鳩山前首相「トロイカ+1」の「怪」、小沢氏民主党代表選出馬の「怪」、その帰結は?

2010年9月6日 (月)

 鳩山元首相が菅首相と小沢元幹事長の間をとりもとうとして提唱した「トロイカ+1」とは、どんな政治体制のことだったのでしょうか。

 一般的には、菅首相が「小沢氏にはしばらく静かにしていてもらいたい」といって、小沢閥を人事的に疎外しているので、小沢氏はそれに強い不満を持っている。しかし、これを放置しては党内の融和が保てないので、「友愛」を信条とする鳩山前首相が、菅首相に9月の代表戦で菅氏を支持する条件として、以前のトロイカ体制、つまり、菅氏、鳩山氏、小沢氏の三者に輿石氏を加えた、四者による民主党の集団指導体制を取るよう提案した、という風に理解されています。

 これに対して菅首相は、8月30日、鳩山氏との会談で、小沢一郎前幹事長を加えた「トロイカ+1」体制を重視して政権運営を進めることで一致し、小沢氏と31日に会談をもつこととしました。その際、31日の会談には、鳩山氏と輿石参院議員会長も同席することとしました。

 「しかし、首相は31日午後、国会内で岡田克也外相、前原誠司国土交通相、枝野幸男幹事長ら小沢氏と距離を置く閣僚・党幹部らと会談した際、小沢氏との対決を回避する『話し合い解決』への批判を受け、小沢氏との対決姿勢に再びかじを切った。」(菅首相は31日の鳩山、小沢、輿石会談には出席せず、鳩山氏と電話でやりとりし、下記の人事案を前提とするトロイカ体制を拒否した)

 このことについて、「首相は出馬会見で『できるだけ融和を図ろうという姿勢で臨んできたが、小沢さんは選挙は選挙として戦おうということだった』と、交渉決裂の経緯を説明。挙党態勢の認識については『全党員が参加できる党こそがまさに挙党態勢』と述べた。」とされます。

 一方、小沢氏は「(首相側から)『話し合いを持つことは密室批判を受けかねないので、やりたくない』という趣旨の話があった」と舞台裏を暴露。「話し合いをして、挙党一致の態勢を作るような形はとるべきでないというお考えだったようだ」と述べました。

 これらのマスコミ報道だけでは意味がよく分かりませんが、要するに「小沢側は幹事長の役職、つまりカネの割り振りをする権限をよこせ、といっている。それに菅直人はNOを出したわけです。だから立候補する、となったわけです。」(『内憂外患』「上杉隆×高野孟 小沢一郎はなぜ、代表選に出馬したのか(上)」高野談)ということだったのでしょう。

 ところで、この鳩山氏が菅氏に提案したトロイカ体制とは、一体、どのようなものだったのでしょうか。これは、もともとは次のような、ソ連のスターリン死後にできた集団的国家指導体制を指す言葉でした。

 「1953年にソ連でスターリンが死去すると、ゲオルギー・マレンコフが党第1書記、首相を兼任し権力を掌握した。しかし集団指導体制を目指すマレンコフは党第1書記をニキータ・フルシチョフに譲った。最高会議幹部会議長にはクリメント・ヴォロシーロフが就任しトロイカ体制が成立する。」(WIKI)

 この伝で行くと、首相は菅首相だが、党第一書記にあたる民主党幹事長は小沢氏、それに鳩山氏と輿石氏を加えて「最高会議幹部会」のようなものを作り、その議長に鳩山氏を据える、といったものであったことがわかります。

 しかし、これでは、民主党の実権は、金(政党助成金300億円の配分)や、組織(議員の公認権や党及び政府の人事権)を、全て小沢氏に牛耳られることになってしまいます。また、「最高会議幹部会」においても、小沢派が3対1で会議を支配できますので、菅首相は実質的な権力を失ってしまうことになります。

 従って、菅氏が、鳩山氏との会談で「小沢一郎前幹事長も加えた「トロイカ+1」体制を重視して政権運営を進めることで一致した」というのは、あくまでも「全党員が参加できる党こそがまさに挙党態勢」ということで、決して、上記のような人事を前提とした「トロイカ体制」を認めたものではなかった、と思います。

