政治主導と派閥の関係――官僚内閣制から内閣官僚制への転換

2009年9月30日 (水)

 以前、野党時代の鳩山由紀夫氏の印象について、その無表情でユーモアのかけらもない政敵攻撃スタイルを批判したことがあります。ところが、首相の地位を得て後の鳩山氏の表情は実に明るく、高々と国際社会に友愛の旗を掲げ、颯爽としているように見えます。日陰から陽の当たる場所に立ったのですから、それも当然だとは思いますが、その印象があまりに対照的ですので、弟の鳩山邦夫氏ではありませんが、つい氏の「宇宙人」鳩山由紀夫説を思い出してしまいました。 

鳩山邦夫氏の談話(『文藝春秋』八月号「鳩山邦夫大いに吼える」)

 「兄は努力家です。しかし信念の人では全くないと思います。自分の出世欲を満たすためには信念など簡単に犠牲にできる人です。・・・今は虚像が前面に出すぎていますよ。実像はしたたかを絵に描いたような人で、じぶんのためになるのなら、どんな我慢もできるんですよ。あの人は。」

 「ズルい人ですから、いまでも政界遊泳術という点では日本一のスイマーでしょう。最後に自分がうまく昇りつめられるように、全て計算して生きてきたという感じがします。だから見事だといえば見事なのですが、私のような自分の信念や正義漢を大切にする人間からは、考えられない世界に生きている人ですね。」

 「私から見れば宇宙人ですね、まさに。自分の権力欲にここまで忠実に生きてこれるというのは大したものですよ。・・・
兄は私に『小沢一郎的なものを全部、今の政界から抹殺するんだ。それがオレのライフワークなんだ』とも口にした。どうして小沢一郎がそんなにダメ何だと尋ねると、兄は『とにかくすべて金権政治だ。ぜんぶ金じゃないか。派閥の計算だけでやるじゃないか』という。・・・
問題はそこまで嫌っていた小沢一郎さんにゴマををすって、べったりくっついていったことです。・・・やはり信念のないのが宇宙人なんでしょうね(笑)。」

 その鳩山邦夫氏は、民主党勝利後にマスコミのインタビューを受けて、その勝因の一つに、”おれが麻生の足を引っ張ってやったこと”を挙げていました。その自覚がある、と言うことでしょうが、それにしても、ケネディーファミリーにも比定される鳩山家の、「漫画的」に正直な弟と、「宇宙人」的マキャベリストである兄の取り合わせは、これからも、日本の政界にホットな話題を提供していくことでしょう。

 ところで、民主党政権になって、「政治主導」ということが世間の注目を集めています。鳩山首相自ら、なんかしらん、自分中心の外交方針を掲げて国連演説をし、一定の評価を受けていますし、各大臣もそれぞれおらが大将でものを言っている、といったそんな印象。一方、前原国交大臣のように、半世紀以上続いたダム建設を”ムダ”だといってその中止を明言し、住民説得に奔走する大臣もいます。まさに政権交代なくしては起こりえない”奇跡”が眼前しているわけです。

 そこで、今回は、民主党政権の「政治主導」は今後どうなるのか、それが機能するためにはどのような条件整備が必要か、ということについて、山本七平の『派閥』(1985年4月25)を参考に、「歴史的」考察を加えてみたいと思います。この『派閥』という本は、今から約25年前に出された本ですが、今回の政権交代にともなう「政治主導」のあり方を考える上で重要となる歴史的視点を提供しています。それは、日本の組織の共同体的性格に対して、一定の合理性を持つ「法と権利の世界」を構築する必要を説くもので、タイムリーと思われますので、以下引用が長くなりますが、紹介させていただきます。

 「今日の官僚制にはよさも悪さもありますけども、その最大の問題はやっぱり閉鎖共同体だということだろうと思うんですね・・・したがって通産省とか農林水産省など、個々の閉鎖共同体の間の調和をいったいどうするんだ、ということが最大の問題になってくる。官僚制は、分業の原則に従って業態別に分かれている。つまり縦割りになっているのですが、では何本もある縦割り組織の対立をだれがどのように調整するのかという大きな問題が出てくる。この問題に対する答は今のところ見つかっていません。

 明治の初めのうちは、藩閥という横のシステムが機能していて、伊藤博文の子分は大蔵省にもいれば商工省にもいる、陸軍省にも外務省にもいるということになっていましたから、伊藤博文が『ちょっと来い』といえばいろんな省から人開か集まってきた。したがって、縦の原理と横の原理のバランスがあったと思うんですね。ところが、高文制が明治二十六年から始まって二、三十年たちますと、選抜制でやってますから、藩閥がなくなってくる。・・・藩閥色が急速に薄れて、そして各省縦割りになって横の原理がなくなってくるわけですね。藩閥についで現われた横の原理が政党政治です。」

