小池都知事は、なぜ石原慎太郎元都知事を「さらし者」にしようとするのか(1)

2017年2月4日

小池都知事に対する一般国民の見方も当初の絶賛から少しずつ失望そして批判へと向かいつつあります。私自身もそうで、私が疑問を感じ始めたのは、小池都知事の石原氏に対する質問状を見てからです。

その質問状の内容ですが、大まかに次の四点、1.なぜ土壌汚染のある豊洲に移転を決めたか及びその交渉経過について 2.東京ガスと東京都の汚染対策費用の負担割合について、3.豊洲市場の事業採算性について 4.土壌汚染対策としての盛り土の評価と建物下に盛り土がされなかったことについて、5.以上のことについての石原氏の道義的責任と、その具体的な取り方について糾すものでした。

その質問の各項目が、あまりに微に入り細をうがったものでしたので、84歳の高齢しかも脳梗塞を患ったとされる三期前の知事石原氏に対する質問書としては、いささか酷過ぎると私は思いました。細目の事務処理や技術的なことは、都に残された資料や都職員等に聞けば分かることで、後任の知事が高齢の元知事に、その細部について問い詰め、元知事は何とか誠意をもって答えようとしているのに「ゼロ回答」だと決めつけ、その質問書や回答書を公開して「さらし者」にするというのは、いささか常軌を逸していると私は思いました。

次に、石原氏の1の質問(なぜ土壌汚染のある豊洲に移転を決めたか及びその交渉経過について)に対する回答を見てみたいと思います。

「1999年4月に私が都知事に就任する以前から東京都の幹部や市場関係者の間では築地市場の限界を感じ、移転先候補地を物色する中で豊洲という場所を決めていたようで、就任早々にそのような話を担当の福永副知事から聞いた記憶です。ただし、豊洲の中の東京ガスの敷地であるとまでは聞いた記憶はありません。したがって、少なくとも豊洲という土地への移転は既定の路線のような話であり、そのことは当時の資料をお調べいただけば分かるものと思います。」

石原氏は「豊洲が東京ガスの敷地」であったことも忘れているような状態で、ただ豊洲移転が既定路線だったと記憶しているだけで、結局、「当時の資料をお調べいただけば分かる」と言うほかなかったようです。

次に2の質問(東京ガスと東京都の汚染対策費用の負担割合について)に対する回答

「担当が福永副知事から浜渦特別秘書に交代したことと、その理由がハードネゴシエーションが必要なためその適性を考慮してのことであったことは覚えておりますが、交渉に至る経緯とその後の経過の内容は、その後相当な期間が経過していることもあり、記憶にありません。場面、場面で決裁を求められたことはあったのかもしれませんが、大型構造物の建築や土壌汚染といった専門的、実務的内容に鑑みても詳しい交渉の経過の報告は受けていなかったと思います。いずれにせよ、この点は記憶に頼るより当時の資料を見ていただけば分かることだと思います。」これも当時の資料を見れば分かるというもの。

また、土壌汚染対策費用の負担割合については、「今思えばアンフェアだと思いますが、私の判断を求められることがありませんでしたから、全く分かりません。」また、汚染対策費用を含む豊洲の土地価格が858億に上ったことについては「妥当うんぬん以前にずいぶん高い買い物をしたと思いますが、何故そうなったのかは私に判断を求められることがなかったことから分かりません。しかし、この点は東京都及び東京ガスに残っているはずの当時の諸条件に関する交渉経過の資料を見れば明らかになるものと思います。 」これも上と同じ答えです。

次に3の質問(豊洲市場の事業採算性について)に対する回答

「場面、場面で決裁を求められたことはあったのかもしれませんが、特段の知事の判断を求められたことはありませんでしたから、その専門的、実務的内容に鑑み、実務を担当した職員に任せておりましたので、分かりません。」これも上と同じです。

