鳩山・「亀福」内閣後の小沢「普通の国」政治の行方

2009年10月30日 (金)

 鳩山邦夫元総務大臣の「正義」連発報道が発端となって、自民党崩壊から民主党政権誕生に至るまでの国内政治の推移についてフォローしてきました。それまでは、昭和史における青年将校の暴走について考えていて、その最大責任は、軍人というよりむしろ政治家にあったのではないか、などと考えていました。というのは、軍の政治介入を決定的にした「統帥権干犯」騒動は、実は、政友会による党利党略のための「軍の抱き込み」の結果引き起こされたものだったからです。そして、これを主導したのが政友会幹事長森恪、それに沿って政府・民政党を国会で追及したのが、政友会総裁犬養毅と鳩山一郎でした。

 今年の5月3日に放送されたNHKジャパンデビュー「天皇と憲法」でもこの問題を取り上げていました。しかし、当時の政局に配慮したのか、あえて鳩山一郎の名前は出さず、犬養毅の責任だけを追及していました。しかし、実際は「統帥権干犯」に引き続く政友会の議会攪乱については犬養首相は極めて消極的で、にもかかわらず、幹事長森恪は独断でそれを推進し、鳩山一郎はそれを積極的に支援したのです。そんなことを考えていたところに、その孫の鳩山邦夫総務大臣が、かんぽの宿売却問題を追求して「正義」を連発し、兄の鳩山由紀夫民主党代表がそれを後押しする姿に接したのでした。

 私は、今までに度々論じてきた通り、小泉構造改革には賛成の立場をとってきました。従って、郵政民営化も必要な改革だと思ってきました。ところが、鳩山邦夫氏の、郵政社長西川氏に対する”国民の貴重な国有財産をかすめ取った”というような非難の仕方が、あまりにも一方的で、一体いかなる証拠があって、人を犯罪者扱いするのか。あまつさえ、自らを「正義」だと公言してはばからないその態度に、政治家の恐るべき傲慢さを感じたのです。私は、ベンダサンの言った「正義を口にすれば必ず汚れる」という言葉を肝に銘じていますので、かくも軽々と「正義」を口にする政治家に不審に感じたのです。

 この件は、当初、鳩山邦夫氏の個人的「思いつき」によると説明されてきました。しかし、今日までの情報を総合してみると、西川社長の押し進める郵政民営化に反対する総務省官僚などの情報操作もあったのではないかと推測されます。そこで、鳩山氏は、選挙を間近に控え郵政票の回帰を望む麻生首相と連携し、うまく西川社長を退任させることで、郵政民営化の見直しに着手しようとしたのではないかと思われます。しかし、これが党内の郵政改革グループの激しい反発を生み、この混乱の中で妥協策が模索されましたが、鳩山氏は”思惑”はずれもあって「正義」に固執し、妥協を拒み続けたのです。

 この混乱に野党が「千載一遇のチャンス」とつけ込むのは当然の話で、国会で「かんぽの宿一括売却」にいたるプロセスに疑惑があると追求を始めました。また、マスコミもこの疑惑を盛んに報じ、鳩山氏も正義の味方よろしくパフォーマンスを繰り広げましたので、あたかも、本当にこの間に不正があったかのような空気ができてしまいました。しかし、あれだけ騒がれながら、今日までその不正の証拠が提示されていないところを見ると、実はこれは「事件」ではなく、その本質は「政争」に過ぎなかったのではないか、と思われます。(いずれ公平な調査が行われ事実が判明すると思いますが)

 しかし、結果的には、この問題が自民党内で決着するまでに、なんと6ヶ月もかかってしまいました。この間民主党は、「かんぽの宿」売却問題を突破口として、郵政民営化の見直しの必要性や、さらには小泉構造改革が日本を格差社会に変えたとする宣伝を巧みに行いました。一方、麻生首相も、この問題の処理について「ブレ」が生じ(当然ですが)、さらに、鳩山氏に私信を暴露されるという「みっともなさ」も重なり、国民の自民党に対する不信を一気に爆発させることになりました。それに、東国原宮崎知事による、自民党総裁擁立を条件とする立候補承諾、という話までありましたね。

 このように見てくると、政党間の政権をめぐる駆け引きは、まさに策略・秘略をつくした「仁義なき闘い」であることが判ります。冒頭に紹介しましたように、かっての政友会は、政権党である民政党を斃すためには、「統帥権干犯」騒動まで引き起こして軍部を味方につけようとしました。その中枢に鳩山一郎もいたわけで、ただし、今回の場合は、引き込まれたのは軍ではなく国民ですから、民主政治としては当然のことといえますが、それが政略の一環としての言論に過ぎなかったことを、国民としてしっかり見ておく必要があると思います。それが、政権奪取後の民主党の行動をチェックする唯一の方法だからです。

