小池都知事は、なぜ石原慎太郎元都知事を「さらし者」にしようとするのか(2)

2017年2月5日

 この件について、小池都知事は「第一次自己検証報告書」の発表時は、地下空間の設置について、都の技術者らには「プロジェクトX」との思いがあったとか、この事実を都の幹部が周知しなかったことについて技術者は愕然としたとか、この事実が公表できなかったのは都議会の民主党などが豊洲移転に反対していたからだとか、注釈的な説明をしていたように記憶します。確か、民進党がこれに対して抗議したような話も・・・。

ところが、「第二次自己検証報告書」では、一転して、「全面盛り土」をせず建物下に地下空間を設けたのは、都の「整備方針」違反であったと決めつけ、その責任者を厳しく追及するようになりました。私は、その「整備方針」に石原氏の決済印があるのなら、石原氏は「全面盛り土」を指示したことになるから、ここで「整備方針」に違反して地下空間を設置した責任を問われるべきは技術者らではないかと思いましたので、ここで石原氏を批判するのは筋違いだと思いました。

もちろん、石原氏は、当時、土壌汚染対策はしっかりやれと指示していたらしく、猪瀬氏の証言では、その意を受けて、30メートルメッシュ(900㎡ごとに、検査するポイントを1カ所選ぶ)の土壌汚染調査を、10メートルメッシュに精密化して行ったそうです。従って、当然のことながら土壌汚染対策に金がかかることについては石原氏も承知していたと思います。しかし、その具体的な工法については専門家集団を信頼して任せていたのだと思います。

こう見てくると、小池都知事の質問状に対する石原氏の回答は、小池氏が「ゼロ回答」だと怒るようなものではなく、私にはむしろ、極めて真摯な対応がなされていると思いました。

「市場関係者の皆さんを含め東京都民の皆さんや国民の皆さんに対しては、私が就任中のことに端を発して結果としてこのような事態に立ち至っていることについてまことに申し訳なく思っております」と率直に謝罪の言葉も述べていますし・・・。

さらに「今となっては、小池都知事の責任と権限をもって、私が就任する以前の段階から今日に至るまでの各都知事のすべての時代の本件に関する資料をいわゆる「のり弁」的な細工をすることなくすべて公開していただき、ぜひ皆さんの目で何が行われたのかをご覧いただくしかないと思っております。無責任に聞こえるかもしれませんが、その専門的内容に鑑み、記憶の問題ではなく、資料がすべてを物語ってくれるものと思っています。」
と提言しているのです。

だから、小池知事は、都知事の持つ強大な権限と膨大な東京都の職員組織を使って、疑問と感じる点を、関係者や資料に当たって徹底して調べればいいのです。石原氏もそれを望んでいます。そうした石原氏の、いわば「恭順」と感じられる程の姿勢を無視して、石原氏の賠償責任を問う市民裁判に便乗し、今までの弁護方針を一転し。担当弁護士を総入れ替えしててまで、石原氏の豊洲移転決定の責任を追求しようとしているのです。

私は、徹底してやればいいと思っています。そもそも「豊洲移転」については、2月2日のゴゴスマでの浜渦氏の証言では、石原都知事以前の青島都知事の時に決まっていて、豊洲以外の土地の可能性について、浜渦氏が都に聞いたところ、築地の業者の意向もあり豊洲以外にはないとのことで、当時の行政課題としては、いかに早く築地から豊洲に移転するかだった、と言っています。

また、猪瀬氏の前掲書でも、「都議会でも2009年に、民主党が議会で最大勢力となった際に、現地建て替え案が検討されましたが、民主党は結局、その案を引っ込めました。現地改築は無理との結論に達したからです。営業しながら立て替えるのは不可能だし、やるとしても結局移転して立て替えないといけません。都議会や共産党や一部コメンテーターは『反対だから反対』と言う原理主義に陥っているように見えます。」と言っています。

