嗚呼!これが日本の政治家、いや首相の姿なのか?

2011年6月17日 (金)

 なぜ、この時期に菅首相を下ろさなければならないのかわからない、という人が私の周りにもけっこういます。まあ、ドーナツ現象というやつで、近くにいる人からは蛇蝎のように嫌われるが、周辺の離れたところにいるひとにはやけに人気がある、というやつですね。

で、菅首相についてですが、私もマスコミを通じてしか氏のことは判らないから、首相になった時は、ブログに「菅首相の正体不明」という記事を書いて、その思想的な危うさについて、私なりの意見を述べました。(参照)http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-00a6.html

というのも、氏は首相就任時の演説の中で二人の学者、永井陽之助氏と松下圭一氏に言及したからです。私はそれを聞いてびっくりしたわけですが、というのも、前者は、私の大学時代、所属していた研究会で、氏の著作「平和の代償」をテキストとして学んだことことがあり、後者は私のゼミの先生でしたので、あらためて、両者の著作を読み返しながら、私なりに「菅首相の思想」の危うさを述べたのです。

ところで、人は”どういう言葉遣いをするか”で、その人が判ります。鳩山首相などは、野党時代から、その「ユーモアのかけらもない薄っぺらな言動」が気になり、期待が持てませんでしたが、実際首相になってみると、”案の上”といったところで、首相にさえならなければ、ルーピーなどと言う不名誉な称号をアメリカから贈られることもなかったろうに、と思われたことでした。

で、菅首相ですが、「イラ菅」という通称は、何ともいただけないなあ、と思っていましたが、首相になってから後の言葉遣いには、全く首をかしげざるを得ませんでした。とりわけ「最小不幸社会の実現」という言葉には驚ろかされました。なんと、この言葉を国連演説の中でも使った(これで世界にその知性の程度が知れたのでは?)。

おそらくこの言葉は、松下圭一氏の「シビルミニマム」からの連想で、シビルミニマムはまあ市民生活上の物的最低条件整備のことですからいいのですが、これを不幸を最小にする条件整備という意味で「最小不幸社会の実現」と言ったのだと思いますが、人の「幸・不幸」は計れないし、余計なお世話!といった感じだし、政治的スローガンとしては陰鬱だし・・・。

しかし、それでも首相として権力を握れば、「権力」で仕事ができるわけで、そういうこともあまり問題にならずにやってこれたのでしょう。ところが、3.11以降は、非常事態の連続の中で、次第にその実力の程度や人格のレベルが表に出てきて、冒頭のドーナツ現象が急激に露わになったのだと思います。

まあ、伝えられる話を聞けば、氏がいかに自己中心的で感情激発型の人間であるか判ります。原子炉が水素爆発を起こした直後、東電が現場放棄して逃げるといったのを、首相が怒鳴りあげて現場に帰した旨の話が政府から発表されました。

しかし、これは、私の常識に照らせば、作業員は死ぬ危険にさらされていたわけで、現場監督は全員を現場に止められないと考えたに違いない。だが、それは決して職場放棄を意味するものではなかったはず。それを、政府が鬼の首でも取ったかのように職場放棄とマスコミに宣伝し、自分の手柄にしたのですから、ひどすぎます。

その後も、繰り返し同じようなことが起こったようです。思い出したくもないから繰り返しませんが、昨日のある集会での、菅首相の次の発言を聞いて、さすがに私もげんなりしてしまいました。

「菅の顔だけは見たくないという人も結構いるんですよ、国会の中には。本当に見たくないのか、本当に見たくないのか、本当に見たくないのか。それなら早いこと、この法案を通した方がいいよと」

この法案とは、再生可能エネルギーを電力会社に全量買い取りさせるための法案のことですが、彼は、いつ、再生可能エネルギー政策を主導する立場に代わったんですかね。今までのCO2削減25%を原発で達成しようとした民主党の政策に、彼は責任が全くないんですかね。

この変わり身の早さ、なによりも、この”自虐ネタ”らしき言葉の裏に見える精神の異様さ。この法案は一体何時通すのか知りませんが、どう考えても災害復興関係の法案の方が先でしょう。とすると、これらの震災関連法案が通り、その後、再生エネルギー関連法案が通るまで、見たくもない俺の顔を見続けろ!といっていることになります。

 また、見方によっては、原発政策を推進してきた罪は、総て菅おろしを策動している人たちの罪に転嫁し、自分は、いち早く、再生可能エネルギー政策推進のヒーローとなりおおせ、その先頭に立つと自己アピールすることで、自己の権力の延命を図っているようにも見えます。

 その作戦が、ずに当たった、と言わんばかりの「会心の笑い」。嗚呼!これが日本の政治家、いや首相の姿なのでしょうか。

追伸 

 ついでですが、誰も言わないようなので一言申し添えておきます。

 「菅直人首相と中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領は21日午後、東日本大震災に伴う福島第1原発事故の避難所となっている福島市の「あづま総合運動公園」の体育館を訪問し、避難住民を激励した。震災後、外国首脳が福島県を訪れるのは初めて。これに先立ち、温首相は宮城県名取市で記者団に対し、安全確保を条件として日本の農産品輸入規制を緩和する方針を表明した。

中韓首脳は、未曽有の災害に直面した日本を支援する姿勢をアピール。菅首相は両首脳の福島入りで現地の「安全」を訴え、原発事故による国際的な風評被害に歯止めをかけたい考えだ。夜には都内の迎賓館で菅首相主催の夕食会が開かれ、日中韓首脳会談の公式日程が始まった。」

 これは、私も大変「有り難いことだ」と思いました。でも、次のパフォーマンスはいただけません。

「3首脳は午後3時すぎ、あづま総合運動公園の体育館前で福島県産のキュウリ、ミニトマト、サクランボなどを試食。菅首相は2人に「おいしいですね。食べてもらって本当にありがとうございます」と語りかけた。」

 これは、菅首相個人のパフォーマンスに外国首脳を付き合わせた、ということですが、このパフォーマンスは一種の”毒見”ですからね。日本に対する中国や韓国の友情を示すという意味では前段部分で十分なはずで、そこまで付き合ってもらうためには、事前交渉で担当者はかなりの無理をしたはずです。仮に”ただ”だったとしても、その非常識さにはあきれるというより、日本の恥ですね。