 その意味で、今回の「かんぽの宿」問題が猖獗を極める中、鳩山由紀夫氏が言ったという次の言葉は、誠に意味深長といわざるを得ません。

 「私は正攻法で正面から(自民党に)戦いを挑み、政権交代を果たしたいと願っているハトだが、もう1羽は中から内臓をえぐってしまうのではないか」

 「友愛」などという福祉的な看板の裡には、そうしたすさまじいばかりの権謀術数が隠されているのかも知れませんね。

 さて、今回も前置きが長くなってしまいましたが、本題に入りたいと思います。

以上のようなわけで、民主党に政権が移り、「国民との契約」と称するマニフェストをもとに現在民主党独自の政策が実行に移されつつあります。その一つに、前述した「郵政民営化の見直し」があります。民主党は国民新党との連立によって、郵政担当大臣に亀井静香氏を任命し、亀井氏はその連立合意に従って、郵政民営化の見直しを大胆に進めています。今回、亀井氏は西川社長を政治的に追放する事に成功し、その代わりに、かって小沢氏と盟友関係にあった元大蔵次官斉藤次郎氏を次期社長に据えました。

 こうした人事に対して、小泉内閣のもとで郵政民営化を推進した竹中平蔵氏は、、「なぜなのかを明確にせず(西川氏の郵政社長としての経営責任が明示されないまま=筆者)、正式な手続きを踏まず(社長人事は同社の指名委員会の権限=筆者)、嫌がらせのように一民間人に圧力をかけた。尋常ではない」と激しく抗議しています。また、10月25日のサンプロでの大塚耕平金融副大臣との討論では、亀井氏のすすめる郵政民営化見直しは、郵政国営化に戻すことであり、そのような亀井氏の主張を民主党も受け入れたのだから、その通りすべきだ。中途半端な民営化は最も危険、と主張しています。

 そして、多くの論者が、こうした郵政民営化の見直し、つまり郵政の国営化に対して危惧の念を表しています。しかし、私は、民主党は郵政国営化はやらないと思います。また、亀井氏もそれをごり押しするつもりはないと思います。要するにこれは権力闘争で、亀井氏にとっては、小泉氏のおし進めた郵政民営化をぶっ壊し、氏が任命した郵政社長を追放すれば気が済むわけで、それが首尾よくいった後は、郵政民営化による改革を押し進め経営改善を図ると思います。四分社化も郵便局会社と事業会社を統合するくらいでごまかすのではないでしょうか。結局、竹中氏の言う中途半端になるのかも知れませんが。

 というのは、先の討論で大塚耕平副大臣は、元郵政公社社長の生田氏の考え方を引き継ぐようなことをいっていましたし、また、原口総務大臣も一定の猶予の後、郵貯、簡保の株式上場をするといってました。亀井大臣は俺の権限だといって怒ってましたが、おそらく政治的タイミングが悪いという意味でしょう。おそらく、この問題も、例のモラトリアム宣言と同じやり方で、常識的な「落としどころ」で収めるつもりなのです。つまり、結果さえよければ、そのプロセスにおいてどれだけ「漫才」をやろうとかまわない、世論は結果的に勝利を収めた側につく、といった考え方なのです。

 なぜ、私がこのような判断をするかといえば、実は、この問題の背後に小沢氏が控えているからです。氏の公式サイトに書かれた次の「政策」を見て下さい。

特殊法人等の廃止・民営化
特殊法人、独立行政法人、実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人等は原則として、すべて廃止あるいは民営化する。それに伴い、それにかかわる特別会計も廃止する。今日、どうしても必要なものに限り、設置年限を定めて存続を認める。

経済の持続的成長と財政の健全化
個別補助金の全廃と特殊法人等の廃止・民営化により、財政支出の大幅な削減を実現すると同時に、本来民間で行うべき事業から政府が撤退し、民間の領域を拡大することで、経済活動を一層活発にする。それによって日本経済を持続的成長の軌道に乗せ、税収を増やすことで、財政の健全化を加速する。

この基本政策から、「郵政国営化」が生まれるはずがありません。では、なぜ亀井氏を野放しにしているか、はっきりいって、この問題について何らかの責任を問われるようになった場合のスケープゴートとして、利用価値があるからでしょう。この点は福島氏についても同じです。あるいは、亀井氏はこうした危険性は当然察知していて、斉藤氏に「負い目」を持つ小沢氏の歓心を買おうとしたのかもしれません。いずれにしろ、民主党が参議院においても二分の一を確保した後、国民新党あるいは亀井氏自身が生き残るためには、民営化の方向は拒否できないと思います。

