鳩山民主党政権の”看板”に偽りはないか。――正直がなければ友愛もない
鳩山内閣は、75%(読売新聞)という国民世論の高い支持率に迎えられて華々しくスタートしました。しかし、民主党のマニフェストに示された政策理念が”高尚”であるだけに、しばらくは混乱が続くのではないかと思います。しかし、そのうち現実社会とのすりあわせも出来て、地に足のついた議論が出来るようになるのではないでしょうか。今後の議会における自民党との丁々発止の政策論争や、マスコミによる徹底した検証報道に期待したいと思います。 そんなわけで、しばらくは時事的な話題を離れて、「昭和の青年将校はなぜ暴走したか」の続きを書こうと思っていました。しかし、亀井静香氏が郵政改革相に就任したことで、前回書いた、民主党の脱官僚政策と小泉構造改革の親近性の認識が破れる情況が出てきました。そこで、再度、前回書いたことを再認識するために、二人の専門家の意見を紹介しておきます。一人はダイヤモンド社論説委員の辻広雅文氏、もう一人は小泉構造改革を押し進めた竹中平蔵氏です。 辻広雅文(ダイヤモンド社論説委員) 【第84回】 2009年09月16日 「民主党は、子ども手当ての支給、高速道路無料化、農家戸別補償などの直接補助政策を掲げている。つまり、それは各種の業界団体を飛び越えて所得を再配分する政策である。前者が、公共事業を通じて供給側(企業、産業)をテコ入れする手法であるなら、後者は、需要側(家計、消費者)に焦点を当てる政策、と言ってもいい。 この直接補助政策を民主党は高らかに掲げ、総選挙に圧勝、悲願の政権を手にした。そして、この未知なる与党には、ある「踏み絵」が待っている もう少し、説明を加えよう。中間業界団体を通じて末端にまでおカネを回す間接補助政策は、二つの柱に支えられていた。一つは、補助金、助成金などの特別な予算措置であり、もう一つは、法規制あるいは裁量規制によって生じる超過利潤である。前述した農業、郵政関連事業、医療などが典型的な規制保護産業であったことは、言うまでもない。(*これが、戦後自民党が築き上げた国土均等発展、地域間や家計間の格差を是正する所得再配分システムである。) ところが、日本経済が低成長時代に入り、そこにバブル崩壊が加わって長期低迷に至ると、補助金や助成金などの優遇措置の原資である税収が減少した。公債発行による借金も世界一の水準に達した。そうして、税金が流れ出す蛇口は止まり、還流ルートは細る一方になった。一つの柱が崩れそうになれば、もう一つの柱にしがみつこうとするのは理の当然である。中間業界団体は、規制保護による既得権にますます固執するようになった――。 そこにメスを入れたのが、小泉政権であった。構造改革によって、規制を外し、既得権を剥ぎ、生産性を向上させようとした。長きに渡って二重の保護政策に使って(浸って=筆者)きた規制産業は、すっかり競争力をなくしてしまっていたからである。経済の活性化を本気で志向する政府であれば、遅すぎるほど政策であった。 だが、後を引き継いだ三代の自民党政権は、小泉政権がさまざまな格差を拡大したと批判されると、構造改革路線を次第に離れ、かっての間接補助型の所得再分配方式に回帰し始めた。その結果、自民党は二つの相反する主張を持つ層からともに批判されることになった。格差拡大に怒り、その是正が不十分だと不満を持つ層と、構造改革路線が中途半端に終わり、既得権益層の逆襲が始まっていると批判する層である。 この二つの層がともに自民党を拒否し、民主党を支持した。あるいは、巧みに民主党が引き込むことに成功した。これが、総選挙における民主大勝の理由である。 しかし、この大勝によって、民主党は難問を抱えることになった。相反する主張を持つ層に対して、どちらも満足させる政策を打つことなどできない。どちらを向くべきなのか、踏み絵を踏まなければならないのである。 彼らの政策手法は、直接補助である。上記したように、間接補助の仕組みは維持しようにも維持できない時代背景もある。とすれば、おカネの流れから中間業界団体を外す傾向を強めることになる。 実際、農家に対する戸別補償は直接補助の最たるものであり、農協組織に多大なる打撃を与えることになるだろう。小沢一郎代表代行も、農業改革における農協の存在を障害だと口にすることがある。その狙いは、自民党族議員―農協―農水省という鉄のトライアングルの解体であろう。 また、民主党のマニュフェストには、厚労省と文科省に分かれている育児支援を一元的に担当する「子ども家庭省」の設置が盛り込まれている。つまり、保育園と幼稚園の一元化である。