小池都知事は、こうした豊洲移転が決定されるまでの経緯を無視し、「衛生面では築地の方がよっぽど問題がある」ことも無視し、移転を先延ばしすればするほど豊洲、築地の維持費用や業者への保障金などの費用がかさんでくる現実も無視して、豊洲移転を推進した石原元知事に対する賠償責任を、市民団体の訴訟に相乗りする形で強引に進めようとしているのです。こんな事態を招いたのは”おまえの責任だ”と言いたいのでしょう。

これは、豊洲のモニタリング検査結果に異常数値が出たことが契機になっているようですが、こうした小池氏の判断について、郷原信郎氏は次のように批判しています。

「小池氏が、「盛り土」問題を大々的に取り上げる際、「安全性の確保のオーソライズを行う機関」として位置づけた専門家会議の平田座長も、「地上と地下は明確に分けて評価をしていただきたい。」「地上に関しては大きな問題はない。」と繰り返し述べて、豊洲市場の地上の安全性について、地下水の数値と環境基準との関係を過大視すべきではないことを強調している」(「『小池劇場』の暴走が招く地方自治の危機」郷原信郎)

また、宇佐見典也氏は、「豊洲市場は現状においても土壌汚染対策は完璧で食の安全は確保されている」として、次のような説明をしています。

「環境基準」という言葉の意味について、「土壌溶出基準」と「土壌含有量基準」の二つがあり、前者は「これは地下水等を通じた人間の直接的な摂取を想定したもので、「70年間人が1日2ℓその土地の地下水を摂取し続けること」を前提に設定されています。」後者は、地下水等の直接的な摂取がない場合を想定した基準で「70年間その土地の上に人が住み続けること」を前提に「土が舞って口に入る」ことを想定したもので、この二つの基準を総称して「環境基準」と呼んでいます。

豊洲の場合は「地下水の摂取や利用」が”全くない”わけですから、本来重視すべき(環境)基準は「土壌含有量基準」です。ただこの土壌含有量基準の観点で見たとしても、豊洲では(2005年から東京ガスによる土壌汚染対策が行われた)が、2007年の調査の段階で(環境)基準を超過する(地下水の)汚染が判明したので、「健康被害が生じるおそれはないが汚染は確認される「形質変更時要届出区域」に指定された。()内は筆者

この「形質変更時要届出区域」では、土地の形状を大きく変えない限りは”健康被害を生じるおそれがない”わけですから、そのまま豊洲の工事を強行することもできたわけですが、「汚染が残ったままでは生鮮食品を扱う市場にふさわしくない」という理由で総合的な汚染対策が進められることになりました。その代表的なものがいわゆる「盛り土」の措置で、実際に一部安全上の措置で地下ピットが設置された場所以外は盛り土がなされました。

こうした汚染対策が総合的に実施された結果、平成26年(2014年)6月の時点で豊洲は土壌含有量基準を99%以上の地点で満たすこととなりました。(中略)もちろん汚染が確認された1%以下の地点でも汚染処理がなされています。そしてこの上にさらにコンクリが敷かれることになるわけですので、もはや「汚染土が舞って、口に入り健康被害が生じるおそれ」は、全くなくなったと言っても良いでしょう。」

つまり、土壌汚染対策法上の安全基準はすでに満たされているのです。(「豊洲は安全だけど安心じゃない」というレッテル貼りに屈してはいけない」宇佐見典也)。

では「なぜ東京都は食の安全に関係のない地下水のモニタリングをしているのか?」というと、東京都若林基盤整備担当部長は次のように言っているそうです。

「豊洲新市場用地における二年間モニタリングは、形質変更時要届け出区域台帳から操業由来の汚染物質を削除するといった、記載事項を変更するための手続に必要な措置として実施するものと認識しております。」

つまり、土壌汚染対策法上「安全」は確保されているが、さらに「安心」のため地下水を環境基準以下に抑えることで、形質変更時要届出区域の指定を全部又は一部を解除すべくモニタリング検査を行っているということ。この場合、「安心」と「安全」を混同しないことが大切で、小池都知事は、モニタリング検査結果を「安全」をオーサライズする基準と誤解したために、今回のような大騒ぎを引き起こすことになっているのです。

