古川氏の「大政奉還」は何かの間違いでは?

2009年6月18日 (木)

 私は早く日本も政権交代できる国になって欲しいと思っています。しかし、そのためには言論戦を通したリーダー選びができるようにならないといけません。そして、その言論戦が熾烈であればあるほど、論敵同士にウイットやユーモアが交わせるようになる・・・そうなって欲しいと思っています。

 言論戦における罵詈讒謗は、本当の狙いは別の所にあるか、真剣に物事を考えていない証拠だと思います。こうした言葉による秩序作りという点では、市場原理主義とかなんとかいって多くの論者がアメリカを批判していますが、アメリカのこの点における統治能力はたいしたものです。

 ところで、自民党の古川禎久衆院議員は、首相に「大政奉還を決断すべきだ」と迫りました。なんでも、古川氏は日本郵政社長人事をめぐって辞任した鳩山邦夫前総務相の元秘書だったそうですが、私が不思議に堪えないのは、この「大政奉還」という言葉の使い方が、比喩として、あまりにもばかげているということです。

 また、そのことを指摘する報道が全くないのにも、ビックリします。要するにマスコミは政局だけに関心があるということなのでしょう。(論争における基本知識やルールには関心が及ばないということ)

 そもそも「大政奉還」というのは、幕府が鎌倉幕府以来(「建武の中興」の一時期を除いて)日本の政治権力を掌握してきたが、明治維新期に、その統治権力を、天皇を中心とする新たな中央集権的政府にお返しした、というものです。(中央集権的政府といえるほどのものであったかはどうかは疑問ですが)

 これは、江戸幕府の統治システム――戦国時代の大名領国制をそのまま凍結し、それに手枷足枷はめることで、中央政府(=幕府)への反乱を防止するという形で全国統治した――が、近代植民地主義の脅威に対応できなくなったために、新たに天皇を主権者とする強力な中央集権国家を作ってこれに対抗しようとした、いわゆる「尊皇攘夷」運動の結果生まれたものです。

 とすると、今日の政局において「大政奉還」という言葉を使うなら,現憲法下の議会制民主主義をやめて、新たに、天皇を主権者とする一元的国家を作り、そこに政治権力を移すことを提案したことになります。しかし、古川議員はそんなことをいったわけではなくて、単に、自民党が民主党に政権を譲る、ということをいったに過ぎないのでしょうが、でも、それなら、「政権交代」です。

 ということは、古川議員は「大政奉還」という言葉を「政権交代」と同じ意味に理解していたわけで、明治維新とは何であったかを全く理解していなかったことになります。国会議員が政治討論で、こんな常識を疑うような発言をしたら、先輩議員は”ガツン”とやるべきだと思うのですが、麻生総理は、”若い人は緊張感をもってやってる云々”などと優しく応答していましたね。頭をひねっていましたが・・・。

 私は,国会議員には峻厳なレフリーをつけて、一対一丁々発止の討論を義務づけるべきだと思いますね。言葉による統治能力を高めていくためには、まず,政治家にそれを実践をしてもらうことが先ですから。

 山本七平は、あのばかげた戦争が終わって捕虜収容所の中にいたとき、戦友達と次のような会話を交わしたといっています。

 こんなばかげた戦争をしたのは、日本人のものの考え方に何か欠陥があったからではないか。そこで、次の三点が指摘されたというのです。

 一つ、日本人は「本当のことを口にしない」、なぜか、個人の言論より組織の名誉や利害が優先するから。このため事実に基づいた作戦計画ができなかった。

 二つ、是非論をやるとき、それが可能か不可能かを区別して論じることができない。そのため不可能な事を是非論(=精神論)で強行しようとした。

 三つ、事実論とその人の思想信条は関係ない、ということがわからない。だから議論がいつも罵詈讒謗になる。しまいには暴力支配に陥った。(捕虜収容所がことごとくそうなった)

 こうした日本人の思考上の欠陥が災いして、一方でソビエトにおびえながら、他方で中国と長期持久戦を戦い、さらに、国力20倍、石油の大半、貿易4割近くを依存していたアメリカに対して、必勝の信念で戦いを挑む,という信じられないことをやったのです。

 つまり、この事実こそ,先の戦争の失敗から我々日本人が学ばなければならない最重要ポイントではないか,というのです。だが、戦後はそれを統帥権という制度の問題にしたり、一部の軍国主義者の問題にしたり、要するに他人の問題にして済まそうとしました。