 もし、一部マスコミがいうように、菅首相は、30日段階ではそうした「トロイカ体制」を一度は認めながら、翌日になって、伸子夫人あるいは前原氏や仙石氏らの反対にあって変身した、というのが本当なら、この人の政治信条とは一体何か、首相に居座りたいだけか、ということになってしまいます。

 それにしても、この間のトロイカ体制の復活から小沢氏の代表立候補に至る経緯を見てみると、小沢氏の、民主党の金と組織を掌握しようとする権力意志がどれほどすさまじいものであるかわかります。一方、鳩山氏があの辞任会見で見せた「潔さ」は、とんだ”食わせ物”であったこともわかります。

 ガルブレイズによると、権力の源泉とは、「個人的資質」、「財力」そして「組織」といいます。つまり、これらの権力の源泉を掌握することによって、始めて、威嚇権力(公認外し、人事差別など)、報償権力(威嚇の反対)、そして条件づけ権力(たとえば”豪腕”という伝説を人びとに条件反射的に信じさせること)を操作でき、権力を行使することができるのです。

 ではなぜ小沢氏は、これほど幹事長職にこだわるのか、それは、一に、権力の源泉である民主党の金(=「財力」)と「組織」を握るためで、それによって、日本国の政治権力を我がものにすることができるからです。まあ、政治家なら権力闘争をするのは当たり前、という人もいるでしょう。だが、小沢氏にとっては、今、そういった権力闘争をすることは極めて危険である事も事実です。

 それは、氏の政治家としての「個人的資質」が、現在、その政治資金の集め方、使い方をめぐって、国民の強い疑念にさらされているからです。従って、本当なら、このようなタイミングでは「首相」に立候補すべきではない。もし、氏が、本当に、自分の潔白の証明に自信があるなら、まずそれに全力をあげるべきなのです。しかし、それはできない。

 なぜか。それは自分が再び権力を掌握しない限り、自分に懸けられた先ほどの疑惑を突破することはできないと考えているからです。従って、今回の代表戦で菅氏に「小沢外し」を撤回させることができなかったら危ない。だから、まず、鳩山氏に「トロイカ+1」体制の復活を菅首相に持ちかけさせ、それに同意しないならば代表戦に出るぞと脅しをかけたのです。

 しかしうまくいかず、やむなく代表戦に出馬することになった。そうなれば、氏は、もともと権力を握るためなら、以前の言動と矛盾することでも平気で言う人ですし、民心への迎合も、政敵との野合も平気です。権力さえ握ればどうにでもなると考えている。それは、氏の『日本改造計画』後の豹変ぶりを見れば一目瞭然です。若い人はそれを知らないだけです。

 最近( 2010/08/25(水)小沢氏は、「日本のあらゆる分野で精神の荒廃、劣化が急速に進む」という講演を行っています。恐るべき厚顔無恥だと思いませんか。また、全特に迎合する一方「行政の無駄を徹底的に省く」とか、政治主導の徹底を叫んで「官僚批判」を盛んにしています。前者は票、後者は、その主たる標的が検察であることはいうまでもありません。

 まあ、菅氏としては、政権を手放すわけにはいかないから、例え代表戦で勝っても、小沢氏を敵に回すようなことはしないでしょう。小沢氏はその菅氏の権力欲につけ込んで組織の実権を握ろうとするでしょう。両者とも権力を握ることが目的だから・・・。その結果、政策的には今後とも漂流が続くことになると思います。この点は、保守も事情は似たりよったりですからね。

 では、もし小沢氏が勝ったらどうなるか。私は、こちらの方が小沢氏にとってははるかに危険だと思います。となると、前者の形が、裏舞台での落としどころとなるのでは?代表戦公示後のお二人の演説を聴いていると、なんとなく、そんな思惑が透けて見えるような気がしました。もしこれが、西岡氏が言うように本物の権力闘争となるなら、一歩前進だと私は思うのですが・・・。