 しかし、「藩閥に対抗して出てきた自由民権運動、それを基にしてできた自由党は、一種の「対抗藩閥」という形にならざるを得なかったことである。その意味では藩閥は派閥の母体といえるが、この派閥的政党政治は失敗し、次に軍閥が登場する。そして戦後でこの政党政治が復活したわけだが、では大谷氏が「見つかっていません」といわれた「横割りの原理」、いいかえれば、この縦割りの組織の統合はどこが行うべきなのか。」

続いて、山本七平と天谷直弘氏の対談

山本 調整機能は本来、閣議がやるべきでしょうね。

天谷 それがまた、日本の官僚制の非常に大きな特徴の一つにもなっているんですが、内聞官僚はいないということなんです。大蔵官僚はいる、通産官僚もいる、しかし、内閣官僚はいないわけです。内閣官僚は、益荒男派出夫で、各省からみな出かけている。

山本 ほんとだ。(笑)総理補佐官というのがそうですね。

大谷 先はどもいいましたように、日本のビューロクラシーは、本来、藩であり共同体であり、終身雇用になっており、したがってフランチャイズ、テリトリーがはっきりしていなければ力を発揮できない。ところが、内閣というテリトリーを見ますと、終身雇用になっていない。各省から全部派遣されている。ですから、内閣官僚制は存在しないということになってしまう。アメリカですと、ホワイトハウスがものすごく強いわけで、たとえばニクソンを補佐するハルトマンという人は、それまで広告代理店をやってたんでしょう。

山本 そう、そう。(笑)

大谷 このおっちゃんが乗り込んできて、ある日から偉くなって、断固権力を振るうわけですけれど、日本ではそんな制度はないですからね。日本では、官僚を超えた、そういう内閣補佐官みたいなものは存在していない。アメリカの大統領補佐官に似た機能――縦割りを横に束ねる機能を日本で求めるとすれば、政党か国会かということになるんですね。

 ところが政党を見ますと、自民党に政務調査会(略称、政調会)がありますけれど、その中の商工部会とか農林部会とかみな縦割りになっている。つぎに国会に行きますと国会がまた、農林族とか商工族とか郵政族とかにわかれている。つまり、国会も政党もすべて縦割りになっていて、行政機構をコピーしてはいけない、別の原理と別の機構をもって政治と行政はバランスしなければいけないのに、まるでホモセクシュアルみたいになっているんですね。したがって、内閣の統合力も、国会と政党の統合力も低く、村々、族々が栄えている状態なんですがね。」(以上前掲書p22~25)

 そしてこの「村々、族々」を何とか統合して部分的にまとめ上げているのが派閥である。だが「派閥」は何らかの「原理」に基づく「統合機関」ではない。いわば「裏権力としての統合機関」なのである。「角番十年氏」の語ったことを、あとで「派閥とは何か、なぜ存在するのか、どこにその存在理由かおるのか」という点から読み返してみると、結局、そういう結論にならざるを得ない。いわば各省と「ホモセクシュアル」に結合している建設族、商工族、農林族等の「族々」の有力者を、「角閥」の中に統合して、これを支配しているのが角栄氏ということになろう。

 もちろん、各省の利害は対立するであろう。さらに外部からの圧力団体の利害も対立する。それぞれ対立する「族」と「村」を「派閥」という組織の中に統合し、これを握り、その矛盾を強制的に調整する能力を持つものが、統合する力、すなわち「権力」を握る。そしてその権力の源泉はまず相手を当選させることも落選させることもできる、ないしはできると信じ込ませること、すなわち選挙区の「安堵」能力に基礎がおかれており、さらに抜擢、援助その他が加わること等によって成り立っている。

 簡単にいえば「縦割り」は「当選か落選か」を握る権力で束ねられ、これが、「族」と「村」を統合できるから権力になる。ということは「裏権力」とは一言でいえば「納得治国家の派閥・人脈権力」であろう。その一面はまことに伝統的”幕藩的”である。

 大臣とは一面、各省とそれに一体化した「各省族議員」から派遣された内閣へのスポークスマンのような位置におり、その主張の代弁者たらざるを得ない。一方、派閥からの派遣者として、その派閥の領袖の意向の代弁者たらざるを得ない。従ってその派閥が強大で強力な権力を持っていれば、派閥の意向を閣議で主張する、閣議がその決定通りになれば、閣議は派閥決定の形式的な認証機関に過ぎなくなってしまう。」