ここで、今なすべきことは、第9回目のモニタリング検査結果が急に悪化した原因を特定すること。また、汚染された地下水は、くみ上げて浄化した上で外海に排出するようになっているのですから、いずれピークアウトして、「安心」レベルで安定すると思われるので、少しも慌てる必要はないのです。

厳密に言えば、法的根拠なく強権的に豊洲移転を延期した小池都知事の責任こそ問われるべきでしょう。第二次報告書では、都の「整備方針」には「全面盛り土」は建物下は省かれているにもかかわらず、都は「全面盛り土」を決定したと歪曲し、地下空間設置は土壌汚染対策上問題がないことが明らかなのに、関係者8名を厳重処分、あまつさえ、3期前の石原元都知事の豊洲移転推進の責任を問おうとしているのです。

浜渦氏は、ゴゴスマで、”石原は巨竜だが残念ながら年老いている。これは誰もが通る道で、小池氏も老いるときが来る。それを先輩政治家であり前任都知事でもある石原を、足で蹴りつけるようなことはすべきでない、と言っています。もちろん、政治の世界ですから問題があれば徹底的に批判されます。しかし、豊洲移転問題に関して、小池氏が石原氏を「さらし首」にしようとするのは、一体何のためか、不可解と言わざるを得ません。

確かに、近年の石原氏は、老いの故か、繰り返しや失言が多くなりました。政治家ですからそれを批判されても仕方ありません。また、氏は、都知事を4期務めましたが、元々国政政治家であって、戦後の日本社会を「宦官国家」と言い、戦後日本のアメリカ依存体質を批判してきました。また、アメリカに対してだけでなく中国に対しても言いたいことを言ってきました。それだけにマスコミの反発も強く、毀誉褒貶は今も相半ばしています。

といっても、都知事としての実績がないわけではなく、都財政の黒字化(五輪費用4000億はここから捻出)、日本で初めて公会計制度導入、風俗店の一斉撤去、排ガス規制、東京オリンピック誘致計画、災害対策費の備蓄、羽田沖の拡張・第四滑走路の建設、東京の治安回復、東京マラソンの実施、認証保育所の待機児童対策、三環状整備、横田空域一部返還、羽田国際化、学区撤廃、建物の耐震化促進、尖閣諸島購入計画、新銀行東京等があります。

中には失敗とされた事業もありますが、4期にわたって都民に支持されたことも事実です。小池都知事は、そうした元知事の仕事を同じ保守政治家として引き継いだわけですから、それなりの敬意を払うべきではないでしょうか。ましてや、小池氏の都知事選勝利は、猪瀬氏のバックアップあってのことであり、その猪瀬氏を都知事に推薦したのは石原氏です。そして、その当の石原氏は、小池知事の質問書に、戸惑いつつも誠意を持って答えようとしたのです。

それは、石原氏が、年来、官僚批判を繰り返してきたことからも判るように、氏自身、開かれた「都民ファースト」の都運営のためには、都知事のリーダーシップが不可欠だと考えてきたからではないでしょうか。また、都議会の「ドン支配」とか「ブラックボックス」とか言われるような非民主的で閉鎖的な議会運営についても、改善すべきとの問題意識も持っていたに違いないのです。それ故に、石原氏の回答が「誠意を感じさせる」ものになったのです。

小池氏は、ゴゴスマでの浜渦氏の証言について「まあ、非常に自由にお話をされていたと聞いている。私から言わせれば、ご自分に都合のいいように解釈されているようだと、言えるのではないか」「キーマンでいらっしゃるので、どんどん発言されればいいのではないか。これから百条(の設置)や、(住民訴訟で)司法の動きにもなってくる。(テレビではなく)そういった所で、お述べいただければと思う」と言っています。

さて、このように、日を追って挑発的な言辞を吐くようになった小池氏に、世論はどのような反応を示すでしょうか。私自身、石原氏に対する小池氏の質問書を見て以降、次第に不審をおぼえるようになり、私ブログ「竹林の国から」にも、ツイッターのコメントにも小池批判を書くようになりました。こうした疑念と不信は小池氏のその後の言動でますます強くなりました。すばらしい女性リーダーが登場したと喜び、誇りにさえ思ったのに、誠に残念と言うほかありません。