 これらの方向性は、小沢氏の過去の政治的主張や行動を見てもわかります。小沢氏の本来の主張は、「普通の国」作りを進めることなのです。その思いは、1990年8月の湾岸戦争において、自民党幹事長として、135億ドルにも及ぶ世界一の経済貢献を行いながら(この時の資金拠出に協力したのが大蔵省の斉藤次郎氏)、国際社会に認められず、クウェート政府の感謝広告にも日本の名前は出なかった、という苦い経験に基づいています。それが小選挙区制の導入という政治改革構想につながっていったのです。

 もちろん小沢氏は、こうした思いきった選挙制度改革(「小選挙区比例代表並立制」の導入)によって、政界の再編を行い、それまでの自民党の「後援会」を中心とする政治システムを「政党本位、政策本位」の二大政党制に変えようとした、これは間違いないと思います。しかし、そのもう一方の目的は、湾岸戦争という国家の危機に際して、自衛隊派遣に執拗に反対した左派政党を切り捨て、国際貢献のできる、発言力を持った「普通の国」日本をつくることにあったともいわれています。『日本政治の対立軸』大嶽秀夫)

 そうした小沢氏の「思い」の性急さと、その手段を選ばない多数派工作のやり方が、その後の日本の政界の台風の目となり、55年体制下の自民党単独政権を分裂させて、その後の幾多の政党の消長・離合集散を招くことになりました。とりわけ、不可解極まる自社さ連立政権の誕生もその反動といえます。その小沢氏に対して、2002年9月、民主・自由両党の合併協議を提案した鳩山由紀夫氏の決意は、一体いかなるものだったのでしょうか。しかし、これによって鳩山氏は首相になれた訳で、小沢氏もまた、これで救われたことは間違いありません。

(以下敬称略)*wiki参照
2003年9月、小沢は民主党との合併後、民主党の代表代行に就任しました。11月の第43回衆院選で民主党は、公示前議席より40議席増の177議席を獲得しました。合併後小沢は、野党結集のため社民党に民主党への合流を呼びかけました(失敗)。2004年5月には年金未納問題で管が代表を辞任、岡田克也が代表となり、小沢は副代表になりました。しかし、2005年9月のいわゆる郵政選挙では、民主党は現有議席を60近く減らして惨敗しました。そのため岡田は代表を辞任、小沢も党副代表を辞任しました。ところが 2006年3月、後任の前原が「堀江メール問題」で辞任、その後の代表選で小沢は119票を獲得し、菅直人氏を破って第6代の民主党代表に選出されました。

 代表選後、小沢は、菅を党代表代行、鳩山由紀夫を党幹事長にするトロイカ体制を敷きました。そして、これ以降の小沢の国会での戦術は、前原時代の「対案路線」ではなく、徹底した「対立路線」をとり、与党との対決姿勢を鮮明にしました。その結果、2006年10月に北朝鮮が核実験を行った際は、「周辺事態法は適用できない」とするトロイカ体制の見解を発表し、前原誠司をはじめとする党内の若手の反発を招きました。7月29日に行われた、第21回参議院議員通常選挙で民主党は60議席を獲得、参議院第1党となり、野党全体(共産党を含む)で過半数を獲得しました。

 こうして生まれた「ねじれ国会」では、11月に期限切れとなるテロ対策特別措置法(テロ特措法)の延長問題について、小沢はアフガン戦争が国際社会のコンセンサスを得ていないとして海上自衛隊の支援活動に反対しました。そのためテロ特措法は、安倍内閣の突然の総辞職もあり延長出来なくなり失効しました。安倍晋三の後任には福田康夫が選出されました。2007年11月には、小沢は福田と会談、連立政権協議がなされました。しかし、民主党内の反対で小沢は連立を拒否。小沢はその責任を取り代表辞任を表明しましたが、民主党内の慰留を受け、代表を続投することになりました。

 その後、テロ特措法の後継の法律として衆議院に提出された「新テロ特措法」は、民主党が多数を占める参議院では否決されましたが、衆議院本会議で与党の3分の2以上の賛成多数で再可決・成立されました。また、2008年度予算案も、野党3党の欠席のなかで強行採決されました。そのため、民主党はその「報復」(民主党は、官僚出身者であることを理由)として、武藤敏郎副総裁の日本銀行総裁への昇格を拒否し、さらに、政府与党が再提案した田波耕治の総裁候補にも同意しませんでした。その結果、白川方明が総裁に就任しました。