 「前に天谷氏は内閣官僚のいない日本では内閣官僚は『益荒男派出夫』だといわれたが、こうなると大臣も同じことで各派閥からの益荒男派出夫ということになってしまう。そしてこうなれば、地下茎を通じて縦割り行政を横断的に握り、最大派閥を掌握して閣議を握った者が権力者ということになる。」(以上前掲書p82~p84)

 これが小泉元首相が登場し”自民党をぶっ壊す”といって内閣主導の「政治主導」体制を作り出す以前の、自民党の派閥主導の政治統合システムでした。このときは、小泉元首相は、各省大臣や与党幹部の人選を、派閥の意向を無視して一本釣りで決めたり、法案作成においても、従来省庁間の合意が前提になっていたものを、経済財政諮問会議で骨太の方針を決め、閣議決定までもっていき内閣の大方針とし、それに従った予算編成をさせたり、族議員の抵抗に対しては、与党の事前審査を受けずに法案を国会提出したりしました。

 では、こうした縦割り組織を、従来の派閥はどのようにして統合していたのでしょうか。それは、これらの縦組織間に、表からは見えない「地下茎的裏組織」を張り巡らせ、これを裏で操作することでインテグレート=統合していたのです。ガルブレイズによれば、そうした政治的権力の源泉は、個人的資質、財力、組織であり、その行使は、威嚇、褒賞、条件づけによってなされるといいます。しかし、派閥による統合の場合は、この組織が裏組織のために見えず、こうした権力行使を制度的にコントロールすることができませんでした。

 では、田中氏はこうした裏組織である派閥をどのようにコントロールし統合機関としていたのでしょうか。田中氏は、その権力の源泉である財力とは別に、個人的資質として、人を惚れ込ませる「実直さ・義理堅さ」――日本の伝統的庶民的倫理――とをもっていたといいます。また、彼自身学歴がなく学閥には無関係であったことから、実力があれば、学歴に関係なく人材登用する。またカネをばらまく場合も、自分の派閥だけでなく派閥を超えて必要と思うところに金を渡す、それも金額が多い。さらに絶対に領収書をとらないなどなど、まことに日本人の伝統的心情に即した行動をとった、と。

 また、政治家にとって最も重大な関心事は、自分の選挙地盤=所領を安堵する(=守る)ということであって、その「所領安堵」をしてくれる派閥の領袖に対しては、戦国時代の地侍がそうであったように忠誠を尽くす。そうした所領安堵のための手法が、一般会計や特別会計からのその所領を維持するための予算配分や公共事業の割り当てだったのです。そのことは、権力行使における報償に当たりますが、逆の威嚇にあたるものは(口にはしないが)「お前を落選させてやるぞ」だったそうです。

 また、もう一つの人心収攬術が、「慶弔」で、「人に会う前にその人のことを両親から親戚縁者、出身地、一族の中の有名人等々まで調べて、すぐにそこから話を始める」「特に葬式・・・こういう時絶対に義理を欠くようなことはしません」「角栄氏の特徴はそれが実に綿密なだけでなく、選挙区はもちろん官僚群にまで及んでいた」こうした努力の積み重ねが、選挙民に報償権力を行使して自己に投票させるという結果になっていたといいます。

 つまり、「実直(信頼性)、抜擢による施恩、慶弔の重視に見られる伝統的義理・人情の絶対化、あらゆる世話役、地元への面倒見のよさ(故郷の重視)等、(これが)いわゆるスキンシップ的に行われ」ることによって、権力行使における条件付けがなされ、自民党を支持する安定的な票田の育成につながっていたのです。そしてこうした手法を田中派幹部として体得し、それをひるむことなく実行に移し得た人物が、小沢一郎氏であったといいますが、氏はそうした影を今でも引きずっていますね。

 では、その問題点の基本はどこにあるのか。それは、戦後は内閣の権能が強化され、閉鎖的共同体的に運営される各省庁を政治的に統合する権能は、首相がこれを行うとされながら、「その手足たるべき内閣官僚は存在せず、補佐官は閉鎖共同体である各省からの、大臣は派閥からの、益荒男派出夫であって、統合機関としての実体を持たなかった」ということ、そのために派閥が、これを「地下根茎的組織」を通じて裏から内閣や官僚を支配することになった、という、この制度的欠陥をいかに克服するかということなのです。

 「もっとも時代は少しづつ変化し、制度を変えなければ改革はあり得ないこと、同時に制度とは、変える意志があれば変えうるという発想は、徐々にだが国民に浸透している。電電や専売の民営化、国鉄の分割案、さらに健保への私企業の参入計画等、過去には考えられなかったことが八十年代に入って徐々に出て来たのは、制度の改革ないしは見直しが基本であることが理解されてきたからであろう。

