あれよあれよの政権交代劇――「小泉がつき、麻生がそこねし天下もち、ちぎりまるめて、食うは鳩山(小沢か?)」
まさに地滑り的な民主党の勝利で歴史的な政権交代となりました。55年体制以降初めてといわれますが、二大政党制のもとでの政権交代劇という意味では戦後初めてといってよいと思います。はっきり言って、私は、小沢一郎氏の金権体質は看過されべきでないと思っていました。また、鳩山由紀夫氏のユーモアのかけらもない生真面目な弁論スタイルも好きになれませんでした。また、民主党の、郵政民営化を始めとする小泉構造改革批判、特に格差問題をその帰結と断じる党利党略、子ども手当、高速道路無料化などのバラマキ政策もばかげていると思いました。 しかし、注意深く見ると、民主党の政策の根幹は、実は小泉構造改革の果実を盗み取り、整形を加えた上で、あたかもそれが民主党オリジナルの政策であるかのように粧ったものではないか、そんな風にも思われました。というのは、その中心的な政策課題は、官僚の天下り廃止や独立行政法人改革を始めとする「行政の無駄をなくす」こと。霞ヶ関官僚支配の政治体制を政治家主導の政治体制に切り替えること。政府の権限と財源を地方に移管し、地方分権を「地方主権」を呼べるレベルにまで高めること、等どこかで聞いたことがあるものばかりだからです。 つまり、これらはまぎれもなく、小泉元首相が目指した政治・経済の構造改革、行政・特殊法人改革、地方分権改革を継承するものなのです。それどころか、「子ども手当」等バラマキ政策として批判される各種の給付政策や、高速道路無料化のために必要となる財源は、全て行政の無駄をなくす政策によって生み出されると極言されているのです。違うのは、鳩山氏が「新自由主義的な市場万能主義」に対する批判をしていること位ですが、これも、行き過ぎた市場原理主義に「大枠で公正なルールや安全性を確保する」というほどのことでしかないらしい。 新保氏は。『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか』という著書の中で、次のように民主党の経済政策を説明しています。 「民主党の経済政策はある意味でわかりやすくもあり、わかりにくくもある.わかりにくいのは、そもそも何が民主党の経済政策なのかが見えないからだ。政策論文集などを見ても、経済政策らしきものがほとんど見あたらない。・・・たしかに、2009年4月に民主党がとりまとめた緊急経済対策を見ても、内需主導型経済構造への転換の必要性を強く訴えた上で、子ども手当、公立高校の無償化、農業者個別所得補償、高速道路無料化など、従来からの社会保障関連や弱者支援のメニューがならぶばかりだ。」 「だが、こうした疑問に対する民主党の答えは明快だ。民主党は、従来のような政府が率先して産業を育成し、製品を輸出して経済成長を図る外需依存型経済はもう続かないと考えている。介護や福祉、農業といった内需主導型経済へ移行する以外に、日本経済が生き残る手段はないとの前提に立って、経済政策を提案しているのだ。つまり、先に挙げた子育て支援や介護支援や農業者個別所得補償こそが、民主党の経済施策そのものだということなのだろう。」 だが、「外需に牽引されて現在の経済的地位を築いてきた日本が、民主党政権になるやいなや、一夜にして内需だけで今の経済力と豊かさを維持できるとは思えない。この先も多くの企業が海外と競争して行かねばならないという意味で、やはり産業競争力の強化は不可欠だ。しかし同時に、国際市場で競争している大企業は、すでに多国籍企業化しており、日本政府の政策だけでどうこうなるものではない。むしろ、政治に経済活動への妙な手出し口出しはして欲しくないというのが本音ではないか。」 「民主党は基本的には、政治はできるだけ経済活動に介入すべきではないとする自由主義的な路線を取る。フェアネス重視の立場から、機会均等を整備するため介入は辞さないとしつつも、介入を最小限に抑制しようとする姿勢は、従来の野党の社民主義的な政策スタンスとは一線を画している。ただし、セーフティーネットを重視する立場から、派遣の制限や雇用保険の強化、食品の安全基準や食品表示基準の強化など、弱者や市民生活を守る目的の規制強化は明確に訴えている。」 つまり「新自由主義的な市場原理主義とも明らかに一線を画するが、大枠で公正なルールや安全性を確保するまでが政治の仕事であり、その先は市場原理に基づく自由競争によって各自が経済発展していくのが望ましい――こうした自由主義的路線が民主党の経済に対する基本思考だと考えていいだろう。