 9月には、民主党代表選で小沢が無投票で三選されました。その後、鳩山邦夫総務大臣が「かんぽの宿」売却問題で郵政社長の西川社長の解任を求めたことから、自民党内での郵政民営化をめぐる対立抗争が激化し、民主党はそれにつけ込む形で、郵政民営化見直しを主張しました。しかし、2009年5月、西松建設疑惑関連で小沢の公設秘書が逮捕されたため、小沢は民主党代表を辞任。後継には、側近として共にトロイカ体制を支えてきた鳩山由紀夫を支持しました。小沢は5月17日、選挙担当の筆頭代表代行に就任しました。

 以上、小沢氏が自民党幹事長として湾岸戦争に対応して以来の氏の行動及びその主張の変化について見てきました。これを見ると、小沢氏が「普通の国」論で展開した論理と矛盾しているように見えます。しかし、それは多分に民主党の党内事情を反映した政略的行動でしょう。というのも、氏の対テロ戦争についての基本的な考え方は、「日米同盟のもとにアメリカと集団的自衛権の行使が可能であると、日本政府として正式に決定した上で、堂々とイラクに自衛隊を派遣す」べきというものだからです。(『小沢主義』p49)

 では、民主党が参議院でも半数を獲得した後の氏の行動はどのように変化していくのでしょうか。いうまでもなくそれは、氏が提示している基本政策の方向だと思います。それは、従来の政官業癒着の権力構造、官僚依存の無責任な政治体制を脱却し、政治家主導のリーダーシップを確立するという、明治以来の民主政治の課題をはっきりと捉えています。同時に、政治において大切なことは「自らの信念を堂々と述べること」といい、「一般の人間関係と同様、国際関係においても嘘やごまかしは最もよくない。本音で話し合い、自分の信じるところを語れない人間は誰からも信用されない」と強調しています。(上掲書p155)

 しかしながら、新政権発足当初の民主党の政治手法は、「言論を通しての意志決定」という民主主義の原則を蹂躙するような、ごまかしや牽強付会が目につきます。とりわけ、亀井大臣の言論は、言論というよりブラフあるいは恫喝であり、世論を政治的操作の対象としか見ないもので、まさに権力乱用というほかありません。こうした、言葉に対する「誠実さ」と「正確さ」を欠いた政治的パフォーマンスが、民主党政権では許されるのか。何を言っても何をやっても結果さえよければそれでいいのか。

 あるいは、こうした言葉に対する”鈍感さ”は、鳩山首相の言葉の「軽さ」から来ているのか、小沢氏の政策よりも議席数を優先する考えの故か、その政権奪取にいたるプロセスが、堂々たる言論というより、多分に政略的言論に端を発しているだけに、今後の民主党の政権運営における説明責任が徹底して問われなければならないと思います。民主政治とは、その意志決定に至るプロセスにおける合法性と合理性によってその正当性が担保されるものであり、目的だけで正当化できるものではないからです。

 民主党が、真に日本に民主制を定着させた歴史的政党と評されるかどうかは、まさにこの点にかかっているといえます。

(追記)小沢氏は、小泉政治について、「市場原理・自由競争の名のもとに、セーフティーネットの仕組みについて何の対策も講ずることなく、ごく一部の勝ち組を優遇し、大多数の負け組に負担を押しつける政治」であり、「そこには理念もなければ、確固たる信念もない」と批判しています。私は、この部分には同意できません。というのは、氏は「今の日本の低迷は、利益分配型の戦後政治のあり方と、コンセンサス社会の弊害によってもたらされた」といい、改革を決意したなら、それに伴う犠牲や痛みには一切妥協すべきでない、といっているからです。(前掲書p83)

 小沢氏は、そうした観点から織田信長における「合戦の無慈悲」を肯定しているわけで、小泉氏が、田中政治の生んだ政官業トライアングルの既得権構造の打破に果敢に挑戦したことは評価せず、ただ、セーフティーネットの対応が遅れたことをもって、その構造改革路線を全否定しようとするのは、いささか身びいきが過ぎるというか、バランスを失した見解だといわざるを得ません。私見では、小泉内閣を引き継いだ安倍内閣以降この問題に取り組むべきでしたが、なんだかイデオロギッシュな戦後レジーム脱却論に流れましたものね。

 まあ、小沢氏の真意は、改革が不徹底だ、ということだと思いますが。

(最終校正11/1 5:27)