両者の一元化によって、それぞれに関係するあまたの協会、団体などを廃止し、助成金、補助金などを取り上げ、その代わりに、育児家庭に直接補助を行うのである。 このように中間業界団体を干上がるに仕向けて、自民党型の既得権益維持システムを破壊する方向に進むなら、民主党は構造改革推進派の支持を重視する政権運営に舵を切ることになる。 ところが、構造改革による既得権益打破の象徴である郵政民営化に対しては、まったく逆の政策を遂行しようとしている。国民新党を連立に加え、日本郵政の4分社化は凍結、西川善文社長を辞めさせ、一体化にまで逆行させようか、という意気込みである。 これらの正反対の政策の混在を、どう考えたらいいのだろう。 総選挙で大勝したことで抱え込んだ踏み絵という難題を、まだ整理できていないのかもしれない。そうではなくて十分理解しているのだが、例えば日本郵政の労組を始めとして支持、支援してもらった団体には配慮せざるを得ないという政治的リアリズムゆえかもしれない。もっとずる賢く、農協外しや育児支援一元化という先制パンチを、他の業界の中間団体がどれほど恐れ、恭順の意を示すのかをじっと観察し、いずれ取り込みを図ろう、という心積りかもしれない。この場合は、いくつかの既得権維持システムは変形されて、民主党に引き継がれることになるだろう。おそらく、こうしたさまざまな事情、思惑が民主党内部にうず巻き始めているのだろう。 最後に、もう一度、直接補助政策の特質に立ち戻りたい。 間接補助政策からの転換を図るということは、その産業を保護している規制を外せるということである。技術革新を生み、生産性が向上するような自由競争的な市場を制度設計できるということである。それは他方で、正当な競争の上に敗れた企業には退出を促し、雇用維持のための過剰な政府支援は行わないという自由主義的冷淡さを併せ持つ政策である。 しかし、その一方で、個人が仮に失業しても生活を維持し、なおかつ職場に復帰できる支援システムを社会保障政策として遂行する、つまり、個人に直接補助し、護る、という政策である。 旧産業再生機構の専務を務め、現在は経営基盤共創基盤センター代表である冨山和彦氏は、直接補助政策の本質を、「企業や産業を競争に追い込み、生産性向上をひたすら図ってもらうと同時に、個人に対する高福祉高負担が両立する政策だ」と表現する。 この本質を民主党が理解しているか、その一点を注視したい。」 以上、長文の紹介になりましたが、私も、民主党が「新しい国のかたち」の基礎を築くことができるかどうかは、まさに「この本質を民主党が理解しているかどうか」その一点にかかっていると思います。 また、この点についての竹中平蔵氏の意見は次の通りです。 郵政見直しが招く大損害:竹中平蔵(慶應義塾大学教授)(1) 「民主党といえば「改革」のイメージもあった。私も小泉政権に参画することが決まったとき、民主党が改革を少しはサポートしてくれるのではないか、と考えていた。しかし、フタを開けてみたら、民主党は不良債権処理にも反対、郵政民営化にも反対の姿勢を打ち出した。自民党の抵抗勢力と同じポジションを取ったのである。 郵政民営化が国会で盛んに議論されていた時期、何人かの民主党議員から、個人的に「竹中さんのおっしゃるとおりなんですよね」などと声を掛けていただくこともあった。だが、それに対して「それなら、あなたも政治家なのですから郵政民営化に賛成されたらいかがですか」と聞くと、「いや、それはさすがに難しくて……」という、サラリーマンの中間管理職の悪しき例のような答えをいただくことが多かった。そのような個人的体験があるからこそなおさら、民主党が政権を取ったときに、実際にどのようなスタンスを取るのかは、どうしても注目せざるをえないのである。 (中略) 今後、既得権益者たちが求めてくるのは、おそらく郵政三事業の一体化である。民営化にあたって郵便事業株式会社(日本郵便)、郵便局株式会社(郵便局)、郵便貯金銀行(ゆうちょ銀行)、郵便保険会社(かんぽ生命)に分けた郵政事業を再び一体化させるというもので、これは間違いなく民営化を中途半端なものにする。 たとえばゆうちょ銀行の完全な民営化とは、民間の銀行と同じ銀行法を適用することである。ところが三事業を一体化すれば、銀行業務と宅配便業務を一緒に行なうことになる。これは銀行法で禁止された行為で、三事業を一体化する場合、新たな法律が必要になる。すなわち銀行法の適用を受けない銀行になり、これでは完全民営化にならない。所管も金融庁だけでなく、総務省との共管になる。総務省の権限が残るわけで、これぞまさに郵政ファミリーの悲願である。 三事業一体化のほか、別々の会社に分かれている郵便局と郵便事業を一緒にするという話も出ているが、これも危険である。