次に4の質問(土壌汚染対策としての盛り土の評価と建物下に盛り土がされなかったことについて)に対する回答

「指示、推奨あるいは容認といったことではないですが、そして、どなたからであったかは忘れましたが、ある専門家から「盛り土をするより汚染対策として地下にコンクリートの箱を重ねて埋め込み、土台として構えた方が工期も早いし、安く済むので良いのではないか」という提案があり、「なるほどそれなら一挙両得だから検討するに値する。」といった話を週に1度の昼食会だったかで都の幹部らと話した記憶はあります。」

この点を捉えて、石原氏を地下空間設置の元凶だとする言説が流布するようになりましたが、当時の市場長比留間英人氏から石原知事に「コンクリート製箱の埋め込み案」はコスト高になるため採用できません」との報告を受け、石原知事は「ああそうか、分かった」と了承したことが、比留間氏自身の証言から明らかになりました。つまり、この「「コンクリート製箱の埋め込み案」と、建物下の地下空間は全く別の話だと言うことです。

この、建物下に盛り土がなく地下空間になっていたことについて石原氏は「私はその点について何らかの指示をしたことはないと思いますが、 そもそもそのような専門的なことは、知事ではなく、担当職員が専門家の意見を聞いたり専門業者と協議したりしながら実質的に決定するものだと思います。」と答えています。

最後に、5の道義的責任の追求に対しては、石原氏はとまどいつつも以下のような神妙な答え方をしています。

「都知事の業務をよくご存じの都知事からこのような専門的な内容の事項について道義的責任をご質問いただくことにいささか複雑な思いを感じざるを得ませんが、市場関係者の皆さんを含め東京都民の皆さんや国民の皆さんに対しては、私が就任中のことに端を発して結果としてこのような事態に立ち至っていることについてまことに申し訳なく思っております。

かつ調査に協力する意味で当時の記憶を整理し、思い出してはみたのですが、内容が大型構造物の建築や土壌汚染あるいは法律問題を含む売買契約交渉といった専門的、実務的内容であるため、何らかの決裁を求められてこれを行ったにせよ、そのほとんどを思い出すことができなかったことを申し訳なく思っております。

そもそも、都知事が最終決裁を行うべき事案は膨大かつ多岐にわたるところ、本件のように専門的な知識・判断が必要とされる問題については、私自身に専門的知見はないことから、都知事在任中、私は、知事としての特段の見解や判断を求められたり大きな問題が生じている旨の報告を受けたりしない限り、基本的に担当職員が専門家等と協議した結果である判断結果を信頼・尊重して職務を行っておりました。

本書のご回答において、度々、私自身は関与していないとか、担当者に任せていたとか、担当職員が専門家の意見を聞いたり専門業者と協議したりしながら実質的に決定していくもの等お答えしている趣旨は、このような意味合いです。加えて、13年半という在任期間中に私が都知事として決裁をした案件数は膨大であることもあり、ご質問の各事項については、本書のご回答以上の記億はございません。

今となっては、小池都知事の責任と権限をもって、私が就任する以前の段階から今日に至るまでの各都知事のすべての時代の本件に関する資料をいわゆる「のり弁」的な細工をすることなくすべて公開していただき、ぜひ皆さんの目で何が行われたのかをご覧いただくしかないと思っております。無責任に聞こえるかもしれませんが、その専門的内容に鑑み、記憶の問題ではなく、資料がすべてを物語ってくれるものと思っています。」

こうした石原氏の回答について、小池都知事はこれを「ゼロ回答」だと「憤りを露わにし」、質問状と石原氏の回答を全文公表しました。これに対し、ほとんどのマスコミは、これに付和雷同し、石原の「ゼロ回答」を無責任だと批判嘲弄しました。小池都知事は、これにさらにたたみかけるように、5年前から起こされている豊洲市場の土地購入をめぐる住民訴訟で、従来「石原元都知事に責任を認めない」方向で対応してきた都の弁護方針を180度転換し、石原都知事の責任を検証するとして、弁護団を総入れ替えし、6人の特別チームを発足させました。