 しかし、それなら現憲法には統帥権の規定はありませんし、また、一部軍国主義者の問題も,憲法上シビリアンコントロールは徹底していますから問題解決、ということになります。

 だが、本当は、統帥権という制度だけの問題ではなかったのです。というのは,当時「編成大権」が政府にあるということは憲法解釈上定説化していて、実際、ロンドン軍縮会議まではそういう運用が為されたのです。従って問題は、それを自己絶対化の方便として利用するものが現れた時、それを抑止するだけの力を、当時の政党政治家が持たなかった、ということなのです。

 さらに、国民は、当時の普通選挙実施後の政党政治の金権腐敗に辟易し(今もそうですね)、彼等より”純粋”に見えた青年将校たち(一部軍国主義者を訂正6/23以下同じ)による,積極的大陸政策に期待を寄せたのです。そして、その行動の事実関係を見極めることなく彼等を熱狂的に支持したのです。(五・一五事件のような、制服を着た軍人による白昼堂々のテロ行為にも100万通にも及ぶ減刑嘆願書が寄せられた)

 さらに、もう一つの真実、これら青年将校たちは、統帥権の絶対を口にしながら、実際は,上官である関東軍司令官の統帥権はおろか、天皇の統帥大権さえも無視し、謀略による満洲占領を行い、ここを革命基地として国内政治を軍事国家に改変しようとしたのです。

 では、こうした彼等のデーモン・パワーをドライブしたものは何だったかというと、それは、大正デモクラシー下の自由主義と政党政治に対する怨念ともいうべき反発でした。

 では、なぜ彼等は、これほど自由主義や政党政治を目の敵にしたか。それは、エログロナンセンス的風潮や政党政治の金権腐敗、金融恐慌に端を発する経済不況や東北地方の冷害などということもさることながら、とりわけ,大正デモクラシー下の軍人蔑視の社会的風潮や、ワシントン会議以降の軍縮に対する、強烈な被害者意識がその根底にあったのです。

 重ねて言いますが、統帥権なんて、当時の青年将校たちにとっては屁でもなかった。それは、要するに外部に対して自己絶対化を図るための方便に過ぎなかった。それは内部においては「私物命令」の横行として現れた。つまり,問題はこの自己絶対化を許した思想そのものにあったのです。

 日本人が、あの無謀な戦争から学ぶべきものがあるとすれば、このことではないのか、山本七平はそう指摘したのです。では、そうした「自己絶対化を許さない思想とは何か。人は自分が正しいと思うから発言する。自分だけでなく誰もがそうする。また、そうする権利は現憲法で保障されている。では、どう決着をつけるのか。

 いうまでもなく、それは、言葉による決着しかありません。これは一種の戦い(=討論)でもあります。でも、これを有効ならしめるためには、スポーツと同じように、「ルール」や「手続き」を決める必要があります。この討論上の「ルール」が、実は、先に指摘した三点なのです。

 後者の「手続き」、これは言うまでもなく,選挙をはじめとする民主主義的諸制度のことですが、こちらは比較的わかりやすい。だが、前者の「ルール」は、後者をうまく機能させるための前提条件でありながら、見えにくい。従って、私たちは、こうした論争上のルールを顕在化させる必要がある。それ故に、政治家には、レフリーをつけた一対一の公開討論を義務づける必要があるのです。

 今回の鳩山氏の発言を繞る議論の混乱―与謝野財務大臣は、政府にとってはたいした問題ではないといったそうですが―確かに、この問題は,事実関係(西川氏が国民の財産をかすめ取ろうとしたかどうか、という事実認定)さえはっきりすれば,片のつく問題です。

 そうした事実論を冷静にやらないままに、鳩山氏のように、自分の主張を正義と言い立てると、西川氏だけでなく、鳩山氏の意見に反対する人は皆不正義になります。これでは相手を犯罪者扱いすることになりますから、まともな議論はできなくなります。言論の自由も内部から崩壊します。

 この言論の自由・思想信条の自由という、現行憲法上最重要な権利を尊重しない、自分の考えに合わない相手を不正義、犯罪者と決めつける論法がいかに危険であるか、こうした、事実論と価値論を区別できない論法が、かって日本を悲劇に陥れた元凶だった、このことを肝に銘じるべきだと私も思います。

 以上、私が鳩山氏を批判する所以です。厳正な事実論に期待しましょう。

6/23文章の校正をしました。