彼らだけで、かつての郵政の91パーセントを占める。せっかく民営化で4分割したのに、9割以上を一緒にしてしまうことになるのである。これもまた郵政ファミリーの悲願で、民営化すれば官のガバナンスから離れて自由度が高まる一方、中途半端な民営化だから、責任は民間より軽い。そこに巨大な郵政ファミリーが生まれれば、まさにやりたい放題である。 民主党政権になって、中途半端な民営化になれば、残念ながら郵政民営化は「失敗に終わる」だろう。郵政民営化が失敗すれば、その負担は全部国民にかかってくる。一方で郵政ファミリーは、ぬくぬくと生きる。これはかつての国鉄と同じ構図である。国鉄時代は毎年赤字でも職員はぬくぬくとし、一方で運賃をどんどん値上げしていた。それが民営化以降、大幅な値上げはなくなったのだ。 (中略) 今後の日本を考えるとき、まず覚えておきたいのは、いまの民主党人気がバブルだということである。実力以上に、期待や評価が高い。このことは、7月の東京都議選を見てもわかる。結果は民主党の圧勝だったが、民主党の候補者は自民党の候補者に比べ、どう見ても実績や実力では劣るように映る。8月末の国政選挙でも、同じ事が起きるだろう。 バブルがひとたび起これば、その後の道は2つしかない。1つは実力を高め、評価に近づけることで、これこそ国民にとって望ましい道である。だがそれができない場合、いずれバブルが崩壊し、民主党は徹底的に叩かれる。 このとき何が起きるかというと、国債の暴落である。日本経済に対する世界の信認は、すでに大きく揺らいでいる。株価を見れば明らかで、世界的大不況のなか、アメリカとヨーロッパは株価が5年前に戻っている。中国は2年半前と同じで、日本はどうかというと、26年前と同じなのだ。官僚社会主義の跋扈により、日本経済は26年前まで戻ってしまったのである。 それを止める手だては、民主党が実力を付けて改革を行なうか、さもなくば民主党バブル崩壊後、自民党の改革派と民主党の改革派が正しい政策を掲げるしかない。結局は日本経済を強くして、成長させないことには、何をやってもうまくいかないのである。福祉の充実にしても、まずは所得がなければ話にならない。所得があって初めて、それをいかに再配分するかの議論ができる。所得を増やすには成長が必要で、そのために求められるのが日本経済を強くするための仕組みの変換、つまり構造改革なのである。 いま構造改革というと、「格差を拡大するもの」と見なす風潮が強いが、これは大きな間違いである。メディアも「小泉構造改革によって格差が拡大した」などと喧伝しているが、これは構造改革によって既得権益を失う人たちのネガティブキャンペーンに毒された結果といっていい。少なくとも小泉改革の時代、格差は拡大していない。このことは、所得の格差や不平等の指標であるジニ係数を見れば明らかだ。当然の話で、経済が拡大し失業者が減れば、格差は縮小するのである。そんな当たり前の話を無視し、既得権益を失いたくない人たちのウソに騙され、みんなで改革を止めようとしていることに、早く気付かなければならない。」 私は、今日の郵政民営化をめぐる日本の政治状況のはなはだしい混乱を見ていると、かっての国鉄民営化の時のことを思い出します。あの時の改革に伴う”痛み”は大きかった。相当数の自殺者も出た。それに比べると、今回の郵政民営化に伴って生じた”痛み”って一体なんだろう?少なくともユーザーから見て郵便局が不便になったとは思えないし、ATMなどは随分利用しやすくなった。 違いは、国鉄改革の時は反対勢力は労組のみ(それも分裂していた)だったが、郵政改革の場合は、労組のほか特定郵便局長や郵政ファミリー、そこに天下っている官僚群など膨大な既得権者がいたということ。さらには鳩山総務相や麻生首相など政府首脳がブレたこと。それに民主党が党利党略でつけ込んだこと。つまり、それだけ既得権が甘く大きく、その政治的抵抗力が強かった、ということではないかと思います。 しかし、そのために、竹中氏が予測するような日本経済の混乱が起これば、民主党は厳しくその責任を問われることになるでしょう。そうならないためには、辻広氏がいうように、民主党がその直接補助政策の本質を「企業や産業を競争に追い込み、生産性向上をひたすら図ってもらうと同時に、個人に対する高福祉高負担が両立する政策」と思い定める事が必要です。それは、一面、小泉構造改革を継承することでもあります。 民主党のマニフェストに示された「新しい国のかたち」が大変魅力的なものであるだけに、民主党には、ゴマカシのない正々堂々たる議論を期待したいと思います。正直がなければ友愛もない、私はそう考えます。 (校正9/19) |