・・・おおかたのイメージとは裏腹に、民主党は自民党政権よりも経済活動に対して、より自由主義的、市場主義的な政策をとる可能性すらある。」(上掲書p172~174) なあんだ、そんなことか、それじゃあ、小泉構造改革・民営化路線とどこが違うのだ、ということになります。いや違う、セーフティーネットを重視している、と民主党はいいますが、それも、もともと、小泉構造改革の中で追求されたことだったと、猪瀬直樹氏は次のように主張しています。 「小泉政権では、「大きな政府か小さな政府か」というキャッチフレーズが叫ばれた。小泉改革が対象としたのは、「肥大化した官業をつくりあげた(大きな)政府」だった。雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関を打倒して、無駄のない「小さな政府」と、競争のために必要なセーフティネットを充実させるのが、構造改革である。 小泉さんが首相になる以前、いまから10年くらい前に、議員会館の会議室で開かれた超党派の勉強会に講師として招かれたことがある。小泉さんが呼びかけた、郵政民営化の勉強会だった。出席していた30人から40人の議員のうち、6~7割が民主党だったので、僕は「民主党の方が多いじゃないですか」と皮肉ったら、小泉さんは笑って「うん、いいんだよ」と答えた。2002年秋、暴漢に殺された石井紘基さんもいた。小泉さんと民主党の改革派は同じ主張だったのである。(「目からうろこ」猪瀬直樹) ここで、雇用保険などのセーフティネットを食い物にする霞が関、というのはどういうことかというと、「雇用・能力開発機構」が中心となって、セーフティーネットとは無縁の施設を全国につくり、赤字を垂れ流し、貴重な雇用保険の財源を食いつぶしてきたことをいっています。 その施設とは、「中野サンプラザ」をはじめとするサンプラザ・サンパレス」が全国に7施設、国民宿舎型のリフレッシュセンターが1900。580億円の建設費でつくられ、毎年10億円以上の赤字を垂れ流し続けている「私のしごと館」。総工費425億円でつくられ8億円で小田原市に売却された「スパウザ小田原」などで、これらは「かんぽの宿」と同様、役人の天下り先としかいえないような施設のことです。これが雇用保険の財源を食いつぶしてきたというのです。(「小泉改革批判への大反論」猪瀬直樹『voice』2009.4) ということは、民主党の「行政の無駄をなくす」政策は、小泉構造改革における行政改革・特殊法人改革を、さらに徹底して行おうとするものであり、セーフティーネットの充実ということについても、「子ども手当」などの給付金制度を設けて、家計に対する直接的経済支援を行うなど、厚みのある社会補償制度で対応しようとするものということができます。こうした給付金(子ども手当、育児休業手当、保育サービスなどの合計)の総額は、日本ではGDP比1.2%程度ですが、フランス、イギリス、ドイツなどは軒並み三%を超えているといいます。 しかし、欧米先進国の場合は、これに必要となる財源は20%にも達するという消費税でまかなっているわけで、民主党の場合は、これに必要な財源(5.8兆円)を、消費税を4年間上げることなく、行政の無駄を省くことや、扶養控除や配偶者控除の廃止によってまかなおうというのです。つまり、徹底して行政改革を行った上で、将来は消費税率の引き揚げによる国民全体の負担とし、こうした子育て世代に対する給付金制度の維持を図ろうとしているのです。ここで、扶養控除等の廃止というのも、おそらく、子育て完了世代から子育て現役世代への所得移転ということ意味しているのでしょう。 ただ、こうした施策の目的を「子育て支援」とするなら、何も富裕な家庭にまで経済支援を行う必要はなく、児童手当と同じように所得制限付きの給付制度でもいいのではないか、という議論も出てきます。それなら、現在の児童手当制度を拡充する事で済むのではないか、ということになりかねません。いや違う、これは「内需拡大」のための景気刺激策だ、というなら、15歳までの子供を持つ全世帯に子ども一人あたり26,000円を給付する、ということも正当化できますが、はたしてそれが経済学的に説明できるかどうか。私にはよく判りませんが。 その他、バラマキではないかとして話題になっている施策に、高速道路の無料化、農業者個別所得補償の実施、高校授業料の無料化などがあります。