自民党「保守の思想」、鳩山首相「友愛思想」は、歴史認識問題とどう関わるか

2009年10月14日 (水)

 野党になった自民党がいかにも精彩を欠いて見えるのは、誠に意外な感じがしますね。それに比べて、政権与党となった民主党の面々は、それぞれに自分の政治家としての言葉を持っているようで、結構頼もしく見えます。まあ、55年体制以降初めての政権交代ですから、自民党のショックも大きいのだとは思いますが、よって立つ思想的基盤さえしっかりしていれば、民主主義社会で政権交代はあたりまえなのですから、二大政党制下の野党として、ぜひ堂々とその責任を果たしてもらいたいと思います。

 でも、残念ながら、自民党にそうした覇気が見えないのは、その「保守の思想」が脆弱だからではないでしょうか。それを象徴する出来事が、鳩山邦夫元総務大臣が日本郵政社長西川氏を解任しようとした事件――結局、麻生首相は鳩山総務相を解任し、鳩山氏は麻生首相は自分に一任していたとして、首相の私信の暴露に及んだ――や、古賀自民党選挙対策委員長による、東国原氏の自民党総裁候補擁立事件だったと思います。これが、麻生首相の”漢字の読み違い”や「定額給付金」をめぐる度重なる”食言”と相まって、自民党に対する信頼を決定的に低下させたのです。

 さらに、そうした”ブレ”が単なる首相や大臣の”失態”に止まるものではないことを証明したのが、今回の総選挙直前に行われた、自民党による民主党に対する「ネガティブ・キャンペーン」でした。それは、近年の、特に若者世代に見られる保守化傾向や、社会一般に見られる公務員バッシングの風潮に訴えようとしたものでした。しかし、世間の評判ははなはだ悪かった。なぜなら、その「日教組」や「労働組合」に対する批判がおよそ時代錯誤であり、55年体制下ならともかく、今日の「無党派K1ガチンコ時代」の闘い方としては、ひどく”みじめ”に見えたからです。

 では、こうした自民党の「保守の思想」の思想的劣化は、いつ頃からはじまったのでしょうか。私は、それは、93年7月の総選挙で自民党が過半数割れし、社会、民主、公明、日本新党、新生党、さきがけなどが細川連立政権を作った時以降のことだと思います。その後、94年6月、新進党主導の連立与党が立ち上げた新会派「改新」が社会党を外したことから、社会党が連立離脱し、そのため連立与党の羽田内閣が総辞職、次いで、自民党が、新党さきがけや社会党と連立して、社会党委員長村山富市を首班とする村山内閣をつくった。

 しかし、この「自社さ」連立政権は、日米安保を基本的な安全保障政策とし、自衛隊を合憲とする自民党が、それを真っ向から否定する社会党と連立を組んだもので、政権欲しさとはいえ、あまりにも節操のないものでした。といっても、その後社会党は、日米安保条約の堅持と自衛隊合憲を表明し、それまでの方針を大転換しました。また、小選挙区制の導入、年金支給年齢の65歳繰り延べ、被爆者援護法の成立、従軍慰安婦に対する基金の発足、さらに1995年8月の終戦記念日には、次のような村山談話を発表しました。

 「・・・いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。 

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。・・・」

 この村山談話については、特にその第二段「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとする部分が、今日も論争の的になっています。というのも、この談話は、先に述べたように、およそ常識では考えられない「野合政権」のもとで生まれたものだからです。しかし、その後の歴代内閣はこの談話を踏襲しています。おそらくそれは、戦後五十年を期に、この問題に外交的な決着をつける意味で有効と判断されたからではないでしょうか。

 もちろん、だからといって韓国や中国が日本に求める歴史認識を全て受け入れなければならないというものでもありませんし、また、その事実関係や歴史評価をめぐって見解が分かれるのも当然です。しかし、その当否は、今後の実証的な歴史研究に委ねるべきであって、外交問題としては、この談話をもって一区切りとすべきだと思います。この点、私は小泉首相が、この談話に自らの戦後六十年談話を加えて、歴史認識問題の決着をはかり、靖国神社参拝問題を内政問題として処理しようとしたことは、正しい判断だったと考えています。

 問題は、A級戦犯の合祀であって、私は、本当は、これは靖国神社の方でそうした政治的事情を考慮すべきだと思います。というのは、これを総理大臣が指図することは憲法上できないわけですから、そうしない限り、首相や閣僚が靖国神社に参拝して戦死者の慰霊をすることが、政治的理由でできなくなってしまうからです。本来は、日本政府が村山談話を踏襲することを表明している以上、戦死者の慰霊を日本がどのように行うかは、あくまで日本の内政問題であって、他国の干渉すべきことではないと思うのですが、そうならないのは、これらの国のお国柄というほかありません。

 この点、繰り返しになりますが、小泉首相が、村山談話の踏襲を表明した上で、さらに、終戦60年を迎えて次のような談話を発表し、自らの靖国神社参拝の意味を説明したことは、私は妥当なことではなかったかと思います。こうした説明をしてもなお、中国や韓国が、日本人の戦死者慰霊の仕方について干渉する、ということは、日本人のナショナリズムを刺激することであり、明らかに行き過ぎだと思います。小泉首相の行動は、一時外交摩擦を生みましたが、中国や韓国にその行き過ぎを伝える意味で必要なことだったのではないでしょうか。

