なぜ日本の政治は、国民の支持をまともに受けていない極小政党に振り回されるのか

2010年6月11日 (金)

*「山本七平学のすすめ」談話室記事再掲 

鳩山内閣が退陣し菅内閣が誕生して亀井大臣が辞任するまでの民主党の政治を振り返ると、その一大特徴は、わずか衆参十数名の極小政党が三百を優に超える大政党を振り回してきたことです。特に、日本の安全保障に関わる沖縄の普天間基地の移設問題については社民党に。小泉内閣以降9年もかけて取り組まれてきた郵政民営化については、国民新党に翻弄されてきました。

もちろん、鳩山前首相がこれらの問題について確固たる方針をもっていれば、ここまで問題がこじれることはなかったと思いますが、この辺りの前首相の認識は曖昧でしたし、民主党自体も、政権交代の違いを出そうと、いたづらに前政権の政策を無視する態度に出て、実に子どもより悪いと思いました。

普天間問題については、最終的にはなんとか日米共同声明まで持ち込みましたが、沖縄の不信を買い問題解決を極めて困難なものにしました。また、郵政問題については、亀井大臣は参院選前までに郵政改革法案を民主党に強行採決させようとしましたが、所詮無理な話で、ついに自ら郵政改革担当大臣の職を辞するに至りました。

民主党としては一先ず、やれやれといったところでしょうが、参院選後の国会で郵政改革法案の成立を図るとの「覚書」を国民新党と交わしているそうですから、第二幕があるのかもしれません。しかし、参院選後は政局は全く判りませんし、第一、こんな亀井氏個人の怨念というか妄念に端を発したばかげた政策が、まともな国会論戦に耐えられるはずもありません。

もちろん強行採決すれば別ですが、民主党がそこまで国民新党に義理立てしなければならない情況が再び訪れるでしょうか。私は、そもそも、鳩山内閣における民主党政治の混乱の第一原因は、民主党が、社民党や国民新党と言う、その政策理念や将来ビジョンが異なる政党と連立したことにあると考えますから、この教訓を生かす限り、同じ轍を踏むような連立は避けると思います。

いずれにしても今後の日本の政治にとって大切なことは、政党が、自らの政策理念や将来ビジョンを国民の前に明確にするという事です。また、連立を組むことがあっても、その理念やビジョンが全く異なるような政党とは決して連立すべきではない、ということです。

このような政党の政策理念や将来ビジョンを無視した、頭数だけそろえばいいといったような、いわば野合的連立を最初にしたのは、言うまでもなく小沢一郎氏です(社会党を含んだ細川連立政権)。その無理が、その後の氏の「政治とかね」の問題を異常なものにしたのです。なにしろ、政策ではなく、権力欲だけで人を釣るのですから、なんとしても組織を握る必要であり、そのためには金が不可欠でした。

不幸なことに、民主党はこの小沢氏の手法によって誕生したわけで、社民党や国民新党との連立もこうした手法の延長なのです。はたして、こうした出自の因縁を民主党はどれだけ脱却できるか、これが、今後の民主党を占う最も重要な観点になると思います。場合によっては、党分裂ということも避けられないかも知れませんね。

おそらく、多くの国民は、国民の支持を受けていない極小政党が、なぜ国政においてこのような強大な権力をふるうことができるのか、いぶかしく思ってきたのではないでしょうか。制度的に仕方ないのか、とあきらめた人も多かったでしょう。でも、この見方は間違っています。

問題は、政党が国民に明示した政策理念とは全く関係のない、ただ数合わせだけで権力を握りさえすればいいという、権力至上主義的な政党作りをしてきたことです(このことは民主党自体にも言える)。これこそ、民主主義国家における政治家の国民に対する最大の欺瞞であり裏切りというべきです。

残念なことに、こうした権力亡者的な政治行動は、小沢一郎氏だけでなく、最も純粋?に民主主義の徹底を主張する社民党までがその走狗と化し、さらに、こうした憂うべき事態に対に対して、三百を優に超える民主党議員が、若手の議員も含めて恭順の姿勢を示してきたことです。

はっきりいって、国会議員の数は半分くらいに減らして、各自の言葉や行動が、討論を通じてはっきり見えるようにすべきですね。それによって、政治家が単なる数ではなく独立した見識と政策を持つものであることを示すべきです。政界こそ、政策論争というフィールドにおける”下剋上”あるいは”戦国”になってもらいたいですね。