃で”華を添える”ことになったわけですが、改めて、”世間をごまかす事はできないものだ”と痛感されたことでした。

 参考までに、私論「菅内閣の正体不明」を紹介しておきます。