私は、こうした小池都知事の石原氏に対する対応を見ていて、正直、その情け容赦のない攻撃に驚くと共に、怒りを感じるようになりました。というのも、以上見た通り、石原氏の回答は、氏自身にとっては豊洲移転問題は既定路線であり、それを促進する決断はしたものの、用地買収交渉は副知事の浜渦氏に一任し、土壌汚染対策等の専門的な課題の処理は都の職員を信じて任せていた、と言うもので、石原氏としては誠意を尽くしたもののように感じられたからです。従って、「ゼロ回答」との非難には当たらないと思いました。

このことは、特に盛り土問題が発覚して以降の石原元知事の言動を見れば判ります。この事実を初めて知らされた時の氏の対応は、「欺された」「都は伏魔殿」というものでした。元来氏には、国会議員の頃から官僚に対する不信がありましたので、”自分としては土壌汚染対策に万全を期すよう指示していたのに、こんな手抜きをしていたのか”と言う思いが、こうした発言になったのではないかと思います。

ただ、実際は、建物下に地下空間を設けることは、土壌汚染対策としては決して「手抜き」ではなかったわけで、石原氏は、小池氏の発表を聞いて、とっさに、これを「手抜き」と思い込んでしまった結果、上記のような発言になったのだと思います。なんと言っても豊洲の土壌汚染対策を説明する公報が「全面盛り土」となっているのに、実際は建物下は空間で盛り土がなされていなかったわけですから、そう思い込むのも当然です。

また、この事実については、その後問題になったように、歴代の市場長を始め都の幹部も知らない、あるいは問題認識を持たなかったことが判明しました。その結果、組織としてのガバナンスの欠如や、事実と異なる土壌汚染対策の説明を都議会等で行った責任が問われることになり、8人の関係者が処分されました。これについては、石原都知事の下で副知事を務めた猪瀬元知事も知らなかったのですから、石原氏が知るはずはありません。

ではなぜ、この事実が都で共有されなかったかについてですが、その原因としては、私は、猪瀬氏が氏の著書『東京の敵』で指摘した、次の二点が考えられると思います。

二、意図して公にしていなかったが、悪いことをしていない場合。これまで盛り土をすると喧伝していたため、変更したならばその安全性を再度一からアピールする必要があります。移転の工期は確実に遅れてしまうため、こっそりとやってしまったと言う可能性。

三、担当者は意図して隠していたわけでも、悪意があってやったわけでもない場合。むしろコストを抑えて安全性をより高められるとの判断ではないかと思います。全てがやり直しになるわけではなく、あくまで建物の下の部分であり、それ以外の盛り土は行っているので、自分たちで進めていい範疇だと思った。

この二つの考え方に共通しているのは、「悪いことをしているわけではない、むしろいいことをしたという自負が、都の技術職員にあった」ということ。しかし、当時、都議会では民主党が多数派を占め、石原都知事が決定した豊洲移転を阻止すべく、議会で攻勢を強めていた。これに対し、移転推進派の自民党、公明党は「盛り土するから安全」と訴えていたので、建物下に盛り土がないという認識が技術者レベルに止まった、というのが事の真相ではないでしょうか。

しかし、都の土壌汚染対策の手続きとしては、最終的な都の整備方針(平成21年2月26日)には、「埋め戻し・盛土」については、①採石層の設置には「敷地全面にわたり」とあるのに、②埋め戻し・盛土には「敷地全面にわたり」の記述が省かれていました。このことは、「整備方針」がその提言を承けることとなった「技術者会議報告書」の「埋め戻し・盛土」の記述でも同様の処理がなされていました。つまり、都の「整備方針」は建物下は盛り土をしないことを予定していたのです。(参照「小池都知事「根回しなし」は結構だが事実認識を誤っては元も子もない」) *(2)に続く