 「私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。・・・」

 もちろん、こうした談話を発表したからといって、それは、日本人が、かっての日本の戦争指導者の戦争責任について、それを等閑視することを意味するものではありません。私は、中国や韓国にそれぞれの歴史の見方があり、それに基づいて日本批判をするのは、両国が被害を受けた側でもあり当然のことだと思います。しかし、同様に、日本人自身が、自らのこととして過去の戦争について共有すべき歴史認識もあるわけで、それは、中国や韓国が日本に対して持つ歴史認識以上に、正確かつより厳しいものであるべきだと思っています。

 こんなことをあえていうのも、実は、今回の政権交代にともなって、おそらく最後に問題となってくるのは、この歴史認識の問題ではないかと思うからです。先に自民党の「ネガティブ・キャンペーン」について触れましたが、この問題はここに端を発しているのです。日教組に対して「国旗・国家を否定する」反日教育を行うとか、”愛国心”のない国をつくるとか、間違った歴史観や社会観を教え、国民の生命、財産、領土、資源を危険にさらすとか、家族制度や自助・共助の精神を否定する、とかの危惧を表明するのは、その歴史認識(伝統文化を含む)に対する不信があるからです。

 確かに、こうしたネガティブな批判の仕方は、先に述べたように”みじめ”にしか見えません。しかし、民主党がこの問題を軽視することは危険だと思います。というのは、民主党の政策の中には、戦争責任や戦後処理の問題、国立追悼施設の設置の問題、二重国籍の容認の問題、永住外国人に地方参政権を付与する問題等、関係国間の相互理解と信頼なくしては、解決不可能な問題が多く含まれているからです。また、対等な日米関係を実現するという一方で、では、中国とは対等な関係が築けるのか、といった問題も生じてきます。

 重ねていいますが、こうした問題は、日本人のナショナリズムを無視するような形で処理されるべきではないと思います。確かに、日中戦争、大東亜戦争については、村山談話に述べられたような反省にならざるをえない。しかし、より大切なことは、それを自らの民族の歴史の問題として、主体的に検証することです。自民党がこの問題を日教組や労働組合攻撃のような形でしか提起できないのは、その「保守の思想」の思想的劣化の現れだと思いますが、民主党も、この問題を中国や韓国に迎合するのではなく主体的に処理することが必要だと思います。(10/15最終校正)

 以上、自民党のネガティブ・キャンペーンに見られる保守の思想や、民主党の政策には、こうした歴史認識に関わる問題が伏在していることを指摘しました。そこで、ついでに、小沢一郎(民主党幹事長)氏のホームページを見てみたのですが、そこには、以上紹介したような歴史認識に関わるような「公約」は一つも含まれていませんでした。また、安全保障問題についても、「平和は自ら創造する」と題して、次のような提起がなされていました。ここには、鳩山首相の一枚看板である「友愛」外交や、グローバリズム批判に見られるような”危うさ”は感じられず、一安心した次第です。

*問題は、日米同盟による安全保障と国連による集団安全保障を並べて、前者の重要性を軽視しているかに見えるところです。といっても、氏は政略上有効であれば何でもやる人ですからね。社民党や国民党の連立利用も氏の意向だそうですし・・・、道理で他の人が黙っているはずだ。(下線部挿入10/15)

V、平和を自ら創造する

真の日米同盟の確立
日米両国の相互信頼関係を築き、対等な真の日米同盟を確立する。そのために、わが国はわが国自身の外交戦略を構築し、日本の主張を明確にする。また、日本は国際社会において米国と役割を分担しながら、その責任を積極的に果たしていく。さらに、真の日米同盟の確立を促進するために、米国と自由貿易協定(FTA)を早期に締結し、あらゆる分野で自由化を推進する。

アジア外交の強化
アジアの一員として、中国、韓国をはじめ、アジア諸国との信頼関係の構築に全力を挙げ、国際社会においてアジア諸国との連携を強化する。特に、エネルギー・通商分野において、アジア・太平洋地域の域内協力体制を確立する。

貿易・投資の自由化を主導
世界貿易機関(WTO)において貿易・投資の自由化に関する協議を促すと同時に、アジア・太平洋諸国をはじめとして、世界の国々との自由貿易協定(FTA)締結を積極的に推進する。それに向け、農業政策を根本的に見直すことで、わが国が通商分野で国際的に主導権を発揮する環境を整える。

政府開発援助(ODA)の抜本見直し
政府開発援助(ODA)を抜本的に見直し、相手国の自然環境の保全と生活環境の整備に重点的に援助する。それにより、日本が地球環境の保全で世界をリードする地位を築くための突破口とする。

自衛権の行使は専守防衛に限定
日本国憲法の理念に基づき、日本及び世界の平和を確保するために積極的な役割を果たす。自衛権は、憲法第9条に則って、個別的であれ集団的であれ、わが国が急迫不正の侵害を受けた場合に限って行使する。それ以外では武力を行使しない。

国連平和活動への積極参加
国連を中心とする平和活動については、国連の要請に基づいて積極的に参加する。国連の平和活動は、国連憲章第41条及び42条に基づく強制措置への参加であっても、主権国家の自衛権行使とはまったく性格を異にしており、したがって日本国憲法第9条に違反せず、むしろ、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致するものである。