 国鉄をそのままにしておいていかに「親方日の丸でなく私企業的なマインドをもて」とお説教をしてもそれは無理な話であり、義務教育を国家独占に等しい戦時中の国民学校の制度のままにして「教育荒廃」を文部省のお説教で何とかしようとしても、それははじめから無理である。このことは、政治についてもいえる。否、政治にこそそれが最も強く主張されねばならない。

 民主制とは「法と権利の世界」が「事実の世界」に正確に対応せねばならぬ政治制度のはずである。・・・派閥の領袖たちでなく、内閣という統合の中枢機関が、真にその機能をもってはじめて「責任内閣制」という制度が「法と権利の世界」に正しく対応するはずで、それを現実化しうる制度が確立すれば、明治以来の最大の改革となるであろう。これを主張し、制度の内容を提示することが、新しく要請される「正論の政治」であろう。

 だが、そこにはもちろん、国民の「代議士なる者」への意識の変革という重要な要素が、さまざまな面で要請される。・・・いわば「・・・田中角栄方式」というべきもの、簡単に要約すれば、明治のいわゆる国庫下鍍金を選挙区につぎ込みうる能力を政治力と考え、この能力を持つ者に投票し、一方はこの能力を自己ないし自己派閥政治的資産とするという行き方、この行き方が徐々に終わりに向かいつつあるということである。」

 しかし、「これが「大分県の一村一品運動のように、地方自らの手で、その地方の特性を生かした新しい国作りという方向に進み出せば、前記の能力は、支持さるべき政治力でななくなってくる。ここに、たとえ派閥が残ってもその内実は変化せざるを得ないという前提があるであろう。長い間「外交は票にならない」といわれて来た。これは「・・・田中角栄式方式」が絶対の場合は、そういわれて当然である。だがここにはすでに政治意識の新しい変化の目が出ていると思われる。」(以上前掲書p236~238)

 まるで、今日の政治状況を踏まえて書かれた評論であるかのような錯覚を覚えますが、その後のことを少し付け加えるなら、1990年代から、こうした政治改革の気運が高まり、中選挙区制を廃止して小選挙区比例代表制が導入され、政党助成金法の成立(1994年)したということ。そしてそれが、後の小泉構造改革を可能にしたということ。また、この時期、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏が二大政党制を導入するため、行動を開始したということは間違いないと思います。

 ところが、2001年4月、一人の”変人”宰相が自民党に登場し、”自民党をぶっ壊す”と豪語して、こうした政治改革、いわゆる小泉構造改革(参照)に取り組みはじめました。それはまさに田中角栄方式による派閥統合システムを”ぶっ壊す”もので、そのため民主党は完全に改革政党としてのお株を奪われた格好になり、小泉劇場の前で沈黙を強いられることになりました。しかし、小泉内閣以降の自民党政権が、この政治改革路線の継承・発展に失敗し、そこに民主党がつけ込むかたちで、今回の「あれよあれよの政権交代劇」となったのです。

 こうして、現在、民主党による「政治主導」の国政運営が取り組まれているわけですが、いうまでもなくその要諦は、「官僚内閣制から内閣官僚制への転換」であることは、以上の論述によって明らかだと思います。また、そのためには公務員制度改革が必要ですが、これも小泉構造改革以来取り組まれていることですので、財政諮問会議の経験とも合わせて、閉鎖共同体的に運営される官僚組織、その他外部の圧力団体の要求に対して、「政治主導」体制をいかに確立するか、知恵を働かしていただきたいと思います。

 というのは、こうした日本の組織の閉鎖共同体的性格やその派閥体質は、なにも中央政界や省庁に特有な現象ではなく、地方の公務員組織においても、さらに「財界、労働界、学界、宗教界、言論界等々、日本の社会のすみずみまで存在し、それが政治の世界に現れているにすぎない」からです。現在は、いわゆるグローバリズムの波の直撃を受けた中央政界において「政治主導」体制の構築が話題を集めていますが、同様の問題が地方にも存在していることは、あらためて申すまでもありません。

 こうした問題点を、地方においても、それを自らの課題として主体的に取り組む必要に迫られているからこそ、今日「地方分権」が訴えられているわけで、単に中央から地方に権限委譲するというだけの話ではないのです。それにしても、国民新党の亀井氏や社民党の福島氏は、こうした課題を新政権の中で、どのように処理していくのでしょうか。また、それを鳩山首相はどのようにコントロールするのでしょうか、他称「宇宙人」自称友愛政治家鳩山由紀夫首相の真価は、その時明らかになると思います。

*二カ所の下線部は、それぞれ「豹変ぶり」「正体」としていましたが、失礼に当たると思いましたので、訂正させていただきました。(10/2)