しかし、これらは、いずれも、その施策目的を精査した上で、財源配分の優先順位が決められるべき問題で、これは、「行政の無駄をなくす」作業と同時平行的に行われるわけですから、私は、自ずと常識的な線に落ち着くと思います。問題は、これらがどのようなマクロの経済政策のもとで実行されるか、ということですが、これは先程説明した通り、自民党の経済施策と基本的に変わらないわけですから、心配するほどのことではないと思います。 重要なことは、これらの施策が法律となって実施に移されるまでの間に、与野党間でどのような国会審議がなさるかということです。ここにおける政策論争が熾烈であればあるほど、民主党のマニフェストに掲げられた各種政策の修正・見直しが行われることになるでしょう。マニフェストに掲げられた民主党の政策理念のハードルが高いだけに、政策技術論的な論戦を超えた、「これからの日本の国作りをどうするか」といった、中・長期的な視点からの論戦が期待されます。鳩山氏が、自民党に”しっかりして欲しい”とエールを送ったのも、あながちウソではないと思います。 というのも、民主党のマニフェストには、前回、教育行政制度改革についてみたように、自民党のマニフェストには見られない、重要な制度改革提言が、数多く掲げられているからです。また、そうした制度改革の基本理念として、次のような、”バラマキ”という言葉から受ける印象とは無縁の、市民としての自立を求める力強いメッセージ――他力本願からの脱却、お上意識からの卒業、機会均等・フェアープレーの精神、未来への責任、公正な負担の要求、フリーライド(ただ乗り)の禁止など――が、繰り返し表明されています。 例えば、「公正な負担を求める」ための施策としては、納税者番号の導入があります。これらは「住基ネットとならんで、個人のプライバシーが一元的に政府に握られる恐れがあるとの理由から、自民党政権下では何度も浮上しては、野党や世論の反対で見送られてきた制度だが、民主党はこの導入をあっさり公約に入れている。社会保険料も税金も、招集すべき金額を判定する上で、その人の所得の把握が不可欠なため、この番号の共通化によってその把握を容易にする目的だという。」(上掲書P17) 「さらに民主党は、社会保険料と税の徴収を一体化することの延長として、国税庁と社会保険庁を統合し、歳入庁という新しい役所を創設する計画をぶち上げている。・・・社会保険料の徴収については、これまで、税務署のような、地獄の果てまでも追いかけてくるようなしつこさがなかったのも事実である。それが未納率の高さにつながっているとすれば、税務署のノウハウを社会保険料の徴収に生かすのも悪くはなかろう。」そのために、滞納や税金逃れに対する罰則強化、重加算税の増額、消費税還付の不正受給や海外タックスヘブンへの課税回避行為についても追求するとしています。(上掲書20) このように、市民としての基本モラルやルールを確認した上で、市民主導の社会作りを進める。そのためには これは、「これまでの日本の社会制度は、護送船団方式などと呼ばれ、役所が市場に介入し、ある程度の秩序を維持する代わりに、できるだけ敗者を出さないようにすることで、全体をうまく回してきた。」しかし、「1990年代の経済停滞以降、護送船団方式ではあらゆる点で社会がうまく回らなくなってしまった。そして2000年代に入って小泉政権が誕生し、日本は自民党家の伝統的な護送船団方式の再分配政策から、市場原理を導入した競争社会に一気に舵を切った。」ところが、競争の敗者を再挑戦・復活させるための社会的セーフティーネットが未整備であったため、格差問題が指摘されることになった、という基本認識に立つものです。(上掲書p25) つまり、民主党の政策は、一言で言えば、従来日本独特の護送船団方式によって守られてきた日本の社会構造――少なくとも小泉改革以前の伝統的な自民党政治とは、おおかたのイメージとは裏腹に、多分に弱者に優しい社会主義的な再配分の政治だったと見ることができる――が、経済のグローバル化の中で機能不全に陥ったことを踏まえて、いかに日本人及び日本社会に活力を取り戻すか。そのためには、従来の中央集権的な、全て霞ヶ関の官僚にお任せしてきた日本の政治システムを、自らが統治に対して責任を持つ、分権型社会に作り替えなければならない、そう考えているのです。 こんな説明を聞くと、多くの方は、なにか狐につままれたような、騙されたような感想を持つと思います。確かに、以上私が説明してきたようなことは、神保氏がその著書の中で説明していることをもとに、私なりに、民主党の基本政策のあり様を敷衍したものに過ぎません。しかし、はたして鳩山由紀夫氏が、こうした時代認識についてどこまで自覚的であるのか、それはかなり怪しいのですが、いずれにしても、今回の民主党の自民党からの”あれよあれよ”の政権奪取劇は、私は見事なものであったと嘆ぜざるを得ません。”小泉がつき、麻生がそこねし天下もち、ちぎりまるめて、食うは鳩山(小沢か?)”といったところでしょうか。(下線部9/8訂正) また、民主党の防衛政策について危惧する意見も多く聞かれます。しかし、民主党の外交・安全保障のあり方についての基本的考え方は、対米追従・対米依存からの脱却を訴えるもので、それによって「アメリカとの対等で強固なパートナーシップを確立し、国際社会で役割を分担しながら、責任を果たしていく」というものです。そのため「国連決議で集団的自衛権の行使も可能に」とマニフェストにあるように、自民党より積極的に、平和維持面での国際協力の必要性を訴えています。社民党の防衛政策と一線を画していることはいうまでもありません。もっとも、村山政権でそのお里は知れてますが。 この点については、News Week「Nothing to Fear」By Takashi Yokota | Newsweek Web Exclusiveも次のように伝えています。(9/4挿入) Sep 2, 2009Already, the DPJ is considering a plan to dispatch humanitarian-assistance personnel from the government and the private sector to Afghanistan in exchange for withdrawing the Japanese refueling ships. Which suggests that the DPJ's campaign promises were driven more by populism than by strategic thinking. すでに、民主党は、インド洋における給油艦船の引き揚げと引きかえに、アフガニスタンへの、政府や民間からの人道支援のための人員派遣を検討している。それは、民主党のその選挙公約(給油活動の停止)が、ポピュリズムからではなく、より戦略的思考から来ていることを示唆している。(私訳) その他、マニフェストに掲げられた大胆な政策項目として、次のようなものがあります。これらはいずれも、既得権等が絡み、容易には決着しそうにないものばかりです。しかし、政権交代は、こうした、革命にも等しい政策転換を一夜にして可能にしてくれるのです。それゆえに「民主主義は革命の制度化である」といわれるのです。これらの政策提言が、今後どういう国会審議を経て法案化され実行に移されるか、刮目して見守りたいと思います。 ○ 企業献金は全面禁止、個人献金は税額控除 以上、民主党の政策を新保哲生氏の解説を参考にしながら見てきました。しかし、8月10日に雑誌に掲載された鳩山由紀夫氏の論文「私の政治哲学」を見ると、氏は、市場経済のグローバル化が、地域社会の共同体的価値を破壊したと考えており、そういう観点から小泉改革を批判していることがわかります。そして、この矛盾対立関係を止揚する原理として「友愛」を唱えているのです。つまり、経済のグローバル化を否定し、各国の国民経済の秩序を回復することによって、地域社会の伝統的な共同体的価値を守ろうとしているのです。 しかし、西欧の場合は、利益社会と共同体社会は伝統的に二元論的に分立しバランスをとってきたのです。これに対して日本の場合は、新保氏が護送船団方式といっているように、機能集団が同時に共同体的価値をも保持してきたのです。鳩山氏の主張は、あるいは、こうした日本組織の伝統的な組織論・価値観を反映しているのかも知れませんが、それを根拠に経済のグローバル化を批判するのはいかにもおかしい。このあたりは先に説明した新保氏の護送船団方式による再分配方式から、社会的再分配方式への切り替えと見る説明の方が筋が通っていると思います。 幸い(?)、鳩山由紀夫氏の理論は極めてあいまいであり、党利党略の宣伝にはなり得ても、現実の経済政策を左右するものにはならないと思います。とはいうものの、これが国際社会に持ち出された場合、現在、安全保障をめぐる日米間の認識ギャップを惹起しているように、無用な混乱を引き起こし、せっかくの国内政治改革さえも頓挫しかねない、そういう危険性も孕んでいると思います。一体どうなることやら・・・。 (9/4文章校正しました。) |